その日まであと
吐く息が、白くなりはじめる。
朝と夜は冷え込むようになってきた。
しかし、城下や城はそれ以上に浮足立っていた。
あと二週間ほどで、この国の女王であるイルミナの結婚式が、行われる。
民たちの女王への評判は、比較的にいいものばかりだった。
先を見る商人たちなどは、その政策を長い目で見れば素晴らしいものを評価しているものもいる。
今すぐに表立って言うことはないが。
貴族の中でも、治水技術などを積極的に取り入れ、水害関係の被害を抑えられるようになれば素晴らしい統治者だろうと頷くものもいる。
しかし、もちろん反対の意見もある。
教育というものの重要性を理解していない民や貴族からはいまだに疑問の声も上がる。
治水に関しては生活に関わることなのでまだ比較的に言われていないが、やはりどうしても反対する人間というものはある一定数いる。
しかし、それも当然のことだとイルミナは受け止めていた。
新しいことを始める際に、賛否両論あるのが普通だ。
それが、国の在り方だとイルミナは思っている。
自分の代で、認められようだなんて思っていない。
だが、自分の子や、これから生まれてくる子供たちが、自分の未来を選べるようになる、そんな未来を作りたいと、イルミナは思っている。
その為には、もっともっと頑張らなければならない。
でも、もう一人ではない。
確かに、重要な局面では、イルミナは一人で考えて判断を下さねばならないだろう。
それによって、苦しむこともあるのかもしれない。
それでも、一人ではないとイルミナは言いきれる。
「陛下」
呼ばれて、イルミナは城下に向けていた視線を声のほうへとやる。
「お疲れ様です、陛下!
クライス宰相からこちらをお持ちするよう手配されました!!」
「・・・リヒト、ありがとう。
そろそろ休憩も終わりにしないとね」
イルミナは、直立不動でたくさんの書類を持ったリヒトを見て微笑んだ。
***************
「陛下、到着される方々のリストの確認をお願いします」
「わかりました、そこに置いてもらえますか?」
「はい」
イルミナはいつも通り、アーサーベルトを背後にしながらたくさんの書類を確認する。
戴冠式と同じくらい、いやそれ以上の規模の式典だ。
戴冠式の時は急ぎだったため、呼ぶ人などにもいろいろと制限があった。
だが今回は一年前に連絡をしている。
ラグゼンファードやハルバートから国賓も来る。
前回これなかった地方貴族もやってくるのだ。
前以上の盛り上がりを見せるだろう。
「・・・ハルバートの方は三日前に到着予定ですね。
念のため警護の確認をしたいので後でキリク・マルベールを呼んでください」
「かしこまりました!」
「ハーヴェイ殿は・・・、五日前ですか。
アルマ殿も来るんでしょうね・・・、部屋の準備も出来ているっと・・・。
彼らが到着するまでメイドには清掃を徹底するよう厳命をお願いします。
ジョアンナをあとでこちらによこしてください。
念のため進捗を確認します」
イルミナは書類に目を通しながら指示をどんどん出す。
「かしこまりました、
ではメイド長を先にお呼びします。
そちらのほうがきっと早いでしょう」
空白だったメイド長の座は、ジョアンナが収まっている。
本当であればもっと早くに配置しようと思っていたのだが、完全に忘れていたイルミナは慌ててそう指示を下したのだ。
「そうですか、ではそれでお願いします。
それではキリクには当日含む前後五日間の警護体制を紙面に出したものを持ってくるように言ってください。
時間は・・・そうですね、一時間半後で。
無理そうであれば誰か寄こすようにも言ってください」
「かしこまりました」
イルミナは、誕生日後に自分専用の従者を手配した。
それはヴェルナーの指示でもある。
いちいち文官や武官を走らせるのも、勿体なかったためだ。
従者は、グランが選別した。
元辺境伯の彼のほうが、そういった伝手がたくさんあった。
そうしてやってきた従者は、とても頼りになるとイルミナは思っている。
従者は全部で三人、能力で選ばれている。
既婚者であるタイタス、これからの伸びしろが期待されているロン、そして紅一点のラーラだ。
三人はイルミナの手足となり、書類の移動や人を呼んでいる。
「陛下、そろそろ休憩を取られては?」
「・・・そうね、一度休憩を入れましょうか」
イルミナは疲れた目を揉むように、眉間に指をあてる。
軽く揉みこむと、ちょっとだけ楽になったような気がする。
「では紅茶をお願いしてまいりますね」
「お願い」
イルミナは言葉少なに頼む。
声をかけてくれたラーラは、一礼すると、待機しているメイドに準備を頼みに隣室へと消えた。
「陛下、お疲れならば肩でも揉みましょうか?」
アーサーベルトがイルミナのことを思ってそう声をかけてくる。
しかしそれをタイタスが止めた。
「アーサーベルト様、アーサーベルト様のお力では陛下の肩が折れてしまいます」
「!?
そ、そんなに力は入れないぞ!?」
「それに陛下は結婚間近の身です。
いくらアーサーベルト様といえども・・・」
二人のやり取りを、イルミナはくすくすと笑いながら見る。
「大丈夫ですよ、アーサー、それにタイタス。
そこまで凝っていません」
「そ、そうですか・・・」
何故かやりたがったアーサーベルトが肩を落とす。
それを見たタイタスはクライス宰相にすればよろしいのではと助言を与えている。
「陛下、紅茶をお持ちいたしました。
失礼してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
扉前で待機していたロンが扉を開く。
そしてイルミナ、アーサーベルトと従者の三人はひと時の休息を得た。
***************
城下が、浮足立っているのが遠目でもわかる。
色々な箇所に飾られている祝いの花々が、それを顕著に物語っている。
明日になればハーヴェイが到着する。
本当にあっという間だとイルミナは感じた。
王都近郊に屋敷を構えている一部の貴族は、既に屋敷入りをしているらしい。
ブランやアリバルも既に到着しているとの連絡を受けている。
他にも、ベネディートやロイズも近々到着するとのことだ。
・・・エルムストにいる王族には、自分の結婚に関しての連絡はしているが、出席することは許可していない。
療養の名目で行ってもらっているのだ、いまさら王都に戻ってこられても困る。
リリアナからは、特に何もなかった。
先王と先王妃からは祝いの言葉が書かれた手紙をもらったが、イルミナはそれに目を通してはいない。
ヴェルナーが見た限りでは、問題があるようには見えなかったがイルミナには、まだ見る余裕はなかった。
イルミナと、その家族の確執はそう簡単に解決するものではない。
それを知っているヴェルナーは、保管しておいてほしいというイルミナの意向を汲んでくれた。
いつか、見られるようになるのかもしれない。
いつか、彼らと会う日が来るのかもしれない。
それでも、今はその時ではないとイルミナは考えている。
それに関しては、誰もが気付いているのか、何も言わずにいてくれる。
そのことを、イルミナはただ有難く感じた。
たまに上がってくる、エルムストの警護のものからの報告によると、彼らは静かに暮らしているらしい。
リリアナも大人しくしているようだと聞いて、イルミナは秘かに胸を撫でおろしたものだ。
城の警備も問題なく、迎え入れる貴賓たちの部屋も万全の状態だ。
そうして、あと五日もすれば自分は伴侶を得た女王としてこの国に君臨する。
夜も遅い時間、イルミナは暗い状態のまま一人、衣裳部屋へと足を向けた。
「陛下?
何かご入用でしょうか?」
扉続きの隣室へ行くと、そこには当番らしいメイドが控えている。
「いいえ、ただ、ドレスが見たくなって・・・」
「左様にございましたか」
ついてこようとする彼女を、イルミナは制する。
「ドレスを見たいだけです、出来れば一人にしてもらえますか?」
外に出るわけではない。
ただ、隣室から先に続く衣裳部屋に行くだけなのだから。
イルミナの様子を感じ取ったメイドは、ではこちらで控えておりますのでご用がございましたらお声がけください、とだけ言う。
「ありがとう」
そしてイルミナは一人で衣裳部屋へと進む。
燭台などをつけていない部屋は暗いが、重いカーテンを開けば月明かりが部屋の内部を優しく照らした。
部屋の中央にあるドレスが、ほんのりと青白く浮かびあがる。
あれから何度か手直しをし、いまあるこれが完成状態だ。
イルミナのサイズに完璧に合わせられたそれ。
ロッソや、お針子たちの努力の結晶。
そして、グランの隣を歩くためだけに、出来たドレスだ。
さらり、と指を滑らせる。
最高級の絹で出来たそれの肌触りは、言葉に出来ないほど優しい。
一針一針、丁寧に刺繍された模様は、どれほどの時間がかかったのだろうか。
城の装飾を事細かに確認する城内の人たちに、警護をしてくれるたくさんの人。
そして祝おうとしてくれる民たち。
自分の結婚が、こんなにもたくさんの人に祝われるとは、昔の自分には到底考えられなかった。
ウィリアムと結婚する時ですら、リリアナよりも質素になるだろうと考えていた。
そうでなくとも、他国に嫁いだとしても、おざなりになるだろうと。
まさかのウォーカーが出張ってくるとは考えてもいなかったが。
更に言うのであれば、ハーヴェイが自分を貰おうと考えることもそうだったが。
それを思い出せば、自分はなんて恵まれているのだろうとイルミナは心の底から思う。
そして考える。
どうして、グランだったのだろうと。
年も親子ほどの差がある。
政略結婚であればなくはない年齢差かもしれないが、自分たちは恋愛婚だ。
ずっと傍にいてくれたことを考えるのであれば、きっとアーサーベルトやヴェルナーに心奪われていてもおかしくなかったのではないか、と。
だが、彼らは初めから、自分を仕えるべき対象としてみていた。
一人の女の子ではなく、王女として。
昔は教えを乞う立場であったし、きっと彼らも自分のことをいずれ国に必要となる教え子としてみていたのだろう。
そこから生まれたのはきっと親愛だけだったのだ。
その点、グランは自分のことを王女として見ていても、彼らとは違う見方をしていたような気がする。
対等、というわけではなかったと思う。
そうだ、きっかけは、ウィリアムの件だ、と思い出す。
あの日。
聞かされて茫然となった自分を、彼は着の身着のままで訪れた。
褒められた行為ではなかったが、それでも彼の存在が少しだけ特別になったと思う。
・・・思えば、彼はいつ自分のことを好いてくれたのだろうか。
思い出せば思い出すほど、自分は失態しか見せていないような気がする。
そんな自分を、彼は好きだと言ってくれているが、それはそれでどうなのだろうか。
グイードからは、村で療養していた時からすでに夫婦のようにすら見えたと言われた。
それを言われたとき、顔から火を噴くかと思うほどに恥ずかしかったが。
自分が、唯一弱みを見せる相手は、きっとこの先も彼しかいない。
彼以外、見せようなんて欠片も思えない。
自分が、自分だけになれるのは、彼の前だけなのだ。
不意に、先王もそうだったのだろうか、と考える。
先王は、先王妃をマリーネアに反対されても娶った。
それほどまでに、彼女だけを見たのだろうか、と。
そう考えて、あの人も哀れな人だったのだろうか、と思いを馳せる。
だからといって、今までのことすべてを許容できるほど、イルミナは消化しきれていないが。
でも、いつか。
イルミナはドレスに触れていた手を下す。
さらり、と指先が滑り落ちていく。
―――――ヴェルムンド女王の結婚式まで、あと五日となった。