結末
「・・・そう、い・・・?」
リリアナは、その言葉の意味を必死になってかみ砕いた。
そうい、とはなんだろうか。
みんなの、考え。
そういう意味だろうか。
誰も、リリアナの帰還を、望んでいない、そういう意味だろうか。
戻ったら、どうにかなると思っていた。
戻ったら、誰かしらどうにかしてくれると、そう思っていた。
きっと、前のような生活に戻れると、信じていた。
―――でも、違うのだ。
誰も、リリアナの存在を、求めていない。
帰ってきてほしく、ないのだ。
帰ってこられると、困るのだ。
帰ろうとすれば、命が危ない。
その意味が、少しだけわかったような気がする。
帰ってきてほしくない人が、戻ろうとしたとき。
それを阻止するためには・・・。
ようやく。
ようやく、リリアナは悟った。
自分は、あの城に必要とされていない事を―――。
自分は悪くない。
そうずっと、思っていた。
エルムストに向かう馬車の中で、父母から聞かされた話は到底信じられなかった。
自分に優しい二人が、率先して姉を蔑ろにしているなんて、夢にも思わなかったのだ。
自分にとって絶対である父母が、そんな酷いことをしていると知って、怖くなって泣いた。
果たして、その時に姉の事を思い浮かべただろうか。
あの人のもの寂しげな笑みを、一瞬でも思い浮かべただろうか。
怖かったのは、父母が清廉潔白な人物でないと知った事だ。
特別だと思っていた人が、ただの人だと知って。
そして、自分もその血を引いている。
それによって、自分の根幹が崩れていくような気がして、それが怖かったのだ。
みんなに大切にされるのが、大好きだった。
沢山の人が自分を賛辞するのが好きだった。
美しい自分が着飾って笑うと、皆が喜んでくれるのが好きだった。
―――自分は特別なんだと、思った。
特別な自分が大好きだった。
自分が愛されるのは当然だと、息をするように思っていた。
皆がリリアナを優先することは、当たり前だと思っていた。
だから、自分の両親も特別なんだと、そう思っていた。
常に正しく、間違いを犯さない。
そう、まるで神さまのような、素晴らしい人たちだと思っていた。
だから、そうでない事を知って酷く裏切られたような気がしたのだ。
そんななか、ただ一人。
姉は違った。
姉は、いつでも物静かで、それでいて自分とは違った綺麗さを持っていて。
それでいて、どこか城のみんなと違った空気を出しているような気がした。
同じ両親から生まれた、たった二人の姉妹。
きっと姉も特別なのだろうと思っていた。
だが、それはリリアナの想像とは違った意味で、特別だったのかもしれないと気づいたのは、いつだっただろうか。
自分と違って、姉は常に裏側を歩きたがった。
ドレスも地味なもの、せっかく綺麗に生まれたのに、にこりともしない。
その所為でみんなから遠巻きにされていることを知っても、それでも姉は変わらなかった。
勉強ばかりで、自分ともなかなか遊んでくれることのない姉。
それでも、姉は不思議と自分に優しかった。
なかなか遊べないだけで、遊んでくれた日も確かにあったし、会えば薄っすらとながらも微笑みを浮かべてくれた。
記憶の中の姉は、いつだって微かな笑みを浮かべてリリアナを見ていた。
それは自分とは違って誰をも幸せにする、というほどではないけれど。
それでも誰かの心にぽっと灯るような、優しいものだったはずだった。
その笑みが見たくて、何度も困らせたことは覚えているのに。
でも、その笑みが思い出せない事に、リリアナは愕然とする。
いつからだろうか。
思い出すのは、強張った笑みを浮かべているか、青ざめているかだ。
最後は、いったいどんな表情を浮かべていたのか。
それすら思い出せない。
そしてそれをさせたのが、自分だと、ようやく気付いた。
父母も勿論原因だろう。
だが、リリアナだってその一つなのだ。
「あぁ―――――、」
か細い悲鳴が、リリアナの唇を割って出た。
嫌われていない。
それはきっと本当だろう。
でも―――愛されてもいない。
いや、それでも良いほうなのかもしれないと思った。
だって、自分が同じ立場だったら、無理だから。
一度だって、考えたことが無かった。
愛されないのが当然の世界なんて。
大切にされないのが当然の世界なんて。
そんな世界、想像すらもできない。
万が一そんな世界だったとしたら、自分は、一秒たりとて生きていけないだろう。
息すらも、出来ず、ただ泣き暮らすだけなのかもしれない。
想像だけでも、涙が零れそうになるのだから。
両親に愛されているのが、当然だった。
城のみんなに愛されているのが当然だった。
傍にはいつも誰かがいるのが、当然だった。
―――でも。
姉は、そうではなかった。
愛されていないのが、姉にとっての当然だった。
傍に誰もいないのが、姉にとっての当然だった。
だから、あんなにも必死になっていた。
いつだって、勉強して、愛されるために頑張っていた。
頑張らなければ愛されないという世界に、一人ぼっちの世界に、姉はいたのだ。
リリアナは、自分一人が悪いだなんて思っていない。
始まりは自分の・・・いや、自分たちの父母からなのだから。
でも、それがどれほどの絶望を姉に感じさせたのだろうか。
他人であれば、良かったとは思えない。
でも、肉親からすらも、愛されない世界。
隣ではリリアナが愛されているのに。
それだというのに、愛されなかった、姉。
それは、言葉に出来ないほどの絶望だろう。
自分は姉のことを好きだった。
それでも、少なからず姉を傷つけていたことを、ようやく知った。
―――知ってしまった。
「お、ねぇ・・・さまぁぁーー」
あの人は、あの薄い笑みにどれだけの悲しさを隠していたのだろうか。
どれだけの絶望を抱え込んでいたのだろうか。
それだというのに、どうして頑張っていられたのだろうか。
どうして、言ってくれなかったのだろうか。
―――いや、言ってくれなかったのではない。
言えるほど、心を開いてくれていなかったのだと、リリアナはようやく知った。
「ぅ・・・っく、ひっ・・・、
うわあああああああああああぁ―――」
リリアナの慟哭が、空に響いた。
***************
「・・・グラン、今回貴方が来るなんて、知りませんでしたが?」
「すまない、初めはそのつもりではなかったんだ」
屋敷のとある一室で、男たちは話し合っていた。
一人はリチャード・アリバル。
そしてもう一人はグラン・ライゼルトだった。
「・・・にしても、私が知らないうちに終えているとは・・・、予想外でしたよ」
「そうか?
あのままではリリアナ様の命が危ぶまれていたからな。
それを先王に伝えたら話は早かった」
「それならば私も話しましたが?
ですが先王ときたら、もう話した・だが伝わらない、としか言わないもので」
リチャードは自分が説得できなかったことに多少の不満を抱きながらも、それでも結果としてマシな終わりを迎えたことを知り、心の内で安堵する。
―――あの後。
「!!!!
姫さま!!
騙されては駄目です!!
姫さまこそが、この国の女王に相応しいお方なのです!」
メイドは騎士に拘束されながらも狂気に満ちた目でそう言った。
幾度ももがくうち、綺麗に整えられていた髪は振り乱れ、叫ぶたびにその口からは唾が飛んだ。
「!
そうです!!
姫さま!!
姫さまは何も悪くありません!!
悪いのは、悪いのはあの女で―――!!!」
その瞬間、護衛騎士の首筋に剣が当たる。
「!!」
「それ以上口を開けば、侮辱罪で貴様の首を飛ばさねばならんが」
騎士は、いっそ冷たいくらいの声音で言う。
護衛騎士はひ、と小さく悲鳴を上げ、縋るようにリリアナを見る。
しかし呆然としたままのリリアナは護衛騎士に視線をやる事はない。
「っ!!
ひ、姫さま!!」
護衛騎士が口開こうとすると、それを先王が制した。
「―――貴様らか。
いらぬことをリリアナに吹き込んで、惑わせたのは・・・」
「「!!」」
「初めに言ってあっただろう・・・。
ここに来たからには、二度と王都へは戻るまい、と。
・・・お前たちは、仕事の領域を侵したな」
「そ、そんな!!
お、お待ちくださいませ、先王陛下!!
わ、私共は、リリアナ様のお幸せだけを願って・・・!!」
「黙れ!!」
先王の怒声に、メイドたちはガタガタと震えながらも押し黙った。
「貴様らは・・・自分たちのしでかしたことの大きさを、理解しているのか!!」
先王の大声に、リリアナはびくりと肩を震わせる。
「もし、これが成されていれば、貴様らは死刑、リリアナは良くて自害、あるいは死刑になってもおかしくはなかったのだぞ!!」
「っ・・・」
心当たりのあった彼らは、一様に顔を強張らせながら顔を先王から反らす。
「反らすな、痴れ者!!
貴様らのせいで!!国が一時でも危機にあったことを知れ!!」
先王は怒りが収まらぬのか、そのまま怒り顕わに屋敷へと戻っていく。
その後姿を、メイドたちは茫然として見送った。
「そ・・・そんな、つもりで・・・」
「ひ、姫さま!!
我々はっ、決してっ、決してそのような、つもりでは・・・!!」
護衛騎士やメイドたちが必死になって言うが、リリアナの目には何も映らなかった。
その様子を見ていたグランは、自分の傍にいた騎士に一度頷くと、その騎士はリリアナの手を取って立たせる。
「ひ、姫さま!!
お待ちください!!
姫さまあああ!!」
リリアナの耳には、彼らの叫びは届かなかった。
―――彼らは、一度として気づいていなかった。
リリアナが、彼ら彼女の名前を、呼んだことがない事を―――。
それが幸せな事であるかどうか、本人たちしか知り得ぬことだろう。
「・・・さて、他のメイドや護衛騎士も既に捕らえられ、もうじきここに来る。
この度の事、ヴェルムンド王族への反逆罪と見做す」
グランは冷徹な声音で話し始めた。
本来であれば、まだ王室に入っていないグランに刑を決定し、執行する権限は与えられていない。
しかし、ここまで明確なものを野放しにするわけにもいかない。
「女王、イルミナ陛下の耳に入れば、酷く落胆される事件であることは確か。
陛下の妹で在られるリリアナ様を甘言にて惑わし、その身を一時でも危ぶませた罪は重い」
「ま、待ってください!!
お、俺たちはそんなつもりでは!!」
「では、どういったつもりだったと?」
グランの鋭い眼光に、噛みついた護衛騎士はしどろもどろになる。
「一つ、女王陛下の決定であった事項に背いたこと。
一つ、女王陛下の妹君を惑わせたこと。
一つ、その妹君に女王の座を狙うよう唆したこと。
すべて罪深く、許されるものではない。
よって、今回の件に関与した者は全て牢へと投獄。
刑の内容は追って知らせるものとする」
「まっ、お待ちください!!
全て、誰かの罠にございます!!
そうです!!
姫さまと我々を陥れようとする者の!!」
メイドの一人が半狂乱になりながらも叫ぶ。
それにグランは失笑を零し、傍にいる騎士に目配せをした。
された騎士は胸元から書類の束をグランに渡す。
「―――この者は、お前たちの行動すべてを監視していた。
そしてそれを報告書にしたため、いずれ王都に送る予定だった。
もちろん一人では情報に偏りが発生することもあるため、数人の手によるものだ。
彼らは宣誓し、万が一にでも嘘偽りを記せば首が飛ぶことも決定している。
・・・内容を、知りたいか」
「「・・・」」
グランの凍てついた言葉を聞き、誰もが押し黙らざるを得なかった。
そんな彼らの態度に、グランは先程までの淡々とした言葉遣いを止め、低い声で話し始めた。
「正直、私は非常に腹が立っている。
理由はわかるか?」
答えられるはずもない。
全く分からないのだから。
「・・・貴様らのせいで、私の最愛が苦しみ、嘆いた。
わかるか?
彼女なりに守ろうとした妹から来た手紙は、酷く稚拙で成長の見られない内容。
それによって苦悩し、悲しんでいるのに、助けることも・・・ましてや相談すらもされなかった男の気持ちが。
彼女が妹を大切に思っているのは知っていた、見捨てられない事も、知っていた。
―――なぁ、理解できるか・・・?
愛する人から頼られずにいる、男の気持ちが」
「―――」
誰一人、言葉を発さない。
いや、グランのその威圧感に、発せない。
「―――連行しろ」
グランの言葉に、その場にいたメイドと護衛騎士たちは騎士たちに捕らえられ、別に用意されていたであろう馬車に詰め込まれる。
「グラン様、
計画では訓練と称した護衛騎士が何人かいますので、そちらを拘束し、ただちに更迭いたします」
「一匹として逃すな」
「はっ!」
そしてグランは一人となった。
空を見上げれば、冬の薄い色をした空が目に映る。
不意に、イルミナに会いたくなった。
彼女は、今回のことを悲しみこそすれ、グランを責めることはないだろう。
ただただ、かつての自分の采配に苦しむのだろう。
次こそ、それを支えたいとグランは思った。
弱った彼女しか、支えられないなんて、なんて情けない男だろうか。
でも、それを幾度と行うことで、彼女が自分に頼ることを覚えてくれればいいと願ってしまう。
グランは、一度として自分がいい人だと思ったことはない。
年下の彼女が精神的に弱ったところを漬け込むようにしている自分は、悪い男だ。
それでもいい。
そうでもしないと、彼女は変わってくれない。
駄目になるイルミナを、指を銜えてみるつもりなど、毛頭もないのだ。
「―――あぁ・・・、会いたい・・・」
喧嘩別れのようなものであったが、それでも彼女が恋しい。
あの我慢強いところを、自分を犠牲にすることすら厭わない彼女に、会いたい。
今も、城で孤独に立ち続けているのだろう。
大人の男として最低な行動をとってしまった。
彼女を支えると言いながら、結果自分の欲望を優先させてしまった。
帰ったら、すぐさま抱きしめたい。
許されなくとも構わないから、謝って、愛しているのだと告げたい。
叶うなら、彼女から同じ言葉が欲しい。
そのために、グランは暗躍する。
イルミナが、これ以上苦しまなくていいように。
これ以上、悲しみの涙を流さなくてもいいように。