【閑話】 女王のお城
私は、ブラン様の治める領地に住む貴族の娘で、近いうちに社交界デビューを控えている一人です。
お父さまはブラン様の右腕で、最近はお忙しいのかなかなか屋敷へとお戻りになられない。
お母さまは、そんなお父さまなんてどうでもいいのか、毎日お友達を招いてお茶会をしたり商人を呼んでドレスや宝石を見ている。
お兄さまは、私が十の時に屋敷から出て騎士団へと入団された。
跡継ぎはお兄さまだけだというのに、お父さまがとてもとても怒っていたのを、覚えている。
そのあと、お父さまはお兄さまには跡を継がせないで、長女である私が婿養子を取ることを決めた。
お兄さまにはお手紙で伝えたそうだけれど、連絡はないようで。
お母さまは少しだけ悲しそうにされていたわ。
私は、お兄さまとの記憶は小さいころだけで正直なところ実感が湧かなかった。
でも、それからお父さまは私に異常な期待をかけるようになった。
一流の淑女というものになるべく、講師を何人も雇った。
そうすることで、自分より格上の人と結婚できるようにしなさい、ということだ。
私の家はブラン様ほど裕福でも、有名でもない。
だからこそなのだろう。
次男で、有名な人を。
目標は高くといって、宰相様であらせられるクライス様に目をかけてもらえるようになりなさい、ということだった。
だから、私は頑張った。
寝る間も惜しんで、体調を崩しても、頑張った。
惜しかったのはリリアナ様のことだ。
近い年ごろということで、何度かお茶会に招いていただいたことがあった。
あのままいけば、第二王女様の友人として良い縁が出来たのかもしれないのに。
だから、自分がデビューする年の舞踏会の主催者が元第一王女様、現女王陛下だと聞いて少しだけ嫌だと思った。
リリアナ様の影に隠れて、つまらないと評判の女王陛下。
そんな人が、何をどうしたのか女王となられた。
お父さまは女王陛下のことを褒められているけれど、正直私は嫌いだ。
だって、きっと何の苦労もなくその立場を得たに決まっている。
私のほうが、もっと頑張っているのに。
でも、デビューの舞踏会に参加しないという選択肢はあり得ない。
そこで私は、いい男性とお近づきになって、我が家の跡継ぎを生まなければならないのだ。
・・・そういえば、お母さまも女王陛下のことを嫌っていた。
なんだか、辺境伯様?のことで。
理由はよくわからない。
「スージー、準備は出来たかい」
お父さまの声が聞こえる。
早く準備をしなくてはならないのに、このメイドは使えない。
さっきから髪の毛を引っ張りすぎだ。
舞踏会から帰ってきたら、お父さまにお話しなくては。
せっかく我が家が雇ってあげているというのに、忠誠心のかけらもないメイドなんて必要ないわ。
それに、頑張っている私にふさわしいメイドがいるはず。
それも終わったら探さなくては。
城まで行くのも面倒だ。
前もって王都に入っているが、どうしたって距離はある。
何日もかけて、好きでもない人が開く舞踏会に行かなくてはならないのかと考えると、少しだけ憂鬱になる。
・・・でも、舞踏会に出たら、あの人に会えるかもしれない。
一度だけ、お城で会っただけのお方。
でも、その優しさに私は心奪われた。
叶うことなら、あのお方と一緒になりたい。
でも、出来ないこともわかっている。
だからせめて、もう一度。
あのお方の姿を見るだけでも出来たら。
かのお人は騎士団に所属されている。
だとすれば、舞踏会では警備に配置されているかもしれない。
いや、もしくは、かのお人も貴族だから伴侶を求めて出席されるかもしれない。
・・・あわよくば、一曲お相手に望んでいただけるかもしれない。
そう考えただけで、スージーの胸は高鳴った。
「・・・マルベール、さま・・・」
キリク・マルベール。
現騎士団長が、スージーの想い人だった。
************
「・・・少し、早くに来てしまいましたね、お父さま」
「丁度いい、スージー。
お城を見学させてもらいなさい。
女王陛下の治める城だからね、それを見て学べることもあるだろう。
そこの騎士、娘をくれぐれも頼んだぞ」
スージーの父、レオナルドはそう言って、自分は他の貴族の元へと足を向けた。
情報交換だろう。
その場に、女であるスージーはいけない。
いきなり頼まれた騎士は困惑しながらも、スージーに人当たりのいい笑みを浮かべる。
「ではお嬢様、どうぞこちらへ」
「わかりましたわ、お父さま。
では後程」
スージーは美しい所作で一礼してその場を後にする。
父、レオナルドは騎士を嫌っている。
それは能力とかの問題ではなく、自分の息子のせいだろう。
だが、この場で騎士以上に娘を預けられる存在はいないと思ってのことか、はたまたそれによって問題が生じた場合、それを盾に息子である兄を退団させようとしているのか、スージーにはわからない。
だが、一流の淑女は家長の言うことに逆らったりはしない。
それが、スージーに求められることだった。
「こちらが、歴代の王の肖像画が飾ってある回廊です。
その先を行きますと城一番の庭園がございます」
「そうですか」
スージーのそっけない返しにも、騎士は苦笑を浮かべるだけで何も言わない。
そのことにも、スージーは腹が立った。
まるで子供扱いされているようだ。
「ご令嬢にはあまり面白くない場所ばかりで申し訳ありません・・・。
何か、気になられることはございませんか?」
「・・・貴方は、騎士団の方、ですわね?」
「はい、そうです。
自分はトーマス隊長率いる隊に所属しております」
「・・・最近、団長が代わったと聞いていますが・・・」
スージーは一番聞きたかったことを聞いた。
「キリク団長ですね!
アーサーベルト団長ほどではなくとも、とてもお強く、人を率いる能力は素晴らしいものですよ」
自分の所属する騎士団のことを聞かれて嬉しかったのか、騎士は饒舌に語る。
「あ、そうですね。
今の時間であれば団長も時間があるでしょう。
少し会われてみますか?」
「!!
え、えぇ・・・、この国の防衛の要ですものね。
一度お会いしてみたいわ」
冷静を装いながらも、スージーの胸中は喜色で溢れかえる。
会えたらいいなと思ってはいたが、まさかこんなに早く会うことが出来るなんて!!
にやけそうになる顔を、必死に押し隠す。
騎士は自分を先導するために前を歩いているので気付かれてはいないだろう。
ありがとう、お父さま!
スージーは心の中で今の状況を作ってくれた父へ感謝を述べた。
「あ、団長!」
「!」
どれほど歩いただろうか。
だが、そこまでは歩いていなかったような気がする。
まるで夢のようで、足元がふわふわしているような気がする。
そんな時、前を歩く騎士が声を張り上げた。
「ん・・・?
あぁ、どうした、何かあったのか?」
「いいえ!
こちらの御令嬢が団長にお会いになられたいとのことでお連れしたんです!」
どきり、とスージーの心臓が大きく鳴る。
会いたいと思っていたその人が、すぐそこにいると思うだけで、顔が熱い。
「そうなのか・・・?
ご挨拶が遅れました、ご令嬢。
私はキリク・マルベー・・・」
「キリク!」
突然聞こえてきた野太い声に、スージーは舌打ちしそうになる。
せっかく、自己紹介をして下さっているというのに誰だ。
スージーは扇子で口元を隠しながらその無粋者へ冷たい視線を送る。
「団長!」
と、キリクが言った。
それにスージーは理解が及ばず、どういうことだろうと目を点にする。
現れた人が団長?あの怖い人が?
「団長はお前だろう、キリク」
苦笑を浮かべるその人が、前・騎士団長のアーサーベルトだということを、スージーは初めて知った。
彼が平民出身であることから、あまり視界に入れないようにしていたのだ。
彼の努力は素直に素晴らしいと思うが、それでも立場というものを弁えた方がいいと考える一人がスージーだった。
「それはそうなんですけど・・・、つい。
それで、どうしたんですか?
何か伝達事項でも?」
突然の乱入者に気分を害されながらも、キリクの砕けた口調を聞けたことに喜びを感じる。
しかし早く終わらせてくれないかとも願う。
せっかく、会って話すことが出来たというのに。
「あぁ、陛下がお呼びだ。
警備の最終確認をしておきたいとのことでな。
万事問題ないとは思っていらっしゃるようだが、お前も最近お会いしていないだろう?
仕事のしすぎではないかと心配されていた。
顔を見せてやれ」
「!
陛下がっ・・・!!
大変申し訳ありません、ご令嬢。
私は用事が出来ましたのでこれで失礼させていただきたく思います」
「っ・・・、え、えぇ・・・、女王陛下の、お呼びですもの・・・。
仕方ありませんわ」
スージーは、キリクの浮かべた表情に言葉を失いそうになりながらも、ようやくそれだけを返した。
そんな彼女に、気を配る人はこの場には誰一人としていない。
キリクとアーサーベルトは、そのまま二人で来た道を戻っていくのを、スージーはただ見つめるしかなかった。
「・・・キリ・・・マルベール様、は・・・陛下のことをお慕いに、なられているのかしら・・・」
案内してくれている騎士に、スージーは呆然と問う。
思わず口から出たそれは、スージーの本心だった。
「団長が・・・ですか?
それはないですよ」
あっさりとした返答に、スージーの気分が少しだけ浮上する。
「でも、敬愛はされていますよ。
陛下はとても素晴らしい方ですからね。
一時騎士の誓いを捧げたいと言っておられましたから」
「きしのちかい・・・?」
「あぁ、あまり知られていないのですね。
我々騎士にとって、夢のようなものです。
たった一人の主を決めて、その人に一生を捧げるんです」
「っ・・・、婚姻などはどうされますの?」
「しませんよ。
主の為に生きて、散るのが誓いです。
他に大切なものが出来てしまえば、それも難しいでしょう。
まぁ、アーサーベルト団長が先に誓ってしまい、団長の座をキリク団長に任せたのでそれも出来ませんがね」
騎士の言葉は、途中から耳に入らなくなっていた。
キリクが、女王陛下に誓いをしてもいいと思うほどに、好意を持っている。
何もしていない、彼女が。
自分はこんなに頑張っているのに、それなのに見てすらもらえない。
いや、きっと覚えてすらもらっていないのだ。
悔しかった。
父の言う通り淑女として必死になってきた今までが、ガラガラと音を立てて崩れそうになるくらいに。
第二王女のように美しくもなければ、自分のように苦労して頑張ってきているわけでもないあの女が。
「・・・っ、私、こちらで失礼いたしますわ。
少し、気分が優れませんの」
「えっ・・・あ、お待ちを・・・!」
スージーは、零れそうになる涙を必死に堪えながらその場を急ぎ足で立ち去った。