結婚前日
何度、読みかえしても、イルミナは叫びたくなるような思いに駆られる。
大人に、そして女王になり、グランという人間が清廉潔白でないことくらい知っていた。
だが、自分の息子にまでその矛先を向けるとは思いもしなかった。
そしてそれ以上に、彼が自分を深く思ってくれるのが嬉しい。
薫り立つような手紙、とでも言おうか。
イルミナはその手紙に返事を書くべく一人、自室にいた。
ついに明日を結婚式に控えたイルミナは、前日の一日の数時間を一人でいることを許されていた。
その時間に、手紙を書こうとしていたのだ。
あと数十分もしないうちに、メイドたちが寄ってたかってイルミナの肌のお手入れをしにくるだろう。
リストに載っていた貴族や貴賓たちはすでに城にいる。
大きな問題などは特に無く、各々が城での滞在を楽しんでいるようだった。
「失礼いたします、陛下」
「どうぞ」
ぼんやりとしているうちに時間になったのか、ジョアンナが入室してくる。
「そろそろお手入れに入らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、構いません」
イルミナが返すと、ジョアンナはにこりと笑ってパン、と手を叩いた。
「さぁ皆さん!
陛下をもっとお美しくしますよ!」
「「「はい!」」」
ジョアンナの号令を皮切りに、ぞろぞろとメイドたちが入ってくる。
その多さに、イルミナはひくりと口元を引きつらせた。
「じょ、ジョアンナ・・・?
多くないですか?」
イルミナがなんとか人数を減らしてもらえないかと思い、そう言ったが、ジョアンナは笑顔でいいえと返した。
「万全の状態にするには、これでも少ないようですわ!
さぁ、陛下。
参りましょう?」
笑顔で威圧するように言うジョアンナに、イルミナはすぐさま白旗を振った。
こうなったら、誰にもジョアンナを止められないだろう。
もとより、彼女たちも自分の為に頑張ってくれるのだから、受け入れなくてはと自分を奮い立たせる。
そうしないと、すぐに終わって欲しいと口にしてしまいそうだった。
「まず、湯殿に参りましょう」
「リラックス効果のあるハーブを入れておりますから、ゆっくりなさってくださいませ」
「以前よりも傷跡が薄くなられましたわ!」
「良かった、ロッソの方に聞いて取り寄せたかいがありましたね!」
「陛下、以前よりお痩せになられておりませんか・・・?」
「温まりましたら次はマッサージですよ」
「肌のきめが相変わらず細かいですわ~」
「しっかりとほぐして、保湿しませんとね!」
・・・。
イルミナは、全てが終わったときには灰になりかけていた。
女性がたくさん揃うと姦しいと聞くが、やはり本当だったのだ。
嫌いではないが、数時間ともなると辛いものがある。
「陛下、最後に御髪に香油を」
「!?
ま、まだあるのですか・・・!」
湯に入り、全身くまなくマッサージをされ、羞恥心なんてものを持っている場合じゃなかったイルミナは、まだあるのかと細い悲鳴を上げた。
今までも色々としてもらっていたが、今日は比ではなかった。
「くすくす、
もうこれで御終いにございますわ。
あと少しの辛抱にございます」
ジョアンナはくすくすと笑いながら香油を手に取る。
そしてゆっくりと髪に香油を塗り始めた。
「・・・陛下は」
頭皮のマッサージが想像以上に気持ち良かったイルミナは、うとうとしていた。
そんな時、ジョアンナが小さな声でイルミナへ声をかける。
「・・・どうしました?」
なかなか先を言いだそうとしないジョアンナに、イルミナは問う。
その間も、黒髪は丁寧に梳られている。
艶々と輝きを放ち、指通りは今までになく最高だろう。
「・・・陛下は、今、お幸せですか・・・?」
どうしてそんなことを聞くのだろうと思ったイルミナは、鏡越しにジョアンナを見た。
そしてその少しだけ暗い表情を見て、疑問に思いながらも答える。
「幸せですよ」
そう、自分は間違えなく幸せだ。
確かに、ここにくるまでに色々とあった。
でも、この幸せの為の苦労であったのであれば、無駄ではなかったと言い切れる。
「ほ、本当に、ございますか・・・?」
「・・・逆に、どうしてそう思われるのですか?」
イルミナの疑問は最もなものだった。
女王になってからというもの、大変なことはあるにせよ、それでも不幸だと言ったことなど一度だってない。
どうして、ジョアンナはそのようなことを聞いてくるのだろうか。
「・・・一メイドの戯言として、聞き流してくださいますか・・・?」
「?
構いませんが」
念を押すように言うジョアンナに、どうしてそこまでと思いながらもイルミナは頷く。
「私は・・・陛下を娘のように思っております」
「っ・・・それは、嬉しいですね」
「ですから、なおのこと、不安に思ってしまうのです」
どういうことだろうか。
「陛下、いったいどこの親が、自分の子供に苦労を背負わせたいと思うでしょうか」
「それは・・・」
「えぇ、えぇ、もちろん、理解しております。
もうこの国には、陛下しかいらっしゃらないことも。
でも陛下、陛下はまだ十八になったばかりにございます。
確かに、貴族の娘ともなれば十八ともなれば結婚し、人によっては子をもうけていることもあるでしょう。
それはそれで、女性の幸せだと思います。
でも・・・陛下はそれに加えて国というものを背負われて行かれなくてはならないと思うと・・・。
幼き頃に子供らしさをなくされて、駆け足で大人にならざるを得なかった・・・それだけでも、誠に勝手ながら不憫に思ってしまうのです・・・!」
「ジョアンナ・・・」
ぐすり、と鼻をすする音が聞こえる。
「守られるべき時を、守られずにいた陛下のことを思うだけで、このジョアンナ、胸が張り裂けそうです・・・。
だからこそ、陛下にはお幸せになられてほしいのです。
陛下がお幸せでなくて、この国の誰が幸せになるというのでしょう?」
ジョアンナの手の震えが、髪の毛越しに伝わる。
それでも、メイド長の矜持なのか、髪を梳く手は止まらない。
「ジョアンナ、私は、幸せですね」
「陛下?」
「私の幸せを、こんなにも願ってくれる人がいる。
私を支えてくれる人たちがいる。
・・・私を、愛してくれる人がいる」
今なら、わかる。
イルミナは、きっとずっと一人では、孤独ではなかった。
アーサーベルトやヴェルナーたちがいた。
陰ながら支えてくれる人たちがいた。
きっと、あの頃の自分は子供だったのだ。
そういった人たちがいるにも関わらず、目を向けずにいて。
自分の手を振り払う人たちのことばかり見ていた。
「陛下・・・」
「―――きっと苦しいことも悲しいこともあるでしょう。
でも、辛さを知っているのは、幸せを知っているからこそ。
悲しみを知っているのは、喜びを知っているからこそ。
ジョアンナ、私は、幸せも、喜びも知っていますよ」
「~~っ」
「だからこそ、辛いことも、悲しいことも乗り越えられる。
その幸せや喜びを教えてくれたのは、みんなです。
心配してくれてありがとう、ジョアンナ。
私は、幸せですよ」
「―――っ・・・、
左様に、ございますか。
それは大変喜ばしゅうございますわ。
一メイドが、失礼いたしました」
「いいえ、ありがとう、ジョアンナ」
イルミナが礼を言うと、ジョアンナは鏡越しに笑みを浮かべているのが分かった。
その目元は赤くとも、心からの笑みだとわかる。
「では、そろそろ私は失礼いたしますわ。
今日はナンシーが控えておりますので、何かございましたらお声がけくださいませ」
「わかりました」
「今宵、グラン様は?」
「先ほど連絡がありました。
あとで顔を見せに来るようです」
「かしこまりました」
ジョアンナはいくつか燭台に火を灯すと、そのまま部屋を退室する。
イルミナは適度な疲労から、ぼんやりとしながら椅子に座っていると、陛下、と声がかかる。
「卿がいらっしゃっています」
「どうぞ」
入室を許可すると、扉が開かれ、穏やかな笑みを浮かべたグランが入室してくる。
「いい夜だな」
「・・・そうですね」
イルミナはぼんやりとしたままグランを見る。
この人が、私の好きな人。
グランはそのままつかつかと歩くと、イルミナの隣へと腰掛ける。
「ん?
疲れているみたいだな」
「少しだけ・・・メイドたちが頑張ってくれたのです」
「あぁ」
イルミナの一言でグランは察したらしい。
グランは苦笑を浮かべながらイルミナの髪を撫でた。
「あぁ・・・素晴らしいな」
さらりと、グランの指の感触がする
「緊張、しているか?」
「すこし、だけ」
グランは、そのままイルミナを抱き寄せた。
伝わる体温に、イルミナの鼓動は早まる。
「私もだよ」
「グラン、も?
・・・それは、予想外です」
イルミナがくすくすと笑うと、グランはむっとした。
「君は私をどんなふうに思っているんだ?」
黒い笑みを浮かべながら、グランはイルミナの頭に顎を乗せてぐりぐりとする。
「いた、痛いっ」
「逃げるな」
そうして二人は無邪気な戯れを楽しんだ。
「―――あ」
イルミナは、不意にそれを思い出して声を上げた。
「どうした、イルミナ」
「い、いえ、なんでも・・・」
思い出したら、どうやって渡そうという考えばかりが浮かぶ。
彼に、渡したいものがある。
でも、どうすればいいのだろう。
この世の人は、どうやって渡しているのだろうか。
「イルミナ?」
グランは、いきなり挙動不審になったイルミナに笑みを浮かべながら早く言いなさいと副音声で伝えてくる。
「そ、その・・・」
イルミナはグランの腕の中で、顔を赤くしながらおたおたした。
「イルミナ?」
いきなり挙動不審になったかと思いきや、腕の中にいる愛しい人は赤くなった。
その様子からして、おかしなことではないだろうと思うが、どうしてそんな風になったのかが気になる。
「そ、その・・・」
腕の中から、ちらりちらりと机の方向を見ている。
そっちか。
グランはイルミナを腕の中から解放すると、すくりと立ち上がる。
「あ!!
ま、まって・・・!」
イルミナが慌てて縋りつくように服の裾を握ってくる。
あぁ、こんな慌てた様子も可愛いな、と思いながら見下ろす。
「なら、教えてくれないか?
君の憂いを祓いたいんだ」
殊勝な様子で言うが、本当はそんなこと思ってない。
だがイルミナはグランの言うことを真に受けて真面目な表情をする。
あぁ、駄目だぞ。
悪い男の言うことを、そんな簡単に信じては。
「―――っ、その!
わ、渡したい、もの、が・・・!!」
「渡したいもの?」
イルミナは小さく頷いた。
「何だい?」
彼女は、ゆっくりと立ち上がると、机へと近づく。
そして封筒を持ってきた。
それに、微かな心当たりがありながらも、グランはイルミナからの言葉を心待ちにする。
「その・・・」
「うん?」
「こ、これを・・・」
ふるふると震えるそれを、高揚する心を隠しながらもらう。
「これは?」
きっと、自分の考えていることは当たっているだろう。
それでも、彼女から聞きたい。
「あ・・・そ、の、
・・・こい、ぶみ、です・・・」
言葉尻が小さくなっていくも、しっかりとその言葉はグランの耳に届いた。
グランは自分の口元が笑みを作るのを、止められなかった。
あぁ、なんて、なんて、可愛い。
グランはその場で封筒を開ける。
「え!?」
驚きの声を上げるイルミナを黙殺し、そのまま数枚の紙を取り出す。
「ぐ、グラン!?
なんで・・・!!」
イルミナは取り上げようと手を伸ばしてくるが、手紙を上にしてしまえばいくら身長が高めだといっても取れない。
必死になって跳ねるイルミナから逃げながら、速読した。
もちろん、あとでじっくりと読むが。
「~~~~!!」
イルミナは取り返すことを諦めたのか、逃げ出そうと踵を返す。
だが、グランの速読には勝てなかった。
「きゃっ!?」
背後から、彼女の細い腰に腕を伸ばす。
捕まるとは思っていなかったようで、驚いた声が彼女の口から洩れた。
グランはそのまま抱き寄せると、背後からその耳元に唇を寄せる。
「―――ありがとう、とても、とても嬉しいよ」
「~~~自分のは、後で読んでと言っていたのに・・・!」
「すまない、年かな、我慢できなくて」
零れる笑い声をそのまま彼女の耳に流し込む。
真っ赤になっているだろうその顔を思い浮かべるだけで、グランは熱が上がりそうになるのを必死に耐えた。
ここまで待ったのだ、あと一日くらい待てる。
「くれるとは、思わなかったな」
「・・・返事は書きますよ」
ふて腐れた声音のイルミナに、グランは笑い声を零す。
「これからも、たまにはしよう。
もらえると、とても嬉しいからな」
「・・・次は、私のいないところで読んでください」
「善処しよう」
「グラン・・・!」
咎めるようなそれに、グランは自分だけだと思う。
彼女が、イルミナがこのような声音で話すのは、自分だけなのだと。
「あぁ、明日が待ち遠しいな」
「わ、たしも、です・・・」
きっと、グランの待ち遠しさとイルミナのそれとは違うだろう。
それを彼女は、身をもって知ることとなるとグランは確信していた。
結婚式まで、あと一日―――。