第一王女と城への帰還
久々というほどでもないが、戻ってきた城は、帰ってきたとは感じさせなかった。
イルミナの中にあるのは家に着いた安堵ではなく、むしろ僅かではあるが緊張感だ。
それを感じると、まだ自分はここに居場所を作れていないのだなと感じる。
しかし、きっとそんな遠くない未来に、ここが私の住む場所だと胸を張って言えるようになるとイルミナは信じて疑わなかった。
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久々に自室に戻ったイルミナは、まず父である陛下に挨拶をしようと面会の許可を取るようメイドに指示した。
いくら王と言えど、視察に十日以上も城を空けた娘に時間が取れないなどと言わないだろうと思っていた。
しかし、それはたった数十分で裏切られる。
「失礼いたします、陛下が今は時間が取れないので後日にとのことです」
「・・・え?」
始め、メイドが言っていることを理解できなかった。
しかし、かみ砕く様に理解すると、擦れたみっともない声で了承の旨を伝えた。
そんな事があるはずがないと考えていた自分は、どうやら村での優しい対応に漬かりきっていたようだ。
そうだ、今までだって、何もなかったではないか。
普段通り、何も変わっていない。
例え、昨日が自分の誕生日だとしても。
回らない頭のまま、部屋の備え付けのテーブルに足を向ける。
「・・・?」
ふと卓上を見ると、封筒が置いてあった。
いったい誰だろうか。
中を見ると、そこからほんのりと華の香りがした。
一枚のカードが入っていた。
『お姉さま、お誕生日おめでとう!』
「・・・リリアナ」
それは妹からのバースデーカードであった。
パステルカラーの可愛いカード。
香水でもかけたのだろうか、開くと更に濃い華の香りがする。
訳もなく、イルミナは泣きたくなった。
嬉しいはずだ。
悲しくなんか、無いはずだ。
だというのに、この気持ちは何と表現すればいいのだろうか。
「っ・・・、」
溢れそうになる涙を、必死に堪える。
今、泣いてしまったら戻れないような気がするから。
ひくつきそうになる喉を、無理やり抑え込む。
まだ、大丈夫。
そう、言い聞かせる。
イルミナは、深く息をつくと次に会うべき人物に先ぶれを出すようメイドに指示した。
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「お帰りなさいませ、殿下」
いつかの四阿に行くと、そこには既にアーサーベルトとヴェルナーがいた。
「戻りました、変わりないですか?」
「何もありませんよ」
ヴェルナーが苦笑しながら返す。
アーサーベルトも同じように笑っている。
「なら良かった、
早速ですが今回の視察についての報告です」
イルミナはそう言いながら持ってきた書類の束を二人に渡す。
あれからすぐに清書をしたが、やはり粗いところが目立つ。
それでも、イルミナは精一杯書きたいことを書いた。
「ふむ・・・」
ヴェルナーは時折頷きながらぺらぺらとめくる。
本当に読んでいるのか疑るところだが、彼は宰相補佐だ。
それくらい出来て当たり前なのだろう。
「殿下、よう調べられましたな」
アーサーベルトは目元を緩めながらイルミナを誉める。
齢十五の少女が書いたとは思えない内容だ。
書き方はさすがに乱れているところが目立つが。
「・・・それで、殿下はどうお考えでしょうか」
読み終わったのか、ヴェルナーが書類から視線をイルミナに移す。
彼に渡したのはあくまでも報告書のみだ。
政策案件などは別紙に纏めている。
「これを」
渡された二人は、無言のままそれを読んでいく。
そして目を見開いた。
読む手は早くなり、あっという間にすべてを読み終える。
「殿下・・・まさか」
ヴェルナーが信じられないものを見るかのような視線を向けてくる。
アーサーベルトも似たような視線だ。
「私は、民間教育を義務化したいと思います」
イルミナは言葉にした。
言葉にすることで、ぼんやりとしたものから少しだけ形作るような気がしたのだ。
「・・・それはどのようなものでしょう?」
ヴェルナーの言葉に、イルミナは説明しだした。
・人を雇い、彼らが他の人に教育をすること
・薬学、発明、政治などの分野を作ること
・誰でも利用出来ること
他にも色々提示する。
「・・・そんなことが可能だとお思いで?」
ヴェルナーは懐疑的に問う。
個人としては、中々に面白い案だと思うが、宰相補佐としては簡単に賛成できる内容ではない。
「出来る、出来ないのではなく、やらねばならないと私は考えています。
そうしなければ、この国は緩やかな衰退の一途を辿ることでしょう」
イルミナの断言に、ヴェルナーとアーサーベルトは微かに呻く。
そう、この国の現状は、熟れた果実にに近づいて行っている。
それを理解していても、誰も何もできないという状態なのだ。
「できれば国の識字率を上げたいのです。
そしてこれを一番最初に実行する場所は決まっています」
「・・・アウベール村ですね」
「はい、あそこは既に地盤が出来ています。
それを利用しない手はありません。
実績を生んだ時点で貴族の承認を得て、国管轄で行う予定です」
言うだけなら簡単なことだ。
しかし実際に行うとなると途方もない時間と金がかかる。
そういったところはどのように考えているのだろうか。
しかし、短い付き合いではない。
講義でもそういったことについて話はしている。
だとすれば何かしら考えていることがあるのだろうとヴェルナーは考えた。
「とりあえず今度の議会で発表はします、
そして貴族の出方を様子見をして、それからまた対策を練ります」
「・・・わかりました。
殿下がそこまで仰るのであれば、微力ながらお手伝いいたします。
ですが、まだ甘いところがあるようですので時間を作って煮詰めますよ」
ヴェルナーが書類を纏めながら言う。
彼女の案は素晴らしい、そう思う。
あくまで個人的には、だが。
しかし、今のままでは夢物語で終わってしまう。
そうしないためにも、ありとあらゆる対策を考え、実行しなければならない。
自分もアーサーも、常に彼女の傍に居て手助けできるわけではない。
イルミナが、自身でその力を手に入れなければ。
人を、状況を、己を取り巻く環境を正確に理解し、それらから回されるのではなく回せるようにならねば。
反対も、反抗もあるだろう。
それらを飲み込めるようになって、そこで初めてイルミナは城の中で立ち位置というものを得られる。
それが得られないのでは、ただの王族の一人でしかない。
代わりの利かない、皆に必要とされる存在になるためには。
「殿下」
話し合いが終わり、解散しようとしたところで、ヴェルナーに呼ばれる。
「はい?」
ヴェルナーは、彼にしては珍しく口籠らせている。
表情も強張っているように見えて、うろうろと視線が定まっていない。
思えば、彼が表情をこのように変えるのは珍しいことだ。
「・・・これを」
そういってヴェルナーは大きくひとつ息を吐くと、持っていたらしき包みをイルミナに渡した。
アーサーベルトも何かを用意している様だ。
「?なんですか?」
イルミナは受け取るも、中身が全く予想できない。
勉強用の本にしては重すぎるし、だからといってサイズは小さめだ。
「・・・お誕生日おめでとうございます」
ヴェルナーは表情を変えずに言った。
アーサーベルトはそんなヴェルナーを見て苦笑している。
「おめでとうございます、殿下。
これは私からです」
アーサーベルトはにこにこと笑いながら包みを渡してくる。
「え、あ・・・ありがとう、ございます」
喜びとかよりも、戸惑いの方が大きかった。
誕生日には、何かをもらえるものなのだろか。
両陛下から、何かをもらった記憶がないのだが、これが普通なのだろうか?
「殿下、親しい人の誕生日に、何か贈り物をすることはよくある事です」
ヴェルナーは、イルミナの戸惑いに気付いたのか教えてくれる。
「そう、なんですか・・・ありがとうございます」
中を見ると、そこにはガラス細工の花と、お菓子がそれぞれに入っていた。
ヴェルナーが細工物で、アーサーベルトがお菓子だ。
「どうぞ、文鎮にでも使ってください」
「殿下、こいつそれを選ぶのにすごい迷っていたんですよ」
「黙れ」
二人が言い合っているのをぼんやりと見た。
そして視界が歪んでゆく。
「殿下!?」
アーサーベルトが慌てた声を出す。
その隣のヴェルナーは、目を見開いて完全に停止している。
「どうしたのですか?」
そこで、イルミナは自分が泣いていることに気付いた。
アウベールでも泣いたというのに。
「、ありがとうございます、本当に。
あなた方がいるから、今の私が、います」
感謝の言葉以外、出なかった。
それくらい、二人には感謝していた。
二人がいなければ、きっと自分はここにいないと確信できる。
そして、嬉しくて泣くなんて、初めての経験も、一生知らずにいたかもしれない。
イルミナは決意を新たにする。
必ず、二人が誇る女王になろうと。