春の祭り 2
グランは、イルミナの言葉に面食らったようになった。
女王であるイルミナが、王族であるイルミナが、踊れない。
「・・・すまない、詳細がいまいち掴めない。
話してくれないか?」
今にも崩れ落ちそうなほど脱力したイルミナの肩を支えながら、グランはソファーへと誘導する。
力ない体はグランにもたれかかるようにして、大人しく腰を下ろした。
「それで?
踊れないということはどういうことだ?
怪我をしたのか、体調が良くないのか?
それとも、忘れてしまったのか?」
優しい声音で問うグランに、イルミナは唇をきゅっと一度だけ噛むと、話し始めた。
「・・・私、ダンス自体小さいころに習ったきりで・・・アーサーに稽古をつけてもらうようになってから一度も練習していなかったんです・・・。そのあとも、なんだかんだで忙しくて・・・」
言葉尻が小さくなるイルミナに、グランはなるほどと心の中で頷いた。
確かに、イルミナの今までの生活を考えれば、誰も彼女にダンスの重要性を教えるものがいなかったのも理解できる。
だが、これは非常にまずい。
初の女王主催の舞踏会で、主催者本人が踊れないなんてあってはならない。
踊れないことを責めるつもりは毛頭ないが、それでも踊れないのは困る。
だから。
「・・・わかった。
では、練習するしかあるまい」
「・・・そうですよね」
不安そうな表情をするイルミナを、グランは不可思議に思う。
アーサーベルトの稽古についていけるほどの身体能力はあるはずだ。
だとすれば、そう難しく考える必要はない。
その答えを、グランはすぐに知ることになる。
「・・・・・・イルミナ」
「っごめんなさいごめんなさい!!」
端的に言えば、イルミナは踊れない訳では無かった。
ただ、アーサーベルトとの稽古のせいか、どうしても距離を取ろうとしてしまうのだ。
手を握り曲を流しながらステップを教えたところまではよかった。
問題はそのあとで、いざ曲を流して通しで踊ろうと近づけば逃げるように距離を取ろうとする。
どんなにこちらが近づこうとも、手が離れないギリギリのところまで距離を取ろうとするのだ。
そしてどうしてイルミナがダンスに消極的なのかを、グランは理解した。
「・・・ダンスが苦手、というわけではなさそうだが」
グランはとりあえず、イルミナがどうしてそういった行動を取ってしまうのかを確認することにした。
本人の表情や動きからして、無意識にしてしまっているのは分かる。
ただどうして無意識にそうしてしまうかが、問題なのだ。
「・・・その、アーサーと稽古をしていたときは、敵と遭遇したことばかりのことを想定していたものですから・・・、敵の力が未知数の場合、突っ込まれたら逃げることを優先としていました、手を握られた場合、拘束された場合、その他にも色々と教わったのですが・・・。
ダンスと分かっていても、どうしても相手との距離が近いように感じてしまって・・・、いるのでしょうか・・・?」
自分でも不思議そうに話すイルミナは、思ったより自分の状態を理解していないとグランはみた。
だからこその行動なのだろうとも。
「ふむ・・・。
だとすれば」
グランは荒療治だがこれしかないだろうと考え、イルミナを抱き上げ、自分の膝に乗せる。
そしてその両手を取り、自分の胸元にイルミナの顔を押し付けるようにした。
「ぐ、グラン・・・!?」
イルミナの戸惑った声が、くぐもって聞こえる。
「イルミナ、距離が近いと思うのであれば、もっと近づけばいい。
距離のことなんか気にならないほどにな。
それに私と君はもっともっと近づく必要だってあるだろう。
他のものと踊る必要はないが、私とだけは踊れてくれないと困る。
じゃないと、私は壁の花になってしまうぞ?」
少しだけ茶目っ気を出して言う。
そうすることで、ダンスへの恐怖を和らげればいいと考えて。
きっと、イルミナにとって他者との近い距離というのは恐怖を知らぬうちに感じてしまうものなのだろう。
幼いころから冷遇され、時にその身を狙われ。
沢山の人に大切に扱われるよりも、その期間は長い。
それまで、彼女は師を得ながらも孤独であった。
弱音を吐くことなく、ただひたすら自分を磨いていた。
だからこそ、怖いのだろう。
「っ・・・――――」
自分とは抱きしめ合ったりするのは平気だというのは知っている。
自分とダンスの違いは何か。
それはグランにとって簡単なことだった。
「イルミナ、踊るのは私だよ。
君がこの先、どんな状況になっても、踊るのは私だけでいい。
私は、君を傷つける人物か・・・?」
胸に当たるイルミナの頭が、ふるふると横に振られる。
力強く振られるそれに、グランはほっとする。
分かっていても、行動に示されるまで安心は出来なかった。
「今、君の手を握っているのは私で。
君が体を預けているのも、私だ。
無理にステップを覚えようとしなくてもいい、ただ、私を信じてくれ」
イルミナがステップを覚えていないわけではない。
だが、いざ出そうとすると一瞬止まってしまうのだ。
立ち止まったそれは、動こうとしたときに無意識に反復した回避行動に移ってしまうのだろう。
なら、初めから自分に全てを委ねればいい。
反復行動をさせるよりも早く、自分が彼女の手を引けばいいだけの話だ。
リードするのは得意だと、グランはひそりと笑う。
「曲に、私に任せて、君はただ安心していなさい。
私の腕の中では、何人たりとも君を傷つけさせはしない」
そうして、イルミナはゆっくりと顔を上げた。
その表情は、先程までの不安に満ちたものではない。
「・・・君は独りではないよ、イルミナ。
私が、ずっと傍にいる」
グランはそう微笑みながら言った。
イルミナはその言葉に後押しされたように頷き、そして小さな声で言った。
「・・・もう一度、練習をお願いします」
グランはその言葉を聞き、破顔した。
「―――ん、いい感じだよ、イルミナ」
「は、はいっ・・・」
グランの言う通りだったと、イルミナは思った。
正直なところ、相手がグランだと理解しても体が追い付いていない部分があった。
煌々と照らされる光を遮る影が、どうしても身を竦ませてしまうのだ。
覚えたステップのことなんて一瞬で消し飛び、頭が真っ白になってしまう。
そうしてなんとか動かなければと思うと、不思議と回避行動をとってしまうのだ。
ふわり、とドレスが弧を描くように回る。
グランと話している時、どうしてこうなってしまうのだろうと考えながら話してみて、ようやくその考えに至った。
自分は、人との近い距離が怖いらしい、と。
相手がグランだと分かっても、心が追い付かないのだ。
だからといっては何だが、グランのとってくれた手は非常にありがたいものだった。
きっと、自分のペースに合わせていれば時間だけがかかったことだろう。
それを知ってか知らずか。
結果として、グランの体温は安心できるものとして認識できた。
今まで何回も抱きしめられたが、ダンスという言葉を意識してのものではなかった。
引かれる腕は逞しく、ステップを思い出さずとも足が勝手に動く。
グランは言ってくれた。
この先、自分が踊るのはグランだけで良い、と。
それが絶対だとは言い切れない。
自分は女王で、他国との付き合いもある。
その場で一切踊らずというわけにもいかないだろう。
でも、その言葉だけでイルミナは安心できた。
繋がれた手は熱く、高いはずの自分の背は彼と並ぶとそこまで大きく感じられない。
孤独だと、思ったことがないわけではない。
それでも、漠然とした悲しみに襲われることはあった。
自分が自分らしく息をつける場所なんて、あの四阿しかないと思っていたこともあった。
だが、この先は違うのだ。
女王でもなく、王族でもない、ただのイルミナが息を吐ける場所。
グランは、自分の腕の中がそうだと言ってくれた。
ここでは、誰も自分を傷つけないし、苦しめようとしない。
グランの腕の中が、イルミナがイルミナで在れる場所。
なら、そんな人に全てを任せても良いと、自然と思えた。
「―――うん、十分だろう。
大丈夫だったろう?」
曲が終わり、自分がちゃんと終えられたことにようやく気付く。
グランに任せていると、安心して何も考えずにいたせいか、曲が流れていたことすら忘れていた。
「・・・ありがとう、グラン。
これなら明日も大丈夫そうですね」
踊り終えても、グランはイルミナの手を離さない。
イルミナが離してほしくないと思っているのを、見抜いているようだった。
「大丈夫だ、君なら。
私が傍にいる。
安心して、気を抜きなさい」
グランの言葉に、イルミナは顔をほころばせる。
他の誰かが同じことを言っても、ありがとうの一言で終わるそれが、相手がグランだと知ると安心できるのだ。
「さぁ、もういい時間だ。
明日も早いだろう?
そろそろ休みなさい」
グランはそういうと、部屋の片隅に待機していたジョアンナに声をかける。
ジョアンナは、最初からいたが二人の空気を邪魔しないように息をひそめていたのだ。
そのことをすっかり忘れていたイルミナは、一部始終を見られていたことに対する羞恥を一気に噴出させる。
「ジョアンナ、すまないがイルミナを頼む。
私はもう少し仕事をしてから休む」
「かしこまりました」
「グラン?
貴方も明日早いのでは?
休まれなくて大丈夫ですか?」
心配そうに言うと、グランは瞳をとろりと溶けさせてイルミナを見た。
「君と踊って、元気になった。
もう少しやっておかないと、休めそうにない」
「!!」
元気になった、がどういう意味かは分からない。
だが、その色気の滴る視線に、イルミナの顔が一気に熱を持つ。
「っ!!
ちゃ、ちゃんと休む時には休んでくださいね・・・!?
ジョアンナ、お願いします・・・!」
「かしこまりましたっ・・・!」
恥ずかしさから逃げ出すように退出するイルミナを、グランがくすくすと笑いながら見ていたことを、イルミナは知らない。
*************
「ちょっとぉ、聞いたわよ、へ・い・か」
「る、ルミエール・・・?」
無事、全ての面会を定刻通りに終えたイルミナは、舞踏会の為に準備を始めていた。
分かってはいたが、ヴェルナーの優秀さはずば抜けていた。
面会といっても、予め話す内容は決まっている。
だがどうしても、その時になっていきなり別の話をしてくる貴族もいるのだ。
ヴェルナーは、そういった人たちのことも事細かに調べ上げ、可能性として有り得るとイルミナに話していた。
そのお陰で、突発的な会話でも難なく収束することができて定刻で終えることができたのだ。
そして終わるのを待っていたロッソの二人、メイドたちの待つ部屋へと向かったイルミナを出迎えた第一声がそれだった。
「もう、淑女としてあるまじきよ、陛下。
ダンスが踊れないなんて」
面白そうに笑うルミエールは、どう見てもからかっているようにしか見えない。
というより、どうして彼がそれを知っているのだろうか。
「も、申し訳ありません、陛下・・・!」
「ナンシー、お前なの!?」
ルミエールに情報を漏らしたらしいナンシーを、ジョアンナが叱責する。
「ジョアンナ、良いんです。
ルミエール、ちゃんと練習しましたから、踊れますよ」
「あら、まぁそうでしょうね!
踊れなかったら私がビシバシ教えてあげてたわよ!」
腰に手を当てながら言うルミエールが本気かどうか、イルミナには判断がつかない。
が、心配はしてくれていたのは分かった。
「じゃ、陛下、これがドレスよ。
私とビアンカの力作!
ちゃっちゃとやるわよ!」
そうしてイルミナはメイドたちの手によって全身を磨かれ、丁寧に化粧を施され、そしてドレスを着た。
言葉にすると簡単だが、非常に時間がかかったことだけは確実だ。
「きゃーーー!
やっぱりこれよね!
陛下は細身で身長が高いでしょ?
旦那さまになるグラン様も高いけど!そうするとすっごく映えるのよね~!
陛下の踊るダンスは以前見たことあるから、ドレスがこう、ふわっとなるやつが良いと思ったのよ!
でも陛下は女の子らしい女の子ってドレス似合わなそうだし、どちらかというとしゅっとした感じの?でもそれじゃあ詰まらないしー、色もねー、迷ったのよー。
陛下のハジメテの主催でしょ?
初々しい色もいいかなーって思ったんだけど、威厳がなくなっちゃうかしらってビアンカと相談してね~。それでこの赤よ!真っ赤ってわけじゃなくてすこーし暗めなの!でもシャンデリアの光に当たると光沢が出てね、それに刺繍した薔薇が浮かび上がるのよ~~!」
ルミエールの怒涛の話に、誰もが閉口した。
「ルミエール、話し過ぎよ。
さ、陛下、着替えましょうか?」
そんなルミエールに慣れているのか、ビアンカはさっさと切り捨ててイルミナに言う。
触発されてか、メイドたちも次々に動き出した。
「ああん!
もう、ビアンカってば!
もっと話したいのに~!」
ルミエールの野太い声が、イルミナの背中を追いかけた。