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「陛下、そろそろ休憩の時間です」
「・・・もうそんな時間でしたか。
アーサー、リヒトにも伝えて休憩を取るようにしてください」
「かしこまりました」
イルミナは熱を持ったように感じる目元を押しながら、今度はベルを鳴らした。
「御用でしょうか、陛下」
「メリルローズ、休憩を取るので紅茶と軽食をお願い出来ますか?」
「かしこまりました、すぐにお持ちします」
結果的に、アリバルからの手紙はあれ以降来ていない。
アリバルの事を信用していないわけではないが、それでもこれからもエルムストに目を光らせる必要があるだろうとイルミナは頭の中で考えながら席を立つ。
きっと、イルミナは心のどこかであの地を意識しながら一生を生きていくのだろうとぼんやりと思う。
「陛下、リヒト殿たちには伝えました。
ご一緒しても?」
「もちろんです」
向かい合わせのソファーに腰掛ける。
そしてメリルローズがやってくるのを待った。
「―――以前より、良い表情を浮かべる様になられましたな」
「そう、ですか・・・?」
アーサーベルトは柔和な笑みで頷く。
イルミナ自身、そのような事はないと思うのだが、ジョアンナと話したことで心の重荷が少しだけ軽くなったのは事実だった。
「えぇ、
以前は今にも倒れそうな表情をされておりましたから」
「・・・ジョアンナにも言われました。
アーサー、私はきっと、人を頼ることが極度に苦手なのだろうと思います」
「ほう・・・、それはまたどうしてそのようなお考えに?」
アーサーベルトは面白そうな表情を浮かべ、前のめりになりながら話を聞く。
「貴方とグランに言われて、私は人の頼り方を知らない私は人として未熟なのだろうと思いました。
二人がそんな気持ちで言ったわけでなくとも、私はそう感じてしまった。
頼っているつもりがそうでないと言われた時、私はどうしていいのかわからなくなってしまい、混乱しました」
イルミナの言葉にアーサーベルトはバツの悪そうな苦い顔をする。
責めるつもりではなかったが、結果として二人の言葉はイルミナに少なからず打撃を与えたのは事実だ。
「でもジョアンナは言ってくれました。
そういった事も含めて、話し合って人は成長するのだと」
アーサーベルトは沈黙したまま、イルミナの言葉に耳を傾けている。
イルミナはそのまま続けた。
「私とグランに足りないのは、話し合いでしょう。
・・・私にとって、頼るという事は愛情表現ではありません。
でも、男性はそれを愛情表現だと取る人もいると聞きました」
「―――それはあながち間違いではないかもしれませんな。
私も、どちらかと言えばその類でしょう」
イルミナは一つ頷く。
「私は、頼らせてくれるだけの相手が欲しいのではないのです。
ただ、あなた方は私が甘え下手ということを知っているから頼るように言ってくれていたのでしょう。
でも私にとって、頼ると甘えるは全く別物と認識していることを、話さなければならなかった」
アーサーベルトは苦笑いを浮かべながら頷いた。
「そのようにお考えとは・・・微塵も気づきませんでした。
正直、今の陛下のご指摘は耳に痛いものがあります。
私自身、自分の物差しで陛下を計っていたのでしょうね・・・」
自嘲するように乾いた笑いをするアーサーベルトに、イルミナはゆっくりと頭を横に振った。
「いいえ、こうして言葉にして話し合わなければならないことだったのです。
私だって、どうして二人はそうまでして頼らせようとするのか理解できませんでした。
頼っているつもりなのに、どうして理解してくれないのかとすら思いました。
でも、それも私が私の物差しで二人を見ていたからでしょう」
丁度その時、扉がノックされる。
「失礼致します、陛下。
紅茶をお持ちいたしました」
「ありがとう、メリルローズ」
カチャカチャと静かな陶器の音がする。
淹れられた紅茶からはいい香りがする。
疲れた体を慮ってくれたのか、甘めに淹れられたそれはイルミナの心を癒す。
リリンの葉から作られる茶も好みだが、疲れた時は甘いものを欲してしまうものらしい。
用意された軽食も、簡単につまめる焼き菓子が主だ。
ほぅ、と息をつくと、メリルローズが微笑ましそうにイルミナを見ている。
「―――何かありましたか?」
その視線を不思議に思い、そう口にするとメリルローズはいいえ、と首を横に振った。
それでもその優しい視線に耐え切れずイルミナは再度問う。
「いいえ、疲れた際に甘いものを好まれると知って、陛下が年頃の女性だということを思い出しただけです」
「それは・・・」
アーサーベルトがその言葉を深く読んだのか、心配そうにイルミナを見る。
それに気づいたメリルローズはそういった意味ではございませんと言った。
「陛下はその御歳にしてはとても落ち着いていらっしゃいますから。
お好みになられるのも、リリンといったように清涼感のあるものでしょう?
料理長なんかは甘いものがお好みではないのかと思っていたそうです。
用意しても、多くは口に召されませんでしたから」
イルミナはそう言われて確かに、と思った。
幼いころから甘いものを食すことは少なく、好物のひとつとしては捉えづらかったのだ。
出されれば食す、と言ったほうがわかりやすいだろうか。
自分から頼むといった発想があまりなかった。
「確かに自分から頼むことはないかもしれませんが・・・甘いものは普通に好きですよ」
「ぜひとも料理長に伝えさせてくださいませ。
そうすれば料理長も喜んでお菓子を作ることでしょう」
そうして執務室の空気は穏やかに流れて行った。
**************
アリバルから手紙が送られてきて一週間もしないうちに、グランは城へと帰還していた。
思ったよりも早くに到着し、深夜に到着する予定が大幅に早まった。
夕食にはまだ早いが、昼食は過ぎているだろう。
「戻った、陛下は?」
乗っていた馬を兵に預けると、そのままカツカツと歩き出す。
それにヘンリーが付いてくる。
「陛下は今のお時間ですと執務をされているかと」
「そうか。
一度着替えてから伺いたい。
時間をもらえるよう頼めるか?」
「かしこまりました、確認してきます」
グランはヘンリーの返しに頷くと、颯爽とその足を自室へと向ける。
イルミナの事情も考慮せねばらないが、出来るだけ早く一目でもいいから会いたいと思ってしまう。
最悪、帰還の挨拶だけして夜に時間を貰えるか確認することになるだろう。
手早く汚れを落とし着替える。
「グラン様」
支度を終えたと同時に、ヘンリーが扉をノックしてくる。
非常にタイミングのいいことだとグランは内心で感心する。
「どうだった?」
「はい。
執務自体があと少しで終わるそうなので夕食を一緒にしないかとのお言葉です」
「そうか、一目挨拶でもと思ったが仕方あるまい。
では私はクライスのところに顔を出してこよう。
晩餐室で?」
「はい、そのように仰っておられました」
グランはヘンリーに了承の旨を伝えるよう言づけると、自身はヴェルナーの執務室へと歩を向ける。
今回の件に関して、彼も気を揉んだ一人だろう。
詳細とまではいかずとも、大方のことは伝えるべきだとグランは判断した。
「クライス、グランだ。
今少し時間を貰えるか?」
「ライゼルト卿・・・?
どうぞ、お入りください」
ヴェルナーの入室を促す言葉を聞き、グランは扉に手をかける。
そして入室して一瞬言葉を失った。
「・・・これは・・・」
それもそのはず。
ヴェルナーの宰相執務室には、書類という書類が山のように積まれていたのだ。
紙の質から見るに、どうやら古いものもあるらしい。
「あぁ、散らかっていて申し訳ありません。
過去の記録も念のため確認しようと思い、運んでもらったら想像以上の量になりまして。
仕事自体はほぼ終わっておりますので」
「・・・そうか、あまり無理はしないほうがいい。
お前が倒れでもしたらイルミナが困る」
グランの言葉にヴェルナーはふっと息を漏らすように笑った。
「・・・本日エルムストから戻られたのですか?」
「あぁ、経緯を簡単にだが先に話しておこうと思ってな」
「助かります、紅茶を飲みながらでも構いませんか?
流石に朝から書類を見ていると頭がぼんやりしてしまいまして」
「もちろんだ」
ヴェルナーはグランの了承を取ると、ベルを鳴らして別室にいる文官にリリンの葉の紅茶を頼む。
メイドに頼まずに文官に頼むことに、グランは不思議そうな視線を送る。
「あぁ、あっちの作業室に紅茶がすぐ飲めるよう一式を置いてあるのです。
リリンの紅茶は我々も重宝していますから」
そして数分もしないうちに宰相補佐が紅茶を二人分用意して持ってくる。
二人は一旦それに舌鼓を打つと、早速と言わんばかりに本題に入った。
「それで、陛下からは問題は解決しただろうとお言葉は頂戴しておりますが、詳細は?」
「あぁ、ようやくリリアナ様にも少しではあるが言葉が届いた。
それと周りにいたメイドや護衛騎士に問題があったため、全て更迭している」
「あぁ、先日牢に入れられた・・・、
どこかで見た記憶があると思ったらそういうことですか。
まっすぐ牢に入れるから何事かと思いました」
「私からも刑部に連絡をつけていたからな。
全員、とまではいかずとも何人かは飛ぶことになるだろう」
「そちらは卿と刑部に任せます」
「こちらはどうだ?
何か変わったことは?」
「いいえ。
もう冬に入りますのでしばらくは内務ばかりになるかと。
先日前年の税率を確認し、すでに勘定方と話し合って来年を決めたところです」
「学び舎と治水は?」
「学び舎に関しては冬の間、積極的に行うことになるでしょう。
足りなくなりそうな備蓄などは国庫から僅かですがすでに手配しています。
治水に関してはしばらく落ち着く事になるかと。
工事をしようにも雪が降っては手の出しようがありませんからね。
可能であれば改良に当たってもらう予定です」
「そうか。
イルミナの様子は?」
グランの問いにヴェルナーは一瞬だけ息を止めるも、すぐさま立て直して答える。
しかし相手は元・ライゼルト辺境伯。
ヴェルナーの一瞬の動揺に気づかないわけはなかった。
「陛下は、少しばかりお疲れの様子ですがここ最近ではすこし良くなられたかと」
「・・・そうか」
「はい」
男二人の視線が交じる。
一瞬険悪な空気が場を支配しそうになるが、ヴェルナーの目を見たグランはそれを落ち着けた。
「先王と先王妃には手を打ってある。
どうやらアリバル侯爵夫人が先王妃にとどめを刺したそうだ」
「とどめとは・・・また物騒なことです」
棒読みにも等しいヴェルナーの返しに、グランはくく、と笑みを零す。
「ウィリアムにも会い、更に釘を刺してきた。
これで直ぐに下手なことになる事はないだろう。
ただ、リリアナ様がご自身の立場というものを最後まで理解されない場合、毒杯もあると先王には伝えてある」
「先王はなんと?」
「出来る限り回避したいだろう、それは。
ただ今渡していないのもイルミナの温情だということは理解してもらっている」
「そうですか。
とりあえず、一つは陛下の憂いが晴れたという事ですね。
一時であったとしても」
「あぁ」
ヴェルナーはほっとしたように息を吐くと、紅茶を口に含んだ。
そして意を決したようにまっすぐにグランの目を見る。
グランは、ヴェルナーの瞳にいつにない熱を見つけ、ぞわりと鳥肌をたてる。
「・・・どうかしたのか」
「グラン・ライゼルト卿・・・、
私は、貴方に物申したい事があります」
「―――何だろうか」
グランの言葉に、ヴェルナーは覚悟を決めたように眦をキュ、と上げる。
「陛下を、どうされるおつもりか」
「どう、とは?」
グランは内心でやはりそのことかと思った。
一体いつからだろうか。
ヴェルナー・クライスという男の目に焔が見え隠れするようになったのは。
それが、イルミナの傍にいるときに顕著になっていると気づいたのは。
「先ほどお伝えした陛下の不調の件、私は貴方が原因ではないかと疑っています」
「なぜ?」
「陛下は、貴方がエルムストに旅立つことを知りませんでした。
お伝えした時の陛下は、顔色を一瞬で悪くしていたので、貴方と話していないだろうという事も想像できました。
貴方という最愛を手にされたというのに、陛下は全く幸せそうには見えない。
いつだって苦しそうにしておられる。
どうしてですか、どうして、あのお方はいまだ孤独の中にいるような表情をされるのですか?」
グランはヴェルナーの言葉に黙した。
それをどうとったのか、ヴェルナーは続ける。
「どうして、どうしてお傍にいて差し上げないのですか。
どうして、陛下をお一人にするのですか。
あの方は、あんなにも貴方を求めているというのに・・・!!」
「クライス・・・お前・・・」
ヴェルナーははっとしたように顔を上げ、すぐさま否定した。
「いいえ、違います。
ただ、私はあの方が殿下だった時から知っております、
だからこそ、あの方の幼いころからの孤独を知っています。
知っているからこそ、独りにしたくないのです。
ですが、私はその役目にはない。
卿、貴方だけが、陛下の隣に立ちその孤独を和らげることのできる唯一の存在なのです」
グランは、ヴェルナーの心の内を正確とまではいかずとも読み取った。
そしてその言葉を言うのにどれほどの気力を要するのかも、僅かながらに気づいた。
「卿、貴方だけなのです。
貴方だけが、唯一陛下の涙を拭える立場にいるのです。
私よりも長くいるアーサーですら、その立場にはない・・・」
ギリ、と握りしめられる拳に、グランは言葉を紡げなくなる。
「これから先も、あの方はたくさんの苦渋の決断と辛酸を味わうことになるでしょう。
その時、もし貴方が支えられないと思われるのであれば、今すぐあの方から離れてほしい。
そんな生半可な気持ちで、あの方の隣を歩もうとしないでください」
「―――まるで、愛の告白のようだな」
「!!
茶化さないで頂きたい!!
確かに、かつて私は天狗になった鼻を貴方に叩き折られた!
ですが私とて成長していない訳ではない!」
激昂するヴェルナーに、グランは本気を感じ取る。
そして。
「すまなかった、今回の件に関して、完全に私の悋気だ。
イルミナとは話し合う。
そのためにエルムストへ出向いたのだからな」
「―――そのお言葉、信じてもいいのですか」
殺気すら伺えそうなそれに、グランは笑みを零す。
「あぁ、違えたら切り捨ててくれて構わない」
グランはばっさりと言った。
ヴェルナーはそれに小声で返す。
「・・・そんなことをすれば、陛下が悲しまれるでしょう」