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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
127/180

密事





パキリ、と。

暖炉の薪が音を立てた。

火の粉が一瞬だけ、ふわりと舞う。

そろそろ新しく足さねばならないと気付くそれも、全ては薄い膜の向こう側のように感じられた。





イルミナは、贈られた言葉を呆然としながらも理解した。

そして、心の底から安堵した。

それはそうだろう。

嫌われているとは程遠い言葉を贈られらのだから。

だが、イルミナの心の内は言葉にできない思いに翻弄されていた。


どうして、彼があそこまで頑なに頼ることを言ってきたのか。

ジョアンナの意見は、強ち間違いではなかった。

男性は、女性に頼られることを好む。

だが、目の前のその人がそれだけを目的としているわけではないことを、イルミナは理解してしまった。

何故、グランという男がわざわざエルムストという地に足を運んだのか。

それがすべて、イルミナの為でありながら、そうではないということを知った。

彼は彼なりの目的があったとはっきりと口にした。


イルミナという一人の人間にとって、家族とは禁句であり、トラウマであり、いまだ癒えぬことのない傷だ。

それがいつ、その心から消え去るのかも、乗り越えられるのかもわからない。

それほどまでにイルミナの心には深く根付く人物たちだ。

その人物たちを、グランが疎ましく(・・・・)思っていたとしたら?

だから、イルミナから強制的に追い出すために問題を解決しようとしたら?

そしてそれは想像では済まされず、結果グランは実行した。

まだ心に在るといえば在る。

だが、アリバルとグランが行ったことで少なからず安心した一面があるのも確かだ。

彼らが本気で改心したとは思えないが、それでもマシにはなっただろうと思えてしまった。


「―――グラン、貴方は・・・」


呆然と、目の前の人を見る。

その表情は今まで見た事ないくらい酷薄に笑みを作っている。

そんな笑みは、一番最初の頃に見たくらいだ。

そして思いだす。

彼が、辺境伯として恐れられていた事実を。

誰もが、グラン・ライゼルトという男に一目置いていたことを。

彼は、数々の試練を潜り抜けた大人であり、そして”男”だ。


「イルミナ、私はおままごとのような恋愛をしたいわけではない。

 尊重し、助け合う、そんな関係では私には物足りない。

 ・・・君には酷な話かもしれんがな。

 私は、君をどろどろに愛したい。

 私無しでは生きていけなくなってくれるのが好ましいが、それは無理なのは分かっている。

 ならば、君の私的な部分は全て私一色になってくれると良いとすら思っている。

 ―――悪いな。

 私は、君が思うような聖人君子でも高潔な人間でもない。

 君の心だけではなく体も欲しいと思う、ただの男だ」


その瞬間、イルミナの体は火が付いたかのように熱を持った。

愛してくれている。

その言葉に偽りなど少しもないだろうと、本能で感じてしまった。


「・・・う、ぁ・・・」


ここまで、自分を欲してくれる人がいただろうか。

今までとて、そう思ったことはある。

たが、ここまで肉感を伴った言葉はあっただろうか。


顔を真っ赤にしながら戸惑いを隠せずにいると、グランが腰を上げた。

そしてイルミナの隣へと腰かける。

体の左側が、燃えるように熱い。


「っ、」


自分より硬い筋肉質の腕が、肩に回される。

落としそうになったグラスを、グランは流れるように受け取ると机の上へと置いた。

なぜか、逃げられないと本能でイルミナは感じた。

逃げようだなんて、思っていないのに。

それなのに、逃げられないと思うなんて、なんて矛盾なのだろうか。

手は膝の上で固く握りしめられている。

緊張からか、酒精のせいか、体は火照りじわりと汗すらもにじみ出そうだった。


「―――イルミナ」


「―――!!!!」


耳元で低く囁かれるその声に、ぞわりと産毛が総立つ。

甘く濡れたそれは、イルミナの脳髄まで熱く蕩けさせそうだ。

握られた拳の上に、グランの掌が優しく乗る。

包まれる熱いそれに、グランも同じように感じているのだろうかとイルミナは思う。

顔を上げていられなくなり、グランの手に包まれている自分の手を見る。

硬く、分厚い手。

耳元に心臓があるかのように、ばくばくとした音が響く。


―――ちゅ


「っぁ」


ソレは、耳元で聞こえ、そして何度も落とされた。


「ぐ、ぐら・・・」


何度も、何度も、響く。

目が潤み、頬は熱を発す。

思考はぼんやりと霞がかり、何も考えられない。

握りしめていた手からは力が抜け、指の間にグランの指が絡む。

は、とグランの吐息に、頭は酔ったかのようにくらくらとした。


「いるみな・・・」


肩に回された腕が、イルミナの顔をく、と持ち上げる。

抵抗なんて、思いつきもしない。

ただただ、グランの手に委ねることが当然だと思った。


「―――可愛いな・・・」


覗き込む瞳は、いつにない熱を孕んでいるような気がした。

イルミナはその瞳に捕らわれたかのように動けない。

情欲に満ちたそれが閉じられると、残念と思うと同時に少しだけほっとした。

―――なぜ閉じられたのかを考えずに。


「―――っん・・・」


熱い、最初にそう思った。

少しだけカサついたそれは、イルミナの意識を一瞬にして奪う。

数えるほどしか感じたことのないグランの唇に、イルミナは驚きと共にその気持ちよさを知る。

何度も離れてはくっついて。

その度にしっとりとしていくのはどうしてだろうか。

息が上手くできず、唇を少し開いた瞬間、待っていましたと言わんばかりに肉厚の何かがイルミナの口腔に忍び込んできた。


「―――んぅ・・・!?」


ソレ(・・)がグランの舌だと気付くのに、さほど時間は要さなかった。

イルミナは訳も分からずそれから逃げようとする。

だがもちろん、グランは逃げようとする小さな舌を絡めとった。

脳内に直に響くような水音が、イルミナを狂わせる。


「っふ・・・んん・・・ぁ・・・」


グランはイルミナの口腔を縦横無尽にまさぐった。

逃げ出すことすらも考え付かず、イルミナは求められるがままに差し出す。

どれくらい、貪られたのだろうか。

イルミナが息絶え絶えになって、ようやくグランはその唇をイルミナのそれから離した。

つぅ、と二人の唇を結ぶ光る糸に、イルミナの頬はかっと熱を持つ。

グランの顔を見ることが出来ず、イルミナは俯いた。

だって、どんな顔をすればいいのだろう。

恥ずかしくて、今にも火を噴きそうなほどなのに。


「イルミナ」


とろりと、甘いグランの声がする。

砂糖と蜂蜜を煮詰めたのではないかと聞きたくなるほどの甘いそれに、イルミナはゆっくりと顔をあげた。

そこには、愛しくて仕方ないと前面に押し出すグランがいた。

愛されている。

そう絶対的に思えるその表情に、イルミナの心は熱く溶けていくような気がした。




「―――グラン・・・」


イルミナの紫紺の瞳は、暖炉の光に照らされながら潤んでいた。

きらきらと宝石のように輝くそれに、グランの胸は熱くなる。

桜色の唇から漏れ出る吐息は、きっと甘いのだろう。

がっつきすぎたというのは気付いていた。

もっと、時間をかけて進めるべきであろうことも。

それでも耐えられなかったのは、自分に堪え性がないせいだろうか。


自分勝手な思いを、嫌がられてはいないだろうと思う。

そうでなければ、体を自分に預けるようなことを、イルミナはしないだろうと。

信頼されているのか、それとも。

ただ、ひたすらに愛おしかった。

きっとこれから、幾度となく些細な釦のかけ違いで互いに苦しむのだろう。

それでも、絶対に手放したくはないとグランは心底思う。


手の甲でイルミナの頬を撫でると、まるで子猫のように目を細める。

逃げることなく安心しきったその姿に、自分だけがこの姿をみれるのだと思うと優越感すら沸いた。

誰にも、見せない。

グイードにも、ハーヴェイにも・・・ヴェルナーにも。


自分の珠玉。

命を懸けてでもなんて、言うはずがない。

自分はイルミナと共に在る未来が欲しいのだから。

その為であれば、どんな悪事にも手を染める事を厭わないだろう。

それほどまでに、グランは自身より随分と年下の女性に溺れていた。

―――出来るなら、彼女にも同じところまで来てほしい。

自分が居なければ息も出来ない、そんなところまで。

だが、女王としてそれはあってはならない。

そんなことは、分かっている。

分かっていてもどうにもならないというのが、グランという男なのだろう。

正当化するつもりなんて微塵もない。

だが、グランはそれを心の奥底で望みながらも、口に出すことはしない。

いつか、彼女が自分と言う人間の本質を理解した時でも、遅くはないのだ。


「イルミナ、私だけだ、そんな顔を見せていいのは・・・。

 きっと、これからも色々とあるだろう。

 すれ違うこともあり得る、だが、絶対に私の愛を疑うな。

 私には、君しかいないのだから」


彼女を手にする為に、全てを捨てた。

だから彼女は自分を捨てられないし、忘れることも出来ない。

自分が先に儚くなったとしても、だ。

酷い男だと思う。

どう頑張っても、彼女と自分とでは突発的な何かが無い限りグランがイルミナを置いてゆくこととなるだろう。

本当にいい男ならば、自分亡きあと、誰かを探せと言うのかもしれない。

だが、グランはそうしない。

子を作り、彼女が自分を一生忘れない様にする。

―――自分に似た息子が生まれれば、それも可能だろう。


イルミナは、家族の優しさを、愛しさを知らない。

それを自分だけが与えられ、教えられる。

それを利用しないほど、グランは聖人ではない。

使えるものは何でも使う。

それが、グランが辺境伯として恐れられていた最もな理由であることをイルミナは知らないだろう。


「・・・ずっと、傍にいて下さい。

 ただの私を見てくれるのは、貴方だけですから・・・」


恥ずかしそうに言うイルミナに、結婚式が待ちきれないとグランは思った。

どろどろに甘やかしたい。

自分の愛がどれほどのものか、教えたい。

高ぶりそうになる自信を、グランは根性で抑え込む。

婚前交渉は、イルミナの女性としての品位を下げる事になる。

バレる、バレないの問題ではない。

もしそうなったとして、きっとイルミナは拒まないだろうとグランは思う。

だが、それでは駄目なのだ。

ヴェルムンドに住まう人たちに対して、真っ直ぐな気持ちで正々堂々としたい。


あと、一年弱・・・。


グランはそう考え、細く息を吐いた。

それだけでは身の内に燻る欲望が消える事などないが、それでもしないよりはマシだった。

そんなグランを、イルミナは不思議そうに見上げる。

またその表情に、グランの理性はぐらつきそうになるが、決死の思いでそれをとどめる。


「・・・あと、一年だ」


「・・・え?」


グランは低く唸るように言った。


「一年後、君の全てを私の色に染め上げる」


「そめ・・・? 

 ・・・!!」


一瞬何を言っているのか理解できていなかった様子のイルミナだが、グランの深い笑みに何かを思い当たったらしく一瞬で顔を真っ赤にした。

何かを言おうとして、失敗し、結果口をはくはくさせるイルミナにグランは触れるだけの口づけを落とす。


「!!ぐ、グラン・・・!!」


何て、愛しいのだろうか。

自分の最愛は。

自分の知る貴族の娘は、もっと世間慣れをしているせいかすましている印象が強い。

そうじゃない娘もいるにはいるだろうが、イルミナ程可愛い女性はいないだろうとグランは本気で思っている。


「―――一年後までには、国をある程度安定させる」


いきなり話を変えたグランに、イルミナは目を瞬かせた。

きょとんとする彼女は、年相応に見えてグランはまた口づけを落としそうになる。

だがそれをぐっと堪えた。


「学び舎も、治水関係に関しても。

 一年後にはある程度の形にする。

 その為であれば多少多忙になっても構わない」


「それはいいのですが・・・、

 いきなりどうしたのですか?

 時間をかけて行う分には問題ないのでは?」


「それだと、君が子を授かった時大変だろう」


「あ・・・」


そのことを考えてはいたのだろうが、意識していなかったのだろう。

ぽ、と頬を染めるイルミナをグランは抱き寄せる。


「確かに、君の女王としての最大の公務は次を授かる事だ。

 だが、そうでなくても私は欲しい。

 君に似た、可愛い女の子がいいな」


「そ、それなら、私はグランに似た男の子がいいです・・・!」


イルミナの言葉に、グランはくすりとほほ笑んだ。


「私と喧嘩しそうだな」


「?

 どうしてですか?」


「私の息子だ、君を大好きになるだろう。

 きっと息子でも嫉妬してしまうな」


グランは脳裏に未来を思い浮かべる。

愛しい妻と、子供たち。

手をつなぎ、寄り添いながら生きていける未来を、グランは欲した。

そしてそれと同時に、少しだけ不安に感じることがあった。

イルミナが、自分にされたことを子にするとは思いたくない。

が、彼女にとってそれは割り切るには非常に難しいものだろうと考えて。


「・・・イルミナ、君は大丈夫か?」


「何がでしょう?」


「君は、マリーネア女王の色と持って生まれた。

 私たちの子が、そうならない(・・・・・・)とは限らない」


「―――」


イルミナもある程度想像はしていたのだろうか。

思ったよりもその表情に動揺は見えなかった。


「わたしは・・・」


イルミナは目を閉じた。

その裏に何が見えているのか、グランは知らない。


「絶対に大丈夫、とは言い切れません・・・。

 でも、もしそうなってしまったら、貴方が止めて、グラン」


不思議と、その言葉には力強さがあった。


「・・・あの人も、昔はあそこまでではなかった・・・。

 確かに、私を子として見てくれていた時もあった。

 それが無くなったのは、先王妃が割り切れなかったせいだと、私は思っています」


グランは黙ってそれに耳を傾ける。

イルミナは一度深呼吸をすると、その紫紺の瞳にグランを映した。


「だからグラン、

 私がもしそうなったら、止めて下さい。

 貴方しか、それは出来ないと思うから」


きっと、とてつもなく不安だろうと思う。

絶対にしないと言い切りたい、だがそれが出来ない。

生まれてくる子を、愛したいのに、もしそれが出来なかったらと考えてしまうのは、きっとどうしようもない事なのだろう。

だから、グランは頷く。


「わかった。

 もし、そうなったとすれば、私が必ずそれを咎めよう」


それで、彼女が安心できるのであれば。

グランは一も二もなく頷こう。


グランがそう返すと、イルミナはほっとしたように目じりを下げながら微笑んだ。




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