彼らの慟哭
リリアナには、わからなかった。
どうして、あんなに酷いことを言えるのか。
村から来た人というのは、ああいった人たちばかりなのだろうか。
確かに、姉には申し訳ない事をしたのかもしれない。
自分の結婚の為に、一時とはいえ女王の座を譲ってもらったのだから。
でも、自分からなりたいなんて一言も言っていない。
あの時は、ああするのが良案だと思ったので納得していたが、リリアナは一度として自分から女王になりたいなんて言っていない。
なのに、どうしてあそこまで言われなくてはならないのだろう。
リリアナは、ほろほろとこぼれ落ちる涙を悲しく思った。
エルムストに来て、あそこまで酷いことを言われたことはない。
・・・いや、城でもなかった。
目を瞑れば、先程までいたグイードと名乗った青年の姿が思い浮かんで、あまりの怖さにぶるりと震えた。
赤銅色の短髪に、鋭い眼。
体も全体的に大きく見え、リリアナの恐怖心をさらに煽った。
それらは物腰穏やかなウィリアムと違って、とても乱暴者のような印象を受ける。
最初は物珍しくて話をしたいと思ったが、リリアナはその好奇心を後悔していた。
「ひ・・・っく、ひどぃ、ひどいわ・・・」
あの鋭い眼、まるでとても怖い獣のようだった。
今にも噛みついてきそうなあの人は、悪夢に出そうなほど、リリアナの心に深い傷を負わせた。
「ウィル、ウィル・・・、どうして、みんな、ひどいことをいうの・・・?
わたし、なにもしていないのに・・・!」
縋りつくウィリアムの手が震えたように感じた。
どうして、どうして。
「ウィル!
王都に行きましょう・・・?
お姉さまに会うの、それで聞かないと・・・!」
リリアナの言葉に、ウィリアムは顔を曇らせるだけだった。
どうして、そんな表情をするのだろう。
どうして私が泣いているのに、慰めてくれないのだろう。
メイドや騎士たちは、すぐに慰めてくれるのに、どうして。
「リリー、それはできない」
「っ!
どうして・・・!?
どうして、みんなしていじわるを言うの・・・!?
私は、ただお姉さまに会いたいだけなのに・・・!
お父さまもそう!
会いに行きたいと言っても駄目だと言われたわ!
どうして、どうして・・・!」
絹を裂くような悲鳴がリリアナの唇から漏れた。
頬は涙で濡れ、その瞳はまるで宝石のように涙できらめいている。
リリアナが泣くと、心が痛むと思っていた。
かつて、彼女のその涙に苦しくなり、彼女の傍に居たいと思ったのだから。
―――だが、今は少しも痛まなかった。
ただただ、哀れにすら思ってしまう。
彼女の、その成長の無さに。
「リリー、僕たちはここから出てはいけないんだよ」
「っ、なんで・・・!?」
むしろウィリアムのほうが聞きたい。
どうして出られると思ったのだろうか。
「リリー、僕たちはイルミナ陛下を傷つけた・・・、
それはわかっているね?」
「・・・でも、お姉さまは許して下さったでしょう?」
きょとんとした表情のリリアナに、ウィリアムは絶句した。
許しの言葉をそのまま字面通りに受け取ったとでもいうのだろうか。
「リリアナ、本気でそう思っているのかい?」
「?
お姉さまだもの、許して下さったのなら大丈夫でしょう?」
ウィリアムは放心しそうにすらなった。
リリアナの、イルミナへの絶対の信頼は一体どこから来るのだろうか。
初めて会った時だって、イルミナの好みが分からないと言っていたと記憶している。
つまり、二人はそこまで仲良くないのだろうとすら思っていた。
それだというのに、どうしてリリアナは姉というだけでそうも思い込めるのだ。
「リリアナ、君は、許せるのかい・・・?」
「何を・・・?」
「本来自分がいるべき場所を奪われ、さらに祖父程の人に嫁げと言われることを・・・許せるのかい?
頑張って頑張って、やっと自分の居場所を作れそうになった時に、それを奪われて、君は許せるのかい?」
少なくとも、ウィリアムは絶対に許せないだろうと思う。
そこに至るまでにどれだけの時間と犠牲を払ったのかは人それぞれだと思うが、それでもきっとウィリアムは許せないだろうと考える。
「?
私には分からないけれど、でも許せると思うわ」
「―――」
あぁ、とウィリアムは気づいた。
気づいてしまった。
リリアナに決定的に足りないもの、それは。
他者の気持ちに寄り添う優しさだ。
全てにおいて寄り添う必要などない、が。
その優しさが無ければ人は寄ってこない。
リリアナの周りに人がいたのは、ひとえに彼女のその人形のような美しさゆえだろう。
それを本人も、周りも、誰も気づかずにいた。
だからリリアナはこうなってしまった。
「リリー、僕なら、許せないんだ」
「どうして?」
「だって、僕が君と一緒にいるために頑張った全てを、無駄にされるんだ・・・、どうして、許せるんだ?
君の傍にいるために、それだけの為に自分の立場を思い知らされながらも頑張ったあの日々を、一瞬で無駄にされるなんて、僕は死んでも嫌だ」
ウィリアムの言葉に、リリアナは考え込んだ。
「・・・ウィルの言う通りかもしれないわ・・・。
私も、私が頑張ったことを無駄にされたら、許せないのかもしれないわ・・・だって、ウィルと離れるなんて嫌だもの」
「ならどうして」
「?」
「どうして、どうしてっ、イルミナ陛下が許せると思うんだ・・・!」
怒りすら宿っているように見えるウィリアムの目に、リリアナは後ずさりそうになった。
どうして、そんな怖い目をするの?
どうしたの、ウィル。
そう聞きたいのに、リリアナの唇は縫ったかのように開くことら出来なかった。
「リリー、聞くんだ。
僕たちは間違いを犯したんだ。イルミナ陛下が女王となる為に必死に勉強してきたことを全てを、僕たちは一時でも無駄にしたんだよ。リリー、リリアナ、その絶望が君にわかるかい?
女王になれず、更には祖父程の年の差のあるウォーカーに嫁げと言われたときの陛下の気持ちが、少しでもわかるかい?
王族として、国外に国の為に嫁ぐならまだしも、陛下は先王の安易な采配によってそれを強要されそうになったんだ。
リリー、君が女王になると言っていたのに勉強が進まなかったあれらを、陛下は幼いころからずっとしていたんだよ、なのにどうして、そんなことが言えるんだ・・・?」
掴まれた腕が、痛い。
お父さま、お母さま、誰でもいいから助けて!!
「リリアナ!!
頼むから理解しようとしてくれ!!
このままじゃ、このままじゃ君は・・・!!」
ウィルは悲痛な声でそう叫ぶと、いきなり力を失ったように項垂れた。
いつもだったら心配するところだけど、今のウィルは怖いから近づきたくない。
ずりずりと後ずさると、ウィルが顔を上げた。
「―――うぃ、る・・・?」
ウィルは、泣いていた。
額に皺を寄せて、とても悲しそうに。
「―――っ、リリー・・・、僕には、君しかいないんだ・・・。
僕たちは、一生子を持つことができない・・・、僕にはもう、君以外大切にできる存在は出来ないんだ・・・」
「―――え?」
リリアナは、ウィリアムの言った言葉が理解できなかった。
子が、持てない・・・?
それは、リリアナの心を大きく打ち抜いた。
「どう、いう、こと・・・ウィル・・・、
私たちは、赤ちゃん、出来ないの・・・?」
リリアナの言葉に、ウィリアムは悲痛な表情を浮かべる。
そして静かに頷いた。
「・・・正確にはリリー、君が駄目なんだ。
僕は子が出来ないように施術されている、だが、本当に子を儲けてならないのは君なんだ。
君は、王族だ。
もし君が子を産めば、その子は次のヴェルムンドの国王になる可能性がある。
その場合、君とイルミナ陛下には少なからず血が流れることになるだろう。
それを防ぐための措置だ」
「な、んで・・・」
リリアナは呆然とした。
―――リリアナは、自分の人生を漠然としたものでしかなかったが想像していた。
愛しい人の傍で、その人の子を産み、そして愛情いっぱいに育てていく。
そう、自分がそうだったように、自分の子もそうしてあげようとしたのだ。
それが、ある意味ではリリアナの夢だった。
「―――いや!!!!」
「リリー・・・?」
「いやよ!!
私は、ウィルと結婚して、そして赤ちゃんを産むの!!
お父さまやお母さまみたく、素敵な家族になるの!!
お姉さまはおかしいわ!!
どうして、どうして、酷いわよ!!
みんなみんな、酷い!!」
「リリー!!」
リリアナは泣き叫びながらそう言うと、部屋から飛び出した。
そしてそのまま自室に飛び込む。
「姫さま!?」
部屋にいたメイドと護衛騎士が、リリアナのただならぬ様子に血相を抱えた。
「ひっく、ひっく・・・」
「姫さま、姫さま、いったいどうなさったのです?
一体誰が、姫さまを・・・」
「・・・ねぇ」
メイドがリリアナの頬をハンカチで拭おうとすると、リリアナはそれをさせる前に言葉を発した。
「わたし、おうとにいきたいの」
「!!」
メイドと騎士の表情が一気に強張った。
リリアナはそれに気づかず、虚ろな目のままで再度言う。
「わたし、おねえさまにあいたいわ・・・、
ねぇ、だれか、おしろにつれていって・・・」
無表情のまま、涙を流しながら言うリリアナに、メイドと騎士たちはなんとお労しい姿なのだと涙をのんだ。
そして、このままではいけない、とも。
自分達の愛する姫が、こんな悲しそうにいてはいけない、と。
「姫さま、我々でお連れします」
「そうです、わたくし共もお手伝いします。
姫さまこそ、王都にいるべきで女王に相応しいお方なのです。
あの薄暗い第一王女では、ヴェルムンドが駄目になります」
それは、リリアナにとってひどく甘く優しい響きを持っていた。
「―――そう、よね。
お姉さまは、暗いもの・・・、私が一緒にいて、明るくして差し上げなくては、ならないわよね・・・」
リリアナは、暗い微笑みを浮かべた。
―――そうだ。
姉一人では、国は暗くつまらないものになってしまうだろう。
勉強ばかりの姉は、きっと楽しい事を知らないに違いない。
それを妹である私が教えてあげるのもいいかもしれない。
きっと、姉よりも自分の方が知っているだろう。
そう考えると、それが酷く素晴らしい考えのようにリリアナには感じられた。
きっと、姉も感謝してくれるかもしれない。
そうだ、誕生日パーティーの楽しさも教えて差し上げないと。
姉は、面倒くさがり屋なのか知らないが自身の誕生日パーティーを開くことをしないのだから。
「早く準備致しましょう。
善は急げですわ」
「我らは馬車を準備してまいります。
姫さまが乗られる馬車に万が一があってもいけませんから。
それと、出来るだけ早い出立が好ましいでしょう。
侯爵さまがいらしている間であれば、先王陛下の目も緩むでしょうから」
「わかりました。
さぁ姫さま、急いで準備を致しましょう?
ドレスも動きやすいものをご用意いたしますわ」
「わかったわ。
・・・みんな、ありがとう」
目尻をほんのりと赤く染めながら、リリアナは微笑んだ。
正直名前を正確には覚えていないが、それでも自分のことを一生懸命に考えてくれる人に悪い人はいない。
そうリリアナは考えていた。
「グイード殿、
いくらなんでもあれば不敬ですよ!?」
部屋を飛び出したリリアナを追うことを諦めたウィリアムは、グイードに用意された部屋に行った。
リリアナはきっと自室で泣き伏しているだろう。
あとで慰めに行けばいい。
だが、それ以上に目の前でふてぶてしくいる男に物申さねばならないとウィリアムは思っていた。
「不敬だろうが構わないさ。
だがな、お貴族様、俺は少しも間違えたことをしたとは思ってねーよ」
堂々とした態度のグイードに、なぜかウィリアムは一瞬威圧される。
「そもそも誰も言わねーからあんなんになったんだろ?
あれでイルミナの二個下とは信じらんねーな。
やっぱアイツは変わり種って言ったの、間違ってなかったのか」
「・・・その、アイツというのはイルミナ陛下のことを言っているのか・・・!?」
ウィリアムも信じられないというような視線をグイードはめんどくさそうに受け止め、そして肯定した。
「あぁ、俺とアイツ、友達なんだよ。
初めて村に来た時にその話をしてな。
まぁ、オヒメサマがあんなんになったのに、イルミナが全く関係ないとは言わねーけど、あれはないだろ」
「先ほどから不敬に過ぎるぞ!?
首を落とされたいのか!?」
「誰がそれを許可すんだよ。
少なくともイルミナは許可しないだろうな。
勝手にやりでもしたら、ここにいるやつらは全員牢送りだ」
グイードはそう言ったが、実際にはイルミナはそんなことしないだろうと考えている。
何かしらの罰はあるだろうが、彼女は基本的に私的に権力を使用しないだろう。
だが、ウィリアムはそれを知らない。
「・・・!
確かに、君の言う通りで僕たちは誰一人リリアナにあのような言い方はできない・・・、
だが、言い方というものがあるだろう!
あれではリリアナを傷つけるだけだ!」
「だからなんだ?
一生傷つけないで守るつもりか?」
「っ・・・」
「それならそれでいいがな。
だがな、生きている人間っているのは楽しい事や辛いことがあって、成長してこそだろう?
傷つけないように真綿で守った人間なんて、本当に生きてるって言えるのかよ?
人の痛みを理解できない、そもそも痛みという概念自体あんのか?
お前が好きになった女って、そんなわけわかんない人なのかよ?」
その瞬間、グイードは横っ面を殴られた。
「―――ってぇ・・・」
「・・・確かに、お前にとっては魅力的に映らないのかもしれない・・・、だが!僕にとっては愛しい人なんだ!
お前の言いたいことだって、理解できる・・・。
リリーは、他者への配慮がないだろう・・・、でも、ここで一緒に学んでいけたらいいと思っていたんだ!!
愛する彼女と共に、成長出来たらと・・・!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴るウィリアムに、グイードは笑みを零す。
村では殴り合いの喧嘩なんてしょっちゅうだった。
正直に言って、ウィリアムの拳はそれらと比べてとても軽い。
「ふん、わかってんじゃん。
だったら理解出来んだろ。
お前たちのやっていることは、一番やっちゃなんねーことだ」
「わかっている!!
だが、もうどうやっても届かないんだ!!」
「・・・は?」
「いくらリリーに話しても!!
彼女は理解しようとすらしてくれないんだ!!!!」
血の吐くようなウィリアムの絶叫に、グイードは言葉を失った。