第一王女と
ぐらぐらと、頭の中をなにかが煮えたぎっているような気がする。
それは、冷めることなく温度を上げ続けている。
それを、冷やす術を、私は知らない。
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「―――で、こうすればどうでしょう」
「悪くないと思います・・・。
ですが、それならばその部分自体、不要なのでは?」
父王の面会から、数日が経過したが、イルミナはいまだにリリアナに声をかけることが出来ないでいた。
理由はもちろんある。
まだ、政策の見通しが出来ていないのに、リリアナに手伝えることなどないというのが一番のところだ。
そんな中途半端な状態では声はかけられない。
治水に関しても、まだまだ改善の余地はあると村長から連絡が来ている。
どうやら、こちらから派遣した学者と試行錯誤を重ねているらしい。
可能であればもう少し時間が欲しいとの連絡も来ている。
「そういえば、殿下は何がお好きなのですか?」
「好み、ですか?」
「えぇ、食べ物とか、宝石とか」
週に三回は、イルミナとウィリアムは話し合いをしていた。
昼の時間に行い、そのまま夕方はヴェルナー達とお茶会を行う。
互いに出た新しい案を、イルミナが精査しそれぞれに話をして新たな案を作るというのがここ最近行っている事だった。
「そう、ですね・・・。
お菓子も花も好きですよ」
「そうですか・・・」
ウィリアムはこうして、時折だがイルミナ自身のことを聞いてくる。
きっと、これからの関係のことを知ってのことだろうとイルミナは見ている。
「ウィリアム殿は、何がお好きなのでしょうか」
「・・・私は・・・」
ウィリアムは何かを考え込むように虚空を見た。
その目に、熱を帯びているような気がするのはイルミナの気のせいだろうか。
それが、自分に向けられているように感じられないのは、気のせいだろうか。
「・・・私は、可愛らしいものが好きですかね」
ウィリアムはそう、優しく微笑みながら言った。
「殿下」
イルミナが自室に戻ろうとすると、ヴェルナーが声をかけてきた。
「ヴェルナー、どうかしたの?」
イルミナが問うと、ヴェルナーは変な表情でイルミナを見ている。
なんというか、歯にものを詰まらせたような、そんな。
彼の表情は、イルミナに出会ってからよく変わるようになった。
それがいいことかどうかは判断できないが、少なくとも近寄りがたくはなくなったと思う。
今までの彼は、冷たすぎて人の血が流れていないのではないかと噂されていたのだから。
「・・・」
呼び止めておきながら話そうとしないヴェルナーに、イルミナは怪訝な表情を向ける。
彼は基本的に言い惑うことが少ない。
そのヴェルナーが言い惑うようなことが、今抱えているものであっただろうか?
イルミナは抱えている案件を思いだす。
しかし、心当たりはない。
「どうしたのです、何かあったのですか」
「・・・いえ、何もありません」
ヴェルナーは眉間に皺を寄せたまま、そう返す。
「そのような表情をしながら言われても・・・」
「いえ、まだ確証がありませんので。
取れ次第、お話することにします」
ヴェルナーはそう言い、踵を返した。
残されたイルミナは消化しきれていない状況に困惑するばかりだ。
(一体どうしたのかしら)
そう言えば、ウィリアムも今日は少しおかしかった。
酷く、時間を気にしていたような気がする。
イルミナは頭を振った。
全ては気のせいだと。
なにか嫌な予感はするが、それは全て気のせいだと思いこもうとした。
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「近々、陛下に殿下とウィリアムとの婚姻の件について話そうと思います」
久々にイルミナに会いに来たグランはそう切り出した。
その言葉に、ほっとしたのはイルミナだ。
最近、ウィリアムがやたらと時間を気にするようになっている。
それは、イルミナの心を乱した。
彼を夫とすることに、イルミナは何一つ不満を持っていない。
むしろ、彼ほど年が近く、政策に関して話せる相手がいなかったので新鮮さすらあった。
彼の性格や、話し方を好ましく思っており、彼とならこの先の辛い道も頑張れるだろうと思っている。
これが恋や愛ではないとは知っている。
しかし、時間をかければ成長する感情だろうことも知っていた。
利害の一致で、さらに政略結婚ではあるが、それが不幸を招くわけではない。
「そうですか・・・。
そうすれば、私も次期女王としてさらに動けるようになりますね」
イルミナは綺麗に微笑んだ。
そんなイルミナに、グランは頷きながら笑みを返す。
「正直、貴女でなければ力を貸そうなど思いませんでしたよ」
それは紛れもない本音だ。
苦しみを知っている彼女だから。
それを飲み込める彼女だから、グランは手を貸すことにしたのだから。
「ありがとう、グラン殿。
これからも国をよくするために、共に頑張りましょう」
イルミナはそういってグランに握手を求める。
本来、ヴェルムンドで握手というものは同性同士が行うものであって、異性でそれを行うのははしたないとされている。
異性で互いを認め合うようなことが基本的にないと考えられているからだ。
しかし、イルミナの手にグランは自分の手を合わせた。
「そうですな、殿下。
私もまだまだ頑張らねばなりませんな」
イルミナは固く握り合った手を見ながら、ふと何故か不安を覚えた。
どうしてかはわからない。
でも、なにか。
何かを見落としているような気がしてならなかった。
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グランが話に行くと言った数日後、イルミナは父王に謁見室に来るように呼び出された。
それを聞いたイルミナの足取りは軽い。
ウィリアムが婚約者となれば、パワーバランス的にもイルミナが次期女王として擁立されるのは時間の問題だ。
ライゼルトの名を背後に、他の貴族たちにも協力を仰ぎ、そして政策を成功させる。
時間はかかることは百も承知だが、独りではない。
ヴェルナーも、アーサーベルトも、グランも。
そしてウィリアムだっているのだ。
自分は、独りではない。
開く扉の向こうは、光に溢れて―――――
「お姉さま・・・」
そこには、見知った人が居るということだけがすぐに理解できた。
目を凝らして、顔を確認する。
父王、王妃、宰相、リリアナ、ウィリアム。
リリアナ付きの騎士にメイド。
何人かの、貴族たち。
「イルミナ、先日グランからお前の婚約者に息子のウィリアムを推してきた」
「・・・はい」
「しかし、どうやら子息はリリアナと逢瀬を交わしている様でな」
息が、詰まる。
どうして、いつのまに―――
「リリアナにも聞いたところ、どうやら互いに好意を抱いているようなのだ」
リリアナが、涙目でイルミナを見てくる。
何故、彼女がそのような表情をするのかがわからない。
どうして、そんな表情で、私を見るの。
「お、ね・・・さま・・・」
か細い声は、庇護欲をそそるのだろう。
しかし、今それに心を動かされることはない。
こちらを見てくるウィリアムは、ばつの悪そうな顔をしている。
そして、イルミナは全てを理解した。
理解せざるを、得なかった。
引き付きそうになる喉を。
焼け付きそうになる目を。
必死で堪えることは、こんなにも辛かったのか。
「―――、そうですか」
イルミナは毅然と言い放った。
「ウィリアム殿は、王家に婚約の打診にいらしたのでしたね。
・・・リリアナと思いを交わしたのであればよろしいのでは?」
例え、ウィリアムと婚約できずとも女王にはなれるはずだ。
ライゼルトの力を借りるためには他の手段を考えなくてはならないが、きっとまだ手はある。
そう思っていたイルミナの耳に、信じがたい王の言葉が入った。
「そうだ、ウィリアム・ライゼルトは今回リリアナとの婚約について話をしに来たのだな。
ウィリアム、了承しよう。
次のリリアナの十四の誕生日に正式に公表することにする。
次期女王となるリリアナをしっかりと支えてくれ」
その言葉を聞いた瞬間、イルミナの膝は崩れ落ちそうになる。
崩れ落ちないのは、長子としての矜持のみ。
信じたくない気持ちと、信じざるを得ないという気持ちが心を裂きそうだ。
「っ、陛下、待ってください!
わ、わたしは・・・!?」
いくら何でも、酷いのではないだろうか。
自分が今まで頑張ってきたことは、どうなるのだろうか。
政策だって、まだ何一つ成し遂げていない。
そもそもリリアナは女王教育などしていないはずだが。
「リリアナは女王教育の覚えもめでたいと宰相から聞いている。
・・・第一王女の政策は、ウィリアムがよく知っているそうだな」
まさか。
いつの間に、そんなはずは。
「そのままウィリアム主体に行えばよかろう。
そうすれば、ライゼルトからの打診も断らなくてもいいだろう?
イルミナ、案ずるな。
良縁を整えてやるから、しばし待て」
イルミナは、呆然自失というのはこういうことかと。
まるで他人事の様に感じた。
ふと、四阿で見慣れた白い花を思い出した。
薫り高いそれの、花が堕ちる音が、聞こえたような気がした。