歪むひと
「お可哀相な、リリアナ様。
本当であれば、姫さまが女王となられていたはずだというのに・・・」
さめざめと涙を零すメイドを、リリアナは不思議そうにみた。
「どうして、女王になれないと可哀相なの?
私は、ここでお父さまとお母さま、ウィルと暮らす方がとっても幸せだわ」
「姫さま、
こんな寂れた屋敷に、姫さまは似合いません。
姫さまはもっと美しくて大きい城が似合うのです」
拳を握り、目元を赤く染めながら話す騎士に、リリアナはわからないと首を振りながらみる。
「どうして寂れたなんて言うの?
お父さまもお母さまも気に入っているのに、どうしてそんなことを言うの?」
リリアナには、どうしても分からなかった。
本当のところ、女王にならなくてよかったというのがリリアナの本心だ。
姉であるイルミナは、いつだって勉強ばかりしていたように思う。
いつだって歴史書やら過去の記録やら色んなものを読んで、勉強をしていた。
これからのヴェルムンドをさらに良くするためにと色んな知識を得ようとしていた。
しかし、自分がそれをするなんて、想像もできないのだ。
だから、リリアナは少なからず理解していた。
国のためを思うのであれば、自分が女王とならないほうが良いと。
それだというのに、一緒にエルムストへと来てくれたメイドや騎士たちはリリアナを憐れむように見る。
お可哀相に、そればかりを口にするのだ。
姫さまは可哀相と。
本当なら、美しい姫さまこそが、女王に相応しいのに、と。
「ねぇ、ウィル」
「どうしたんだい、リリー」
リリアナとウィリアムの関係は、婚約者でしかない。
リリアナの希望で、結婚式の真似事をしたが、実際にはまだだ。
理由は、女王であるイルミナが結婚をしていない以上、妹であるリリアナは控えるべきだというもの。
そのため、リリアナとウィリアムの寝室は分けられていた。
「ねぇ、ウィル。
どうして、こうなってしまったのかしら・・・?」
「リリー?」
ウィリアムは、ぼんやりと虚ろな目をする愛する人を見る。
エルムストに来て、既に数か月が経過した。
先王と先王妃は、エルムストに来てからは穏やかに暮らしているようで、表情からも険が取れたように見える。
リリアナも、はじめの頃は屋敷での生活に慣れず、泣き伏していることが稀にあったが、今では以前のような華やかな笑みを浮かべることもあった。
ウィリアムは、こうして間違いではなかったのだと胸をなでおろした。
だからこそ、リリアナの言葉に反応できなかった。
「ウィル、みんな言うのよ。
私が可哀相だって。
私は幸せなのに、どうしてそんなことを言うのかしら・・・?」
「!!
誰だ、そんなことを言うのは!
リリー、愛しのリリアナ。
僕たちは幸せだろう?
義父上と義母上がいて、一緒にゆっくりと出来て、幸せだろう?」
「・・・でも、お姉さまはいないわ」
「リリー、イルミナさまは女王陛下だ。
お忙しいのだろう」
「でもでも!
お姉さま、一度もお手紙を下さらないのよ・・・?
本当は私、お姉さまに嫌われているのかしら・・・」
「リリー、そんなこと、あるはずがないだろう。
確かに、僕たちは間違えた。
やってはならないことをした。
許して下さるには時間がかかるだろうが、君の姉上はそんな狭量な人かい?
きっと、ものすごく忙しくて書く時間がないだけだよ」
ウィリアムは精いっぱいのフォローをする。
しかし実際はそうでないことを知っている。
自分たちが行ったことは、駄目だ。
罪には問われていないが、それに同等することだということを、ウィリアムは知っている。
だが、それをリリアナには言えない。
彼女は、あまりにも無知すぎるから。
「そう・・・そう、よね。
みんなの気のせい、よね」
「そうだよ、リリー。
陛下はお優しい方だ。
大丈夫、いつか手紙だって送ってくれるだろう」
この時のウィリアムの悪手は、リリアナがちゃんと自分の意志というものを持っていると考えたことだった。
第二王女である彼女なのだから、その立場そして発言力を理解していると思っていたことだ。
「―――でも、みんなが、いうのよ」
ウィリアムは気づけなかった。
リリアナという第二王女は、与えられているだけの王女だということを。
自身で物事を思案するという、そもそもの考えがないということを。
いくら考える様にと教えられても、リリアナにはそもそもの意味が理解できていないということを、ウィリアムは気づけなかった。
それは、先王や先王妃が気付かずにそのように育てていたものだった。
それを唯一知って理解して、利用したのは元宰相ティンバーだけだということすらも、誰も気づかなかった。
「―――これを、頼む」
ウィリアムは、幾度目になるかわからない手紙を、監視役であろう騎士に手渡した。
それに対する返事は、今のところ一度としてない。
それでも、手紙を送ることをウィリアムは止められなかった。
自分が悪いのは、痛いほど理解していた。
父、グランが言う通り、話していれば良かったのだ。
自分が好きな人が出来たと、それが第二王女だと、相談していれば良かったのだ。
しかしそれが良くないことだと理解していた。
だから相談できなかったというのもある。
だが、父には相談すべきだった。
それを怠ったことで、イルミナという少女を傷つけた。
それに気付いたのも、言われてからだったが。
「・・・ウィリアム殿、返事が来ないのに、送り続けるのですか?」
騎士は、苦い顔をしながらウィリアムに問う。
確かに、すでに二桁を越えるそれに、一度として返答はない。
もしかしたら、封すら切られていないかもしれない。
それでも、ウィリアムには送らないという選択肢はなかった。
「手間をかけさせて申しわけないが・・・」
「・・・わかりました。
ではお預かりします」
手紙を預かった騎士の小さくなるその背を見ながら、ウィリアムはため息をついた。
エルムストでの生活は、ウィリアムにとっては想像以上に安らぎだった。
城にいて、一時女王となるリリアナを支えようとしたあの日々を思い返せば、雲泥の差だ。
誰一人として、ウィリアム個人を見ない。
誰もが、背後にいた父を見ていた。
あれほど虚しいものはない。
そして同様に、リリアナという王女の足りなさも知ってしまった。
彼女では、女王としてなりえないだろう。
それほどまでに、リリアナという王女は何も出来なさ過ぎた。
それに気づかずにいた自分も自分なのだが。
それにしても、と思う。
自分から見たリリアナは、あまり変わっていないように思える。
自分の立場を理解し、勉強するでもなく日々好きなことをしているだけのように見える。
先王と先王妃から話を聞き、泣き伏していたのがまるで嘘のようにすら感じてしまうほどだ。
そう、まるで、話などなかったようにすら見えてしまうのだ。
ウィリアムはそこまで考えて、頭を振る。
そんなはず、ない。
リリアナだって王女だ。
そして同じ王女の姉が蔑ろにされていた事実は動かしようもない。
それによって、先王たちがリリアナを溺愛したことも。
その所為で、イルミナ女王が傷ついていたことも。
それらを聞かなかったことにするはず、無いだろう。
自分たちのせいで、彼女が傷ついたというそれを、理解していないはずがないだろう、と。
ウィリアムは、一抹の不安をかき消すように、足早に歩きだした。
「お父さま、私新しいドレスが欲しいわ!
それに王都で流行りのお菓子も食べたいの。
ねぇ、王都に帰っては駄目なの?」
愛娘であるリリアナの言葉に、先王は絶句した。
その愛らしい口から出る言葉は、到底信じることの出来ないものだ。
「・・・リリアナ、それは出来ない」
先王の言葉に、リリアナはきょとんとした。
まるで言葉の意味が分かっていないようにすら見えるそれに、先王は呻きそうになった。
「どうして?
お父さまのご病気もそんなに悪くないのでしょう?
みんなでお姉さまに会いに行きたいわ!
ここにきてからお友達とも会っていないし・・・」
「リリアナ、私の可愛いリリアナ。
お前の姉には会うことはない。
私たちはここから出てはならんのだ」
先王はきっぱりと言った。
それが決定であり、事実だからだ。
イルミナが女王としてヴェルムンドに在る限り、先王はもちろんリリアナとて王都に戻ることはない。
それが唯一彼らに出来ることだからだ。
しかし、リリアナはそれを理解しようとはしなかった。
「どうして?
どうして、お姉さまに会えないの?
お父さま、おかしいわ。
私たちは家族なのよ?
お父さまとお母さまはいけないことをしたから駄目かもしれないけど、私はお姉さまの妹よ?
それに私、お姉さまのこと大好きだもの」
先王は、無邪気にそう言う娘を、まるで化け物を見るかのような目で見た。
コレは、なんだ?
「リリアナ、お前が王都に戻れば、お前を女王として擁立しようとする輩がいるやもしれんのだ。
だから王都には戻れない」
「そんなの!
私は女王になんてならないわ!
そう言えばいいのよ!
ね、お父さま、ちょっとだけよ?」
先王は先ほど堪えた呻きが思わず出てしまうのを止められなかった。
どうして、この可愛い娘は理解してくれないのだろうか。
そういう問題ではないのだ。
リリアナがそう言ったとしても、担ぎ上げようとしてくるものは無理矢理にでも担ぎ上げてくる。
どうしてその考えに至らないのだろうか。
「お父さま、みんな、私はお城にいるべきだって言うの。
女王は無理だけど・・・、でもお姉さまのお手伝いくらいはしたいわ」
「―――誰だ」
「?」
「誰が、そんなことを言った?」
先王は鋭い視線をリリアナに向けながら問うた。
しかしそんな目で見られたことのなかったリリアナは、一瞬で涙目になる。
「おとうさま?
とても怖いお顔だわ・・・。
そんなお父さま、いやよ」
「リリアナ、誰がそんなことを言ったと聞いている」
「いやっ!
そんな怖いお父さまには話してなんてあげない!」
リリアナはそっぽを向き、そのまま退室する。
「リリアナ!!」
逃げるように姿を消したリリアナに、先王は深く、深くため息をついた。
自分の罪だとは理解しても、あそこまで酷いと言葉にすらできない思いが胸中に生まれる。
愛する王妃との間に生まれた、愛おしい娘。
それが、今のリリアナ。
先王は絶望にすら似た思いを抱きながら、ゆっくりと立ち上がり筆を執った。
ウィリアムがグランに対して手紙を送っているのは聞いてる。
そしてそれに対する返事がないことも。
しかし、今の先王にはそれに縋らざるを得なかった。
今のリリアナは危険だ。
自分の言葉を、一つたりとて理解していない。
理解していれば、あのようなことは言わないはずだ。
理解し、自分で物事を考えるようにしているのであれば、口にすらしないであろうことを、リリアナは何も考えていないような表情で言った。
それはつまり、誰かに利用されるしかないということだ。
先王とて、城のことはよく知っている。
国のことを考えてくれるもの、私利私欲に走るもの。
今のイルミナの周りには国のことを考えてくれるものが多いようだが、それも一体いつまでもつか。
誰だってそうなのだ。
はじめは、崇高なる思いで仕える。
しかし、気が付けば知らぬ間に自分のことしか考えなくなっているのだ。
それが、権力の恐ろしいことだ。
先王は手紙を書き終えると、ベルを鳴らした。
鳴らして数秒後、侍従がやってくる。
「お呼びでしょうか?」
「あぁ、すまないが、これを」
「どなたに?」
「・・・女王の婚約者、グラン・ライゼルトに」
「・・・かしこまりました、手配いたします」
侍従はそれだけ言うと、すぐさま手配するために先王の前を辞す。
先王はそれを見届けると、椅子に深く腰掛けた。
このままいけば、リリアナはどうなるのだろうか。
過去の歴史からすれば、毒杯を与えられても可笑しくはない。
リリアナには、子を産むことは認められていない、それすなわち、王族としての役目すら果たせないという事だ。
そんな存在を、いったいいつまで許容してくれるのだろうか。
どうして、その言葉だけが先王の胸中を埋めてゆく。
自分たちの教育は間違っていた、それは痛いほど理解できる。
だが、あそこまで酷くなるものなのだろうか。
あそこまで、無知で居られるものなのだろうか。
このままでは、リリアナはこの世から退場させられる。
実の姉であるイルミナの采配によって。
それだけは、阻止しなければ。
先王はそう思う。
いくらリリアナの頭が弱く、王族にあるまじき存在だとしても先王にとっては目に入れても痛くないほどの愛娘だ。
イルミナに対してはいまだ苦い思いしかなく、正直に言ってしまえばまだ己の娘として認識は出来ても理解が出来ない。
だが、姉妹殺しの汚名を着させるわけにもいかないのだ。
その手紙の後、ウィリアムにグランからの手紙が一通だけ届く。
エルムストの現状を問う内容と、リリアナの状態を問うもの。
そして、父として息子の状態を問うとても短いものだったが、それを読んだウィリアムは一人、涙を零した。