鳥籠
「では、いってらっしゃいませ、陛下」
「えぇ、留守の間は頼みますね、ヴェルナー」
晴れた朝、イルミナはヴェルナーと出立の挨拶をしていた。
イルミナは、短期間ではあるものの視察をするために王都を離れることになった。
場所はアウベール。
学び舎の進捗状況と現場の声を聞くためのものだった。
本来であれば、イルミナは行くべきではないのだが、本人たっての希望ということで成り立った視察だ。
もちろん、多数の人に反対されたが、あまり我が儘を言わないイルミナの為にグラン、そしてアーサーベルトとヴェルナーが奔走した裏がある。
アレン隊長率いる騎士団が付き、滞在は三日。
往復で八日かかるが、出来るだけ休憩を減らしていき移動時間を短くする予定だ。
騎士団たちは鍛えているためそうきつくはないだろうが、普通の女子供には辛いものがある。
これが飲めないのであれば却下という意味だったが、イルミナは並大抵の女性よりそういった耐性があったため、即座に了承した。
「・・・本当に行かれるのですか?」
いまだに心配そうにする人たちに、イルミナは笑みを浮かべる。
「レネットのことも心配ですし、一度くらいは。
貴方たちがいるおかげで、私も少しの間ですが城を任せることが出来ます」
「そうはおっしゃられますが陛下・・・!」
みんなが心配しているのはそこではないということくらい、イルミナとて理解している。
だが、どうしても行きたいのだ。
自分が考えて実行した教育案。
試験のこともあるし、他の領地で行うために実際の状態を確認したいのだ。
レネットたちを信用していないわけではない。
だが、やはり自分自身の目で見たいという欲求はある。
「ご安心ください。
私もついております。
陛下に傷一つ付けさせることはありませんよ」
背後に控えているアーサーベルトが言う。
国一番の彼が付いていて、万が一なんてことが起こるとは思っていないが、どうしても心配はしてしまうのだろう。
「我が儘を言ってごめんなさい、でも、私はこの目で見たいの。
きっと、これからはなかなか行けなくなるだろうから・・・」
「・・・!」
イルミナの言葉に、見送りに来た人たちは息をのんだ。
本来、女王たるイルミナがわざわざ視察に出向くなどほぼあり得ない。
城下の孤児院などであればあるかもしれないが、王都を出ること自体ほぼないのだ。
実際に、先王は王になってから他国への訪問でもない限り王都からでることはなかった。
先王妃は孤児院に出向くことはなく、ほぼ貴族たちへのお茶会を開くのみであった。
結果的にわかるのは、王族たる人間が王都から出ることはほぼない、ということだ。
周りの空気に気づいたイルミナは、にこりと笑った。
「城で行うべき仕事はこれからももっと増えますからね。
まぁ、息抜きということで」
「・・・左様にございますか」
きっと、これから先、イルミナは城から出ることはほぼなくなるだろう。
それこそ、後継ぎでも生まれない限りは。
生まれたとしても、誰もがイルミナが王都から出ることを危険視する。
そのことは、イルミナも理解していた。
それこそ、みんなが思う以上に。
「陛下、そろそろ」
「あぁ、はい」
アーサーベルトが馬車を確認したのか、イルミナに声をかける。
イルミナは頷いて、見送りに来てくれた人たちの顔を一人一人見る。
「見送りありがとう。
問題なく戻るから、それまでの間、城を頼みますね」
「は!!
お気をつけて行ってらっしゃいませ!!」
ぴしりと頭を下げる城の者たちに、イルミナは笑みを浮かべる。
安心させるように。
そしてイルミナは、総勢三十人ほどの騎士に守られながら王都を離れていった。
「―――大丈夫か、イルミナ」
「大丈夫ですよ」
三台の馬車は、そこそこの速度で道を進んでいく。
一つ目は城から連れてきた教育関係者、二つ目はジョアンナたちメイドを三人、そして最後尾にイルミナたちだ。
その三台の周りを、総勢三十名ほどの騎士たちが囲んでいる。
その中には、ハザの姿もあった。
「・・・君は、周りが思う以上に大人なのだが、周りがそれに気づいていないとはな」
グランは苦笑を零しながらイルミナにいう。
「仕方ありません。
私は未熟な女王ですから、心配されるのもわかります」
くすくすと笑うイルミナに、グランは思ったより落ち着いているようだと内心で安堵する。
まだ、十代なのだ。
その彼女は、その年で籠の中の鳥となる。
周りが思う以上に、彼女は外に出ることはないだろう。
出してもらえない、ではない。
あえて、出ないのだ。
「みんなの心配事を、これ以上増やすわけにもいきませんからね」
「・・・そうだな」
この国の、どれほどの人間が知っているのだろうか。
国で一番至高の存在であり、きっと望めば何でも手に入るだろうその存在は、この国で一番何も手に入れられないのだと。
その身を削り、若さを削り、時間を削り。
彼女の人生そのものが、国の為に消えてゆく。
それに気付いている人は、どれほどいるだろうか。
「・・・イルミナ」
「?はい」
外の風景を楽しんでいるイルミナに、声をかける。
その瞳は、楽しそうに輝いている。
「せっかく二人きりなんだ。
隣に座らないか」
「っ・・・いいの、ですか?」
一瞬で頬を赤くするイルミナに、グランは笑みを深める。
こんな些細なことで頬を赤くする彼女が、これからどう花開いていくのか。
「もちろんだ。
最近忙しかっただろう?
まだ道のりは長い、少し休んでいくといい」
「・・・それでは・・・」
俯いて隣に来るイルミナの顔に、さらりと髪が落ちる。
指通りのいいそれは、グランからすればいつも下ろしていればいいのに、と思わせるほどだ。
何気なく髪を耳にかけてあげると、出てきた耳が赤く染まっているのを見つける。
彼女は、いつまでたっても初心だ。
どれだけ口づけを交わそうが、抱きしめようが、一向になれる気配はなく真っ赤になっている。
それがどれだけ男の欲情を誘うのか、知らないのだろう。
拳ひとつほど空けて隣に来たイルミナを、グランは抱き寄せる。
肩に頭を預けさせるようにすると、イルミナからは羞恥の色に染まった声音で名を呼ばれた。
きっと、扉を挟んだ向こうにみんながいることを考えてしまっているのだろう。
「どうせまだ走らせる予定だ。
少しはいいだろう?」
グランはイルミナの頭に頬ずりをする。
ふわり、と微かにだが花の香りがする。
イルミナは強い香りの香水を好まないのか、ほんの僅かに香る程度のものしか使用しない。
近づけば辛うじてわかる程度のその香りを知っている人は、自分以外いなければいいと思う。
「・・・す、少しだけですからね」
「あぁ、私も毎日頑張っている。
少しだけご褒美を貰ってもいいだろう?」
「っ・・・こんなのが、褒美になりますか」
「なるとも。
愛する人との時間は、何よりの褒美だ」
元から口はうまいほうかもしれないが、イルミナと好意を確かめ合って以降、グランは前以上に甘い言葉を口に出すようになった。
グランからすれば思ったことを口に出しているだけなのだが、周りの人間からすれば砂糖菓子以上の甘さを含んでいるらしい。
一番の被害者らしいリヒトは、涙ながらに彼女が欲しいと嘯いていた。
「そ、そんなの・・・」
「ん?」
小さな声で何かを言うイルミナの口元に耳を寄せる。
そして漏れるように言われた言葉に、グランはつい人目がないのをいいことにイルミナを膝の上に乗せた。
「ぐ、グラン・・・!!」
慌てて降りようとするイルミナの細い腰を腕に抱き、その頭を反対の手で押さえる。
「同じ気持ちで、とても嬉しいよ」
―――そんなの、わたしだって一緒、です
「―――!!!!」
固まって動かなくなったイルミナを、グランは心行くまで抱きしめる。
愛しい愛しい、イルミナ。
君だけが、自分をこんな風にするのだ。
その表情は、かつて恐れられた辺境伯とは思えないほど、蕩けきっていた。
***************
「―――アーサーベルト様」
「ん?ハザか。
息災か?」
「はい」
アーサーベルトは、イルミナの乗る馬車の一番近くで護衛をしていた。
黒毛の駿馬は、アーサーベルト自ら面倒を見てきた馬で、軍馬としても相当なものだ。
その隣に、栗毛の馬を操りながらハザが並ぶ。
「それにしても、今回は結構強行突破ですが、アーサーベルト様は何も仰りませんね」
今回、視察自体は前から言われていたが実際に決まったのはこの十日間くらいの話だ。
女王陛下は前からそのつもりだったようでそのつもりで仕事をこなしていたらしく、今のところ急ぎの仕事はすべて片付けてきたらしい。
それもあって、今回の視察が結構できたのもあるが。
「あぁ、そうだな」
「?
どうして何も仰られないんですか?
アーサーベルト様の立場からすれば止めると思っていましたが」
ハザの疑問は騎士団の誰しもが思うところであった。
誓いをたてた相手が、危険な場所に赴こうとすることを、普通の騎士であれば止めたいと思うのが普通だ。
だが、アーサーベルトは一度として否定的な言葉を発していない。
そのことは、騎士団の中で疑問だった。
「・・・ハザ、陛下は・・・」
アーサーベルトが一瞬だけ言葉を詰まらせる。
そのことに、ハザは一瞬だけ疑問を持つ。
「陛下は、もうそう簡単に視察へと行かれることはこの先ないだろう」
「?
何故でしょう?」
ハザには、アーサーベルトの言っている言葉の真意がいまいち掴めなかった。
女王陛下であるイルミナは、王女時代から視察や訪問を幾度となく繰り返している。
それが、彼女が民に受け入れられる一番の要因ですらあるというのに。
「陛下には、御子がいらっしゃらない」
「・・・?
まだご成婚もされておられませんが」
「そうだ。
ご成婚されれば、それこそ陛下は城の外へ出ることはほぼなくなるだろう」
「御子が生まれれば・・・」
「前が、あるだろう」
前・・・?ハザはアーサーベルトの言っている言葉がわからない。
そんなハザを、アーサーベルトは見ることすらしない。
それどころか、厳めしい表情で前方を睨んでいる。
「イルミナ様には、妹様のリリアナ様がいらっしゃった。
だが、結果として今、王都に残った王族は、陛下御一人だ。
先王陛下には陛下とリリアナ様、御二人が御生まれになられたが、その御一人であるリリアナ様は女王陛下の采配によってエルムストへと送られた。
かの方に御子が産まれたとしても、陛下は継承権を御認めにはならない。
結果として、陛下は才ある御方だったからよかったが、もし万が一に愚者であったら?
この国は、他の貴族たちはどう思う?」
「―――確実な、後継者を・・・」
「そうだ。
先王の件で、貴族たちは王族の在り方を考えただろう。
今回は陛下がいらっしゃった、だが次は?
君主制である我が国は、王族の血を絶やすことは一番最悪なことだ。
それを防ぐためには、陛下には確実な嫡子を御産みになられるまでは、城にいていただく必要がある。
もし生まれたとしても、もう二度と同じ轍を踏まないように各々が見張ることになるだろう。
・・・わかるか、ハザ。
陛下には、自由がなくなるのだ」
「で、ですが、確実な御子様がお生まれになれば」
「それを誰が判断する?
誰が、次の王を決める?
陛下だ。
陛下は、国の為であれば自身の身すらも犠牲に出来る御方、いくら子が可愛くとも才能がなければ継がせることはないだろう。
ハザ、民が、貴族が陛下に望むのはな・・・」
ハザは、言葉を失わざるを得なかった。
「―――確実な子を産んでいただき、国を良くするためのその身全てを捧げることなのだ。
視察は誰でも出来る。
いくら陛下がその目で見たいといっても、もうこの先誰一人として許可しないだろう。
そのお体に流れる血を守るために、陛下には城という鳥かごに籠ってもらうことが、求められている」
「・・・そん、な」
民を、その村に住む人を、感情を見たいと言っていたその人は、もう二度と、それが出来なくなる。
初めてアウベールへの視察へ同行した際に、凛とした目で村を見ていたあの人は、もう見れなくなる。
「それを、陛下は・・・?」
「もちろんご存じだ。
だから、今回強行突破されたのだろう」
ハザは、ようやくなぜアーサーベルトが今回の視察に関して何も言わなかったのか理解できた。
それと同様に、宰相であるヴェルナー・クライスも。
彼らは、知っていたのだ。
きっと、これが最後になるだろうということを。
だから、騎士団をつけた。
万が一にもないように。
「・・・そんな顔をするな。
陛下が長生きをされれば、いつかはまた出られる日も来るやもしれん」
アーサーベルトがハザを見ながら、苦笑を浮かべている。
そんなにも、自分はひどい表情をしているのだろうか。
「・・・どうして、陛下はアウベールを・・・」
「ご自身で学び舎などの試験的な土地を選んだのもあるのだろう。
あと・・・約束がある、と言っておられたな」
その約束、という言葉にハザは何故かピンときた。
アウベール。
そこは、ハザにとってもとても思い入れ深い村だ。
そこにいるのは。
「グイード、だ」
きっと、陛下は最後にグイードに会いに行くつもりなのだと、漠然と思った。




