ほしいもの
「・・・では、試験をされることによって国家的にその身分を保証する、ということでしょうか?」
「そうです。
せっかく勉強したとしても、それを保証する何かがなければ仕事で証明出来ないでしょう?
とくに薬学は先達がいますでしょう?
その方たちの知識を蔑ろにするわけにはいきませんからね」
「そうですなぁ・・・。
確かに試みとして悪くないと思いますよ」
「そのことに関して色々とお話をしたいので何人か城に戻ってきてもらえると助かります。
代わりの派遣はこちらから出しますので」
「わかりました。
ではこちらからも選出して戻らせます」
翌日、イルミナは学び舎へと足を運び、今後の予定の話をした。
試験の話をしたとき、講師たちはふむふむと頷きながらその考えに同意を示した。
まだ急ぎの件ではないものの、出来るだけ早い段階で話を進めたほうがいいだろう。
「へーかだ!!」
「こんにちはー!」
「何してるのー!?」
そうこうしているうちに、子供たちが休憩の時間となったらしい。
学び舎からぞろぞろと出てきた。
「こんにちは」
イルミナはしゃがみ込みながら挨拶をする。
わあわあと楽しそうに囲まれるイルミナを、グランやアーサーベルトたちは微笑ましそうに見ている。
「勉強はどうですか?」
イルミナがそう問うと、子供たちは次々に話し出す。
それを頷きながらイルミナは聞いた。
「楽しそうですね」
「えぇ、本当に」
そのイルミナから少し離れたところで、グランは講師と話をしていた。
「今まで貴族の方のお子様ばかり見ておりましたが、やはり子供を教えるのはいいですな。
どちらも可愛いです」
講師は嬉しそうに目を細めながらその光景を見ている。
グランも併せて、その光景を見る。
イルミナは子供たちに囲まれながら楽しそうに笑っている。
その光景は、幸せそのもののように見えた。
「何か、足りないものは?」
「そうですね・・・。
今のところは足りておりますが、今後生徒が増えるとなりますと教育資料が足りなくなる可能性がありますね。
それと紙と筆も」
「わかった。
できればそれを数値にして提出してもらえると助かる。
大体一月の使用量などを数値化してもらえるだろうか?」
「もちろんです。
今までのものはすでにしておりますので、後程お渡ししますね」
「助かる。
他の講師たちから何か意見は?」
「それも併せて用意しております。
そちらをご確認いただければ」
そうして話をしていると、グランの服が背後から引っ張られた。
「ん?」
グランが見ると、そこには小さな女の子がいた。
赤毛とそばかすの浮かんだ少女は、グランのことをキラキラとした目で見上げている。
彼女の視線に合うように、グランはしゃがみ込む。
「何かあったかい?」
グランが優しく問うと、少女はもじもじとしながら一輪の花を渡した。
「ん?
くれるのかい?」
こくり、と少女は頷きにこりと笑った。
「へーかと、けっこんおめでとう、ございます!」
「!」
突然の祝いの言葉に、グランは目を見開く。
「あのね、おとーさんと、おかーさんに聞いたの!
へーかはけっこんするのよ、って!」
「―――ありがとう」
「あ!へーかにもわたさないと!」
少女は嬉しそうに笑うと、そのままイルミナの元へと駆けてゆく。
その後姿を、グランは微笑ましそうに見た。
「先を越されてしまいましたな。
この度のご婚約、誠におめでとうございます」
その一部始終を見ていた講師は笑みを浮かべながらそう口にする。
「ありがとう」
同じように笑みを浮かべるグランに、講師はイルミナを見ながら話し続けた。
「貴方が陛下のお傍にいらっしゃるのであれば、この国は安泰ですな」
「そう、思われるか?」
「えぇ、もちろん。
とても、お似合いですよ」
講師の言葉に、グランは心なし恥ずかしそうに顔を手で覆った。
年の差を気にしているのもあるが、こうして面と向かって、尚且つ恥ずかしげもなく言われるとどうしてもこそばゆい気持ちが生まれる。
その向こうで、イルミナは子供たちに祝われている。
予想外の出来事だったのか、イルミナの頬は上気している。
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに微笑むその姿を見て、グランの心は抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。
こうして、村の人に祝われるほど、イルミナという女王は愛されているのだ。
そのことを、彼女は気づいているのだろうか。
「今夜は、御二人のお祝いを兼ねて宴だそうですよ」
「宴自体は聞いていたが、私たちの祝いも兼ねてくれるのか。
それはとても嬉しいな」
「そう言ってもらえると皆が張り切りますね」
そうしてグランはイルミナの元へと足を運ぶ。
たくさんの花を持つイルミナは、自分の元に向かってくるグランを見ると、幸せそうに微笑んだ。
***************
「―――とても、楽しかったですね」
帰りの馬車で、イルミナはもらった花を大事そうに抱えながら言った。
三日という短い滞在ではあったが、非常に楽しかった。
宴ももちろん、子供たちと遊んだのも、講師たちや村の人たちと話したことも全てが楽しかった。
―――最後の視察として、本当に最高のものだったとイルミナは思う。
「あぁ、本当に楽しそうでよかった。
私も、とても楽しかったよ」
グランもそう思ってくれているのか、その表情はとても柔らかい。
一度だけ一緒に村に来たが、あの時のイルミナは正気ではなかった。
だからこそ、二人で村の滞在を有意義なものに出来て、イルミナはとても嬉しかった。
「・・・また、いつか行けたらいいですね・・・」
「そうだな」
その願いが叶うかどうか、二人にはわからない。
それでも未来を語るのは悪いことではないだろう。
正直な話、イルミナは行けるとは思ってはいない。
もし行けたとしても、もっと先の話だろう。
だが、それでも行きたいという思いは消えない。
「―――行けるように、頑張らないとなりませんね」
そう簡単な話ではないことくらい、二人にはわかっている。
でも、いつか。
その希望さえ捨てなければ、いつかは。
そうして、イルミナは生きてたのだ。
そしてきっと、これからも。
「おかえりなさいませ、陛下」
「戻りました。
何もありませんでしたか?」
戻ったイルミナを出迎えたのはヴェルナーたちだった。
予めアランが鷹を飛ばしてくれていたらしい。
「特に問題はありませんでしたよ」
「そうですか。
急ぎのものは?」
「今のところは。
今日はお疲れでしょう。
本日はお休みください」
「そうですか。
ではそうさせていただきます。
ジョアンナたちのほうが疲れていますので、彼女たちにも。
今回付き添ってくれた人たちは今日はもう休むよう言ってください」
「かしこまりました」
ヴェルナーは一礼し、そのままアランたちの元へと足を進めた。
イルミナは残りのことは全て任せ、そのままグランとアーサーベルトと共に城へと入る。
何もなければ、今回付き添った人たちには明日も休みでいいかと思いながら。
「イルミナはどうする?」
「私は一旦自室に戻ります。
グランは?」
「私もそうさせてもらおう」
「わかりました。
アーサーは?もう休んでも構いませんが?」
「いえ、お部屋に送り届けてからにさせていただきます」
「では、お願いします」
「イルミナ、夕食はどこで?」
「晩餐室にしましょうか。
大体二時間後くらいで」
「わかった、手配しておこう」
そうして自室の前で二人と別れる。
そして他のメイドに湯あみをお願いした。
馬車の中で座っていただけとはいえ、体が少し凝っている。
準備が出来るまで少し時間がかかるとのことだったので、イルミナは今回の試験についての考察を大雑把に紙面にまとめた。
村の講師たちからはまずまずの反応であった。
であれば、出来る限りこちらで詰めておいたほうが良いだろう。
ヴェルナーは今日は休めと言っていたから、彼とこの話をするのは明日以降だ。
それまでにある程度纏めておいたほうがいいだろう。
イルミナが無心になって筆を滑らせていると、メイドから声がかかる。
「陛下、お待たせして申し訳ございません。
湯あみの準備が出来ました」
「ありがとう」
その声にイルミナは立ち上がった。
書類を纏め、引き出しにしまう。
「今日はお疲れでしょうから、ハーブを入れました」
「あぁ、とても助かります。
座っていただけですが、動かないとどうしても」
「そうでございましょう」
そうしてイルミナはメイドに連れられ、湯あみ場へと足を運んだ。
湯あみを終え、食事も済ませたイルミナは自室に一人、窓辺から外を見ていた。
窓から見える庭は、綺麗に整えられていてイルミナの目を楽しませる。
空を見上げれば、ぽてりとした月が空に浮かんでいた。
そして遠くを見れば、王都に住まう人々の家の灯りが目に映る。
ここが、自分の居場所。
そして、ここが、自分のいるべき場所。
もう、あの光の一つ一つを確認することはなかなか叶わないだろう。
それでも、自分の国の、愛すべき民だ。
前のように、書類だけの確認になってしまう。
それでも、そこに住まう人の顔を想像してイルミナは事を進めなければならない。
誰もが幸せに笑って、なんて夢物語は信じていない。
自分が王女だった時だって、城のみんなは楽しそうにしていたが、少なくとも自分はそうとは言い切れなかった。
光があれば、闇は当然生まれる。
だが、それを全て仕方ない、の一言で終わらせるわけにはいかないのだ。
自分が間違えているかどうか、そんなのわかるはずもない。
政策を考えた時、一つだけ思い浮かんだことはあった。
もし、誰もが知識を、力を手に入れた場合。
そうしたときに、もし国の頂点が間違えていた場合、その人はきっと失脚させられるだろう。
そのきっかけを作ったのは、間違いなくイルミナだ。
後世の人たちが、イルミナさえそのようなことをしなければといつか言うのかもしれない。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
国は、人だ。
人がいなければ、そもそも国としての機能を持たないということを、イルミナは勉強した。
もし、それによって王族が淘汰されたとしても、それが運命なのだろうと言ってしまう。
そうならないようにしなかった、彼らが悪いのだと。
それでも、時折どうしようもない不安に駆られる。
自分の進もうとしている道は間違ってはいないだろうか、と。
今は皆、賛同して賢王と言ってくれているが、それがいつ掌返しになるのかわからない。
それこそ本当に、棘の道だとイルミナは一人笑った。
ヴェルナーの言ったことは、正しかった。
イルミナは、どんな些細なことでも責任をもち、その責任は他の誰にも担えない。
イルミナがつらつらと考えていると、扉のノック音が耳に入った。
「―――どなたでしょう」
「私だ」
扉の前の兵が何も言わなかったことから、知り合いの誰かだろう。
更に言うのであれば、この時間帯にイルミナの自室を訪れていい人物など限られていた。
「どうぞ、グラン」
「夜にすまないな」
イルミナが入室の許可を下すと、扉を開いて入室してきたのは想像したとおりの人物だった。
「どうかしましたか?」
「いや、少し顔を見たくなってな。
夕食でもあったばかりで、なんだと思われるかもしれないが」
グランは少しだけ恥ずかしそうに言う。
しかしイルミナからすれば、嬉しい言葉だった。
「・・・嬉しい、です」
素直にそう口にすると、グランも顔を綻ばせる。
「少し、寝酒に付き合わないか?」
グランはそう言いながら、一緒に持ってきたらしいトレーをイルミナに見せる。
その上には、グランのお気に入りの酒と、簡単な軽食が乗っていた。
「喜んで」
そうして二人は、イルミナの自室にあるテーブルに向かい合わせになって座った。
グランの好きなお酒は強めだが、イルミナ用に水を持ってきてくれたのか、それで割れば何とかイルミナでも飲めた。
「そういえば、誕生日には何が欲しい?」
「誕生・・・あぁ、でもまだ先の話ですよ?」
結婚式は、イルミナの誕生日の二か月後と決まった。
食事会の際、一年後と言ったためだ。
二か月くらい早めてもいいという声もあったが、さすがに一年と十か月とでは準備期間が大分異なる。
イルミナの誕生日は、およそ四か月後、といったところだろうか。
「いいものを贈りたい。
一から作る予定だからな、早くて悪いことはないだろう」
グランはなんてことのないように言うが、イルミナは一から作るという言葉に驚愕した。
「い、一から、ですか?
別にグランが選んでくれれば何でも構いませんよ?」
「それは別で用意する。
だが、個人的に君の好むものも送りたい。
欲しいものはない?」
そう言われ、イルミナは考え込んだ。
グラスに注がれた酒を口に含みながら、自分の欲しいものとはなんだろう、と考える。
学び舎、に関しても物はすでに確認し、発注するだろう。
城の修繕?といっても、それも公費から出る。
新しい花、といっても庭師と話さないことには勝手に願うのも違うような気がする。
そこまで考えて、イルミナはグランしか渡せないものを思いついた。
「・・・本当に、なんでもいいのですか?」
「構わないよ」
「・・・その・・・」
言い淀むイルミナに、グランは優しい笑みを浮かべながら待った。
「っ・・・グランからの、手紙、が・・・欲しい、です」
「―――手紙?」
予想外だったのだろう。
グランの目が見開かれた。
そしてイルミナは間違えたと思い、慌てて訂正しようとする。
「いえ!
その!え、っと・・・!!」
顔を赤くなっているのがわかる。
戸惑わせたことに羞恥を感じ、イルミナは取り繕おうとするがうまく言葉が出てこない。
そんなイルミナを、グランは不思議そうに見ながら言った。
「手紙、でいいのか?」
もっと、宝石とかでも構わないのだというグランだが、イルミナは手紙が欲しかった。
ただ一人、自分にだけ宛てられる手紙。
「―――手紙、がいいです・・・」
イルミナは恥ずかしくなりながらも、やはり欲しいと思い、そう口にする。
そんな姿を見たグランは、目を細め、蕩けるような笑みを浮かべた。
「・・・イルミナが欲しいのであれば、私の心を込めて書こう」
「!!
・・・嬉しい、です」
そんないじらしい姿を見たグランは、生殺しとはこのことかと胸中で呟きながら、イルミナの黒い髪に手を伸ばした。