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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
126/180

その男



「陛下、そろそろ」


「・・・あぁ、もうそんな時間ですか・・・」


日も傾きはじめ、気温がぐっと下がるころ、イルミナはメイドにそう声をかけられた。

これからの事を考えるだけで、どくりと心臓が嫌な音を立てる気がする。


―――グランが、エルムストから帰ってきた。

その報告は、昼食後の執務中に報告された。

報告を持ってきたヘンリーは、グランが出来るだけすぐ会いたいようなことを言っていたと話していたが、イルミナにはまだその心構えが出来ていなかった。

その為、時間稼ぎとして晩餐を一緒にしようと言ったのだ。

もちろん執務に追われて心構えをする余裕なんてかけらも無かったが。


「―――グランは」


「はい、既にいらっしゃっているようです」


―――会いたいと、思ってくれているのだろうか。

 本当に。


イルミナは自分の弱い心を叱咤する。

こんなにも、自分は弱かっただろうか。

凶刃を前にしても笑える自分が。

しかし時間は待ってはくれない。

時間は長引かせるだけ無駄だということを知っているイルミナは、一つ大きく深呼吸をすると執務室を出る。


嬉しいのに、恐い。

その相反する思いはどうやってもうまく消化できそうにない。

だったらいっそ、会ってしまった方が楽になるのかもしれないと、ある種の諦めの境地でイルミナは歩を進める。

出来るなら時間をかけて進みたいところだが、どうしたって足は進み、晩餐室の前に到着する。


「アーサー、休憩を」


背後を影のようについてきたアーサーベルトに、イルミナはそう声をかける。

騎士の誓いを行ったアーサーベルトは、基本的にイルミナの傍にいるがそれは四六時中というわけではない。


「かしこまりました。

 では後程」


アーサーベルトは晩餐室前の近衛に会釈するが、イルミナが部屋に入るまではその場にいる。

着いてきてほしいとはさすがに言えなかった。

アーサーベルトも休みを入れねばならないのは当然なのだ。

いつまでもそうしていられないと思ったイルミナは、近衛に扉を開けるように指示した。






「イルミナ」


「お帰りなさい、グラン」


先に座っていたグランは、イルミナの姿を認めるとすぐさま立ち上がった。

久しぶりに見るイルミナは、淡い菫色のシンプルなドレスを着ていた。

ヴェルナーから一時体調が悪そうだったと聞いていたが、以前より顔色はいい。

痩せたということもなさそうだ。

グランはそれにホッとすると、イルミナを席へと促した。


「ありがとう、

 待たせてしまってごめんなさい」


「構わない、

 忙しいのはわかっているからな」


グランはイルミナの椅子を引き、そこに座らせると自身も目の前の椅子に腰かける。

そして部屋の隅にいた給仕に視線をやると、心得たと言わんばかりに彼は頷いて食事の準備を開始した。



「道中、どうでしたか?」


「あぁ、盗賊などにも遭うことなく問題なく行けた。

 ただこの時期は流石に寒いな」


晩餐室は、静かな雰囲気に包まれていた。

カチャカチャと銀食器がなる音と、イルミナとグランの会話だけが全ての音だった。

給仕は空気になる事に徹しているのか、その存在感は酷く希薄だ。


「イルミナはどうだ?

 クライスから執務は少し落ち着いたと聞いているが」


「はい、来年の分があらかた目途がたちましたからね。

 冬の間はこまごまとしたものを確認しているところです。

 学び舎の件などはすでに?」


「あぁ、聞いている」


二人の会話は途切れる事こそなかったが、どこか余所余所しくも感じられた。

温かい食事は美味しいものの、空気一つでここまで変わるものかと心の中で驚嘆する。

グランと食事する時は、もっと穏やかな空気が流れ、楽しいものだった。

だが今は、お互いに様子見をしているせいかどことなく寒々しく感じてしまう。


食事は、そこまで時間をかける事なく終了した。

食後の紅茶を口にしながら、イルミナは意を決したようにグランを見る。

それに気づいたグランは、優しく微笑みながらイルミナを見た。

いつもと変わらないように見えて、何かが違うとイルミナは感じる。


痩せたわけでも、具合が悪そうでも何でもない。

微笑みはいつものように柔らかだし、何かに憤っているようにも見えない。

それでも、エルムストに行く前とは、何かが違うと思う。

それを確かめるためには、ここでは無理だろうと判断する。


「よければ、私室で寝酒でもどうでしょう。

 他にも聞きたいことがたくさんあるので」


「もちろんだ」


イルミナはグランの答えにほっとすると、給仕に自分の部屋に簡単なつまみと酒を用意するよう頼んだ。






**************






太陽は既にその姿を消し、月がその存在を主張し始める時間帯。

外は体の芯に響くような冷たさだろう。

イルミナの私室はキャンドルでほんのりと明るく照らされ、暖炉には火が入れられていた。

廊下も松明が要所要所にあるが、やはり若干寒い。

イルミナが食事から戻る前には、既に火が入れらていたのだろう。

寒さは感じなかった。


「ではライゼルト様、

 あまり遅くなられないようにお願いいたします。

 私共は隣に控えさせて頂きます」


「あぁ、もちろんだ。

 何かあれば声をかける」


メイドたちが酒などを用意し、グランに釘をさしてから隣室へと消えて行く。

わざわざ釘を刺されずとも気を付けようと思っていた身からすれば、あまり信用無いのだろうかと肩を落としたくなる思いだ。


「グラン、どうぞ」


それに気づいていないのか、イルミナは早速酒をグラスに注ぐとグランに渡してくる。

手慣れたそれは、彼女がたまに飲んでいるのだろうと感じさせた。

一人で飲まれるのは悲しいが、彼女にも思うところがあるのだろうとグランは言葉を飲む。


琥珀色のそれは、以前グランが好んで飲んでいるといったものだろうか。

それを用意してくれていることに喜びを覚え、同様に彼女が好んでくれていれば言うことはないなと思う。

グランはイルミナから渡されたそれを受取り、真正面に座る。

酒がまだ入っていないせいか、柔らかな明りに照らされたイルミナの表情は硬い。


「―――それで、あちらはどうなったのですか」


固い声音のまま、まっすぐに聞いてくるそれは、先ほどからずっと聞きたかったものだろうとグランは思う。

そしてそれも仕方のない事だ、とも。


「あちらは私が見た限りでは当分、問題を起こす事は無いだろうとみている」


「・・・貴方(・・)が見た限りでは」


イルミナの勘繰ることはグランにも分かる。

正式な書面でない以上、どうしたって人は最悪を想定してしまう。

ただでさえ、イルミナは彼らによって幾度となく傷つけられたのだ。

信じられないのも仕方ない。


「あぁ。

 書面に何かを書いてもらったわけではないからな。

 確固たる証拠はない。

 だが、リリアナ様につけていたメイドや騎士たちが唆したと思われた為、こちらに送っている」


「それは連れてきた騎士から簡単にですが報告を受けました。

 ですが、それだけで本当に大丈夫と言えますか・・・?」


イルミナはそう言うと手に持っていたグラスを傾けた。

自分のより少し薄めのそれは、何かで割っているのだろう。

前は割ってもむせていた彼女が、当然のようにそれを嚥下すると、いつも飲んでいるものがそれなのだろうと思う。

流石にグランのように氷だけでは飲まないだろうが。


「先王には私とリチャードが。

 ウィリアムにはグイードが。

 リリアナ様には、私と先王が釘を刺している。

 これでまた似たようなことが起こればそれこそ毒杯だろう」


「先代はそれを?」


「知っている。

 伝えてある」


「・・・そう、ですか」


イルミナはその言葉を聞くと、ソファーに深く腰掛けた。

そして細い息を長々と吐く。


「言わなければならないと思ってはいましたが・・・。

 ごめんなさい、グラン。

 貴方に言わせてしまって・・・」


イルミナは後悔と安堵の滲む顔を俯く事で隠そうとしているようにグランには見えた。

そういうところは無駄に潔癖だなと思う。

任せてしまえばいいのに。

グランは彼女の夫となる人で、さらには辺境伯としても有名だった。

だからこそ、利用すればいいのに彼女はそれを良しとしない。

それを愛おしくも思うが、憎たらしいともグランは思ってしまった。


「クライスから少しではあったが、話を聞いていた。

 君の温情で健やかに暮らしている事実を、先王には伝えてある。

 ・・・イルミナ」


呼ばれたイルミナは、のろのろと顔を上げグランを見た。

上げられた顔は、とても十代とは思えない程疲れ果て、陰りを帯びている。

安心すべきはずなのに、暗いその表情はまるで老婆だ。

そこまで、気にすべきことなのだろうか。

そんな表情を浮かべてしまう位に、彼らはイルミナにとって大事な存在なのだろうか。

グランは胸中に沸き上がった思いを、何も考えずに言葉にした。


「イルミナ、

 ―――これで少しは君の憂いは晴れただろうか」


「!」



グランは、ずっとずっと不安だった。

頼られていない事に関しても、彼女の心の内側に彼らがいる事に関しても。


イルミナは、いつか後悔してしまうかもしれない。

彼らに対して、罪悪感を持ってしまうかもしれない。

その罪悪感は、いつかグランから(・・・・・)イルミナを(・・・・・)取り上げてしまうものになるかもしれない、と。


今は、幸せになりたいと言ってくれている。

だが、頭の良い彼女のことだ。

いつか、自身の下した決定を後悔する日も来るだろう。

それでも、彼女は歩き続ける強さを持っている。

後悔を、哀愁を、絶望を、苦しみを。

彼女はその身の内に孕んだまま歩けてしまうのだ。


―――グランは、それをとても恐ろしい事だと思う。

それらに対して真正面から向き合った時、彼女は全てを使って国を良い方に持っていこうとするだろう。

それこそ、言葉通りに全てを使って。

そうでなければ、自分が下した決定が報われないと思って。


自分という存在すらも、意識の外に置いて。


だから、グランはどうしてもイルミナから彼らの憂いを払ってしまいたかった。

彼女が愛憎を向ける人は、自分だけでいい。

舞台から退場した彼らなどに、イルミナの心に片隅でもいるなど、あってはならない。

彼らは、ずっと昔にその権利を放棄しているのだから。

そこまでの存在価値などない、そう思い、気付いてしまった。


イルミナが今回の件に関して頼ってくれなかったとき、彼女にとって両親と妹というのは、自分に頼ることの出来ないほど、大切な何かなのだと面と向かって言われたような気がしたのだ。

大事な大事な彼女は、自分を一番としておきながらも一番深いところには踏み込ませてくれない。

それは酷く、グランを傷つけた。

自分だけを見て欲しいだなんて言わない。

そんなことは無理だと知っているから。

でも、彼女を傷つけ苦しめた者たちを、彼女が思い続けるのだけは無理だった。


「イルミナ、彼らは、もう二度と、君を傷つける事はない。

 なぜなら、その前に私が全てを握りつぶすからだ。

 もう二度と、彼らと君は会う事は無い。

 たとえ私が先にいなくなったとしても、私の全てを使ってそうするからだ」


ひゅ、とイルミナの喉が鳴る。

普通ならそんなことはできないと内心で思うだろう。

だが、グランは辺境伯として長年やってきた。

それだけの繋がりはある。


「イルミナ、私は我儘だ。

 それこそ、君が思う以上よりも、ずっと。

 私には耐えられない。

 君を傷つけた者たちを思って、君がその心をすり減らしていくことを。

 それであれば、私を思ってくれる方がずっといい。

 ―――イルミナ。

 君の公的な部分は国の為に存在する。

 なれば、私的な部分は彼らの為ではなく私の為に・・・私だけ(・・・)の為に、あってほしい」


グランは我儘だと自覚した上で、それを言葉にした。

しかし思えば、辺境伯として名高かったころ、一度も遠慮なんてした事は無かった。

遠慮をすべき時はすべきだろう。

だが、領地をもつものとして、常に貪欲でいなければならない。

そうでなければ、大切なものを取りこぼすからだ。

アリバルほどではないにしろ、グランとて後ろ暗いことなど数えきれないほどしている。

全ては領地に暮らす民の為。

免罪符ではないが、それは理由にはなったのだ。


だが、イルミナという女性を手に入れるために、それを封じた。

思えばなんて回りくどい事をしたものだ。

彼女から嫌われない為に、無駄に高潔であろうとした。

年若い彼女は、きっと汚いところには慣れていないだろうからと。

統治者ともなればいずれ見なくてはならないものだが、まだ見ていない彼女には早いだろうと思ったのだ。

結果として、グランはイルミナにとって理想的な男を演じた。

それを間違いだとは思わないが、正解だとも思わない。


所詮、自分は高潔という言葉からは程遠い人間だ。

欲しいものは、何としてでも手に入れる。

そうして自分の領地を守ってきたのだから。


イルミナの紫紺の瞳が、キャンドルの灯を受けながらキラキラと光る。

そう、この目に、落とされたのだ。

不遇でありながらも、高潔足らんとするその瞳に。

その奥に見え隠れする、孤独に。

どうしたら、そんな目をする女性が出来たのだろと不思議に思うほど。

あぁ、先王に言った言葉は間違いではなかったとグランは思う。

彼女が孤独でなければ、きっとこのような目をすることはなかっただろう。

こんな、寂しさと強さを含んだ、魅力に溢れる瞳を―――。




「愛している、イルミナ。

 今一度言おう。

 ・・・イルミナ、君という女性を、私は欲しい」



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