明ける夜
不意に、グランの意識は覚醒した。
どれくらい眠っていたのだろうか。
そう思い、体を起こそうとして自分の腕の中にいる存在を思い出した。
「―――イルミナ」
腕の中のイルミナは、グランの腕を枕に睡眠を満喫しているようだった。
そのことに、グランは安心する。
そして、昨夜のことを思い出して相好を崩した。
初めての彼女は、必死になって自分に応えようとしてくれていた。
だからと言っては何だが、箍が外れてしまい無理をさせてしまったことは自覚している。
だが、グランからすればものすごく我慢をしていたのだ。
今日という日を、どれだけ心待ちにしていたのか。
イルミナの剥き出しの肩に布を被せ、その目尻に指を滑らせる。
少しだけ、腫れてしまっているだろうか。
「・・・ん」
イルミナはむずがる幼子のように、グランの胸元へとその身を寄せる。
その幼い行動でさえ、愛おしくて仕方なかった。
寄せらせるその体に、年甲斐もなく熱が上がりそうになるが、必死に自制する。
流石に昨日の今日で無理をさせるわけにはいかない。
そうつらつらと考えていると。
「―――ん・・・ぐ・・・らん」
「イルミナ?」
起きたのかとその顔を覗き込む。
しかし瞼は今だしっかりと閉じられている。
寝言だとわかると、グランは顔を真っ赤にした。
「―――惚れたほうが、負けだな」
こんな自分、絶対にイルミナには見せられない。
でも、イルミナだけが、自分をこのようにする。
さらり、とシーツに広がる黒い髪に指を通す。
さらさらと指通りの良いそれは、グランのお気に入りの一つだ。
「あいしている、イルミナ」
グランは小声で囁くと、イルミナの額に唇を落とした。
「―――ん」
とろとろとした睡眠から、ゆっくりと、でも確実に覚醒へと体が向かっていく。
いつもであれば寝起きがいいはずなのに、どうしてか心地の良い感覚にまだ目覚めたくないと体が訴えているような気がする。
少しだけ肌寒い朝のはずなのに、体が温もりに包まれているような気がした。
まだ、起きたくないといわんばかりにむずがると。
「―――もう少し、寝るのか?」
「・・・?」
低く擦れた声が耳に届く。
その声で、イルミナの意識は現実へと向う。
そして、暖かいと思っていたものが硬い何かだと気づいた。
「―――ぐらん・・・?」
くすくすと笑う声に、イルミナは無意識のままその人を呼ぶ。
ぼんやりと顔をそちらの方向に向けると、そこには肘を立てたグランがイルミナを見ていた。
いつもは緩く結わえている髪が下ろされている。
あれ?どうして、と思ったイルミナは、次の瞬間昨夜のことを思い出し、赤面した。
「~~~!?」
「ん?起きたのか・・・、
おはよう」
目をパッチリと見開き、赤面しているイルミナを見たグランの表情の甘さといったら。
城にあるどんな菓子よりも甘いだろうとイルミナは冷静な部分で思ってしまった。
「~~!
・・・ぉ、はよう、ございます・・・」
消え入りそうな挨拶に、グランはイルミナを抱き寄せる。
直に触れる素肌すら、イルミナにとっては刺激が強すぎた。
「体は大丈夫か?」
「え・・・?
あ、あぁっ・・・だ、だいじょうぶ、です・・・」
本音を言えば、少しだけだるいような気がしなくも無いが、幸せなそれだ。
そう、イルミナとグランが心身ともに本当の夫婦となった証なのだから。
「年甲斐も無く、無理をさせてしまったからな・・・。
辛いようなら言いなさい」
「だ、大丈夫です・・・!」
どの程度が無理をさせた、なのかよくわからないが、それでも幸せな時間だったと思う。
逃げ出したくなるほどに恥ずかしかったのには変わりないが。
「・・・今、何時くらいですか・・・?」
「多分、昼前くらいだろう」
「昼・・・!?」
そんなに寝ていたのかとイルミナは慌てて起きようとする。
しかしそれをグランが制した。
仰向けに寝るグランの胸に、イルミナはぺたりと頬をつける。
「ぐ、グラン・・・、起きないと・・・!」
いくら今日は休みをもらっているとはいえ、さすがに昼まで寝るというのは寝すぎだ。
「今日くらいいいだろう。
それに、皆も出てこない私たちの理由を知っているさ」
「!!」
そうだ、いつもであればメイドの誰かが朝、起こしに来るというのに。
眠りが深かったのかもしれないが、それでもイルミナは声をかけられればすぐ起きるようになっていた。
その自分が気づかないなどとあるはずがない・・・と思いたい。
「そ、それは・・・」
グランはイルミナの言葉を聞いていないかのように、頭を撫でながら髪を梳いた。
耳をつけた胸から、とくりとくりと心臓の音がする。
それはイルミナをとろりとした睡眠へと招いているかのようで。
「あと少しだけ、こうしていたいのだが・・・」
とろりとした意識の中、グランが低く囁く。
ちゅ、と額に唇が落とされたのが、まるで夢のようで。
「・・・すこし、だけ、です・・・よ・・・」
とくん、とくん
心臓の音が、まるで子守唄のように聞こえてくる。
イルミナはそのまま、優しい眠りへとその身を委ねた。
「おはようございます、陛下」
「お、おはよう・・・」
気がつけば、次にイルミナが起きたのは昼過ぎだった。
二回目の睡眠はそんなに長い時間寝ているわけではなかったが、自分が起きたときグランが寝ているなんていう珍しい光景を目にしてしまったので、彼が起きるまでその顔を見てしまっていたのだ。
目を閉じたグランは、いつもより少しだけ幼いように見えた。
そもそも、髪を下ろしているのもあまり見たことが無かったため、新鮮さからイルミナは飽きることなく見続けてしまっていたのだ。
そんなイルミナにいつから気づいていたのか、グランはくすくすと揺れながらイルミナを抱きしめてきた。
寝ている自分に何かしてくれるのかと思ったのに、といった彼は、いつになく意地悪そうだったとイルミナは思う。
「さぁさぁ陛下、
湯殿の準備は整っておりますので、軽くどうぞ」
「っ・・・ありがとう」
メイドたちににこにこと笑みを浮かべながら言われる内容が、自分とグランの昨夜の内容を全て知っているように見えて気恥ずかしい。
しかし正直に言ってありがたい気持ちももちろんある。
グランは別室で湯を浴びているらしく、準備ができたらそのまま私室で朝食兼、昼食を一緒にすることになっていた。
「待たせました」
「いいや、私も今来たところだよ」
イルミナが準備を終え、部屋に戻ると既にグランが座って待っていた。
それにタイミングよく、食事も運ばれてくる。
「先ほど、アーサーベルトが来ていた。
挨拶をしに、と言っていたよ」
「そうですか、では後で呼びましょうか」
イルミナとグランは隙間無いくらいぴったりと隣同士に座り、食事をしながら話をする。
料理長が気を使ってくれたのだろうか、片手で食べられるものばかりだ。
瑞々しい果物も用意されており、イルミナは感謝した。
「早いものは明日から、大体は明後日から帰国や帰領するんだったな」
「えぇ」
明日から、イルミナとグランは忙しくなる。
来てくれた人たちを見送らなくてはならないのだ。
そして終わったら、今度は年が明けるための準備や会議に追われることになるだろう。
ヴェルナーが宰相として、部下を育ててくれている分前年よりかはましになるかもしれないが、それでも忙しいには変わりない。
他にもハルバート国交の話や、ラグゼンファードとの繋がりも色々と忙しくなるだろう。
「できるだけ早く、子が欲しいんだがな」
「!!」
グランの零したそれに、イルミナは真っ赤になり、それをメイドたちが微笑ましげに見ている。
そのことすら、イルミナにとっては恥ずかしい。
「~~~グラン!
そういうことはっ・・・!」
はははと笑うグランを、イルミナは真っ赤になりながら怒る。
でも、今だけは、自分が世界で一番幸せだと、イルミナは胸をはっていえた。
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「では女王陛下、ロンチェスター卿。
お見送りありがとうございます。
そうぞ、末永くお幸せに」
「ありがとう、テオドア。
道中お気をつけて」
結婚式から三日後、ハルバートの王太子であるテオドアがヴェルムンドを離れた。
最初から最後まで完全無欠であった彼だが、最後の最後に少しだけ素を見せる。
「いずれまた、私が即位する前に伺いたいものだ。
その為には、早めの御懐妊を祈っているよ、我が従姉妹殿」
「っ・・・授かりものゆえ、簡単にはお答えできませんが。
貴方にも幸溢れる未来が来ることを祈っています」
イルミナの返答に、テオドアはくすくすと笑う。
そしてグランをみて、頭を下げた。
「ハルバート殿・・・!?」
「ロンチェスター卿。
我が従姉妹殿は、あまりいい環境での育ち方をしていなかった。
今のあなた方を見ていれば、大丈夫だと思うが、どうか彼女を幸せにしてくれ。
それが父と、叔父上と、私たちの願いだ」
「・・・もちろんです。
必ず、共に幸せになりますとも」
グランの返答に、テオドアは嬉しそうに笑った。
その背を見送った後、グランはぽつりと零す。
「案外、本当にイルミナのことを心配してのものだったのかもしれないな」
「え?」
「疎遠になっていたハルバートとの国交を再度強固にすれば、国は豊かになる可能性が広がるだろう?
彼らは、思っていたよりもこの国の王室を気にしているようだったからな」
「・・・そう、でしょうか・・・?」
何か裏があるとみていた同盟の強化は、本当にただの善意だったとでもいうのだろうか。
「まぁ、全てが善意だとは私も思ってはいないがな。
でも、イルミナが女王になったことでそれが成されるのであれば、結果として君の実績の一つになるだろう。
それが、先王妃を見限り疎遠になった国からの誠意かもしれん」
それが本当かどうかは、分からない。
でも、そうだったらいいとイルミナも思えた。
そうすれば、この世界は冷たいだけのものではないと思えるから。
「戻ろう。
風が冷たくなってきた」
「・・・そうですね」
イルミナは、小さくなる馬車の群れを見つめた。
いつか、また会うことになるのかもしれない。
もしかしたら、もう二度と会うことはないのかもしれない。
それでも、今回会えてよかったと思う。
「―――いつか、また会えるといいですね・・・テッド」
そうして女王夫妻は、城へと戻っていった。
「では、私もここらで失礼させて頂きたく思います、女王陛下」
「こちらこそ、来てくれたことに感謝を。
どうぞ、道中お気をつけて」
「感謝いたします」
イルミナとグランは最後の来賓を見送った。
ハーヴェイはテオドアの翌日に国を発っており、その際にサイモン王への書状を渡すよう伝えた。
ラグゼンファードとの同盟、そして国交に関することを認めたものだ。
もし、かの国が本気でこちらの知識を得ようとするのであれば、こちらの見返りに関するものも。
そして国賓が全て発ったあとから、国内の貴族たちは自分たちの領地へと旅立った。
その最後が、つい先ほど出立したのだ。
少しだけ疲れたイルミナは、休憩をしようとナンシーにお茶の用意を頼む。
「お疲れ様でした、陛下。
本日はもうお休みください。
明日からは通常の執務にお戻りいただくことになりますので」
「わかりました。
ヴェルナーも今日は休むように」
「ありがとうございます」
いつものように執務室にいると、なぜかアーサーベルトがにまにまと笑いながらヴェルナーを見ている。
そのことを不快に思ったのか、ヴェルナーが冷たい視線でアーサーベルトを睨んだ。
「何だ、アーサー。
さっきから気持ち悪いぞ」
「きっ・・・!?
ごほん!
ヴェルナー、最近お前の噂を聞いたのだが」
一瞬ショックを受けたように絶句したアーサーベルトだが、すぐに持ち直したのかまた笑いながらヴェルナーに絡む。
「噂・・・?
どのような噂ですか?」
イルミナもつい気になり、アーサーベルトの言葉の先を促そうとする。
しかしそれをすぐさまヴェルナーが止めようとした。
「貴様・・・!!
待て、アーサー!!」
「驚きますよ、陛下!
あの!!あのヴェルナーがご令嬢と一緒にいるところを見たというものがいるのです!!」
「・・・え!?」
あの、絶対零度で氷の貴公子と呼ばれたヴェルナーが・・・!?
とでもいうように、イルミナはヴェルナーを見る。
しかしヴェルナーはアーサーベルトを殺さんばかりの視線で見ていた。
そして黙らせようとしているのか、その顔めがけて拳を振り上げる。
「おおお!?
本当のことらしいな!?」
しかし、逆にそのような態度をとることによって、アーサーベルトの話す噂が真実味を帯びた。
「ち、違う!!
あれは仕方なく・・・!!」
「仕方なく?
仕方なく何だ?」
「!!
アーサー・・・貴様・・・!!」
語るに落ちるとは正にこのこと、と言わんばかりにアーサーベルトの熊のような相貌が凶悪になる。
「あ、アーサー・・・、
ヴェルナーも、言いたくないのであれば結構ですよ」
「っ・・・、
いえ、買い物に付き合って欲しいといわれただけです。
そのご令嬢には以前、書類を拾うのを手伝って頂いたことがあったので、その礼です」
「ほほーーーーう・・・」
「・・・いいたいことがあるならはっきり言え、アーサー」
「いいやぁ?」
にやにやと笑うアーサーベルトは、どこからどう見ても国一番の剣の使い手ではなく、下世話な男にしか見えなかった。
流石にその酷過ぎる顔に、イルミナも引きつった笑みを浮かべる。
「・・・陛下」
「っ・・・何ですか、ヴェルナー」
「少しの間、アーサーベルトをお借りしてもよろしいですか?
代わりに部屋前の近衛とマルベールあたりをこちらに召喚しておきますので」
「ヴぇ、ヴェルナー!?」
「・・・構いませんよ」
「ありがとうございます」
イルミナは、自分の判断を間違えていないと思った。
「へ、陛下・・・!?
ヴぇ、ヴェルナー、ちょっとした冗談だろう?
おい、なぁ?」
「そうですか。
冗談ですか」
美しく微笑むヴェルナーは、どこにそんな筋力があるのかと問いたくなるほどの力でアーサーベルトを連れ出す。
その姿に、イルミナは心の中でアーサーベルトへエールを贈った。
心の中だけだが。