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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
128/180

まどろみ



ヴェルムンドの冬は穏やかに過ぎて行った。

新たな女王は、穏やかな冬を忙しくしていた。


アウベールから定期的に届く書類には、学び舎が想像以上に活気づいているとの一文があった。

子どもたちは、学ぶことの楽しさを知ったのか、どんどん知識を吸収しているという。

貴族の子にしか教えたことがなかった講師たちは、礼儀を気にしなくて教える事が出来る子供たちに新鮮さを覚え、次々に知識を与えているようだ。

あの花冠をくれた子たちも、一緒になって学んでいるのだろうか。


治水に関しては、冬を過ぎてから本格的に始動することが決定された。

雪解け水のことも考慮し、ヴェルムンドの南側から始める。

村から持ってきた基礎をもとに、学者たちが更なる改良を加えたそれを実験し、ある一定の成果が見られるようになればそれを採用することになった。

そうなれば、水関係の問題が時間をかけてではあるが改善され、農作物の収穫量も上がる。

収穫が上がれば、貧しさにひもじい思いをする人も減るだろう。


ヴェルムンドは平和な国だと言っても、どうしても貧困の差はある。

天候によって不作の年もある。

いくらその領地の領主が頑張ったとしても、全部を賄えないこともある。

国から援助を出したとしてもそうだ。

今まではそこまで未曾有の大災害に見舞われたことはなかった。

が、いつそうなるか分からない。

ヴェルムンドの長い歴史を紐解いた時、イルミナはそれを感じた。

戦争だってそうだ。

今は何も起こっていないだけで、いつどこの国が宣戦布告してくるかわからない。

だからこそ、出来る事をするのだ。


「陛下」


アーサーベルトが呼ぶ。

そう、イルミナはヴェルムンドの女王だ。

この国で一番、国のことを想わなければならない。

この国に住まう人が、イルミナが女王であって良かったと思ってくれるような、そんな存在に。


「―――なんですか、アーサー」


イルミナは決意を新たに、まっすぐと己の進むべき道を見据えた。






************






「・・・では、領地間の道を更に整備しろということですね。

 確かに、今の道は大分昔に整備されたもの、それを怠って何かしら災害があれば対応が遅れますね」


「はい。

 一部古すぎて危険な場所もあります。

 我が地から領主への道も大雨が降れば崩れる可能性が高い場所も確認されています」


「そうですか。

 わかりました。

 では地学に詳しい者を何名か向かわせます。

 状況を正確に確認し、それによって整備を行った方が良いでしょう」


「感謝いたします、陛下。

 では私の部下も同行させてください。

 町民や村民からあがっている報告もありますので」


「わかりました。

 近日中にはできるだけ連絡できるようにしましょう」


その日のイルミナは、各領地に住まう貴族たちの陳述を聞いていた。

雪に閉ざされた地域のものの分は春以降にはなってしまうが、一気に来られても困るので近場の分から確認しているのだ。

先王が仕事をしていなかったというわけではない。

だが、彼は貴族を抑え込めていなかった分そういったことが疎かであったのは間違いない。


良い答を聞けたことに満足したのか、その貴族は笑顔で謁見室を退室する。

その後ろ姿を、イルミナは少しだけ疲れたように見送った。


「・・・次は?」


「次は商会の会長です。

 ・・・少し休まれますか?

 お疲れの様ですが・・・」


議事録をまとめながら、ヴェルナーはイルミナを伺うように見る。

それにイルミナは首を横に振った。


「いいえ、あまり待たせる訳にもいかないでしょう。

 陳情の内容は?」


「はい、ラグゼンファードとの交易に関しての様です。

 かかる税の一部を国で負担してくれないかとの事です」


「・・・わかりました、通して下さい」


そうして数時間後、その日に予定されていた面会は全て終えた。



「お疲れ様でした、陛下。

 本日はこれで結構です、お休みください」


何人もの陳情を聞き、イルミナの脳は沸騰しそうなくらいに熱を持っていた。

そんな彼女に気付いたのか、ヴェルナーは書類をまとめながら言う。


「そうですね陛下。

 大分お疲れの顔です。

 本日はゆっくりされては?」


アーサーベルトもそれに続く。

イルミナは、そんなにも疲れた表情をしているのかと気になり、自分の顔を触ってみる。


「陛下、傍目には分かりづらくありますが我々と何年の付き合いで?

 お疲れの事くらいわかりますよ」


「そうですか・・・」


確かに、考えずとも二人との付き合いも長い。

特にヴェルナーは自分の交渉術の講師だ。

分からないはずが無かった。


「・・・では二人の言葉に甘えて少し休ませて頂きます。

 ただ何かあればすぐに言ってくださいね。

 ヴェルナー、貴方も私に付き合っていたのですから少し休憩を入れてから仕事をするようにしてください」


「私はそこまで疲れていませんが・・・、陛下がそう仰るのであれば少しだけ休ませていただきます。

 アーサー、あとは頼んだ」


「わかった」


そうして謁見室でイルミナとアーサーはヴェルナーと別れた。




「陛下、グラン殿とは仲直りできたのですか?」


「・・・仲直り・・・」


アーサーベルトは、イルミナと二人きりになるとそう切り出した。

彼は基本的に無駄なことを口にしないが、たまにこうしてイルミナとグランのことを聞いてくる。

それが悪いわけではもちろんないが、イルミナからすれば発火しそうなくらいに恥ずかしいのだ。


「え、えぇ・・・、ちゃんと話し合うことができました」


そう言いながら、イルミナはつい先日の夜を思い出す。

そして頬に熱を籠らせた。


―――あの、情熱的な目。

 欲望がちらちらと燃えていた。

 それに気づかぬほど、イルミナとて無知ではない。

 それでも、グランはたくさんの口づけを落とした後、イルミナと別れた。

 後で私室にきたメリルローズにその話をすると、ライゼルト様は陛下を本当に大切になさっておいでですのね、と言った。

 始め、その意味がよく分からなかったがメリルローズは色々と教えてくれた。

 そう、色々と。

 そのおかげというかなんというか。

 結果として、イルミナはグランが沢山のことを我慢しているのだと知ったのだ。


「―――ははっ、

 陛下のその御顔からするに、良い事でもあったようですな」


「!!

 そ、そう言うことにしておいてください!」


流石に、詳細までは話せるわけがなくとも確かに良い事だったとイルミナは思う。

女王でも王族でもない、ただのイルミナに対して独占欲を持ってくれているというのは安心できるものの一つだと知ったのは、グランに出会ってからだった。

もしウィリアムと結婚していた場合、そういった感情を知らぬままでいたのかと思うと少しだけぞっとする。

確かに、嫉妬しすぎるのもされ過ぎるのも良くはないだろうと思う。

それでも、されて嬉しく思わないわけがないのだ。


イルミナは、グランに対して嫉妬という感情はあまり持たない。

だが、年の差もあることから若干引いてしまう部分もある。

自分で本当にいいのか、彼は後悔しないだろうか。

自分の夫となることを、いつか後悔する日がくるのではないだろうか。


それでも、彼は言った。

すれ違うことはあるだろうと。

それでも自分の愛は疑うな、と。

それを全て真に受けるほど、イルミナとて子供ではない。

でも、信じたいと思った。

信じようとしなければ、何も始まらないのだとも、知った。


「グラン殿も、以前より取っつきやすくなった気がしますよ。

 きっと、陛下がグラン殿を変えたのでしょうね」


「―――そう、でしょうか?」


アーサーベルトのその言葉を聞き、不意に彼らはイルミナとグランが出会うよりも前に知り合っていることを思いだした。


「・・・アーサー、よければ私の部屋で昔のグランのことを聞かせてくれませんか?」


「おや?

 私でよろしいので?」


「はい、

 グランも教えてくれそうですが、他の人から見たあの人のことを聞きたいです」


イルミナがそう乞うと、アーサーベルトはにこりと笑った。


「もちろんですよ、陛下。

 ただ、私の知るかつてのライゼルト伯の話を聞いても、絶対に言わないで下さいね。

 特に私からだと!」


「?わかりました」


この時のイルミナはまだ知らない。

アーサーベルトが話すグランが、ただひたすらに怖くて如何に恐怖の対象であったのかを話し続ける事になるとは。




************




「イルミナ」


その日の夜、グランはイルミナの私室を訪れていた。

折角城に戻ってきているのだ。

愛する人とできるだけ時間を共にしたいと思うのは当然だろうとグランは思っている。

それが夜でなければメイドたちも難色を示すことはなかっただろうが、グランは素知らぬふりをした。


昼間は、イルミナは公務、グランはそのサポートをすべく細々と行動している。

文官たちの進捗を確認し、作業効率を進めたり、武官たちの会議を確認したりしている。

新たに団長となったキリク・マルベールとも城内の警備体制の確認をしたりなど何かと忙しい。

他にも陳情に来る全ての貴族たちがイルミナに面会できるわけではない。

その前段階として必要書類が揃っていることを他の者が確認し、それをさらにグランが確認しているのだ。

辺境伯時代、グランはたくさんの貴族と交流を持っていた。

その記憶も使って、イルミナにとって有益な人物なのかそうでないのかを見極めているのだ。

もちろん、そのことを貴族たちは知る由もないが。


そのイルミナも、もちろん陳情に来る人たちの対応だけが仕事のわけがない。

財政状況の確認、各領地の税の徴収率の決定。

それに本人が提案した学び舎や治水などと忙しい。

二人が会える時間なんて、朝食の時だけの日だってある。

グランはそれを盾に、メイドたちを説き伏せて夜に時間が出来れば足しげく通うようにしているのだ。


「きょ、今日も一日お疲れ様でした、グラン」


イルミナは先日のことでも思い出したのか、微かに頬を紅潮させながらも来訪を喜んでいた。


「君もだ。

 少し疲れた顔をしている」


グランはそう言いながらイルミナの目元を擦る。

イルミナは決して分かりやすい顔をしているわけではないが、やはりまだ経験が足りない。

自分のような人間にはすぐに分かってしまう。


「ヴェルナーとアーサーにも言われました・・・。

 あまり分からないようにしているつもりなのですが・・・、こう皆に心配されるとまだまだだと思わされます」


イルミナは苦笑しながら言うが、それでも彼女と同年代の女性に比べればイルミナは頭一つ抜きんでているだろうとグランは思う。


「・・・クライスとアーサーベルトにもばれたのか」


「はい、付き合いが長い分、わかると言われました」


グランは、そのことに少しだけ嫉妬する。

どうしたって過去には戻れない、そう分かっているが。

今のイルミナを作ったのは二人と言っても過言ではない。

もし二人が手を貸さなければ、自分の目に留まったかどうかすらも分からない。

それでも嫉妬してしまうのが自分なのだろうと、グランは自分のことを心の中で嘲笑った。


グランはイルミナの私室に常備してもらうようになった酒を手に取る。

今日は互いに忙しかったため、夕食は別で取っていたのだ。


「そういえば、今日アーサーにグランのことを聞きましたよ」


不意に、イルミナが言った。


「アーサーベルトに?」


こくりと頷く彼女は、執務室や謁見室で見るよりも年相応に見える。


「まだ、貴方と会う前にも少し聞いていたのですが、あの二人の鼻を叩き折ったとか」


「まぁ、あの時の二人にはまだ見込みがあったからな。

 あそこで叩き折っておけば邁進するだろうと思ってだ」


「ではグランのお陰で私は良い師を得られたのですね」


くすくすと笑う彼女に、グランの心臓はきゅう、と締め付けられる。


「・・・聞くなら私にしてくれ。

 あの二人は私を恐れていたからな。

 いい印象はあまりないだろう」


グランの言葉にイルミナは目を丸くさせ、首を横に振った。


「確かに、一番初めの頃は如何に食えない人で、それでいて国を想う権力者だと言っていました。

 その人に気に入られなければ、女王になることも夢だろうとも。

 でも、その分認められればこの上ない力になるだろうとも」


「・・・随分と、懐かしい気がするな。

 まだ三年ほどしか経っていないのに、もっと経った気すらする」


「私もです。

 この三年は・・・、本当に色々とありましたからね」


懐古の表情をするイルミナに、グランは用意したグラスを渡して隣に腰かけた。

その瞬間、彼女の頬が赤く染まるのを悪い笑みを浮かべながら楽しむ。


「過去に浸るのはまだ早いんじゃないか?

 先のことを話す方が、私は良いと思うがな」


そうして彼女の頭に唇を一つ落とすと、びくりと跳ねそうになる体。

さすがに苛めすぎると逃げられるだろうから、グランはそこまでで引くことにする。

くすりと笑って離れそうとすると。


「!」


「・・・、私だって、考えていないわけでは、ないです・・・」


イルミナから握られる手が、一瞬にして熱を持つ。

性的な意味を含ませていないそれだが、中々素面の時には無い彼女からの接触に、年甲斐もなく熱が上がる。


「こ、どものことだって、考えていますし・・・、

 これからも、ずっと一緒にいたいから・・・」


それだけで精一杯なのだろう。

顔を真っ赤にしたイルミナはそのまま顔を伏せた。

こういうところが、男心を擽るのだと教えてやった方がいいのだろうか、と。

グランは真剣に悩んだ。

いつもは凛としていて隙を見せないくせに、自分の胸襟を開いた人にだけ見せる姿。

それは、男たちの心を酷く擽ることになるだろう。


今は自分だけが知っているが、それを他の男に知って欲しいとはもちろん思わない。

イルミナは、人を魅了する。

今までは周りに恵まれなかったのと、妹姫の存在、そして自信が無かったためそれに気づくものは少なかったが、これからはそうもいかないだろう。

自分と結婚する事で、イルミナに変にアプローチをかけるものはいないだろうが、それでもいい気持ちはしない。


グランはこれからの事を考えて、そっと息を吐いた。



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