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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
121/180

転がる花の裏側で




「ご機嫌いかがですか、先王妃様」


「・・・アリバル夫人」



先王妃が自分の姿を認めた瞬間、彼女の体が強張るのをナタリーは感じ取った。

それがなぜなのか、彼女は知っている。

それでもいい気持ちはしないが。


「今日は天気も良いですわ、

 是非テラスでお茶でもしませんか?」


「―――えぇ、いいわね」


ぎこちなく笑みを浮かべる先王妃に、ナタリーはにこりと微笑んだ。






「―――そういえば、夫人のところのお子さんは女の子だったかしら?」


「はい。

 まだ小さいのですが、少しずつ言葉も話すようになりまして・・・。

 リチャードが最初に父と呼ばせようと必死になるくらい溺愛しておりますわ」


「・・・その子は、どちらに似ているの?」


「リチャードは私に似ているというのですが、私はリチャードに似ていると思いますわ。

 髪は私と同じ色ですが、瞳は彼にそっくりですのよ」


ニコニコと話すナタリアに、先王妃は泣きそうな表情を浮かべた。

微かに震える唇に気付きながらも、ナタリアは何も言わない。


「・・・夫人、は」


「はい、何でしょう」


「・・・夫人は、お母さまのことを、ご存知・・・なのよね・・・?」


それは、初めて聞かれることだった。

そして、それをナタリアは想定していた。


「はい、そうです。

 先王陛下から聞かれたのですか?」


「え、えぇ・・・」


まさか肯定されるとは思っていなかったのだろうか、

先王妃の動揺が目に見えた。

その考えを透かすかのようにナタリーは先王妃を見ると、その動揺を気にすることなく話を続けた。


「私は立場的にも難しかったため、マリーネア様のお傍にお仕えしておりましたが、そこまでの交流はございませんわ」


「そ、そう、なの・・・」


「でも」


目をうろうろとさせたままの先王妃を、ナタリアは射貫くように見た。

その目力の強さに、先王妃の体は強張る。

何を言われるのかと身構えた先王妃を前に、ナタリーは微笑んだ。


「私は、一度としてそれを憎んだことも、悲しんだこともありませんわ」


ナタリーの言葉に先王妃は目を見開く。


「確かに、私は隠匿されて幼いころを生きていました。

 父にも、母にも会うことはなく・・・たった一人傍にいてくれる乳母と森だけが私の世界のすべてでしたわ。

 でも、乳母は私に教えてくれました。

 母は確かに私を望んで生んでくれたのだと。

 そしてマリーネア様も、同じように仰ってくださいました」


「―――」


「幼い私は、それを本当の意味で理解したのは二十を過ぎて数年たってからでしたわ。

 私は婚姻を許されていなかったので、嫁ぎ遅れという言葉も知らずにおりました。

 私がマリーネア様の元でご一緒できたのも短い期間で、すぐに屋敷に戻されましたわ。

 たまたま降りた村で、活気づいた人たちを見て、マリーネア様がいかに頑張って国を治めているのか・・・そして、そんな秘匿され続けた私を欲しいと言ってくださる方がどれほど尊いのか」


「・・・それ、が・・・?」


ナタリーは先王妃の確信を持った問いに頷いた。


「あの時のリチャードはやんちゃでしたわ。

 国境の森を探索するだなんて・・・、本当に馬鹿な人。

 私を見つけたあの人は、一目惚れだと言って私に求婚して下さったのです。

 ・・・でも私は結婚が許されておりませんでしたから、お断りしたのです。

 そうしたらあの人、ありとあらゆる情報を掴んで私に言ったのです。

 ”貴女がかの人の娘だということも、その存在が公にされれば面倒になるのも、全て調べました。私で調べて足がつくのであれば、いずれ公のものとなるでしょう。その前に、私のもとに嫁いで先に全てから逃げてしまった方がいいのではないですか?”と。

 本当、なんてことをするのだろうとあの時は思ったものですわ」


くすくすとナタリーは当時のことを思い出して笑った。

とても格好良く言ってあげたが、実際のリチャードはもっと切羽詰まっていた。

乳母が鬼のごとし形相でリチャードを何度叩き出したことか。

それでもめげずに来た彼に折れたのは、いつのことだっただろうか。


ナタリーは幸せな気持ちでひとしきり笑うと、一息ついた。

そしてまっすぐに先王妃を見た。


「―――先王妃様、私はマリーネア様に似ていますか?」


ひゅ、と先王妃の喉が鳴った。

その表情から、自分の想像は間違っていなかったのだとナタリアは知る。


「・・・答えて下さいませんか、先王妃様」


有無を言わせないナタリアの声音に、先王妃はひくりと喉を震わせながらも頷いた。


「どこが、とお伺いしても?」


ナタリアの言葉に、先王妃の目に非難の色が宿る。

言いたくないとその瞳が言っているのは分かっているが、ナタリアは引くことはしなかった。

ナタリアが引かないと理解したのか、先王妃は渋々口を開く。


「・・・おかぁ、さまは・・・、貴女と同じ色の髪と目をしていたわ」


「そうですか」


「それに・・・貴女のように、とても強い瞳をしていらしたわ・・・。

 とても気高くて・・・弱いところなんて誰にも見せなかった」


「そうですか」




先王妃は迷った。

ナタリアが先ほど言っていた、彼女は愛されて生まれた、という言葉について。

先王妃はナタリアより二つほど若いが、それでも城で暮らしていた。

だが、彼女の存在を認識したことは一度としてなかった。

そもそも、先王妃はマリーネアが嫌いだったから、傍によらないようにしていたのだ。


先王妃の祖父、マリーネアの義父は最低な王だった。

好色家で、何人もの愛人を囲んでいた。

きっと目の前のナタリアのように隠匿された子が何人もいたに違いない。

そしてその誰一人として、表舞台に立つことはなかった。

―――彼女のように秘匿されていたのか、はたまたその命を奪われたのか、その答えを先王妃は未だに知らない。

そんな最低な王を、息子である先代ハルバート王と母であるマリーネアとが力業で隠居に追い込んだ。


そう、母は強かった。

そして聡明だった。

自分にはない強さで、全てを進めた。

そしてそれ故に、暗殺された。


ある意味、ナタリアはあの城にいなくて良かったのだとも思う。

愛人たちは常に祖父の機嫌を取り、貴族や高官たちはこぞって気に入られようと無茶な搾取を行っていた。

あのまま城で務めていれば、きっと汚れていただろうと。


「先王妃様、私は知っておりますの」


「―――、な、にを・・・?」


震える声音を必死に抑えようとし、それに失敗したと知っても問う。

目の前の彼女は、恐ろしいほど美しく微笑んで見せた。


「私が、本当は望まれていなかったことなど、知っていますの」


先王妃は絶句した。


「いくら子供でも気づきますわ・・・。

 一度も会いに来ない父と母、乳母だけが面倒を見てくれる状況・・・私も、何もしなかったわけではありませんのよ?」


ころころと笑うその人が、先王妃にはとても恐ろしく見えた。

どうして、そんな風に笑っていられるのだろうか。

どうして、そんな風に強く在れるのだろうか。

先王妃には何一つ分からなかった。


「先王妃様、それでも、乳母にとってはそれが真実でしたのよ」


「しん、じつ・・・?」


その言葉にナタリアは頷いた。


「乳母は、私の母に私を託されました。

 魑魅魍魎が跋扈する貴族界では、私を育てることはできないだろう、だから貴女が育ててほしい、と。

 それは、乳母にとっては私が愛されていながらも仕方なく別れさせられた娘と映ったのです。

 乳母が話したことは、彼女にとっての真実。

 ただ、それが私にとっての真実ではなかっただけの事ですわ」


先王妃は呆然とその言葉を聞いた。

まるで、全く知らない言葉で話をされたような気すらする。

どうして、彼女はそうまで強く在れるのだろう。

どうして、自分とはこんなにも違うのだろう。


「―――どうして、どうして、貴女はそんなに強く在れるの・・・?」


一度口にすると、それは止まらなかった。


「私だって、私だって頑張ったわ!!

 お母さまに認められようと、一生懸命勉強だってしたわ!!

 ダンスも、社交も、刺繍も、音楽も!!

 それでもお母さまは足りない、もっと頑張りなさいとだけ言うのよ!!

 もう頑張れないくらい、頑張ったのに、一度も褒めても下さらなかった!!」


叫ぶように吐露すると、勝手に涙が頬を伝い落ちて行った。


「た、確かに私は出来の良くない娘だったのかもしれない・・・、でも頑張りを認めてくれないのはお母さまよ!

 私が貴女のように、強ければお母さまは褒めてくださったと!?

 お母さまは、わたし(・・・)では駄目だと、そう仰るの・・・!?」


先王妃はそのまま手で顔を覆った。

もう、無理だった。

もう、自分を誤魔化すことはできなかった。


先王妃は、マリーネアのことが嫌いなのではない。

好きだからこそ、憎んでしまったのだ。




「―――先王妃様」


先王妃の耳に、マリーネアとは違う落ち着いた声音が響いた。

覆った手をどかすと、ぼんやりとした視界に母と似た色の容姿を持つが、それでも違う女性が目に映った。


「これを」


そういってナタリーが差し出したのは、一冊の本だった。

表紙はぼろぼろで、結構な年数が経過しているのが見て取れる。


「・・・これ、は・・・?」


「これは、マリーネア様の日記ですわ」


「!!」


深いグリーンのそれは、とても大切にされていたのだろう。

所々に修復の跡がみられる。


「―――読んでください、先王妃様。

 私もあったことのない姉でしたが、これを読んで初めて私の姉だという事を認識したのです。

 マリーネア様は、確かに強く、賢君で在らせられたのかもしれません。

 ですが、マリーネア様も一人の女性であることが、これをお読みいただけば分かられるかもしれませんわ」


先王妃は濡れた頬をそのまま、渡された日記を震える手で恐る恐る開いた。








「―――どうして!!

 どうして、どうしてなの、お母さま!!」


―――我が子にはいらぬ苦労をさせたくない。

 憎まれても良い、ただ、自分の身を守る術を持ってほしい。

 何もできなければ、義父のように城の狸共にいいようにされてしまう。


「言って下さらないと、分からない!!」


―――愛する人と結婚することは、とても喜ばしい事。

 出来るなら応援してやりたい、でも王妃としての立場の私は許可できない。

 可愛い娘、あの子に睨まれると私の心はしくしくと痛む。


「そんな、そんなの、分かるわけ、ない・・・!」


―――もう二度と、この国に戻ってこないように。

 この国は私の死をもってしてようやく立て直すことができる。

 でも、あの子にはそんな重荷を背負わせたくない。

 どうか、どうかあの子が笑って暮らせるように。


「どうして、どうしてなの、お母さま!!

 なんで、言って下さらなかったの―――!!」


―――愛するあの人との間に生まれた、愛しい我が子。

 どうか、どうか幸せでありますように。


先王妃は崩れ落ちる様に地に伏した。

そこから先の日記はなかった。

そしてその日記には、ほぼすべてと言っても良いマリーネアの半生が書かれていた。

確かに、マリーネアは王妃として二人の結婚を許すわけにはいかなかった。

だが、母としてはとても嬉しく思っていたこと、だがそれと同時にティンバーのことを案じていたこと。

愛されないから厳しくされていたのではなかった。

愛されていたから(・・・・・・・・)厳しくされていたのだ。




嗚咽を零し、涙を流す先王妃の肩を、ナタリアはそっと支えた。

きっと、色々と掛け違ってしまったが故の今なのだろうと思う。

そしてリチャードがどうして自分を連れて来たのか。


「先王妃様。

 貴女は、愛されておりました。

 少なくとも、私以上に」


「―――っく、」


「だからといって、私が先王妃様を妬んだりすることはありませんわ。

 私は私で幸せを手にしておりますから。

 ―――イルミナ陛下も、きっとご自身の手で幸せを手に入れることでしょう。

 でも、お分かりになられますね・・・?

 マリーネア様のことを誤解されていた、それを正すこともしなかったゆえに生じた、陛下への憎しみ。

 それらは全て、先王妃様が生み出した虚像ですわ」


「わ、わたしは・・・」


「先王妃様、貴女は母として、やってはならないことを行われてしまわれました。

 腹を痛めて生んだわが子を愛さない人もいるでしょう・・・でも、マリーネア様も私も、生んだわが子が可愛くて仕方ありませんわ。

 小さくて、いつか私の手元を離れて行ってしまうのだとしても、それでも私の愛しい子だと胸を張って言えますわ。

 ―――先王妃様、貴女は、二人のお子様にたいして、胸を張れますか?」


「―――・・・、はれるわけ・・・ないわ・・・。

 私は知らなかったとはいえ、愛してくれていたお母さまを蔑ろにし、同じ色を持って生まれた我が子を憎んだ・・・、そして次に生まれた子は愛したけれど、なにも出来ない子になってしまった・・・。

 私は、母になるべきではなかったのね」


諦めたように涙を流しながら笑みを浮かべる先王妃に、ナタリアは眦を上げた。


「本気でそれを仰られているのですか・・・?

 何を仰られているのか、お分かりですか・・・!!」


ナタリーは支えていた手で先王妃の肩を掴んだ。

強いそれに、先王妃の顔が歪む。


「貴女は、母親でしょう!!

 誰も生まれたときから母親である事なんて不可能です!!

 子が生まれ、手探りながらも育て、共に成長して母となるのです!!

 それをなんですか、立派になられた陛下に対しても、失礼だとは思わないのですか!!

 リリアナ様は確かに、とても難しいでしょう・・・でもそれを成長させるのが親で、共に成長するのも貴女なのです!!

 それをなんですか・・・!

 母になる資格がない!?

 母になる為の資格など、どこにもありません!!

 誰もが手探りでしていることなのです!!」


ナタリアは一気に言い切り、そして荒く息を吐いた。


「先王妃様、貴女がそう言ってしまえば、貴女の生んだ娘たちはどうなるのですか。

 貴女が、貴方たち両親が一番に彼女たちが生まれたことを望まないで、いったい誰が望むというのですか」




先王妃はナタリアの言葉にぼろぼろと涙を零した。

そしてか細い声を上げながらナタリアに縋りついた。




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[一言] 「言って下さらないと、分からない!!」 そうだろうか? 言えば従ったのか? その資質が変わらなければ理解できないし理解しようと努力もしてこなかったから今がある。 とは、自分の人生を振り返っ…
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