第一王女とお茶会
イルミナは部屋を後にすると、そのまま毅然と歩きだした。
会議は終わり、次の会議はさらに有意義なものになると確信している。
それは、今までのイルミナのすべての結晶と言っても良かった。
見慣れた部屋に戻ると、そこはいつもと変わらず殺風景だ。
十年以上住んでいるのに、そこには思い出となるべきものは何もない。
何もないというより、年頃の娘がもつようなものが全くといっていいほどないのだ。
普通であれば、ぬいぐるみであったり、家族の絵であったり。
そういったものは、イルミナの部屋には何一つとしてなかった。
しかし、以前と少しだけ変わったところもある。
イルミナにとっての執務用の机には、ガラス細工の花が飾られている。
それが唯一、この部屋で女の子らしさを出していた。
キラキラと光を反射するそれは、イルミナの心を少しだけ癒した。
ガチャリ、と錠を落とす。
これで部屋にはイルミナ一人だ。
「・・・・・・はぁ―――――」
そうしてようやく、ゆっくりと息をつくことが出来た。
そしてそのままずるずると座り込む。
「・・・・・・」
手を見れば、微かに震えている。
それが何からくるものなのか、イルミナは判断しない。
しかし、やっと始まったのだと思った。
今までのこと全て、この為に行ってきた。
ただ一つ、自分の望みを叶えるために。
そう、第一王女の居場所を作るために。
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「・・・」
イルミナはメイドが気を利かせて持ってきた紅茶にお湯を入れながら、香りを確認した。
紅茶の香りと、独特の匂いが鼻孔に広がる。
「殿下?」
アーサーベルトは、いつまでも香りを嗅ぐイルミナを不審に思い、一言声を掛けた。
「飲まないようにしてください。
弱いとはいえ、毒が混入されています」
「!!あのメイドに!!」
アーサーベルトは、イルミナの言葉に顔色を変えて席を立とうとした。
しかし、それをイルミナは制した。
「無駄です、アーサー。
いつものように結構な数を経由しているでしょうから、分からないと思います」
それは、今回が初めてではなかった。
会議に参加した日から、イルミナに毒が送られるようになった。
弱いものが主なので、きっと警告を含めたものだろう。
というより、ほとんどイルミナが服用したことがあるので耐性があるものばかりだ。
暴漢に襲われそうになることもあった。
専属騎士のいないイルミナに、アーサーベルトがハザを一時的にでも護衛するように命じたおかげで、彼がその暴漢を撃退してくれたが。
もちろん、初めの頃は犯人捜しをした。
しかし、メイドだけでも何人も経由しており、イルミナは途中で諦めた。
正直にいって、犯人探しなどしている時間など、イルミナにはないのだ。
今、イルミナがしなければならないことは他に沢山ある。
いつ見つかるかわからない誰かに、時間を使ってやる義理もない。
対策として、紅茶はイルミナが自身で淹れたものしか口にしないようにしているし、一時的とはいえ、ハザに身辺を警護させている。
食事に関しても、ヴェルナーとアーサーベルトが信頼できるコックにしか頼まないようにもした。
「ヴェルナーの言った通りでしたな」
アーサーベルトは言葉にできない思いをその一言に集約する。
それしか、彼には言えなかった。
自分には気付けなかったこと、それをヴェルナーが気付いた。
結果的に、自分が第一王女を鍛えたのは間違えではない。
しかしこうなるとは少しも予想できなかったのだ。
それを、少しだけ悔しく思う事もある。
「お待たせしました、殿下。
あぁ、アーサーもいるのか」
そう言いながら颯爽とやってきたのはヴェルナーだった。
彼の手にはたくさんの書類が握られている。
会議の日以降、彼らは定期的に四阿にお茶会と称して集まって話し合いをした。
イルミナの推す案件に関してもそうだが、これからのことについても話し合っているのだ。
いまや貴族から鬼才と名高いイルミナだが、未成年でしかなく、圧倒的に経験値が足りない。
そもそも鬼才でもなんでもなく、ただの努力の賜物だ。
穴があることがある・・・いや、むしろ多いのでそれを埋めるために定期的に集まってはそれを直していった。
「そういえば、殿下。
婚約のお話を耳にしましたが」
ヴェルナーは突然切り出した。
その言葉に一番驚いたのはアーサーベルトだ。
「んな!?
殿下、本当ですか!!」
当の本人は、興味が無さそうに書類に視線を落したままだ。
「まだわかりませんよ?
ただ辺境伯との会談がありましてその子息も来るそうです」
「辺境伯といいますと?」
「ライゼルト辺境伯です」
「「!!」」
その名は、ヴェルナーにもアーサーベルトにも聞き覚えのあり過ぎる名であった。
辺境伯とは、その名の通り王都から離れて辺境に屋敷を構える貴族のことである。
国境に居を持つ彼らは、その殆どが王都にいる貴族より力を持つ。
当たり前だ。
辺境伯は、いざという時に他国を相手に戦わなくてはならない。
他国だけの話ではない、賊なども入る。
そんな重要なポジションにいる彼らが、力を持たないはずがないのだ。
その中で、ライゼルトという名はこの国の人間なら誰でも知っているだろうというほど有名だ。
彼らは、何代にもわたって国境を守り通してきており、民からの信頼も厚い。
その力は計り知れず、彼らのおかげでこの国は侵略を許していないとっても過言ではない。
中でも、今代の辺境伯は歴代の中でも随一と謳われているのが、現当主のグラン・ライゼルトだ。
彼を敵に回して生きていられる人間はいないと言わしめる程の力の持ち主だ。
その彼が、なぜイルミナと会談をする必要があるのだろうか。
アーサーベルトの疑問を読み取ったイルミナは、その体勢のまま続けた。
「会談というのも嘘ではありません。
ですがご子息と見合わせるのもひとつでしょう」
「ということは・・・」
「・・・子息との婚約も視野に入れられている可能性がありますね」
ヴェルナーが渋い表情で言う。
「ヴェルナーもそう思いますか。
私も同意見です」
つまるところ、彼の子息とのお見合いの様なものなのだ。
辺境伯の力は強い。
それこそ、王家に匹敵するほどに。
どんなに辺境伯が王家に対立する意思がなくとも、周りはそうは見ないのだ。
そこで一番手早く事を収束させることができるのが婚姻だ。
イルミナと、ライゼルトの子息との婚姻が成立すれば、下手な邪推をするものが減るだろうというのが現当主であるグランの考えなのだろう。
それに対して、イルミナは怒りなど抱かない。
それが当然だとすら考えるからだ。
王族として。
国の為に臨まぬ婚姻すらも受け入れる。
しかし、イルミナにとってこの婚姻は非常に良いものだと思っている。
ライゼルト辺境伯の力は、出来れば国の為に王家に取り入れたい。
さらに当主のグランにも意見を聞きたい。
今回の政策に、貴族の力は必要不可欠だ。
もし、これでライゼルトの力を借りることができれば、他の貴族も言うことを聞くだろう。
そうすれば、自分の政策は一気に稼働する。
「私は辺境伯が乗り気なのであれば、この婚姻が成り立てばいいと思っています。
ライゼルト辺境伯の力はぜひとも手に入れたい。
お互いに協力すれば、きっと国をもっと良くすることができる」
彼の力があれば、イルミナは自分の思い描く未来が、形になっていくような気がした。
自分の居場所がある未来。
国が良くなる事で、必要とされる未来。
―――それが、イルミナはどうしても欲しい。
「いつ頃会談するご予定なのですか?」
「未定です」
辺境伯がこちらに来るまでにも相当時間が掛かりますからね」
書簡でやり取りはしているものの、お互いに忙しくすぐ動けるような立場でもない。
可能であればイルミナ自身が辺境伯のところへ足を運びたいと思うが、手一杯過ぎて下手に動けない。
だから辺境伯が来るのを待つしかないのだ。
だからといって、やることが無いわけではない。
「さぁ、二人とも。
辺境伯を唸らせるほどの案を考えなければ」
そう言うイルミナの表情は今までになく晴れ晴れしいものだった。