夫婦とは
「では、私はそろそろ戻ることにする」
「わかりました。
我々は貴方ほど身軽には動けませんので、もう少しだけ滞在したら戻ることにします」
「分かった。
そのように陛下にもお伝えしておく」
「頼みました、グラン」
グランは、リチャードとは軽い挨拶のみで別れを終える。
どうせまた城で会うのだ。
今生の別れでもあるまいし、なにより彼らは何時だってそんなものだった。
「先王陛下、そして先王妃様。
私は本日をもってここを発ちます。
どうぞ、お心安らかであられますよう」
「あぁ、今回は色々と・・・手間をかけさせたな。
だが、あそこまで徹底的に監視体制を敷いているとは思いもしなかった」
先王は苦笑を浮かべながらも清々しい笑みを浮かべる。
隣の先王妃は眠れていないのか、疲れ切った表情をしているが、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
リリアナはこの場にはいない。
確認はしていないが、きっと昨夜は眠れなかったのだろう。
それも仕方ないとグランは考えながら目の前の二人に意識を戻した。
エルムストはライゼルト領だ。
城から何人もの騎士を出しているが、それだけで足りるはずもない。
グランは予めヴァンに連絡し、ライゼルトから何人かのメイドと護衛を手配していたのだ。
もちろん、彼らはグランの息のかかった者たち。
屋敷でのことは全て逐一報告させていたのだ。
「申し訳ありません。
ですが、我が陛下のお心が安らかであることが私にとって最優先ですので」
「ふん。
まぁ、いい。
それにしても私が言うのもなんだが・・・お前はそのような性格だったか?
もっと飄々としていて熱意といったものから無縁だと思っていた」
「それもそうですね。
以前までの私であれば、ライゼルト領のことだけを考えていたのでそう見えたのでしょう。
ですが今の私には、領地よりも大切なものが出来ました。
それを守るためであれば形振り構っていられないということです」
グランの浮かべる優しい笑みに、先王は言葉を詰まらせた。
隣の先王妃は何か聞きたいことでもあるのか、口を並行しながらグランを見ている。
そしてしばしの間逡巡し、口を開いた。
「―――その、ライゼルト、殿・・・、
あ、あのこ、は・・・」
グランは先王妃が聞きたいことを察知する。
それを聞くのにどれだけの緊張感を持っているのか知らないが、それでも気にするようになったというのはいい傾向かも知れないと思いながら。
「イルミナですか?
元気にしていますよ。
色々と忙しそうですが、彼女の周りには有能な人がたくさんいますから。
きっとヴェルムンドは更なる発展が望めるでしょう」
「そ、そうですか・・・」
本当に聞きたいことはそうではないだろうに、突っ込んで聞いてこない事から多少の恐れもあるのだろう。
「彼女から、あなた方の話は特に聞いていません」
そのはっきりとした言葉に、二人は言葉を飲んだ。
グランはそのまま目を伏せながら続ける。
「恨みも、憎しみも・・・愛情も。
あの子は、あなた方が感じる痛みの何倍もの時間を、彼女は苦しみ、求めそして諦めてきたのです。
そうして疲れ切った彼女は、あなた方に対して感情を上手く持てなくなりました。
今のあなた方が、リリアナ様の件で疲れ切っている状態を更に長時間的に感じ、そして擦り切れてしまった状態なのです。
―――今なら、ご理解いただけるのでは?」
グランの突き刺さるような言葉に、二人は顔色を悪くしながらも頷く。
「今回のことも、全てはイルミナの為だけに私は動きました。
他の誰の為でもない。
もし彼女があなた方のことをまったく気にしていないのであれば、今回だって私は全てを知りながら静観していた事でしょう。
ただの国を想う立場の者の一人からすれば、リリアナ様の存在自体が危険だということは火を見るよりも明らかですからね。
病に伏して頂く方がよっぽど安全でしょう」
「そ、それは・・・!」
「しかし、それをしないのはイルミナがそう望んだからです」
「!!」
目を見開き、固まる二人にグランは幼子に説明するように丁寧に話す。
「言ったでしょう、イルミナは、リリアナ様のことを妹としては大切に思っている、と。
それは嘘偽りのない本当のことです。
だから、アリバルがここにきてあなた方を説得しようとしたのです。
連れてきたグイードには、ウィリアムに気付かせるためです。
・・・まぁ、結果として私がしゃしゃり出てきてしまいましたがね。
わかりますか?
イルミナは、リリアナ様がそうなることを望んでいないのです。
今、リリアナ様があなた方の元に元気でいること自体、女王陛下の温情だということに気付かれた方がよろしいでしょう」
グランは伏せていた目を二人に真正面に向ける。
固く強張ったその表情からは、感情が上手く読み取れないが心中穏やかではないだろう。
「ですが、私はあなた方に感謝こそしていますよ」
「―――なに・・・?」
「あなた方が、イルミナを独りにしなければ、彼女はあそこまで成長しえなかった。
成長していなければ、私の目に留まることもなかった。
私の目に留まらなければ、私は彼女のような愛しい人に出会うこともなかった」
グランは心底嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「また、手紙を書いてもいいですか、父上」
「もちろんだ。
リリアナ様は?」
グランは連れてきた馬に跨りながら、最後の挨拶をウィリアムとしていた。
グランの言葉に、ウィリアムは肩をすくめる。
「今はだいぶ落ち着いています。
自分の周りの事、それに陛下の周りのことを少しずつでいいから教えて欲しいとも」
「そうか。
良かったな」
ウィリアムは赤い目元を緩めながら笑う。
それにグランは、亡きロゼリアを思い浮かべた。
「僕も、もっと頑張ろうと思います。
エルムストにいる以上、ここを立派に治める為リリアナと共に頑張りたいとも」
ウィリアムの言葉にグランは大きく頷いた。
「ヴァンには話しておこう。
しっかりとやりなさい。
聞きたいことがあれば、いつでも手紙を寄こしなさい」
「・・・はい、父上」
グランは一度だけウィリアムの頭を撫で、馬を引いた。
グランの後を、騎士の一人が着いていく。
女王の婚約者としてはあるまじき行動だが、正直に言ってグランの体力についていける猛者はそうそういない。
ほぼ休みなしに飛ばし続けるそれは怖くすらある。
ウィリアムは、小さくなるその背を見えなくなるまで見送り続けた。
************
「―――・・・」
イルミナは届いた書状に目を通し、そっと細い息を吐いた。
届けてくれたルージュを優しく撫でる。
撫でられたルージュは気持ちよさそうに目を細めた。
アリバルから届けられた書状には、未来は約束されたし、とだけ書いてあった。
意味するところは、エルムストの問題は片が付いたということだろう。
そのことに安堵しながらも、どうやってそれを成したのかが気になる。
それを知りたいとも思うし、知りたくないとも思う自分の心に、イルミナは戸惑った。
グランからの手紙はきていない。
まだエルムストにいるのかどうか、帰ってくる彼に、何を話したらいいのか。
グランの姿の見えないこの数日間、イルミナは目に見えて顔色を悪くしていた。
結婚はすると言ってはいたが、本当に心が伴っているのかが分からなくなってしまった。
愛していると、あの人は言ってくれるが・・・それが本心からなのかどうかわからない。
彼は信じてくれないのかもしれないが、イルミナは心の底からグランの事を愛している。
だからこそ、怖いのだ。
もし、契約的な結婚にしようと言われてしまったら。
きっとイルミナは涙を我慢して頷いてしまう。
絶対に、離れて欲しくない人なのだ。
イルミナが唯一、手放したくないと本能で思ってしまう人なのだ。
だからこそ、怖くて仕方ない。
会いたい。
会いたくない。
その相反する気持ちがイルミナから生気を奪っていくような気がする。
頼って欲しい、誰もがイルミナに言う。
イルミナからすれば頼っているつもりでも、彼らはそうは感じないらしい。
どうしていいのか、分からない。
誰かに相談したくても、イルミナには相談できる相手がいない。
乳母も、母も。
相談できる同性がイルミナの周りにはいないのだ。
ふう、とため息をついていると。
「―――陛下?」
「・・・どうしました?」
メイド長のジョアンナは、心配そうにイルミナを見ている。
「どうしました、は私のほうです。
この頃体調がよろしくなさそうです。
お食事も減っていますし・・・、眠りだって満足にお取りになられていないでしょう?」
「あぁ、忙しくし過ぎたのかもしれませんね。
ここのところお腹もあまり減らなくて・・・」
「料理長が心配していました。
いえ、料理長だけではありません。
いったいどうしたのです?
そのままでは体を壊されてしまいます。
私に出来る事はありませんか・・・?」
きっと、この時のイルミナは心底弱っていた。
纏まらない考えが精神を疲労させており、イルミナの心を迷走させていた。
本当に無意識に、その言葉はするりと出た。
「―――ジョアンナは、結婚していましたよね」
「は、はい。
それに娘と息子が一人ずつ・・・、もう成人しておりますが」
「・・・旦那様とはどのように?」
ジョアンナは不思議そうな表情をしながらもイルミナの質問に答える。
「旦那とは幼馴染なんです。
家が近くて、昔からよく一緒にいましてね。
喧嘩も多いですが、それでもなんだかんだで一緒に今もおりますよ」
「・・・その、仲直りというのは、どうすればいいのでしょう」
イルミナの言葉に、ジョアンナはここ最近のイルミナの消沈した様子に思い当たる。
「陛下、よろしければお話しください。
男性よりも同性の私の方が乗れる相談も多いと思います」
ジョアンナの言葉に、イルミナは縋るように見る。
正直どうしていいのかわからずに困っていたのだ。
グランとのことを、アーサーベルトやヴェルナーの相談するのは何かが違うと思う。
だからといって誰にでも相談できるような内容ではないので困り切っていたのだ。
「・・・その、頼っているつもりなのですが、頼られていないと感じると、言われたのです」
「それは・・・」
イルミナは勢いのまま一気に話してしまおうとする。
「私は頼っているつもりなのです。
でも、私は女王である以上自分で決めなければいけない事も多々あります。
それに対していちいち相談できないというか・・・、頼り切って何も出来ない人になりたくないのです。
私は一緒に立ってくれる人がいいのであって、一方的に甘やかされる関係を望んでいる訳ではないのです・・・でも、それがどうしても上手く伝えられないというか」
視線を落としながら言葉を続ける。
「私自身、もう頼っているつもりなのです。
でも、あの人は頼られている気がしないと・・・」
「それは陛下のせいではございません!」
「・・・ジョアンナ・・・?」
ジョアンナの強い言葉に、イルミナは下に向けていた顔を真正面に向けた。
そこには憤慨した様子のジョアンナがいる。
「男っていうのはいつだってそうです!
自分の自尊心を満たすために頼られたい、求められたい、そればかり!
私たち女だって、頼られたいですし、求めてほしいと考えているなんてこれっぽっちも気づいていない!
そもそも陛下は頼ることを知らないで大人になってしまっているという点を配慮しない時点で失格です!
全くもう・・・ライゼルト卿もしっかりしてくださらないとならないのに・・・!」
ジョアンナのその様子に、イルミナは驚きから口をぽかりと開けた。
それに気づいたジョアンナは不思議そうにイルミナを見る。
「如何されましたか、陛下」
「いえ、その・・・、
もっと頼ることを覚えた方がいいと言われるのかと思っていました・・・」
「そんなこと!
陛下、陛下が頑張って頼ろうとしていらっしゃることを、城の誰もが知っております。
上手くいかないのは仕方のない事でしょう、だって陛下はずっとお一人で頑張っていらっしゃのですから。
そうしたのは我々だという事を後悔しない日はきっとありません。
ですから、少しずつ頼ることを覚えていくのが陛下にとって一番いい事だろうと思うのです」
ジョアンナは続ける。
「頼ることを強要するのは相手のことを思いやらなさすぎです。
ましてや相手の状況も知ったうえでの発言だとしたら、それは屑の発言ですわ」
「く、くず・・・?」
ジョアンナは頷いた。
「申し上げさせて頂けるのであれば、ライゼルト卿と陛下はお歳の差があります。
ましてや卿は一度結婚をされていた身、余裕がないのかもしれませんがそれで陛下のお心を曇らせるなどあってはなりません」
ジョアンナはイルミナの元に来ると、その手を取った。
その手はとても暖かく、イルミナは自身の手が冷え切っていることに気付く。
「あぁ、こんなに冷たくなってしまわれて・・・。
・・・陛下、一度しっかりとお話することをお勧めします。
頼るに関して、陛下が負担に思っているのであればそれをしっかりと言葉にして話されないとなりません。
卿も、あくまでも人でしかなく、他人の心を読む能力はないのですから。
喧嘩してもいいのです、仲直りの方法など人それぞれです。
夫婦というのはそうして子供とともに成長するのです」
「・・・子供と?」
イルミナの問いに、ジョアンナはにこりと微笑んだ。
それは慈愛の満ちたもので、イルミナは向けられたことのないそれに落ち着かない気分になる。
「最初からすべてが円満な家族なんていませんわ。
親だって、初めて子を得て親となるのです。
親だからといって目に見える資格などなにもありません、誰もが手探りで成長していくのです。
それは夫婦も同じことです、私は幼馴染と結婚したので彼の事を昔からよく知っていますが、それでも結婚したのとしていないのとでは違います。
喧嘩もたくさんしましたし、もう別れてやろうと思った事だってあります。
でもその度に話し合いをして今でも一緒にいるのです」
「話し合い・・・」
「そうです。
歳の差があろうがなんだろうが、全ては話し合いをしてからでないとなりません。
いずれお二方の間に生まれるお子様もそうです。
愛しているのであれば、それをはっきりと口にしないと。
彼らが私たちの考えがわからないように、私たちも彼らの考えることなんてわからないのですから」
「―――ありがとう、ジョアンナ」
イルミナは頭にかかっていた靄が少しだけ晴れたように感じた。
そうだ、自分とグランはまともに話していないではないか。
言葉なくしてお互いを理解し合おうという方が無理難題なのだ。
イルミナはジョアンナに聞いて良かったと心底思った。