在りし日の彼女たち
リクエスト、ありがとうございました!
「王女様ー!
―――王女様ーー!」
不意に聞こえてくるその声に、マリーネアは柳眉を上げた。
もう、慣れてしまったことに、少しだけ苛立ちすら感じながら。
「どうかしたの」
「!!
王妃様!!
そ、その・・・」
言い辛そうに口ごもる家庭教師に、マリーネアはため息を零しながら、彼が言いたいであろう言葉を先に言った。
「また、逃げ出したの?」
「・・・はい」
これで、何度目だろうか。
どうして、あの子は自分の言うことを理解してくれないのだろうか。
マリーネアは鈍く痛む頭を、目頭を揉むことで軽減させようとする。
もちろん、軽くなるはずなどないのだが。
「・・・今日はもういいわ。
私が探します・・・衛兵」
「は!!」
マリーネアは疲れ切った体を引きずるようにして歩き始めた。
マリーネアは、ハルバートの貴族として生まれ、そして王妃になるべく教育を受けた女だった。
唯一良かったのは、夫となった国王と緩やかながらにも愛を育めたことだろうか。
そして生まれた娘は、自分たち両親とは似ても似つかない金髪碧眼の天使のような娘だった。
しかし、よくよく見れば自分と夫の顔立ちに似ている。
そんな娘を、愛おしく思わないわけがなかった。
しかし、ハルバートはいつだって落ち着きのない国内情勢を抱えていた。
古くからある貴族たちは自分たちの利益のことばかり考え、王家のことなんて体のいい人形のようにしか考えていない。
マリーネアと国王は、その現状に憂いていたのだ。
だからこそ、自分たちが変えなければと思っていた。
その為に、全てを使う必要があった。
例え、それが自分の可愛い娘だとしても。
「―――、どこにいるの」
マリーネアは、娘の名を何度も呼んだ。
あの子は、薔薇園が殊更気に入っていたから、隠れるならここだろうと当たりをつけて。
そしてそれは正解だった。
「・・・おかあ、さま」
「・・・何をしているの?」
日を追うごとに美しくなっていく娘は、薔薇園の片隅に隠れるように座り込んでいた。
「どうして、逃げたの。
とても大切なお勉強だと言ったはずでしょう」
つい厳しくなる言い方に、マリーネアは内心で後悔する。
どうして、もっと優しい物言いをできないのだろうか、この口は。
「・・・だって、」
「・・・」
そしていつものような言い訳に、マリーネアはため息を吐きそうになる。
そう、この娘は、いつだって言い訳ばかりする。
だって、気が乗らない。
だって、面白くない。
だって、だって、だって、だって・・・。
「―――、これは全て貴女の為なのよ。
古い人たちは女性が頭がいいのを嫌うけれど、本当は女性だって強く発言すべきなの。
そのためには、知識がたくさん必要なのよ。
わかるでしょう?」
「・・・」
ふてくされてなお、美しい娘に、マリーネアは嘆息せざるを得なかった。
どうして、理解してくれないのだろうか。
蝶よ花よと愛でられるのは、美しい間だけだ。
しかも、中身がからっぽであればあるほど、余計に面倒な愛でられ方をする。
マリーネアは、自分の娘にはそうなって欲しくなかった。
魑魅魍魎の跋扈する王城。
そこで生き抜くには、知恵と強かさが必要だというのに。
「・・・―――、
貴女も、もう十二になるのよ。
今までのように我儘ばかりを言っていたら、他のものに示しがつかないわ」
「・・・おかあさまは・・・」
「?」
「お母さまは、いつもそればかり!
いつもいつも勉強しなさい、きちんとしなさい、しっかりしなさい!
私だって、一生懸命にやってるわ!
でも、出来ないんだもの!!仕方ないじゃない!!
それに、他のものって、誰!?
みんな、私が美しいと褒めてくれるわ!
そのままで良いって言ってくれるのに、お母さまだけがいつもそう!!」
まるで爆発したように大声を上げる娘に、マリーネアは面食らった。
自分の知らないところで、そんなことを言われていたのか。
「わかってるわ!!
お母さまは、私に嫉妬なさっているんでしょう!?」
「し、っと・・・?」
さらに想定外の言葉まで言われて、マリーネアは固まらざるを得なかった。
「私が、綺麗だから、だからこんなに酷いことをするんだって、みんな言ってたわ!!
毎日毎日勉強しなさいって!!
私だって、もっと遊びたいのに!!」
マリーネアはちゃんとした人間を娘につけなかったことを胸中で後悔した。
みんな、がどのみんななのかは知れないが、少なくともいい影響を与える人間でないのはすぐに理解した。
「―――、聞きなさい、それは・・・」
「いやよ!!
お母さまはいつもそればかり!!
いつだって、ご自分が正しいと思っているのでしょう!!
そんなお母さまなんて・・・!!」
やめて、とマリーネアの弱い部分がひそりと零した。
「お母さまなんて、大嫌い!!!!」
「――――――」
娘は、そのまま言い捨てるとその場を駆けだした。
マリーネアが、言われた言葉に衝撃を受けて何一つ考えられない間に。
「王妃様・・・」
ついてきた衛兵は気遣わし気にマリーネアを見る。
それに気付いたマリーネアは、熱くなりそうになる目頭を堪えながら、言葉少なに執務室へ戻るとだけ言った。
****************
「あなた・・・わたしは、間違っているのかしら・・・?」
その夜、マリーネアは一人、自室で酒を片手に夫の絵姿を見ながら呟いた。
マリーネアの夫、そしてハルバートの国王であったその人は、既に亡い。
かつて、一緒に国を良くしようとと言って愛してくれたその人は、もういないのだ。
しかし、亡き夫の願いを叶えるため、マリーネアは嫌われながらも国を良くしようと政策の舵をとっていた。
愛する人が望んだ未来を、愛する娘が笑って暮らせる国を作ろうとしているだけなのに、どうしてこうも上手くいかないのだろうか。
他の国で、自分は女傑だのなんだとの言われているらしいが、実際の自分は何一つ満足にできないただの女だ。
未だに一部の貴族は黙らせることはできないし、自分の娘一人、満足に愛してあげられない。
ほろりと、涙が頬を伝う。
本当は、自分だって弱い。
いつだって、愛する人の墓前に泣き縋りつきたかった。
でも、それはしてはならない。
自分は、王妃だ。
この国を守護し、導かなくてはならない。
それは、亡き夫と婚姻を交わす際に誓ったことなのだから。
娘には、しっかりとした知識を持ってもらい、そして国内の貴族を婿にしてもらわなければならない。
娘は、亡き国王の一人娘なのだから。
一時、王弟が王位を継ぐという話も出たが、それは王弟自身が否定した。
自分の兄が王位を継ぎ、そしてその子がいるのであればその子が王位に就くべきだろうと。
それは最もだ。
しかし、それと同時に不安もあった。
娘に、王位が務まるのだろうか、という不安が。
貴族が思うほど、玉座というものはいいものではない。
常に命を狙われ、足元を掬おうとする輩ばかりが周りを固めようと画策している。
そのなかで、如何に自分の、国の有益となる人物を探し出すのか。
それだけで精神は摩耗し、疲労は蓄積されるばかりだ。
「・・・まだ、大丈夫」
マリーネアは言い聞かせるように自分に言った。
まだ、あの子は十二歳なのだ。
自覚が出てくるのは、きっともう少し後のことなのだろう。
だって、自分とあの人との子なのだから。
マリーネアは堆く積まれている釣書に目をやった。
それは、娘に対するものだ。
そのうちのほとんどは、欲に目をくらませた貴族のものだろう。
王妃として、そして母として。
娘には、良い人と巡り会ってもらいたい。
だが、そうもいかないのがこの国だ。
「―――ごめんなさい、力のない母で・・・」
マリーネアは選別すべく、その釣書の山に手を伸ばした。
***************
「ようこそ、ハルバートへ。
ヴェルムンド王太子殿」
「王妃様、この度は外遊を受け入れて下さってありがとうございます」
マリーネアは下座で礼をする見目麗しい青年に一つ頷きを見せた。
ヴェルムンド。
ハルバートより南に位置するその国は、比較的穏やかな国だと聞いている。
一つだけ懸念があるとすれば、まだ王太子妃になる前の、苦い記憶だけだろうか。
「滞在される間、何かあれば侍従に申しつけていただいて構わないわ。
短い間にはなるが、どうぞ我が国を満喫してもらえたら嬉しい」
「ありがとうございます」
金髪碧眼の青年は、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。
国王になる前の、最後の外遊だと聞いている。
そこで知見を広めよというのが、かの国の王の望みなのだろう。
「あぁ、私の娘を紹介します。
―――」
呼んだ娘は、微かに頬を赤くしながらもしずしずと傍へとやってくる。
十六になった娘は、その美しさに天井を見せない。
その所為もあってか、彼女へ婿入りを希望する男が後を絶たず、未だに婚約者がいない。
「あ・・・、はじめ、まして・・・。
ハルバート国王女、―――です・・・」
ぼおっと青年に見とれながらもちゃんと挨拶することに、マリーネアはほっと胸を撫でおろした。
娘は、未だに勉学を嫌がる。
いくら言っても聞かず、最近では家庭教師が匙を投げようとするほどだ。
マリーネアはすぐさま方向を修正し、彼女の夫となるべき人間は国を想って行動できる人にしようとしなければならないほどだ。
「初めまして、―――様。
私は、ヴェルムンド国王太子、―――です」
そうして王太子は娘に近づき、その指先へ触れるだけの唇を落とす。
その、王族としては当たり前の挨拶に、マリーネアは嫌な予感を覚えた。
「―――?」
娘が夢見るようにうっとりとしているのに気付いたマリーネアは、しっかりなさいという意味も込めて名を呼んだ。
「っ・・・!
よ、ろしくおねがいいたしますわ・・・―――様」
そして、王太子の表情を見て、マリーネアは旋律が走りそうになった。
どうして、そんな顔で娘を見ているのだ。
それは、まるで―――。
「―――部屋を用意してあるわ。
ラーラ」
「はい、王妃様」
マリーネアは、二人を一緒にしてはいけないと本能的に思った。
娘には幸せになってもらいたい。
でも、それだけは駄目なのだ。
だって、彼女はこの国の王族なのだから。
王太子が、王太子でなければ、選択肢として在りえたかもしれない。
だが、目の前の青年はヴェルムンドの王太子で、いずれ王位を継ぐ。
娘は、亡きハルバート王の血を継ぐ、唯一の存在なのだ。
侍女に促されるように出ていく王太子を、娘は熱のこもった目で見送る。
駄目よ、と言いそうになった。
彼だけは、駄目なのよ。
貴女は、この国の王女なの。
唯一の。
国の為に存在する王族なの。
だから、駄目なのよ。
しかし、マリーネアの願いむなしく、二人は秘かに逢瀬を交わした。
そして。
「お母さま、私、ヴェルムンドに嫁ぎたいわ!」
「・・・それは、駄目だと、どうしてわからないの?」
「どうして!?
私がヴェルムンドに嫁げば、繋がりが出来るでしょう?」
「そうしたら、この国は誰が導くというの?」
「叔父様にお任せすればいいのではなくて?
お母さまも、いつまでもそのようにしてなくても、良いと思うわ」
「―――」
「お父さまとのお約束だというのは知っているけど、でも、女の人より男の人に任せるのが一番よ。
お母さまも、いつもお疲れのようだし、もうお休みになられたらいいわ!」
輝くような笑顔に、マリーネアは愕然とする。
あの人の、自分の、娘が。
「お母さま、私、―――様のお傍にいたいの。
お傍でお支えしたいの」
「こ、この国の、陛下の血を、どうするの!?」
「叔父様がいらっしゃるわ。
お父さまの弟なのでしょう?」
「―――何も、何もわかっていないわ!貴女は!
貴女のその言葉は、この国の民を裏切るものよ!」
「・・・私だって、好きで王族に生まれたわけではないわ。
お母さまはいつだって国のために、民の為に生きなさいとしか仰らないけど、私の幸せはどうなるの?
好きでもない人と、一緒になれと、お母さまは言うの!?」
「違う、そうじゃないのよ、―――。
愛は育まれるの、―――、理解して」
「いやよ!
お母さまは、いつだって国や民のことばかり!!
私のことなんて、ちっとも考えてくれないわ!
私は、ヴェルムンドに行くの!
もう決めたことよ!!」
「―――!!」
娘は、そう叫ぶと部屋を出ていった。
マリーネアは、ここ一番の疲労を感じ、ぐったりと椅子に腰かけた。
「―――うっ・・・うぅ・・・」
ぼろぼろと、涙が止まらない。
酷く、寂しかった。
どうして。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
独りでいるには、あまりにも辛い場所だった。
誰も助けてくれない。
誰も、傍にいてくれない。
「ぁ、なた・・・」
どうして、どうして先に逝ってしまったの。
もう、私には出来そうにない。
心の中で、弱音を吐く。
辛い。
苦しい。
悲しい。
怖い。
「―――だめよ、しっかりしなさい・・・」
涙はまだ、止まらないけれど。
でも、約束したのだ。
―――生まれてくる、この子が、民が、幸せになれる国造りを―――
その数か月後、マリーネアの娘であり王女であった彼女は、独断に等しい暴挙でヴェルムンドへと嫁ぐ。
それに対して、王妃であるマリーネアは諦観のため息とともに、王弟である義弟を城へと呼ぶ。
その数週間後、朝の支度をしに行った侍女が、王妃が冷たくなっていることに気づき、毒殺と断定。
マリーネアの遺した手記により、一部の貴族が王族殺害の罪に問われ、処刑される。
******************
「義姉さんの遺したあの手記は、あの貴族たちを嵌めるためにわざと遺したものだった」
「つまり?」
「あの貴族は、当時国内でも幅を利かせていた。
さらに質の悪いことに、甘い汁を吸うことばかり考えていた。
義姉さんは、それを一掃する為に、自分の死すらも利用したんだ。
・・・毒殺されることを、想定して、あの人は王妃の座にずっといたんだよ。
自分が殺されることで、一部の面倒な貴族を消すために」
ハルバート国王太子、テオドアは叔母の成したことに、鳥肌を立てた。
「私はね、テオ。
あの頃の義姉さんを見ていられなかった。
娘に裏切られ、休む場もなく一人立ち続けるその姿は、女傑と言われているが、酷く悲しいものに見えたよ。
義姉さんにあの娘のことを頼まれたとき、正直に信じられない気持ちだったが、義姉さんは言ったんだ。
たとえ、どんな子であろうとも、自分と兄上の子には変わらない、と。
幸せになってくれれば、本当はそれでよかったんだと。
だから、ヴェルムンドに対しても国交を細めるだけで何もしなかった。
本当に、先王には感謝してほしいくらいだ。
開戦してもよかったのだからね」
「・・・それは、マリーネア様が望まれなかったのでしょう?
そしてその意思は、私たちの従妹に受け継がれているんですね」
「そうだね。
だからこそ、私はかの国との国交を再開することに決めたんだよ」
ハルバート王、マリーネアの義弟であるその人は、目尻に深い皺を寄せながら微笑んだ。
「義姉さんにとっては。悲しい結末かもしれない。
でも、これが収まるとことに収まった、と私は思っている。
テオ、そう思う私を、軽蔑するかい?」
「・・・いいえ、父上。
それが、王というものなのでしょう?」
息子の言葉に、王は笑みをその顔に刷いた。
「違うよ、テオ。
これが、私に出来る家族としての、最後のことなだけだ」
ハルバート王は、マリーネアの娘を蛇蝎のごとく嫌っていた。
何も知らない、自分が物語の主人公のように振る舞う、あの娘が。
娘の母親が、どれほどの苦労と悲しみを飲み込んできたのか、理解しようともしないあの娘が。
だからこそ、驚いた。
あんな娘でも、一つくらいはいい仕事をするものだと。
現ヴェルムンド女王であるイルミナ。
彼女を授かり、産んだのだけは唯一褒めてやってもいい。
イルミナは、金の卵だ。
あの子がこの先成すことは、きっと歴史に残るだろう。
テオドアは、気づいているのかいないのか。
あの子の存在がなければ、きっと今でも国交は細いままだっただろう。
「義姉さん・・・。
貴女によく似たあの子は、素晴らしい統治者になると思いますよ」
自分にとって、初恋の人。
そして、今でも心に残る人。
大好きな兄と、その人の婚姻は自分でも驚くほどに潔く整理がついた。
あの二人なら、きっと。
ある意味、これは復讐なのかもしれない。
「王は、綺麗なだけでは生きていけないからね」




