笑う梔子
「イルミナ、学び舎に関してのことなんだが・・・」
「あ、あぁ・・・ありがとうございます・・・。
そこに置いてもらえますか・・・」
「イルミナ?」
グランは、顔色の悪いイルミナを認めて、慌てて近寄った。
最近体調が悪そうに見えたが、ここまで酷くなっていたのだろうか。
医者を呼ぶと何度言っても聞かなかったが、今日は呼ぶ。
そう決めるや否や、すぐさまメイドに医者を呼ぶように手配する。
「グラン、そこまで、酷いものでは・・・」
「駄目だ。
どうしてそんなになるまで放っておいた?
今すぐ診察をしてもらう。
今日分の執務は終わりだ。
あぁ、君、宰相に陛下が体調を崩されたから休ませると伝えてくれ」
「は!」
グランはすぐさまイルミナを抱きかかえ、そのまま寝室へと向う。
食事もしっかりとしていたし、睡眠も自分と一緒に寝るようになってからは寝不足にはなっていないはずだった。
だというのに。
グランは人知れず唇を噛む。
自分が傍にいておきながら、こんなことになるなんて。
病気で儚くなった、前妻を思い出す。
もう、絶対に二度と、あのようなことは起こさせない。
グランは抱きしめる腕の力を強めると、早足でその場を後にした。
「―――おめでとうございます」
「・・・いま、なんと・・・」
イルミナの主治医であるフェルベールは、好々爺然でふぉふぉ、と笑った。
「おめでとうございます、じゃ。
陛下は御懐妊されておられますじゃ」
その場に駆けつけたヴェルナー、アーサーベルト、そして侍従のタイタスと同席していたジョアンナは、水を打ったかのように静まり返った。
「・・・ほ、ほんとう、か・・・?」
グランは、震える自分の声を自覚しながらも問う。
「三ヶ月、といったところじゃろうか。
安静にされておいたほうが良かろう」
「~~~!!」
イルミナとグランが結婚式を挙げて凡そ十ヶ月。
その知らせは瞬く間に国中へと広がった。
「心配かけてごめんなさいね、みんな。
少し体調が優れないだけで、休めばよくなるとばかり思っていました」
「へい、陛下は!!
いつも、そうやって、ご自分のことをっ・・・後回しで・・・!!」
「落ち着けアーサー。
でもそうですよ、陛下。
フェルベール老が許可を出すまでは絶対安静です、いいですね?」
「でも・・・」
「だ・め・で・す」
「へいかぁあああっ、お、おめでとう、ございますぅうう!!」
「ジョアンナ、泣きすぎですよ」
イルミナはそのまま寝台の上から、それぞれからの祝辞を受け取っていた。
いつかは、と思っていたが、まさかこんなに早くに授かるとは思ってもいなかった。
正直に言って、まだ自分の腹の中にもう一つの命があるなんて、信じられない。
「とりあえず、ジョアンナは出産経験がありましたね?
当面は陛下のお傍に付くようにしてください。
フェルベール老は、貴方ともう二人くらいの医師を連れて隣室で出産まで待機です」
「かしこまりましたっ・・・、
あぁ陛下!!
色々と準備をしなくては!!
ロッソのお二方を呼んでドレスも新調しなくてはなりませんね!!
少しだけお傍を離れますが、何かあればすぐにお呼びください!!」
「わかりました、頼みます」
イルミナはジョアンナの熱気に押されるようにしながらもこくりと頷く。
フェルベールも、すぐに戻るといって必要なものを取りに部屋を退室した。
「アーサー、我々も一度出るぞ」
「ふっ・・・っくぅ・・・わ、わかった・・・」
そうしてみんなが出て行き、部屋にはグランとイルミナだけの二人になる。
黙り込んでいるグランを、イルミナは不安そうに見る。
一番に喜んでくれると思っていたその人は、この部屋に入ってからというものの、一度も言葉を発していない。
嬉しくない、わけではないとは思うが・・・。
「ぐ、グラン・・・?」
イルミナがグランを呼ぶと、ぴくりとその体は跳ね、ゆっくりとした足取りでイルミナの元へとやってきた。
そして、イルミナの傍に腰掛ける。
「ぐ、グラン、どうかしましたか・・・?」
不安になって、言葉数がつい多くなってしまう。
しかしグランは、熱に浮かされたような瞳でイルミナの腹を見ていた。
「ここに、わたしたちの、子が・・・」
恐る恐るといわんばかりの手つきで、グランの手がイルミナの腹へと近づく。
そして後数センチ、というところでそれは止まった。
イルミナは、なぜか本能とでもいうのだろうか・・・グランの手を引き寄せ、自分の腹へと押し当てた。
「!」
グランの方がびくりと跳ねる。
イルミナは、グランの手の上に自分の掌を重ねた。
「まだ、薄くてわからないけれど・・・でも、確かに貴方との子が、ここにいます」
本当は、何も分からない。
月のものが来ないことだって、いつも不順だったから忘れていた。
でも、確かにいるのだ。
ここに。
まだ、小さすぎてわからないが、それでも、愛した人との子が。
「・・・あぁ」
グランのグリーンの瞳から、涙が零れ落ち始めた。
「グラン・・・?」
初めてのことに、イルミナは戸惑いながらも声をかける。
「―――嬉しいな・・・、やはり、とても嬉しいものだ・・・。
早く出ておいで、私たちの愛する子・・・」
グランはそのままイルミナの下腹部に口付けを落とす。
そして、そのまま顔を上げるとイルミナへも触れるだけの口付けをした。
「ありがとう、イルミナ・・・。
こんなにも嬉しいことが、まだあったなんて・・・」
ぼろぼろと流す涙の下は、この上なく嬉しそうに微笑んでいる。
それを見たイルミナは、知らず知らずのうちに自分も泣いていることに気づいた。
愛しい人との、愛しい子。
私と彼を繋ぐ、絆。
愛の形。
「・・・っふ」
嬉しいのに、涙が止まらない。
嬉しくて嬉しくて、胸が詰まりそうだ。
一緒になれただけでも嬉しかったというのに、それ以上の幸せがあったのか、この世界には。
グランは涙を零すイルミナの頬を撫でる。
そして額を合わせた。
「きっと、これからもっと大変になるだろう。
私は、傍にいることしかできないが・・・それでも何でも言って欲しい」
「っ・・・ぅん・・・!!」
イルミナはグランの掌と共に自分の腹に触れる。
こんなにも、愛おしく思う存在ができるのか。
たとえ、生まれてくる子供がどんな色でも、生まれてきてくれただけで嬉しいだろう。
だって、愛する人との子なのだから。
その七ヶ月後、女王イルミナは元気な第一王子である王子を産む。
茶色い髪に紫がかった瞳を持ったその子は、エドガーと名づけられる。
そしてその二年後には、第一王女であるエルリアを。
更にその三年後には第二王子であるダレンを。
エドガーは父であるグランと、アーサーベルト、そして宰相によって幼少期より鍛えられ、押しも押されぬ立派な王太子へとその道を進める。
一度だけ会った親戚のテオドアとはなぜか仲がよくなり、定期的に文のやり取りをしているらしい。
エルリアは、少しくすんだ金髪に濃い目の緑色の瞳で、母であるイルミナよりもその妹であったリリアナに似ていると知っている人は言った。
母であるイルミナも同意し、そしてその愛らしさと美しさは武器だと教え込み、エルリアは国の中でも指折りの外交力を手に入れる。
末のダレンは、黒髪紫紺の瞳で幼少期のイルミナと重なるほどに似通っていた。
だが、彼は自由奔放な人間らしく、引退した騎士団長のキリク・マルベールを連れ、国の隅々までまわる旅に出る。
両親は知りたいのであれば好きにするといいとだけ言っていたようだが、定期的にキリクに報告書を上げさせていたようだ。
ヴェルムンド国、イルミナ女王は第一王子出産後も精力的に国の為に尽くす。
彼女が立案した政策、教育と治水は始めてから長い時間はかかったものの順調にその芽吹きを感じさせた。
教育改革を行ったことで、国の水準は緩やかに、でも確実に上がり、どんな生まれであってもその能力さえ認められればいい職に就けるようになった。
治水は、乾季と雨季に置いての重要なものとなり、安定した水を得られることによって旱魃による農業への打撃は比較的に少なくなったといえる。
しかし反対に。
民が知識や力を得ることによって貴族からの反発は年々増えていくこととなった。
今までの上下関係の均衡が崩れることを危惧したものは、一人や二人ではない。
ブランやアリバルがいくら政策の後押しをしていると言っても、そういった人間はいた。
そして能力の高い人の対処にも追われることとなる。
出来るだけ国で囲おうとするも、一部の貴族の心無い対応に人の流出は避けられず、金の卵と呼ぶべき者たちがヴェルムンドを去ったこともあった。
それでも、女王は教育への必要性を貴族に説き、学び舎を発展させるために尽力した。
伴侶であるグラン・ロンチェスターは、生涯を女王の傍で過ごした。
年上であった彼だが、それでも長生きをし、三人の子供が成人するまでは精力的に女王の補佐をして回る。
しかし一番下の子が成人したと同時に体調を崩し、その後は表に出ることなく没する。
一年の喪に服した後、女王は後添えを得ることなく国の為に全てをかけるようになる。
エドガーが王太子として十分な期間を得た後、イルミナは彼を王に任命すると、そのまま余生を王宮の一角で過ごす。
女王の引退が早いというものたちもいたが、表に出ることは一切無かった。
城の一角で、亡き夫を偲ぶようにひっそりと暮らしていたらしい。
そんな彼女も、長年の無理が祟ったのか、息子に王位を譲ってから一年でこの世を去る。
イルミナの父母は、イルミナの言葉通りにエルムストから出ることなくその生涯を閉じる。
同様に、グラン・ロンチェスターと前妻の間にできた子、ウィリアムはリリアナ亡き後、その生涯を同様に民に捧げんばかりに領地の改善を努めた。
リリアナ・ヴェルムンドは、その美しさと悲劇から一時吟遊詩人の間で流行するものの、女王イルミナの不遇な人生とその後の返り咲いた人生によってその存在を希薄にする。
エドガー・ヴェルムンドは母が在位中に、アリバル侯爵家の娘と婚約を交わす。
父であるリチャードが死ぬほど反対したようだが、娘がそれに反抗し、めでたく婚約、そして結婚と相成る。
エルリアは、たまたまヴェルムンドにきていたハーヴェイ・ラグゼンに一目ぼれをし、その後を追い続ける人生を送ることになる。
この行動力は、女王イルミナですら絶句し、好きにせよと諦められた程のものだった。
しかし年齢差から、グランとハーヴェイ本人に断られたエルリアは、ラグゼンファードの王太子と仲を深め、そのまま婚約を交わす。
こうしてラグゼンファードとの強固な繋がりを得た。
女王イルミナの双璧と名高いうちの一人、ヴェルナー・クライスはイルミナが第一子出産後、とある令嬢に押し切られそのまま婚姻。
二男二女の父親となる。
子供たちは頭脳明晰で強かな子が多く、その後のヴェルムンドを支えた。
もう一人の双璧、アーサーベルトは、凶刃にさらされる女王を守り続け、そして女王亡き後はエドガーのために騎士団に貢献してほしいという主の言葉通りに騎士団の指南役としても活躍する。
彼は結婚せずに生涯を終えるも、ある子を養子として引き取り、自分の全てを叩き込んでエドガーの腹心の部下として育て上げた。
結果として、イルミナという女性はヴェルムンドの発展を促す起爆剤であったと後の人々は語る。
イルミナは最愛の夫であるグラン・ロンチェスターが亡くなった際、白い花を手向けた。
その花はとても薫り高く、イルミナの一番のお気に入りで、グランも同様に愛した花だった。
記念日の際にはその花を必ず使用していたことから、ヴェルムンドでは愛の花と呼ばれるようになった。
三人の子供たちは、愛する母が亡くなったときにも、その花を手向けた。
そしてグランの墓の隣に埋葬し、その近くにはその花の木を植える。
「父上、母上は、いつも仰っておられました」
「いつもいつも、あの温室で、あの花を愛でながら」
「お母様が、教えてくれたの、その花が好きな理由・・・」
「”梔子”・・・わたしはしあわせです、だそうですよ」
三人の子供たちの脳裏に浮かぶのは、いつでもたおやかに微笑んでいた母。
辛いことがあったなんて微塵も見せない、美しく気高い母。
その母が、その花の話をするときだけ、少しだけ可愛らしくなるのだ。
―――この花はね、あの人が、私に贈ってくれたの
意味は、わたしはしあわせ、そして、喜びを運ぶ・・・
私にとって、この花は幸せそのものよ
あの人と共に在れて、そしてあなたたちを授かった
あなたたちも、いつかこの花を贈れるような人に出逢いなさい
それだけで、世界が美しいと思えるし、変わるから
エドガーを王として擁したヴェルムンドは、その後も発展を続ける。
母であるイルミナの意志を継いだエドガーは、そのままの政策を進める。
しかし結果として、彼の名はイルミナの陰に隠れることとなる。
だが、堅実な国づくりをしたのは彼だろうと誰もが語る。
その次の王、エドガーの子は女王イルミナの再来といわれるほどに数々の政策を打ち立てる。
祖母の政策を改革し、時代にあった国造りをする。
反対派もあったようだが、それをすべて蹴散らすその姿は、苛烈を極めた。
彼の代に、戦闘国家からの侵略を受けそうになるも、同盟国であるハルバート、そしてラグゼンファードの三カ国でこれを撃退。
完膚なきまでに叩きのめしたおかげで、一時の安息の時代を手に入れることになる。
そうして、ヴェルムンドは押しも押されもせぬ大国へと成っていった。