妖精姫の涙
「?、??」
「ひ、姫さま!!!!」
「なんてことを!!」
メイド二人は、悲鳴を上げた。
何が起こったのかわからないリリアナは、じんじんと痛む頬を押さえた。
どうして、こんなに、熱いのかしら、と考えるリリアナを猛烈な痛みが襲う。
混乱しているリリアナをよそに、その頬を叩いた先王は涙声にも聞こえる声で怒鳴った。
「―――馬鹿者が!!
なぜ、私が駄目だと言ったことを理解しようとしなかった!!
お前は、お前は・・・どうして駄目だと言ったのか、考えなかったのか!!」
衝撃から一拍遅れて、リリアナの目が涙で潤み始める。
それは留まることなくリリアナの頬を滑り落ちた。
左頬は、徐々に赤みを帯びていく。
護衛騎士とメイドはリリアナの傍に寄ろうとするが、それを騎士たちが行かせないように拘束した。
「・・・っ、?ひっく・・・、ぉ、と・・・さま・・・?
な、んで・・・、ひくっ、ぃた・・・いたぃ・・・」
崩れ落ちたリリアナの元に、先王は膝をついた。
そしてやつれながらもその麗しい顔に、涙の線をいくつも作りながら悲しそうに話し始めた。
「リリアナ、お前が王都に行けば・・・、
お前は二度と日の光どころか、この世で息をすることもできなくなるだろう・・・どういう意味か、分かるか」
「な、なんでぇ・・・、ど、して・・・そんなひどぃ・・・」
ぐずぐずと泣くリリアナに、先王は必死になって言葉を連ねる。
聞かせねばならない。
理解させなければ、ならない。
これが、きっと最後なのだと感じながら。
「聞け、リリアナ、頼むから、聞いてくれ・・・、
お前は王族だが、その務めを放棄した・・・それを理解しているか?
私がお前を女王に決めたと発表した後、お前は何をしていた?
難しいからと勉学を投げ出し、あまつさえ自分からなりたいわけではないと、そう言った。
ウォーカーがそうしたほうがいいと言っていたから、それに従っただけだ、そう言ったな?」
「だ、だって・・・、だって・・・」
「リリアナ、王とはそんな曖昧な感情で決めていいものではない。
そもそも、王とは、国の為の苗床だ。
国を繁栄するためだけに、その人生全てを使うのだ。
それでも、報われない立場、それが王という存在・・・―――いや、本来王族というものはそういうものなのだよ、リリアナ。
王は、民がいなければ成り立たない。
国とは、民がいて初めて国という名になるのだ。
王一人だけいても国とは呼ばない、そうだろう?
民は働き、王の為に税を納める。
納められた王族は、その分民の為に政策を考えたり、外交を行ったりしなければならない、いや、それでも足りないと言われる事だってあるのだ。
王族が民の為に出来ることなど、たかが知れている。
その一つに、国内の貴族との繋がりや他国との繋がりを強固にするために婚姻という手段があるのだ。
分かるか、リリアナ。
王族の婚姻とは、国に利益が出るものでなければならない。
私やお前のように、恋愛結婚自体、本来であればありえないに等しく、ある意味その決まりを破ったのだ」
「でも!!
お父さまもお母さまは、国同士の結婚だと聞いたわ・・・、私だって、とても偉い貴族のウィルと結婚したって、いいのではないの・・・!?
どうして、どうして許されないの・・・!?」
本当に何も知らない娘に、先王は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
一人は、自分の手を取ることなく勝手に育ち。
一人は、自分の手を取っても育つことができない。
―――いや、一人目は、こちらから手を放したのだったと先王は頭の中で修正した。
「リリアナ、お前、母の母・・・つまり祖母であるマリーネア女王のことを知らないのか?」
「しって、いるわ・・・。
とてもお強い方だったのでしょう・・・?」
「その強い、が何に強いのか、知っているのか?」
「―――?」
再び声を上げそうになった先王は、それを気力で止め、出来る限り冷静な声音で話し始めた。
自分の血の繋がりの一人であるはずのかの人のことでさえ、この愛娘は知らない。
「・・・お前の母の生国、ハルバートのマリーネア王妃は、その政策もさながら賢王妃として名を馳せたお方だった。
その女王は、私たちの婚姻を許可していなかった・・・、だが、私がどうしても結婚したかったので連れ帰ったのだ。
本来であれば戦を仕掛けられてもおかしくはなかったが、マリーネア女王は非常に理性的にそれを抑えた。
だがその理性と引き換えに、マリーネア王妃は王妃を娘として認識しなくなった。
私たちは、確かに愛し合って婚姻を交わした。
だが、私たちは理解していなかったのだ。
なぜ、マリーネア女王がお前の母との婚姻を許可しなかったのか。
お前の母は王妃としての能力が・・・足りなかった。
それ故に国の一部の貴族は幅を利かせようとし、私はそれを止められなかった。
マリーネア王妃は、それを理解していた。
だからお前の母をこちらに輿入れさせることに反対していた。
輿入れさせるなら、他の貴族の娘ではいけないのかとすら問われた。
・・・そして、ウォーカーのことも問題視している、とも。
あのまま、私が王としていればヴェルムンドは国として衰退していただろう。
私たちは、一時の感情に全てを任せて国を傾けようとした。
それを、お前の姉が戴冠する事によって阻止したといっても過言ではない。
だが結果として、ハルバートとは険悪とまで行かずとも疎遠になり、母が亡くなった時ですらお前の母は国に帰る事が出来なかった。
わかるか、リリアナ。
それが国同士の、決められた結婚というものだ」
「でも、お姉さまとウィルの婚約は決まっていなかったって聞いているわ・・・」
「水面下で動いていたのを、お前が割って入ったのだろう」
「!!!!
酷いわ、お父さま!!
私、そんなことをしていない!!」
リリアナは信じられない言葉を聞いたかのように目を丸くし、そして抗議する。
そんなつもりはかけらもなかった。
ただ、姉の手伝いを出来ればと、そう思っただけだった。
だが。
「ならばなぜ、お前は何も聞かなかった?」
「・・・え?」
「第二王女としてのお前に聞こう。
あの時、ライゼルトの倅はお前の姉に会いに城に来ていた。
勉強、とでも聞いていたか?
なぜ、それを疑わなかった?
なぜ、姉に問おうとしなかった?
お前の姉が沢山の講義を受けていることを、お前は知っていただろう?
ならばなぜ、一緒に受けようと思わなかったのだ?
どうして男である倅に教えを乞うた?
年頃のお前たちが一緒にいれば、噂が流れるのは決まっているだろう?」
先王の言葉に、リリアナは目を見開く。
そのことに考え至っていなかったと言わんばかりのその表情に、先王は渋面を作る。
「わかるか、リリアナ。
アレは、むしろのその噂を狙っていた。
そしてその噂を本物にしようとしていたのだ。
ライゼルトの倅は、アレが女王になる為に必要だった。
ライゼルトの力は、城で力のないアレにどうしても必要だったのだ。
恋愛感情など、まったく持っておらず、ただの利害の一致で成されたであろうものだった。
お前は、それはとても悲しい事だと言うのかもしれないな・・・。
だがな、リリアナ、それをせねばならないのが、王族というものなのだ。
それに、どうしてお前は姉の前で、女王になる事を承諾した?
そこまでの意思を以てして女王になろうとしていた姉の前で、どうして出来た?
私たちがそのようにしたのは勿論ある。
全面的に私たちが悪い。
だがリリアナ、なろうとすら考えてもいなかった女王に、なぜなろうと思った?」
奔流のような先王の言葉に、リリアナは小刻みに震え始める。
「・・・あ、あ・・・だ・・・て・・・」
「お前はウォーカーに良いように転がされ、姉を傷つけた。
お前が少しでも意思を持っていたら。
少しでも、姉の心を慮っていたら、あのような事は起こらなかったのかもしれん。
・・・どうしてそれに気づかない?
どうしてお前は、知らない、だってとしか言わない?
お前の姉は、お前を憎んではいないのかもしれないが・・・」
「先王」
先王が言おうとした言葉を、グランは脇から止めた。
それに先王は開いた口を何度か閉口させ、一度固く結ぶと細い息を吐きながら続けた。
「・・・。
リリアナ、お前の存在は、ウォーカーのような人間にとって最上級の餌だ。
お前を女王にすれば、国を良いように転がせると思っている奴はごまんといる。
それをすべて躱し、逆に利用する事が出来るというのか?
民からの圧力、貴族たちの傲慢な願い、それらに負けずに立ち続けることが出来るというのか?
毒すらも飲み、その身を激痛に侵されながらも、女王になりたいと・・・そう言えるのか?」
「どく・・・?
いや!!
そんな恐ろしいもの、どうして飲まないとならないの・・・!?
宰相みたいな人だって、傍に来させなければいいのではないの?
お父さま、どうして、どうして・・・」
先王はここまで話して理解しない娘に、初めて怒りを覚えた。
そしこれが、自身の娘なのだと思うと、言葉にできない思いがあった。
馬鹿な子ほど可愛いと誰かが言っていたような気がするが、それも限度がある事を知る。
「・・・お前の姉は、毒を飲んで、それを盾に国に仇名す貴族を粛正した」
「―――え?」
「私が統制できなかった貴族どもを、自らの身をもって粛清した。
そして自ら視察に出て、国を発展させるための新たな政策も発案している。
リリアナ、お前はそれが出来ると言うのか?
お前が王都に戻れば、今の姉を気に入らない者たちが・・・それこそそこにいるメイドや騎士のようにお前に囁くだろう。
お前こそが女王に相応しい、と。
そしてお前はまた転がされて、姉を傷つけていることにも気づかず女王になると安易に言うのだろう。
そしてお前の姉を支持する者たちに、・・・潰されてしまうのだろう」
先王は苦み走った笑みを浮かべながら淡々と話す。
今まで愛娘にそのような態度を取ったことはないが、こうでもしなければ先王の心が先に折れそうだった。
「そんな・・・、ひどぃ・・・」
「酷くない、リリアナ。
それがお前への正当な評価なのだよ。
可愛い子、私の宝、だが、それとこれとでは話が違うのだ。
もう一度言おう、リリアナ。
お前に女王は無理で、王都に戻れば必ずや何かしらの問題が生まれる。
お前の姉が必死になって積み重ねてきたもの全てを、お前は一瞬で壊すことになるが、いいのか。
そんなことをすれば、お前を崇拝する者・・・そして憎む者も出てくるだろう。
かつてのお前は至宝と呼ばれ愛されていたが、それ以上にお前の死を望む者も出てくる。
・・・それでも、行きたいと言うのか」
「あ・・・あぁ・・・」
リリアナは恐怖からカタカタと身を震わせながら首を横に振る。
ようやく、自分がしようとしている事の重大さを理解し始めたのだ。
そしてようやく、自分の命の危機というものを理解した。
「リリアナ、これはお前の姉からの優しさなのだ。
私たちは、一生ここから出ることなく終わる。
だが、出なければ面倒ごとや危険な事から離れていられる。
・・・もう二度と、あの子を傷つけないでいられるのだ・・・」
「・・・おねえさまを、きずつける・・・?」
「リリアナ・・・もう、私たちの存在自体が傷つけるのだ。
そうだろう?
娘として愛せず、親としての義務も果たさない。
私たちが憎まれているのは当然だが、お前とてその例外ではない。
むしろアレが妹であるお前を可愛がったのが奇跡だとすら思う。
考えてもみなさい、リリアナ。
幼き頃より愛されず、生まれた妹に全てを奪われ続ける人生を」
「わ、わたしはそんなこと・・・」
「馬車の中でもしたが、確かに親である私たちが全ての始まりだ。
だがリリアナ、お前もそれを当然としていた。
姉の誕生会が質素であることに疑問を持たず、噂される姉のことを表立って庇いもせず。
―――リリアナ、お前は無意識に姉を下と見ていたのだ」
「―――そ、ん・・・な」
「気づいていないだけで、周りから見ればそうなのだよ。
今も、姉は暗いと言って自分が助けてやらねばと言っていたな?
お前の周りの者以外の者に聞いてみなさい。
むしろこの国一番の光を持たんと頑張っていると誰もが言うだろう。
それにあの子は、お前の手助けなど何一つ必要としていない。
むしろここから出ない事を望んでいる」
「わ、たし・・・お姉さまに、嫌われているの・・・?」
呆然と呟くリリアナに、先王は痛ましそうに眼を細めるが、リリアナの言葉を否定しない。
だが。
「いいえ、イルミナは確かにリリアナ様を大事に思っていましたよ」
「―――うぃるの、お父さま・・・?」
グランはリリアナの目線に会うようにしゃがみ込む。
そして続けた。
「確かに、第二王女としてのリリアナ様を好きかどうかは難しい所でしょう。
ですが、ただの妹としてのリリアナ様は、大切に思っておられましたよ」
「ほん、とう・・・?」
「はい。
そうでなければ、ウィルや先王たちと共に、エルムストへ送る事もなかったでしょう。
逆を言えば、バラバラでも問題はなかった。
それでも、少しでもあなた方が安らかであってくれればと願った彼女が選んだのが、これです。
今回の件だって、彼女は貴女を消すということは出来るだけしたくないと願っていました。
だからアリバルとグイードをこちらに寄越したのです。
・・・グイードの言葉は、酷かったでしょう?」
グランの言葉に、リリアナは小さく頷いた。
村人という人たちは、みんなこうなのかと恐怖を抱いてしまうほど。
「彼も、イルミナを慕う者の一人です。
だからこそ、貴女が・・・今も恵まれた環境にいる貴女が許せなかったのでしょう。
実際に彼を連れて行くと決めたのはイルミナではありませんが、許可したのは彼女です。
彼女とグイードは友人ですからね、彼の人となりも知っています。
だから、彼の言葉が届いてくれれば、思ったのでしょう。
かつて、彼女が彼の言葉で初めての友人と呼べる存在を得たときの様に・・・たった一人の妹に、幸せになって欲しかったのです」
グランは苦笑を浮かべるながらそう話すが、リリアナはぼんやりとしながら見ているだけだった。
そんなリリアナに、グランは表情を引き締めた。
これからいう言葉は、彼女を酷く傷つけるとわかって。
「リリアナ様。
・・・貴女はこの先、一生子を持つことが許されないでしょう。
万が一にも孕んだ場合、ウィルの子ではないことは明白なので子の命がなくなるか・・・、よくて貴女から引き離されて育つことになります。
貴女の傍には、先王たちとウィル以外が傍に寄る事は、一生ありません」
「!!」
「貴女の世界は、ここ、エルムストの屋敷で終わるのです」
「―――な――、ん・・・で・・・、
お、おねえ、さまが・・・?」
「―――城の・・・国の、総意です」