リリアナ
「・・・いま、なんて・・・?」
イルミナは上げられた報告を、茫然としながら聞いた。
伝えに来た伝令は、口を震わせながらももう一度同じことを報告する。
「っ・・・エルムストにて療養に付き添われておりましたリリアナ様が・・・お亡くなりになられました」
***************
その日は朝から雨が降っていた。
そろそろ雨季に入るのだろうか。
小雨だが、止みそうに無いそれに、イルミナはふうとため息をつく。
なんだか、朝から体が重いような気がする。
風邪とかをひいているわけではなさそうだが、日々の疲れでも出ているのだろうか。
「陛下?」
アーサーベルトが心配そうにイルミナを見てくる。
「あぁ・・・大丈夫です。
少し疲れが出ているのかもしれませんね」
「でしたら、少しお休みになられたほうが」
「そうですね・・・」
ぼんやりとしながらイルミナは考えていると。
「陛下っ・・・!!」
扉が慌ただしく叩かれた。
「―――何事ですか」
その尋常じゃない様子に、イルミナは一瞬で気を引き締める。
アーサーベルトへ向かって一度頷き、そして扉を開かせる。
「じょ、女王陛下・・・!!」
そこには、旅装束の騎士が息も絶え絶えに立っていた。
「どうしたのです、何か問題が?」
訪れた騎士は、アーサーベルトを一瞥すると言いづらそうに発言した。
「そ、その、人払いを・・・!!」
彼のその言葉に、イルミナは胡乱気な視線をやる。
いくら話しづらい内容だとしても、アーサーベルトがいると話せない内容なのだろうか。
そんなイルミナの心中を読んだのか、騎士はなおも言い募る。
「陛下がお話しされるのであれば、問題はございません・・・!
ですが・・・」
その切羽詰まった様子に、イルミナは流石にと考え直す。
後で話してもいいというのであれば、自分が最初に聞くのは問題ないだろう。
「・・・アーサー」
「ですが・・・」
「・・・」
イルミナの無言のそれに、アーサーベルトは渋々ながら頷く。
「では、扉の前に控えておりますので」
「ありがとう」
そしてアーサーベルトが扉の向こうへと姿を消したのを確認した騎士は、何度も口を開閉させる。
「どうしたのですか?
人払いはしました。
報告を」
―――イルミナは、そのあと聞いたことを後悔した。
もっと、心構えをしてから聞けばよかった、と。
「―――エルムストにて、第二王女様であられるリリアナ様が・・・お亡くなりになられました」
イルミナの思考が、感情が、何もかもが停止した。
「・・・状況、を・・・」
イルミナは茫然としながら、いつものように言葉を放った。
もうほとんど、条件反射のようなものだったが、その落ち着いた様子に、騎士は少しだけ安堵の表情を浮かべて続きを話し始めた。
「・・・本来であれば、鷹を飛ばすべきでしょうが内容が内容なもので、時間はかかりましたがこのようにさせていただきましたこと、謝罪いたします」
「結構・・・それで」
言葉少なに問うイルミナに、騎士は続ける。
「―――四日前、リリアナ様がご自害されました」
四日。
だとすれば、目の前の騎士は不眠不休で馬を駆けてきたことがわかる。
「そうでしたか・・・、
疲れているところ悪いのですが、続きを」
「はっ・・・、
どうやら、服毒されたようにございまして」
「他殺の件は?」
「いいえ、それでこれを・・・」
騎士は懐から厳重に保管された紙を取り出した。
「・・・これは?」
「遺書、にございます」
イルミナはその厳重な包みをゆっくりと開いていく。
出てきたのは、変哲もない白い用紙だ。
「先王様、先王妃様にも宛てられた分がございまして、自死であることが判明しました」
「・・・そう」
イルミナは、手に取った手紙を開こうとして、手が止まる自分を自覚した。
「―――この件を、ヴェルナー・クライスとグラン・ロンチェスターに報告するように。
その場にアーサーベルトも同席させてください。
そしてこれより、私が許可するまでこの部屋には誰も来させないようにしてください」
騎士は、イルミナの心情を慮って深々と頭を下げた。
「結構。
では下がりなさい」
いつになく高圧的な物言いではあるが、そのことにイルミナは気づかなかった。
バタン、と重い扉が閉じられる。
そして一人になったことを、イルミナは理解する。
「―――」
ギィ、と執務室になるイルミナ専用の椅子に深く腰掛け、机の上にある紙を全て適当に横に置く。
崩れ落ちた一部が床に落ちるのを、イルミナは気づけない。
カサリ、と手紙を手に取る。
薄く作られたそれは、王族が使うに相応しいものだ。
だが、そこから何も香らない。
以前もらった手紙には、いつも香水がふりかけられていたというのに。
開こうとして、その手が止まる。
よくよくみれば、手が震えている。
「・・・」
どんな言葉が書いてあるのか。
想像しようとしてそれが出来ない。
詰る言葉か、責める言葉か。
イルミナは戸棚にしまってある酒精の高い酒を出した。
グランの好むそれ。
私室に持って行き忘れたそれを、今は感謝する。
グラスに少量注ぎ、一気に呷る。
カッと熱くなる体だが、頭は不思議なほどににクリアだ。
イルミナはもう一度呷り、そしてそのまま手紙を手に取った。
「―――っ!!」
勢いのまま、それを開く。
―――親愛なる、お姉さまへ
このお手紙を読まれているということは、私はすでにこの世にいないのでしょう。
お姉さま、私はお姉さまに謝りたい気持ちと、どうしてという気持ちをこめてこれを書きます。前に送ったお手紙はごめんなさい。お姉さまのことを何も考えずに送ったわ。お姉さまがお城でどんな境遇にあったか、ここに来て初めて知ったの。
お姉さまはとても素晴らしい御方であることを知ったと言えば、それを他の人はそれでも足りない、それで知ったというのであれば傲慢だと言われました。
今ではお父さまもお母さまも前より私と一緒にいてくれることが少なくなりました。私はそれを寂しいと思うけれど、お姉さまはもっと寂しかったと知って、とても悲しくなりました。
お姉さまのことを何も考えずお姉さまは私よりお出来になると思っていた私を、許してください。
でも、でもどうして、それなら言ってくださらなかったの。私はお姉さまのこと、とても愛していたわ。一言、仰ってくれれば、私も出来ることはしたのに。
・・・でも、、すべては手遅れ。
お姉さま、お姉さまは、私に子を産むことは許さないと仰りました。最初はそれでもよかったの。大好きなお父さまとお母さま、ウィルと一緒にいられるならって。
でも、エルムストでメイドが、子を産んだの。とっても、とっても可愛かった。小さくて、しわくちゃだけど、とても愛らしかったわ。
そして、お姉さまが赤ちゃんを産んだのも、聞いたわ。絵姿しか見ていないけれど、きっととても可愛いのでしょうね。
でも、私は産んではならないのでしょう?お父さまやお母さまのように、愛し合っていても、ウィルとの赤ちゃんは望んではならないのでしょう?
酷い、そう思ったわ。でも、お姉さまの立場を考えなさいとみんなに言われたの。
もう、ここに居るみんなは、私のことを考えてはくれない。
お姉さまの結婚式のことも聞いたわ、みんなに祝われて、とても美しかったって。どうして知っているのかって思っていらっしゃるかしら。ここでも、王都の噂は届いたし、お父さまに届いた手紙を読んだの。
どうして、お姉さま。
私が悪いことは理解しているわ。
でも、どうしても、納得できないの。
私も、みんなに祝ってもらいたかった。
ウィルとの赤ちゃんを産みたかった。
でも、それは絶対に許されないのよね。
ウィルも、今はほとんどお外で仕事をしているのか、前ほど一緒にいてくれなくなりました。
お姉さま、ここはとても寂しいわ。
もう、こんなところ嫌よ。
大好きで、大嫌いになってしまったお姉さま。
さようなら。
リリアナ
「―――」
吐きそうになるほどの気分の悪さを感じる。
リリアナが死んだのは、自分のせいだ。
いや、違う。
私のせいではない、私は、何もしていない。
肯定と否定が頭の中を気持ち悪いほどに駆け巡る。
気持ち悪くて、どうしようもない。
「っ・・・!!」
吐きそうになり、体をくの字に曲げた瞬間。
とんとん
「―――っ、ハァっ・・・、
・・・誰、ですか」
軽い音のノック音に、イルミナはくらくらとする頭を必死に押さえながらも誰何する。
すると。
「おか、しゃま」
小さな声が耳に届く。
「エドガー・・・?」
近衛兵が開いてくれたのだろうか、扉がゆっくりと開かれる。
そして見えたのは、生まれてまだ一年もたたないのに歩き出したわが子がいた。
「も、申し訳ありません、陛下・・・。
殿下がどうしても、と」
申し訳なさそうに眉を下げるジョアンナと近衛兵がいる。
「・・・構わないわ。
おいで、エド・・・、どうしたの?」
ふらふらとしながらも懸命にイルミナに向って歩くその姿に、先ほどまでのささくれ立った気持ちが少しだけ和らぐのを、イルミナは感じた。
「おかーしゃま、えーん?」
「え?」
エドガーはイルミナの元までたどり着くと、その頬に紅葉のようなふくりとした手を当てた。
イルミナは、一瞬言われた言葉が分からずにきょとんとしてしまう。
「えーん、ない?」
「―――!」
イルミナは思わずわが子を抱きしめた。
「だいじょうぶ、お母様は、大丈夫よ・・・」
まさか、自分が悲しんでいるのを、察知でもしたというのだろうか。
ぎゅう、と抱きしめると、エドガーはきゃらきゃらと笑った。
そして。
「イルミナ、入るぞ」
ノックと同時にグランが入室してくる。
「おとしゃ!」
エドガーはグランの声を聞いて父だと分かったのか、ぱぁと顔を明るくする。
「エド?
どうしてここに?」
イルミナは泣き笑いのような顔でグランを見た。
「・・・私が泣いてないか、見にきてくれたようです」
「・・・そうか」
グランはイルミナの腕の中のエドガーの頬にキスをした。
「偉いぞ、エドガー。
お母さまが悲しんでいるのが分かったんだな」
エドガーはグランの言葉の意味が良く理解できていないようだったが、こくこくと頷いた。
グランはそんなエドガーの頭をひとしきり撫でると、イルミナを心配そうに見る。
「・・・大丈夫か、イルミナ」
「・・・思ったよりかは・・・。
エドが来てくれたおかげです」
そう、この子が来てくれなければ、きっともっと深い絶望と悲しみを感じていたことだろう。
「先王たちへ手紙を書きます。
エド、貴方はジョアンナたちと一緒にいなさい」
いやいやと首を振るエドガーだったが、グランに抱き上げられそのまま何かを耳打ちされたかと思うと大人しくジョアンナへと引き渡される。
「私が許可するまで誰も通さないように。
数時間もかからないから」
「かしこまりました」
イルミナは近衛兵にそう言い、ジョアンナにはエドガーをお願いと頼む。
「グランはここにいてもらえますか・・・?」
少しだけ不安を滲ませながらイルミナが言うと、グランは呆れたようにため息をついた。
「もちろんいるに決まっているだろう」
「・・・ありがとう」
リリアナ・ヴェルムンドの葬式はエルムストの地で密やかに行われた。
その場に参列したのは、先王と先王妃、そして屋敷で勤めていたものたち。
王城からは、イルミナの代理で文官と武官が一人ずつ参列した。
「リリー、リリー・・・どうして・・・!!」
リリアナの眠る棺に縋りつきながら慟哭するウィリアムの背はやせ細り、今にも倒れそうなほどだった。
「先王陛下、こちらを」
「・・・これは?」
「陛下からです」
「!」
先王は、手渡された手紙を読み、そして空を仰いだ。
「・・・これが、私たちの犯した罰、か・・・」
ちゃんと、二人に愛情を注いでいれば、何か変わったのだろうか。
一人だけを見るなんてことをしないで、それぞれの頑張りを認めていたら、このような結末にはならなかったのだろうか。
愛さなかった娘は、今では一番望まれる存在となり。
愛した娘は、その存在すらも希薄となっていた。
「・・・あなた」
「・・・全ては、戯言だ」
隣に立つ先王妃の肩を、先王は抱き寄せた。
自分たちが、二人の娘を不幸にしたようなものだった。
今なら、なぜマリーネアがあんなにも反対したのか、理解できる。
もちろん、結婚したことに後悔は無い。
だが、それでも言葉に表せぬ思いはある。
「リリー・・・!!」
娘の愛した青年の、慟哭が響く。
それは、先王たちの心に一生消えない傷跡を確かに残した。