暗い場所と明るい場所
「ふ、副団長殿・・・、ほ、本当にこのような場所に娘が・・・?」
男爵は、時折聞こえる叫び声に肩をビクつかせながら先を歩くキリクに問う。
そこは、酷く薄暗く、じめじめとしているような気がした。
空気が、ではない。
ただ、雰囲気がそう感じさせるのだ。
こんなところに娘がいるのかと、信じられない気持ちでキリクの後に続く。
「はい、こちらに収監されています。
あぁ、もうそろそろです」
「カリーナ!!」
キリクの言葉に、男爵は転がるように走った。
カリーナ、可愛い娘。
こんなところで心細いだろう、怖いだろう。
心優しいあの子に、ここはとても辛い場所に違いない。
大丈夫、お父さまが直ぐにここから出してやろう、そんな気持ちの男爵の目に映ったのは。
「・・・か、りーな、なのか・・・?」
ボロボロの、女がいた。
髪はぼさぼさでずたずたに破られた服は、暴漢にでもあったのかと問いたくなるほど。
髪の色は、カリーナの色だ。
だが、ここまで汚い女が、自分の娘だという事を、男爵は一瞬信じられなかった。
自分の大切な娘が、このような姿でいるなんて、信じられなかった。
それでも、目の前のぼろぼろの女は、自分の娘だと勘が告げる。
そして、一刻も早く、こんな場所から助け出してやらなければとも。
「か、カリーナ!!
私の可愛い、カリーナ・・・!
あぁ、なんということだ、こんな、惨い・・・!
女王陛下はこのようなことを見過ごされているのか!!
カリーナ、わかるかい、お父さまだよ・・・」
男爵は鉄格子を握りながら涙を流した。
いくら間違ったことをしたとしても、酷すぎるのではないのか。
これは拷問でもされたようではないか!
男爵は、気づかない。
カリーナが、一切自分を見ない事に。
「副団長殿・・・!
いくらなんでも酷すぎます、罪人だからといって、この国は拷問紛いのこともなさるのですか・・・!
私の娘が何をしたというのです!!」
男爵の言葉に、キリクは目を丸くして首を横に振った。
「なんですと!!
それでは、我が娘のみがこのような事になったとでも言うのですか!!
これは正式に抗議させていただきますぞ・・・!」
「男爵、違います。
それは、すべて彼女自身が行なったことです」
「・・・は・・・?」
「我々は罪人だからといって暴行を加えたりなどしません。
食事を与えないなどということも、陛下は許されておりません。
まぁ、最低限ではありますが。
彼女・・・いえ、彼女たちはみな同じようなことをするので、こちらとしても手を焼いているのです。
叫び、暴れ、傷を負おうとするものもいます」
「・・・っ、カリーナ、カリーナ!!
お父さまだぞ!?分かるな、カリーナ!!」
そんなはずはない、自分の自慢の娘に限って、そんなことが起こるはずがない、そう思って男爵はカリーナに声をかける。
きっと、全て他のメイドたちに謀られたのだ。
なんて非道なやつらだろうか。
そして、なんて非道な女王だろうか。
罪もない娘を、このようにしておきながらそのままにしておくなど。
「・・・ぉ、と・・・?」
「!!
カリーナ、カリーナ!!
迎えに来たよ、カリーナ!
さぁ、一緒に屋敷に帰ろう・・・!!」
ぼんやりとした瞳に、一瞬だけ理性が宿った。
抜け落ちたかのように無表情だった顔に、微かな動きが生まれる。
そして、歪んだ。
「あああああああァァァ!!!!」
ガシガシと頭を掻きむしり、悲鳴を上げ始めた娘の姿に、男爵は尻餅をつく。
目の前の突然の状況についていけず、目を丸くするしかできなかった。
「か、カリーナ・・・?」
「リリアナ様!!リリアナ様!!
どうしてっわたしの名前を呼んでくださらない!!!
――――アアアァァ!!!」
狂ったように叫ぶ娘に、男爵は恐怖を感じた。
叫び、頭を振り乱し、のど元をかきむしるその姿は、まさに狂気に満ちていた。
・・・こんなのは、私の娘ではない!!
「男爵、どうぞこちらに」
後ずさる男爵に声をかけたのは、キリクであった。
男爵は、後ろ髪引かれる思いも少なからずあったが、聞こえる悲鳴から逃げ出すことを選択した。
「な、なんだ、アレは!?」
キリクは、びっしょりと汗をかいて震える男爵を、冷たい目で見た。
会う前は、あれほど大事な娘だと言い張っていたくせに、実際の姿を手のひらを返したかのようにしている。
「アレ、とは。
先ほどお連れしたのが男爵の娘であるカリーナの部屋です。
何かありましたか?」
「な、何かとは何だ!!!
あんな、気狂いのような女が、私の娘であるはずがないだろう!!!
よく似た別人だ!!
私の娘はどこにいる!!」
きゃんきゃんと喚く男爵に、キリクはため息を吐きそうになりながらもなんとか堪えて、同じことを言った。
「男爵、先ほどのが貴方の娘です。
リリアナ様の専属メイドとなり、一緒にエルムストへ向かい、そして女王陛下の命に背いた罪人です。
他にも何人かいますが、幾人かは処刑対象となっています」
「な!?
へ、陛下は私の願いを聞かれていないのか・・・!?
私は、可哀想な我が娘を救いに来ただけだというのに・・・!!」
キリクは、男爵の言葉に一瞬で殺気を迸らせた。
きっと、彼も、彼女も、何を言っても無駄なのだろう。
だからといって、女王陛下への侮辱は許されたものではない。
ましてや、かの女性は自業自得なのだから。
「男爵、貴方の娘のしでかしたことを、もう一度言いましょう。
貴方の娘は、女王陛下が殿下だったときから、陛下のことを良く思っていないような発言をし、女王には第二王女が相応しいと公言していました。
第二王女に着いてエルムストへ行ったのであれば、そのまま静かに終えていれば良かったものを、女王陛下には第二王女が相応しいという妄執に取りつかれ、あまつさえそれを実行しようとした。
立派な反逆罪でしょう?」
「だからそれは!!
優しいあの子を唆して利用したやつらがいるからだろう!!」
なおも言い続ける男爵に、キリクは怒りを通り超えて面倒くさそうな視線をした。
何度言っても聞かない種類の人間には、言葉を重ねるだけ無駄なのだと。
理解しようとすらしない男爵の態度に、嫌悪感すら湧き上がる。
「なんだ、その目は!!
いくら陛下に目をかけてもらっているからといって、不敬だろう!!」
「不敬だというのであれば、男爵のほうがよっぽど不敬な態度を取られていますよ。
女王陛下の温情も理解できず、ただ喚き散らすしか能のない貴方に、それだけの力があるとは到底思えませんが。
男爵、貴方の娘は大罪人です。
そのうち、処刑の日も決定されるでしょう」
「な・・・!?
へ、陛下は私の娘を処刑しようというのか・・・!?
やはり噂は真だったのか・・・、実の妹を蹴落とすことも厭わない、根暗で非道な第一王女・・・」
キリクは、その瞬間、腰に佩いていた剣を男爵の首元へとあてた。
「っひぃ・・・!?」
断じて、この男も、そしてその娘も。
許せるはずがなかった。
「何を知って、そう言われるのか理解に苦しみます。
貴方は、陛下のことを何も、何一つとして知らないでしょう。
だというのに、よくもそのようなことが言えたものだ。
娘もそうだが、親もとは・・・。
男爵、このことは陛下に報告させて頂きます。
その時には、貴方のその無礼な態度とやらを見直した方が宜しいかと思います」
キリクは、そう吐き捨てると男爵の首元にやっていた剣を収める。
出来ることならこの場で切り捨ててしまいたいが、それは女王の望むものではないだろう。
近くにいた兵に声を掛ける。
「すまんが、男爵殿のお帰りだ。
あとを頼んでもいいか」
「はっ!!」
ずるずると力なく座り込んだ男爵を、キリクはちらりと一瞥する。
娘の為と言いながら、根性で立ちきることもできないくせに、一丁前に口だけは開く。
そして、こんなのをいちいち相手にしなければならない女王の事を思った。
「・・・やはり、そうですか」
「まぁ、簡単に想像できますね」
イルミナは、キリクが持ってきた報告に目頭を揉んだ。
あの男爵の事だ、そもそもイルミナの事を気に入っていないだろうとは思っていた。
だが、いくら自分の娘が可愛いとしても彼女が行った事は反逆であり、それを温情でどうにかしようとすること自体が間違いなのだ。
そんなことすらわからない女王だと嘗められているのだろうか。
だとすれば、酷い侮辱だと思う。
自国の女王に対して、あまりにも。
「どうされますか、陛下?」
ヴェルナーが確認してくる。
そんなもの決まっているというのに。
「娘の処刑は取りやめません。
男爵は、今のところ言葉のみですがいずれ行動に移すでしょう。
証拠を上げてから、捕縛したほうがこちらの都合もいい。
刑部にそのように手配してください」
「かしこまりました」
ヴェルナーは一礼し、執務室を後にする。
彼にはたくさん仕事を任せてしまっている。
宰相という立場上、どうしようもないというものはあるが、彼に倒れられては困る。
イルミナは、近いうちに休暇を取ってもらわないと、と一人算段し始めた。
「失礼します!
女王陛下、本日送られてきた文書をお持ちしました!」
「あぁ、ありがとうございます。
アーサー」
「はい」
思考にふけっていると、扉の外から元気のいい声が聞こえてきた。
イルミナのもとに届く手紙や書状には、主に二種類ある。
一つは、貴族たちが送ってくるもの。
こちらは、専属の運び人が運んでくるため、イルミナの目に通るのは比較的早い。
もう一つは、民からの手紙だ。
もちろん、全てに目を通すことはできない。
イルミナの目に通らせてもいいものを、城のものが選別し、こうして渡されるのだ。
「・・・、これは」
イルミナは渡された紙の束を確認していると、そのうちの一つに目を止めた。
手紙というには厚く、荷物というには軽いそれ。
「どうされたのですか、陛下」
イルミナの珍しい行動に、アーサーベルトが反応する。
「いえ、アウベールから手紙が来ていて・・・」
来ているのはいい。
むしろ定期的にグイードたちと学び舎関連の連絡は取り合っている。
しかし、今回送られてきたのはいつも使っている方法ではなく、民が使う時間がかかる方法だった。
「アウベールからですか?
グイード殿では?」
アーサーベルトの言葉に、イルミナは内心で首を傾げた。
グイードであれば、なおのこと、こちらの送り方をしないはずだが。
冬の間、雪によって道が閉ざされる個所もあるので、必ず鷹を使うように指示したのは他ならぬイルミナなのだ。
雪解けをしたとしても、ぬかるんでいる道も考えられるからイルミナはそのまま鷹を使用していたというのに、一体何かあったのだろうか。
イルミナは考えていても仕方ないと割り切り、すぐさま手紙を開いた。
「・・・これは」
開いて、どうして厚かったのかを、イルミナは知った。
開いた封筒からひらひらと荒い目の紙が、イルミナの執務机を覆った。
数枚では済まされないその量に、イルミナは目を見開いた。
「・・・これは、村の子たち・・・?」
そこには、たどたどしいながらも幼い字が書かれた手紙があった。
―――おひめさまへ、もうこんなにかけるようになりました
―――べんきょう、とてもたのしいです
―――つぎはいつあそべますか
たまに間違った綴りをしているが、それでもイルミナの涙腺を緩ませるには十分なものだった。
文字を読めないと言っていた子たちが、ここまで書けるようになった。
自分が勝手に始めたことを、楽しいと言ってくれている。
イルミナが口元を抑えながら我慢していると、アーサーベルトがその手紙の中でも一番細かく書かれている物を見つけ、イルミナに手渡した。
―――女王陛下
このようなかたちでお手紙を送らせて頂く事、ご容赦ください。
講師陣を代表して、筆を執らせていただきました。
グイード殿が送ると言ってくれましたが、今回は遠慮させていただき、このような形で送らせていただきます。
こちらに赴任して早数ヶ月、まるで矢のように過ぎて行ったように感じます。
アウベールの子たちは、学ぶことに対して非常に意欲的で、我々講師陣も毎日を楽しく過ごしております。
字を書けない、読めない子たちに教えるという事に、若干ながら不安もありましたが、今こうして、少しずつではありますが目に見えて成長を見守れることに、日々驚きと共に感動しております。
そしてたまにですが、彼らは我々の知らないことを教えてくれることもあります。
本当に、本当に感謝しております、女王陛下。
貴女が、貴女の作って下さったものが、少しずつではありますが形となり、実となっていくことを間近で見られることに、多大なる幸福と感謝ばかりです。
どうぞ、貴女様の行く末が、幸多きものとなりますよう、アウベール講師陣一同、願っております。
「―――っ」
イルミナは、耐えきれなかった。
自分がしたことを間違いだと思った事はない。
それでも、いつか言われてしまうのではないかという恐怖もあった。
無意味だったと言われてしまう、そんな恐怖が。
だが、少なくとも今は必要とされている。
楽しいと言ってくれている。
それだけで、イルミナの心は想像以上に喜びに溢れた。
「―――その子たちが大きくなって、学んだことを生かせる社会を作るよう、我々も頑張らねばなりませんね」
涙をほろほろ零すイルミナに、アーサーベルトはそう言う。
そうだ、とイルミナも頷いた。
彼ら彼女たちが学んだことを、生かせるような国を、作らなければならない。
初めは、自分が認めてもらうために始めたことに過ぎなかった。
もちろん、国の未来を考えての発言ではあったが、その中に自分の欲もあったのは確かだ。
だが、こうして実を結ぶかもしれないという事実を、見せてくれる。
自分が行っていることが、全くの間違いではないのだと、示してくれる。
「・・・よかった―――」
ぼつりと零した一言は、空気に溶ける様にして消えた。