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梔子のなみだ  作者: 水無月
番外編
162/180

手紙



君に初めて会った日のことを、正直に言ってそこまでは覚えていない


先代辺境伯であった父に連れられ、城に来た日に、初めて君と会ったのは、覚えているが


君はとても小さく、それでいて大人しそうに私の目には映った記憶がある


挨拶だけしか交わしていなかったが、しっかりしていると思ったものだ


そうして、私は父からその名を継ぎ、王都からは足が遠のいていた


王都に流れる噂はある程度集めていたが、君のものはほとんどいいものを聞かなかったことを不思議に思ったことは一度や二度ではないといって、君は信じてくれるだろうか


君をしっかりと認識したのは、君から送られてきた書簡からだった


今でも、あれを君が書いたということに驚きは隠せないよ


そして、あの小さかった君がこういったことを考えるような年になったのだと、時間の流れを感じた


あのときの、ウィリアムとの婚約に関してはもっとも有効な手立てだったと、今でも思う


が、成立しなくて良かった、とも


私は、きっと君が思うような清廉潔白な人間ではないだろう




あの日


顔を青褪めさせながらも、涙一つ零さない君に、私のこの心臓が跳ねたことを、君は知らないだろう


泣き叫んでいてもおかしくないのに


詰ってもおかしくないのに


君は唇を引き結んで涙を堪えるようにしていた


今思えば、あれが切欠となったといってもいいくらいだろう


恋とは落ちるものだと、よく言ったものだと思う


それからの私は、坂を転がる石のように君への想いを募らせた


ウォーカーに攫われたとき、もう自覚せざるを得ないほどに


あのときほど、生きた心地がしなかったときも無いだろう


また(・・)喪うのかと恐れた


一緒に行ったアウベールでは、貴族であることすらも忘れるほどに愛おしい日々だった


君には申し訳はないと思うが


君には、私が必要なのだと、自分勝手ながらに思っていた


もう二度と立てなくなったとしても、私が領地で傍にいられるかもしれないという考えすら()ぎった


それでも、君は立ち上がった


そんな君を見て、なんて美しいのだろうと思った


同時に、なんて哀れな子なのだろうと


全てを切り捨てようとする君が、とても怖かった


その掌に何一つ残そうとしない君が


私すらも捨てそうになる君が


プロポーズの言葉を送る前に、君を私のものにしなければと焦燥に駆られていたんだ


今となっては、なんて余裕が無いのだろうと自分でも思う


それほどまでに、君を愛している


その紫紺でアメジストのように輝く瞳も、指通りがよく艶やかな黒髪も、釣り上がり気味だという君の目が、緩くなったその表情も、笑うのがあまり得意でなさそうな唇も


幸せになってはいけないと自己犠牲に走りがちなその思い込みも、王になった以上民を幸せにせねばとあくせくするその気持ちも


それでも、一番好きなのは私の名を呼び、笑いかけてくれることだといったら、君はなんていうのだろうか


恋に溺れた男と、苦笑を浮かべるのだろうか


酒に酔ってあどけなくなる君の笑みが好きだ


私の腕の中でだけ安心できると、そう見せて涙を零す君がこの上なく愛おしい


慣れない口付けを、一生懸命受け入れてくれている姿を見て、私がどれほど我慢を強いられているのか、君は知らないだろう


まっすぐに前を向いて立つ君の隣には、常に私が在りたい


たとえどんなことがあろうとも、それだけは誰にも譲れない


支離滅裂になってしまったな・・・




あぁ、君に伝えたい言葉の、欠片ですら書ききれない


こんなにも、愛しているのに


私の心の内を、全て曝け出してしまいたい


そうすれば、どれだけ私が君を愛しているのか、少しは感じてくれるだろう


君は、私が年上だから余裕を持っていると思っているのかもしれないが、実際にはまったく持ってそんなことは無い


君は認めようとしないかもしれないが、君はとても綺麗だ


私はいつだって、君が奪われやしないかと、心の中では怯えている


それでも、もう離してはやれない


私の人生全てをかけてでも


悪い男で、すまない


だがそれ以上に、一緒に幸せになろう


君の瞳から流れる涙を拭うのは、この先一生私だけでいい


だから、私の目から流れたとき、君が拭ってはくれないか


女王としての君は、民に渡そう


その代わり、イルミナという女性は私が生涯をかけて愛し、守り抜く


いつの日か生まれてくる子供にも、母親としては許しても君という女性を渡すことはない


心の狭い男だと、君は笑うのかもしれないな


それか、呆れるだろう


だが、これが間違いようの無い私の本心なのだよ


愛しい、愛しいイルミナ


君に出会えたことが、奇跡だと思う


過去の全てが起こらなければ、繋がらなかったかもしれないと考えると、正直ぞっとする


年上だというのに、情けない限りだ


だが、それほどまでに君に心奪われたのだと理解してくれると嬉しい


君は、私にとって全てだ


君がいない夜や、明日を考えることすらも苦痛だ


死が私たちを分かつまでというかもしれないが、私的には死後も、来世も共に在りたいと望む




毎日、愛の言葉を送ろう


記念日には、一緒に何をしようか


四阿で梔子が咲き始めたら、毎日あそこでお茶をしよう


たまには、二人だけで踊ろう


日向ぼっこもいいかもしれないな


やりたいことが、たくさんあるんだ


君と一緒にできると思うだけで、とめどなく溢れてくる


これからの人生を、愛するイルミナと送れることを、喜びとする


私の人生と、全てを使って、イルミナへの愛を示すことを誓う


私は幸せだ


君という存在を得られて


その幸せの少しでもいいから、君がわかってくれるとこれ以上の喜びはない


愛している






グラン・ライゼルト









「うわあ・・・」


「お父さまってば!!」


二人の子供たちは、母の宝物だというそれを読んで、きゃあきゃあ騒いだ。

小さな箱に入っていたそれは、とても大切なものだからと言って自分たちにも触らせてくれないのだ。

二人―――エドガーとエルリアは肩を寄せ合い隠れるようにしてそれを読む。


「お父さまは、じょうねつてき、なのね!」


舌足らずに、それでもませたことを言う妹に、兄は苦笑を浮かべる。


「いつも仲がいいとは思っていたけど・・・、父上は母上にぞっこん、てやつだな」


「ぞっこん?」


「大好き、ってことだよ」


二人がこうして母の部屋に侵入してその宝箱に手を出せるのも、父と母は二人揃って謁見中だからだ。

そしていつも自分たちを護衛してくれる人たちを説き伏せ(実際は親子であるからそこまで問題はない)母の部屋に入ったのだ。


「エルも、お父さま大好きよ?

 お母さまも、お兄さまも!」


「僕もだよ、エル。

 でも、父上と母上はそれよりももっと深く大好き、ってことなんだ」


「もっと?」


「うん」


エドガーは必死に知識をかき集めて、可愛い妹に知識を披露する。

兄たるもの、妹からの羨望の目を受けるのが一番なのだ。


「でも、エルもお手紙欲しい・・・」


エルリアの言葉に、エドガーは一瞬顔を引きつらせた。


「お兄さま、エルのために書いて!」


「え、エル・・・それは・・・」


「あら、二人とも・・・?」


「「!!」」


二人で話し込んでいるうちに、母が戻ってきていることに全く気づかず、声をかけられた二人はびくりと肩を跳ねさせた。


「エドにエル?

 何を・・・」


母の後ろから父が覗き込むように顔を出し、そしてエドガーの手にあるそれを見て、母を凝視した。


「・・・まだ、大切にしてくれていたのか」


「当たり前です。

 貴方から初めてもらったものだもの・・・」


頬を控えめにも赤くする母は、子供のエドガーの目から見ても綺麗だった。

しかしそれ以上に、父は可愛いと思っているだろうとも。


「あぁ、イルミナ、私も君からの手紙を大切にしているよ・・・」


「グラン、恥ずかしいわ・・・。

 今ならもっと上手に書けるのに」


「なら、今度書いて欲しい。

 私も書くから」


いちゃいちゃとし始めた両親の意識には、きっと自分たちはいないと子供たちは悟った。

そして今が逃げるチャンスだとも。

しかし。


「エドガー、エルリア」


「「!!」」


逃げようとした二人を、母がにこりと微笑みながら見ている。


「お母さまは、大切なものだから触っては駄目といったわね?」


こくこく


「どうして触ったのかしら?」


「・・・」


「エド?」


「・・・母さまの、大事なものってなんだろうって・・・気になって・・・」


ことの発端は、エドガーだった。

両親は自分たちを愛しているというが、母の一番はいったいなんだろう、と。

そんなとき、エルリアが母の宝物を知っているといったのだ。

お母さまの大切なものは、あの箱にあるのよ、と。

エドガーは、幼心ながらに気になってしまった。

大好きな母の、宝物とはなんだろうか、と。


「・・・もう、仕方の無い子ね」


エドガーは怒られると思い閉じていた眼を、そっと開けた。


「・・・ごめんなさい、母さま」


ふるりと睫が振るえ、母と似た色の瞳から大粒の涙がこぼれた。

悪いことだというのはわかっていた。

自分がされて嫌なことは、人にしないようにしなさい、とも。

それでも、気になってしまったエドガーは手を出してしまったのだ。


「悪いことだと分かっているのであれば、いいわ。

 でもね、エド、エル。

 なぜお母さまが駄目だといったのか、わかる?」


エドガーはぼろぼろと涙を零しながら、エルリアはそんな兄の袖を握りながら首を横に振る。

そんな二人を、イルミナとグランは抱きしめた。


「いつかは、見せるつもりだったわ。

 お父さまの、とても素敵なところだもの。

 でも、まだお母さまも読むと恥ずかしいのよ」


「・・・母さまが?」


エドガーは瞳を大きくしながら問う。


「えぇ。

 お父さまはとても情熱的で、とても嬉しい言葉を下さるのだけれど、とても嬉しすぎて恥ずかしくなってしまうのよ。

 だから、まだ見せられなかったの。

 手紙は、とても嬉しいのだけどね」


「な、なら!!

 僕も欲しい!!」


「え、エルも!」


母はくすくすと笑った。


「あら、アーサーベルトからもらった玩具じゃ駄目かしら?」


「うん!!

 僕も、母さまからのお手紙、欲しい!」


「エルはお父さまから!!」


父母は、そんな子供たちをみて愛おしそうに目を細めた。

そして手紙を書くけど条件がある、と。


「あなたたちからもお手紙が欲しいわ」


「「!!」」


小さな子供たちは我先にと言わんばかりに部屋を出て行く。

きっと自分たちの部屋に向かったのだろう。

その後姿を見て、イルミナは愛おしさから笑みが零れる。


「―――それで、私の手紙が一番だろう?」


そんなイルミナの背後から、グランが抱き寄せながら耳元で囁いた。

グランの言葉に、イルミナはかぁ、と頬を赤くする。


「・・・子供たちに、嫉妬・・・ですか?」


苦し紛れにそう口にするが、グランはイルミナの耳を食みながら低く笑った。


「当たり前だろう・・・?

 忘れたのか、その手紙に書いたことを・・・。

 母としての君は仕方ないが、イルミナという女性は渡さないと、書いただろう?」


グランのその言葉に、イルミナは本気だったのかと思う。


「で、でも・・・わたしたちの子供、ですよ・・・?」


イルミナはグランももちろん愛しているが、同じくらい子供たちを愛している。

しかし、その愛情の質は異なる。

しかしグランは、そんなイルミナに微笑みを向けた。


「・・・忘れたのか、イルミナ。

 私は、自分の息子にすら悋気を覚える人間だぞ?」


「!」


グランの言葉に、イルミナはそうだったと思い出した。

彼は、ウィリアムと婚姻が成り立たなくて良かったというくらいの人だ。

それだけを見れば、相当愛情深い―――あるいは、ある意味で危険な―――人物だということがわかる。


「・・・一番目に、書きます」


イルミナは殊勝にそう答えた。

それは間違いではなかったらしく。


「そうか、とても楽しみだな」


グランは一人、とてもいい笑みを浮かべていた。




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