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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
113/180

相反する日




本格的な冬が始まった―――。


空は鈍色の雲に覆われ、景色は静かな色へと染まっていく。

白い雪が降ることは滅多にないが、それでも芯から冷えるような寒さが肌を打つ。

街を歩く人は誰もが足早で、早く火の入った温かい場所に行こうとその歩を進めていた。


城とて例外ではなく、誰もが鼻先を真っ赤にしながら仕事をしていた。

騎士たちは鉄の甲冑の下には保温効果の高い服を着、首はマフラーで覆われている。

それでも寒いのか、時折ガシャガシャと足踏みをする音が響く。


そんな中、ヴェルムンド国騎士団の団長の交代式は行われた。







「・・・では、本日を以てして、ヴェルムンド騎士団団長をキリク・マルベールとする」


声高らかにアーサーベルトが宣言した瞬間、参加していた騎士団員からわああああっと歓声が上がった。

それをイルミナは静かな笑みで見ていた。


壇上の上では、アーサーベルトからキリクが団長の証であるマントを手渡されている。

真っ赤なそれは、裏地には騎士団長の証である双剣があしらわれている。

それは、騎士であれば誰もが一度は着てみたいと思う逸品だ。

キリクはそれを羽織ると、イルミナの前へと出、そして跪く。


「本日より、騎士団長を拝命いたしました。

 キリク・マルベール、我が身全てにかけてヴェルムンドを守護する楯、そして剣たらんことを宣誓いたします」


イルミナは大様に頷いた。


「キリク・マルベール団長。

 宣誓をしかと受け取りました。

 守護たるもの、しっかりと励むように」


「はっ!!」


キリクは一度深く礼をすると、その場をあけた。

そして次にその場に来たのはアーサーベルトだ。


「・・・騎士、アーサーベルト」


「はっ!」


イルミナは目の前に跪くアーサーベルトに、静かな声をかけた。

ヴェルナーに一度目配せをし、それにヴェルナーが頷く。


「本日をもってして、貴方は騎士団長という座から離れます」


「は」


「そして本日より、私個人の騎士となり、全てのものから守るように命じます。

 クライス」


イルミナはヴェルナーを呼ぶ。

その彼の手には、深紅のクッションの上に装飾の施された剣が置いてあった。

それは、イルミナがアーサーベルトを個人的な騎士にするという証を作らせたものだ。

イルミナはそれを手に取ると、アーサーベルトの肩へと置く。


「アーサーベルト、私に忠誠を誓いますか」


イルミナは、しんと静まり返ったその場で厳かに言う。

騎士たちは、それをまるで絵画のように感じながら見ていた。

騎士であれば、誰もが一度は望むであろうその光景は、誰もが鳥肌をたてた。


「―――この上ない、幸せにございます。

 この我が命、女王陛下の為に捧げます」


そしてアーサーベルトは深く頭を下げた。


「・・・これより、何人たりとも騎士アーサーベルトに命ずることは禁じます、

 彼のすべてにおける全権は、私のものです」


その瞬間、怒号のような歓声が沸き上がった。

キリクの時の比にならないそれは、キリクですら雄たけびを上げていた。

あまりの大きさに、イルミナは一瞬よろめく。

それを傍にいたヴェルナーは顔を顰めながら支えた。

その表情に、イルミナは苦笑を零す。


そして鬼神、後にヴェルムンドの双璧と呼ばれたアーサーベルトの退団式は終了した。







***************






「今日はお疲れ様でした、陛下。

 本日分の執務もほぼ終了しておりますので、どうぞごゆっくりとなさってください」


ヴェルナーがそう言いながら手元にある書類に目を通す。

冬になってしまえば、ほとんどのことが止まる。

ある意味休養期間とでもいうのだろうか。

しかし、その時間を限界まで使用して来年の春を迎えねばならない。

しかし現段階ではこれ以上出来ることはないということろまで来ていた。


「いいのですか?

 まだ出来ますが」


イルミナは報告書をまとめながらヴェルナーに言う。

しかしアーサーベルトがそれを止めた。


「陛下、

 陛下は働き過ぎです。

 少しは休まれないと、体を壊しますよ」


「・・・そうですね、陛下?

 以前も休息をとるように言ったのをお忘れですか?」


「!」


思い出したくないことを指摘され、イルミナは言葉に詰まる。

またあのように説教をされるのは御免こうむりたい。


「わ、わかりました。

 では何かあったら連絡だけは怠らないように願います」


「もちろんですよ、陛下。

 あぁ、それと明日の予定なのですが」


「はい」


「少しだけ来春に向けての朝議を行います。

 各領地の確認とその要望を我々で精査します。

 そのあと、メイドたちから陛下の婚姻衣装に関しての打ち合わせをしたいとの話がきております。

 グラン殿と一緒にお願いします。

 何かご質問はありますか?」


「いいえ、わかりました。

 ・・・アーサー、グランと話をしたいので私室の応接室に来るよう伝えてもらえますか?」


「かしこまりました」


アーサーベルトはすぐさま行動を起こし、部屋を出る。

イルミナは同様に部屋に待機していたメイドに紅茶の用意を願うと、部屋はイルミナとヴェルナーだけとなった。


「・・・陛下、例の件ですが」


「わかっています。

 すでにアリバルは出立しました。

 まだ道中ですが、今のところさしたる問題はないようです」


「グラン殿には」


「まだ、です。

 これから話す予定です」


「・・・遅いですよ、陛下」


「・・・わかっています」


本来であれば、ヴェルナーに相談した時点でグランに相談すべきだったのは理解している。

しかし、イルミナはそれが出来なかった。

理由は、非常に単純なもので。


―――恐かったのだ。


ただでさえ、イルミナは肉親関係で既にグランに迷惑をかけている。

しかも、エルムストに封じ込めることによって片が付いたと思っていた矢先、まさかの終わっていなかったという状態だ。

正直なところ、これ以上迷惑をかけることに対して恐怖を覚えていたのだ。


絶対に嫌われないなんてことはない。

嫌われなかったとしても、呆れられたり、面倒がられることだってあり得る。

イルミナは、それがどうしても怖い。


これを誰かに相談していたのであれば、所詮他人同士なのだから、そう疑心暗鬼になるのは致し方ないことだとアドバイスをしただろう。

だからこそ、言葉を重ねることが大切なのだと。

しかし残念なことに、イルミナには相談できる相手というものがいなかった。


そもそも、イルミナには同年代、そして同性の友人というものはいない。

幼少期から蔑ろにされるイルミナに、どの貴族も自身の娘を近づけようとはしなかったためだ。

そしてイルミナ自身、アーサーベルトに剣の教えを請うたり、ヴェルナーから講義を受けたりすることでそういったものがあるということも知らずにいた。

グイードを初めての友人と称したのは、嘘でもなんでもなかったのだ。


「陛下。

 ではこれから話をされるとよろしいでしょう。

 いいですね、陛下?」


「・・・わかりました」


イルミナは渋々といったように頷いた。

本当は理解している。

言わなくてはならない事なんだということを。

でも、イルミナはグランに相談する前に手を打った。

そのことを話すことも、怖かった。

自分を信用してくれていないのかと、自分は必要ないのかと詰られそうな気がして、どうしても腰が引ける。


そうしたのは自分なのに、後悔しているのだ。


「・・・」


イルミナはキリキリと痛む胸を、そっとおさえた。







「イルミナ、話があると聞いたが」


それから三十分もしないうちに、グランはアーサーベルトに連れられてやってきた。

グランはこれから王配として、イルミナを支えなければならない。

そして実際に行なえる部分と、そうでない部分というのを王族歴史部から講義を受けている。


ヴェルムンドで、女王が擁立したというのはさして珍しいことではない。

しかし、王がそうであるように女王が常に賢君であるはずはない。

愛に溺れて、国を傾けそうになったものもいる。

そういったものたちがどうやって国の闇へと消えて行ったのか、そしてそれを唆した者たちの末路など。

要は国の暗部に関することの講義を受けているのだ。

ちなみにイルミナは女王になると決めたとき、既にその講義を受けている。


「丁度良かったです。

 紅茶を用意しますね」


「陛下、私は扉の前で待機しています。

 何かございましたらお声がけを」


「ありがとう、アーサー」


アーサーベルトが退室し、少しだけ開いた扉の前に待機するのを確認すると、イルミナは用意されていた紅茶を準備し始めた。

ふわり、と香りが広がる。


「ありがとう」


グランがテーブルに置かれた紅茶を手に取り、一口口にする。

そして暫しの沈黙の後、グランが口を開いた。


「・・・それで、話というのは」


「もう、わかっているのでしょう?」


ヴェルナーと話をしていて、イルミナは不意に気づいた。

グランは、いつでも相談して欲しいと言っていたのを。

それはつまり、何かしら相談すべきことがあるという前提の話だ。

そしてグランは、ウィリアムと手紙のやり取りをしていた。


「・・・リリアナのことです」


絞り出すように言ったそれに、グランは苦笑を浮かべた。


「一体いつ、話してくれるのだろうと思っていた」


「知っているのであれば、教えてくれても良かったと思います」


少しだけ不貞腐れたように言うイルミナに、グランは視線を下にしながら笑みを浮かべる。


「君は何でも自分でしようとする癖があるだろう。

 今回もそうだ、リチャードが出立していることに気が付かないとでも思ったか?

 どうして私に話をしてくれなかったんだ」


「!」


イルミナが一番恐れている言葉だった。


「ち、違うのです、信用していないわけではなくて・・・」


「ならどうしてだ?

 どうして、私にウィリアムとの手紙の内容を聞かなかったんだ?

 イルミナ、私は確かにライゼルト辺境伯ではなくなった。

 だが、辺境伯として培った力や情報はあるんだ。

 ・・・どうして、私を頼ってくれないんだ」


グランは力の無い笑みを浮かべ、紅茶を飲み干す。

その様子に、イルミナは一気に顔を青ざめさせた。

居ても立ってもいられず、イルミナは縋るように対面にいるグランへと近寄り、抱き着いた。


「ち、違うのです、

 頼っていないわけじゃなくてっ・・・!」


カタカタと震えているイルミナの肩を、グランは優しく押した。


「イルミナ、結果的に、そう思ってしまうのだよ」


「!!」


イルミナは、無意識に首を横に振った。

違う、そんな、そんな表情をさせたいわけではないのだ。


グランは一度ため息をつくと、いつもの笑みを作って浮かべた。


「イルミナ、少し、考える時間が欲しい。

 もちろん君との結婚をやめるつもりはない。

 だが、このままの状態がこれからも続くとなると、私も私なりの覚悟が必要だ。

 ・・・情けない話だが、成長する君にまだついていけていない私が悪いんだ」


イルミナはグランの言葉を聞いた瞬間、血の気が引くのが分かった。

言った言葉の意味を、理解したくない。


「や、やだっ!

 まって、まってグラン!

 わ、わたしがいけないの!」


イルミナは縋りつくようにグランの腕を握る。

そんなイルミナを、グランは痛々しいものを見るように見た。


「いや、イルミナは悪くない。

 悪いのは私なんだ。

 イルミナ、私はエルムストに向かおうと思っている」


「!!

 な、なんで・・・」


「君がそうなって(・・・・・)しまった大元の原因は、君の両親と妹だろう。

 そして君は、未だに彼らから離れられていない。

 だから、そうやってすべてを怖がる」


「ち―――、」


ちがう、となぜかイルミナは言い切れなかった。

そんなはずはない。

だって、イルミナは既に彼らと決別しているのだ。

もう二度と会う事はないと、そう思ってあの日彼らの馬車を見送ったのだ。

それだというのに。


「特に、妹のことに関すると君は酷く動揺をしているように見える。

 それは、君の中で彼女の事が消化しきれていない証拠だろう?」


グランはそう言い、縋りつくように腕を掴むイルミナの手を、そっと剥がした。

その行動に、刃を突き立てられたような痛みがイルミナの心を襲う。

今まで、グランがそのようなことをしたことがなかった分、更に痛みは増す。


「や、いや、いや・・・」


言葉に出来ない恐怖が、イルミナを襲った。

そんなイルミナに、グランは愛おしそうに―――だが切なさすらも見える笑みを浮かべた。


「大丈夫だ、イルミナ。

 必ず、帰ってくるから。

 少しの間だけだ、待っていてくれ」








イルミナは一人、薄暗くなる部屋にぼんやりと座っていた。


「―――」


どうして、自分は一人でいるのだろうか。

どうして、自分から大切な人は、離れていくのだろう。


―――ほろり


イルミナの白い頬を、涙が滑り落ちていく。


いや、本当は自分が悪いことなんて分かり切っているのだ。

大切だと、好きだと伝えておきながら、頼ることをしなかった。

それがどれだけグランの心を傷つけていたのか、イルミナはようやく気付いた。

否、気づかされた。


「―――っ!!」


あの、見たことのない笑みを浮かべた瞬間、イルミナは自分が駄目なのだと気づいた。

大切な人に、あんな表情を浮かべさせて、どうして好きだと言えたのだろうか。

傍にいて欲しい、自分個人の時間を渡すなどと、言えたのだろうか。


自分だって、頼りにされて悪い気などしないのに、どうしてそれを他人にしようと思わなかったのか。

一番傍にいる、グランに対して。

ぼろぼろと涙は絶えることなく、その細い首筋すらも濡らす。


「―――っふ、く・・・うぅ・・・」


泣く資格なんてない、そう思っているのに。

もっと傷つけた人がいるというのに、イルミナの涙は止まらない。


「ご、ごめ・・・ぃ・・・」


女王になって、一人前になったなんて気のせいだった。

いや、きっと驕っていたのだ。

もう、一人前なのだから大丈夫だと、勝手に思い込んでいたのだ。

だから、人の気持ちを考える事もせずにあんなことをしてしまったのだ。



イルミナは、漏れそうになる嗚咽を必死に小さくしながら、涙を零し続けた。



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