第一王女の帰路
がたごとと、馬車が揺れる。
窓から見える景色は、数日前と何ら変わりはないのに、なぜか色鮮やかに見える。
行きと同じ道を、帰りは違った気持ちで進む。
イルミナは今までにない高揚感を抱えていた。
自分にも、出来ることがあるというのは、良いことだとイルミナは思う。
今までのように、たいして美しくもない出来そこないの姫という立場から抜け出せるかもしれない。
そうすれば、ここに居てもいいと実感することが出来る。
リリアナのことは大好きだ。
両親のことも。
それでも、ここにいていいと思わせてくれる存在ではなかった。
だから。
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「殿下、休憩をはさみましょう」
しばらく揺れていると、ドア越しに声を掛けられる。
「わかりました」
イルミナはそう一言だけ言うと沈黙する。
折角馬車が動かないでいてくれるのだ。
この時間を有効に使わなければ。
そう考えていると、ドアの前の人影が動いた。
いつもであれば、一声かけた後すぐにいなくなるのに。
「殿下」
イルミナは不思議に思いながらも返事をした。
「はい、・・・ハザ殿、でしょうか?」
そう声を掛けると、人影が息を飲む。
まるで、驚いたと言わんばかりに。
「・・・私の名を、知っていたのですか」
イルミナは、その質問を変に思う。
「?
護衛についている人の名を知っているのは普通でしょう」
今回、アーサーが彼を推薦したことは前もって聞いている。
そして本当は、それをやりたがらなかったことも。
だからといって他に出来る騎士がいなかったのだ。
イルミナは、それに対して申し訳なさすら感じていた。
だからといってはしまっては何だが、なおのこと名を覚えていたのだ。
彼は国の騎士である。
しかし、彼がリリアナの専属騎士を希望していたことは知っていた。
が、王の目に留まるほどの能力では無かった為外され、今はアーサーベルト率いる騎士団に入団しているのだ。
騎士団の仕事には、もちろん王族の護衛も入っている。
そこから専属に選ばれることも、ないわけではない。
だからこそ彼は、城に残ってアーサーベルトからの鍛錬を受けたかったであろうと考えている。
アーサーベルトという団長は鬼神の様に強い。
その彼が鍛錬し、磨けばリリアナの専属騎士になることも夢ではないのだ。
「・・・」
沈黙するハザに、イルミナは珍しい事だと思った。
彼は今回の護衛で、イルミナに話しかけるのは事務的な内容のみだ。
その彼が、いったいどういう風の吹き回しだろうか。
「、殿下・・・少し、お時間を頂けますか」
ハザが決意したようにイルミナに声を掛ける。
本当に珍しいことばかりだ。
彼が自らその様なことを、イルミナに言うなんて。
「急ぎですか?
そうであれば馬車の中で聞きますが」
イルミナの言葉は、本来であれば淑女としてはしたないと取られる言葉だ。
馬車とはいえど、半密室に二人きりという状況は、よくない。
しかしだからといって近場にいい場所があるわけでもない。
急ぎでなければ城に戻ってからでも問題ないだろうが、ハザがどうしたいのかだ。
「・・・よろしいのですか」
その声音は戸惑いを含ませながらも、それでもはっきりと聞こえた。
「構いません、すこし散らかっていますがどうぞ」
許可の一言を出すと、躊躇いがちに扉が開かれた。
入ってくる彼の表情は、どことなく気まずそうだ。
大きい身体を小さく折りたたむのも一苦労だろう。
「すみません、今片付けますので」
ハザが馬車に入ると、そこには大量の書類が乱雑に置いてあった。
十枚や二十枚どころではない。
それを優に超える紙が、馬車の中にあった。
正直どこから持ってきたのだと問いたくなるほどだ。
「・・・これは・・・?」
「あぁ、今回の視察の報告書とかです」
イルミナは紙を確認しながらどんどん書類をまとめていく。
その速さは明らかに手慣れた手つきであった。
「で、どうかされたのですか。
貴方が私と話をしたいと言われたのは初めてですね」
業務的な話はあれど、雑談などは一切なかった。
それゆえに、今回のハザの行動には首を傾げる。
ハザは、所在無げに進められた座席に腰を下ろす。
そわそわと落ち着きのない様子を見ていると、不思議とイルミナの心は安らいだ。
「その、今回の視察の・・・殿下の考察を、伺いたく・・・」
「・・・なぜ、いきなりそのようなことを?」
イルミナの言葉に、ハザは黙り込んだ。
しかし、その様子からして誰かから何かを言われたのだろうとイルミナは考える。
「誰かに言われましたか」
「そっ、そのようなことは!!」
「そういうことにしておきましょう。
・・・今回の視察についてでしたね。
ハザ殿はどう思われました?
村について、何か気付かれたことは?」
イルミナは手元の書類に視線を落としながら問う。
淡々としたイルミナの対応に、逆にハザのほうが落ち着きをなくしながらも話し始める。
「・・・治水が優れているのはわかりました」
「一番の目的はそれですからね・・・、
あぁ、ありました」
イルミナは、探していたらしい一枚の紙をハザに渡す。
「?何ですか?」
「これが今回私が視察した内容をまとめたものです」
読んでみてください、そう言われハザは目を通し、そして絶句した。
「――――、貴女は・・・」
それは、視察した内容に加えこれからの予測、改善案などが簡略的に書かれたものであった。
治水技術に価値をつけようなど、どうしたら思いつくのだろうか。
それを、彼女のような年端もいかぬ少女が、書いたというのか。
「まだ清書をしていないので粗いのですが・・・。
これが、今回私が視察して得たことです」
自分達が休暇だと休んでいる間、彼女はずっと国の為に働いていた。
もちろん、それはイルミナからの指示だが、それでも年下の女の子が休みなく働いていたということに、衝撃を隠せない。
そして、イルミナという王族を軽視していたことを恥じた。
アーサーベルトが何故、自分をここにやったのか、それが少しだけわかったような気がした。
「殿下は、なぜ、ここまで・・・」
ハザの言葉に、イルミナは不思議そうに眉を上げる。
なぜ、その様なことを聞くのだと。
イルミナは、ヴェルムンドという国の王族として生まれたからには、当然のことだと思っていた。
だからこそ、ハザの質問の意図がつかめなかった。
王族である以上、国民の為に動かないという選択肢自体、イルミナには持ち合わせていないのだ。
しかし、そのことをハザはもちろん知るはずもなかった。
「・・・質問の意図がわかりません。
なぜそのようなことを?」
その言葉に。
ハザは冷水をかけられたような気がした。
質問の意図が分からない、その言葉自体、意味分わからなかった。
しかし、よくよく考えてみれば。
当たり前のことに、答えなんて持ち合わせていないではないのだろうかと思いつく。
それは、国の頂点に立つものとして最も必要な物。
正直、グイードに言われなければ、自分は彼女と話をしようだなんて思わなかった。
そこでようやく、ハザは自分がグイードの言った通りだということに気付いた。
自分は、何も知らない、知ろうとしない。
目の前の少女は、その幼いはずの精神までもが王族というものに浸りきっている。
王族として、それをするのが当たり前だと。
なぜ、そんなことに気付けなかったのか。
アーサーベルト団長が、なぜ彼女を気にかけるのか。
その理由が、ようやく分かった。
分かってしまった。
そして、あの長や気にくわない男の言うことが、分かってしまった。
リリアナは美しい。
愛するべき存在だ。
その笑顔を見るだけで幸せになれると言われるほど、愛に満ち溢れた存在。
しかし、それは崇拝でしかない。
リリアナとて王族だ。
しかし、彼女がそのように考えている、あるいは行動しているところが全く想像できない。
リリアナは、絵本のお姫様のように守られる存在、そんな想像しかできないのだ。
崇拝と尊敬は、全く違う。
そんな簡単なことに、今の今まで気づけなかった。
これでは、村長やグイードの言った通りではないか。
そう思ったら、なぜか目頭が熱くなった。
それに慌てふためいたのはイルミナだった。
「ハザ殿!?
ど、どうしたのですか・・・?
どこか痛いところでも?
ど、どうしましょうか、誰か呼びますか?」
ぼやける視界で、イルミナを見る。
あぁ、彼女は、優しいのだ。
そうだ、彼女はいつだって優しかった。
村では休暇をくれ、休憩だって好きに取らせてくれた。
本当に、自分は何を見ていたのか。
帰ったら、団長に話そう。
そして、イルミナという王女殿下の話を聞こう。