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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
118/180

転がる花




不意に、思い出す。

艶やかな黒い髪に、宝石のような紫紺の瞳。

その体は折れそうなほどに細く、そして柔い。


強くあらねばと自身を鼓舞するその姿は、とても美しく、そして儚くも見える。

彼女は、強くて弱い。

頼り方を知らぬままに大人になってしまった彼女は、いまだにどうしていいかわからずにいるのだろう。

そんな彼女に八つ当たり同然の態度を取ってしまったことを、今更ながらに悔いる。

しかし、どうしようもなかったといえばそれは言い訳でしかないのだろう。


グランは、眼下にある屋敷を黙したまま見つめた。


愛している。

その気持ちには一切変わりない。

彼女ほど自分の心を乱し、まるで若造のような嫉妬に駆らせる人もいないだろう。

そして、本人は気付いていないのかもしれないが、彼女は魅力的な人物だ。


城だけの噂は、あくまでも城の中のものでしかない。

それも意図的に流されたもののほうが多かった。

しかし一度城から出れば、彼女への好意的な言葉のなんと多い事か。

視察をする事によって、暗いと噂されていた彼女の印象は払しょくされていた。

それを彼女は社交辞令のような感覚で受けていたのかもしれない。


しかし、それでは駄目なのだ。

いつまでたっても自己評価の低いままでは、彼女は駄目になるだろう。

求められるがままに理想の女王像を頑張ったとして、人は更に上を望む。

熱狂的な民衆は、味方でありながら敵にすらなりうる。

見限られないようにするために、彼女は必死になって頑張るだろう。

己を犠牲にしてでも。

そしていつしか、自身が自身の掛ける圧力に負けてしまう。

そんな状態になれば、きっと彼女は壊れてしまうだろう。


グランは、イルミナとの未来を望んでいる。

ぬるま湯の、おままごとのような優しい関係ではなく、痛みも、苦しみも、幸せも。

全てを分かち合えるような、そんな未来が欲しい。

傷つくことも、喧嘩をする事もあるだろう。

それでも、それらを一緒に乗り越えていけるような関係が欲しいのだ。

間違っても、犠牲になる事を前提とした関係ではないのだ。


「―――グラン様」


睨み付けるように屋敷を見ていると、背後から男の声がかかる。


「・・・どうだった」


「はい、やはりグラン様の想像通りになりそうな気配です」


その男の言葉に、グランはくっと笑った。

グランとて、先王との付き合いは長い。

それこそリリアナの溺愛具合に意見するほどには、親しい仲だと思っている。

そしてそれと同様に、先王妃とリリアナのことも、よく(・・)知っていた。


「―――ふん、馬鹿め」


エルムストに来て成長しているかと思いきや、全くその気配のない王族たちに、グランは吐き捨てるように言った。

そして自身の息子の不甲斐無さにも。


「それでいつくらいになりそうだ?」


「わかりませんが、近日中には動きがありそうです」


「そうか」


グランは男の言葉を聞くと、近くに待たせていた馬に歩を進める。

男は、グランに一礼するとその場から姿を消した。



これからグランがしようとしていることは、あまり褒められたことではないのかもしれない。

いや、むしろ大人の男としては糾弾されてもおかしくないだろう。

それでも。

―――愛する彼女との未来の為であれば、ある程度の泥を被ることなど。

グランは全く厭わない。





*******************





「姫さま、明日には用意が出来そうです」


「ほんと?

 みんなありがとう、これでお姉さまに会いに行けるわ」


リリアナはウィリアムと喧嘩のようなものをして以降、彼の来訪をすべて断っていた。

メイドは、リリアナが風邪をひいている為だと説明しているが、もちろんそんなことはない。

父も母も、侯爵夫妻との会話を楽しんでいるらしく、リリアナのところには来なかった。

それに対して少しだけ文句も言いたくなる部分もあるが、まさに好機と呼ぶべきだろう。


「騎士殿、本当に大丈夫なのでしょうね?」


「もちろんだ。

 外観は質素にせねばならんが、内装は完璧だ。

 それに今日の門番は既に買収してある。

 姫さま、初めは馬車を飛ばす必要があるのでお辛いかもしれません・・・」


「大丈夫よ!

 だって、みんな一緒に来てくれるのでしょう?

 一人だったら怖くて無理かもしれないけど・・・、みんなが一緒なら心強いわ!」


騎士の計画は簡単だ。

外見を出来るだけ質素にしたものにリリアナに乗ってもらう、同乗するのはメイド二人。

御者は騎士一人だが、訓練と称して先に外に出ている他の者たちと落ち合う。

そして初めは出来るだけ飛ばし、屋敷から距離を取るというものだ。


その間、残ったメイドにはリリアナが部屋にいるように細工してもらう。

いずればれるだろうが、出来る限りの時間稼ぎは行なわねばならない。

リリアナは、屋敷から出ることを禁じられているのだから。


道中で捕まれば、刑は免れないだろう。

だが、と騎士は思う。

女王たる御人は、リリアナ様でなければならんのだ、と。

崇高な使命感にも似たそれは、甘美な響きすら持っている。

城に戻れば、きっと誰もが理解できるだろう。

リリアナ様こそが、女王に相応しいと。

確かに、勉強などは苦手なのかもしれない。

だが、天上に住まう女神のごとき美しさを持つリリアナ様は、そういったことが出来ずともいいだろう。

その(かんばせ)に笑みを浮かべるだけで、きっと誰もが幸せを知るだろう。

自分が、そうなのだから。

騎士には自分が神の兵であるようにすら感じた。

今の女王は、きっと魔王的な役割だろう。

魔王を倒したあかつきには、リリアナ様が女王となり、そして自分はその側近としてお支えするのだ。


「さぁ、姫さま、そろそろ向かいましょう」


「わかったわ」




メイドは、緊張しながらリリアナを先導する。

人通りが少なくなる時間帯というのを前もって調べており、その時間にリリアナを馬車へと連れて行くことになっている。

後にいるリリアナは、こちらが思った以上に緊張をしていないようでにこにこと笑顔すら浮かべながらついてくる。

そのことに、メイドは内心で安堵しながら歩き続ける。


あの日、泣き伏したリリアナを見てメイドの心臓は驚きから凍り付きそうになった。

目を真っ赤にし、崩れ落ちるように泣き伏したその姿は、筆舌に尽くしがたいものだった。

この御方が、このように泣く世界など、あってはならない。

メイドはそう思った。

何が悪いのか。

そう、あの女王の名を騙る姉姫。

あの姉姫のせいで、自分たちの姫さまは泣き濡れているのだ。

本来、あの座に居なくてはならないのは、リリアナ様だというのに。


だから、リリアナが自ら王都に行きたいと言ってくれたのは良かった。

城にさえ行けば、誰もが女王という座に相応しいのはリリアナだということを理解できるだろう。

騎士たちも率先して準備をしてくれたおかげで、問題なく全てが進んでいる。

そう思った。







「―――馬鹿に付ける薬はないと聞いたが、本当のことだったか」





響く低い声に、誰もがその背筋を凍らせた。







*******************







「・・・先王、久しいですね」


「ぐ、らん・・・か?」


アリバルが滞在し始めて三日目の夜中に、先王の私室を訪れるグランの姿があった。


「お静かに。

 今は未だ、私がここに来ていることをばらしたくはないので」


グランはそう静かに言うと、バルコニーからその身を部屋の中へと入れる。

了承は取っていないが、こんな時間帯に訪問すること自体が非常識なので、今更だろう。

というより、そんなことを気にしていられないというのが今のグランの状況だった。


「・・・何をしに来た、

 アレとの婚約は済んだのではなかったのか」


先王の言葉に、グランは笑みを深くする。


「えぇ、もちろん。

 とくにお力を借りることなく結びました。

 そちらに関しては、この先もお力を借りる必要はなさそうです。

 ・・・それより、先王に伺いたいことがありまして」


先王は、グランの聞きたいことに心当たりでもあるのか、僅かではあるが顔を強張らせた。


「リリアナ様のことですが・・・何をされておられるのでしょう?」


「―――っ」


グランは、笑みを浮かべたまま言葉を重ねる。


「先王が溺愛していたのを知っていました、

 私は城にいたころから何度もお諫めましたと、記憶しておりますが?

 このままではリリアナ様の為にもならない、と。

 それでも何もしないままでいた結果、現状となりました。

 ・・・それで?

 なぜ、リリアナ様は変わっていないのでしょう?」


深まる笑みに、少しずつ重くなる空気を先王は感じながらも慌てて言った。


「い、言った!!

 私はリリアナと話をした!

 だが、あの子は私の話を一切理解してくれない!!」


「それで?」


グランはいっそ冷たくすら言った。

だが、実際そうとしか言いようがない。


「伝えたのですか、

 このままでいれば、毒杯を呷ってもらわねば困る、と」


「!!

 そ、そのようなこと!!」


「そもそも、引っぱたいてでも話を聞かせるべきでは?

 私はウィルのときはそうしましたが」


「娘と息子を一緒にするな!!」


「一緒ですよ」


グランは先王に怪訝な表情すら浮かべながら言った。

どうして、気づかないのかと。


「愛しい我が子でしょう?

 間違えた道をそうと気付けないのであれば、親としては何としてでも気づかせるのが愛情でしょう?」


そのグランの言葉は、先王に衝撃を与えていた。

手をあげることすらも、愛情?


「確かに、娘に手を上げるのは心が痛みます。

 当たり前でしょう、息子と違って、女の子である娘に手を上げなくてはならないなど、考えただけでも嫌です。

 ですが、そこで間違えているとしっかりと教えてあげられるのは親だけです。

 間違ったまま成長して、困るのは子供でしょう?

 なれば、多少嫌われたとしてもそうするのが、親というものではありませんか」



グランの言葉に、先王は昔を思い出した。

そう、自分がまた王太子だった時代よりも、もっと前。

まだ幼き頃、父に幾度か手を上げられたことがあった。

痛くて痛くて、自分は嫌われているのだとすらも思った時、母が教えてくれたのだ。

貴方の頬を叩いた後、父が一人後悔していたと。

厭うているから叩くのではなく、愛情故にそうしてしまうのだと。


その時、意味がわからなかったのを覚えている。

ならどうして、口で説明してくれないのかと。

愛しているのならなぜ、手を上げるのだと。

幼きあの日、自分はそうはなるまいと誓った。

そして生まれた愛娘を、溺愛した。


しかし、今になってようやく理解できた。

理解できてしまった。

きっと、あの時の自分とリリアナは似ていたのだろう。

いくら話をしても聞かず、間違いをそうと認めない。

認めねば、この先苦労する事が分かっていたから、だから嫌われると知ってもそうしていたのだ。

それ程深い愛情ゆえに、手を上げざるを得なかったのだと。


「―――いまさら、どうすればいいのだ・・・。

 お前だって知っているだろう・・・、

 私は、あまりにも子に無関心であった。

 リリアナにも、アレにも、等しく親子として接していなかった・・・。

 今更、今更どうすればいいというのかッ!!」


深い悔恨の色を見せる先王に、グランは言った。


「親も子も、結局は別の人でしかありません。

 言葉無く分かり合おうとすること自体が間違いです。

 先王、間違えたと認めたのであれば、今から直せばいいのです」


「―――そんなこと、出来ると・・・?」


「出来る、出来ないではありません。

 やるしか、ないのですよ」











「せ、んおう・・・へいか・・・」


「貴様ら、誰に許可を得てそのような事をしている?

 そもそも、私が何も知らないと思っていたのか?

 随分と甘く見られたものだな」


リリアナたちが屋敷の門をくぐった瞬間、その人たちは仁王立ちしていた。

居るのは先王、その背後にグラン・ライゼルト。

そして屋敷の警護と監視を兼任していた騎士たち数名だ。

いずれはばれるだろうと思っていたが、ここまで早いとは護衛騎士は想定していなかった。

ここで捕まれば刑が自分たちを待ち受けている。

それはまだいい、だが、リリアナだけでも王都に届けねば。

そう考えた護衛騎士は、手綱を握りしめようとすると、それを誰かが止めた。


「―――!!」


そこにいたのは、屋敷の騎士だった。

見たことのない顔だが、その手に込められている力は異常だ。

余りの痛さに、護衛騎士は呻きながらも手綱から手を離さざるを得なかった。


「恐れ入るが、馬車の中を検分させて頂く」


自分の手を握る騎士以外の、もう一人の騎士が御者をしている護衛騎士に声を掛ける。

痛みで顔が歪むが、それだけは阻止せねばならない。


「っ・・・!

 触れるな!!

 その御方は、貴様らのようなものが触れていい御方ではない!!」


激高したように言う護衛騎士を、騎士は無視して扉を開いた。

そして中には、いつもと比べて質素なドレスを着たリリアナと、二人のメイドが縮こまるようにしている。


「恐れ入ります、王女殿下。

 下車を」


冷たくすらも聞こえる騎士の言葉に、リリアナは涙を浮かべながらも渋々馬車を降りた。

出ないというのは悪手な為、メイドも大人しく外に出る。

そしてそこにいる人たちを視界におさめて、驚きを顕わにした。

みんなは大丈夫と言っていたのに、どうして父がここにいるのだろうか。

リリアナはそう考えるも、先ほどの騎士の怖い顔を思い出し、ふるりと震える。


「お、お父さま!!

 どうしてここに?

 この騎士、とても酷いわ、お父さま!

 助けて!!」


リリアナは、小走りになりながら先王の元へと近寄った。

いつも通り、助けてもらえると思って。

メイドはそれを制そうと言葉を発しようとするが、騎士の鋭い視線に沈黙させられる。


「リリアナ、どこへ行こうとしていた」


「え?

 どこって、王都に・・・」


一切悪びれた様子の無いリリアナに、先王は無表情になる。


「前に、行っては駄目だと言わなかったか。

 お前は、それを聞いていなかったというのか」


堅い父の声に、リリアナは戸惑いながらも首を横に振った。


「聞いていたわ、お父さま。

 でもね、考えてみたの、お姉さまには私が必要だって!」


「―――どういう意味だ」


「ほら、お姉さまは暗いでしょう?

 きっと楽しいことをあまりされていないと思うの。

 それだけじゃ、きっとみんなつまらないわ、だから私が行って、そのお手伝いを出来ればいいと思ったの!」


「―――それは、お前が女王になる、という意味で、言っているのか」


「?

 ならないわ、だって、お勉強とても難しいのだもの。

 だからそっちはお姉さまに任せて、私は楽しいことを―――」




その瞬間、リリアナの体は横に飛ぶようにして崩れ落ちた。



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