彼らの話
「・・・アリバル、どうしたのですか」
イルミナはいきなり入室してきたアリバルに胡乱気な視線をやる。
入室を許可した記憶もなければ、彼は話の最中に失礼、そう言っていた。
つまり、彼はイルミナとヴェルナーが話をしていたのを気付いたにも関わらず、入室してきたという事になる。
普通であれば時間を置いてからもう一度来るべきところを、彼は敢えてしたのだ。
ということは、何かしらあると考えるのが妥当だろう。
「そんなに凄まないでください、陛下。
少しお話したいことがありまして伺わせていただきました。
クライス宰相と話されている中、失礼したのは申し訳ありません」
アリバルは彼にしては珍しく、毒のない笑みを浮かべながら謝罪する。
「・・・仕方ありません。
用とは何でしょうか?
緊急ですか?」
イルミナはため息をつくと問うた。
それにアリバルは微笑みを浮かべる。
「―――先ほどのお話ですが」
その言葉で、イルミナはヴェルナーがアリバルと話したのだろうと理解する。
しかしそれを責めたりなどしない。
きっとヴェルナーなりに考えた結果だと考えたためだ。
「・・・どこまで、聞いているのでしょう」
イルミナは探るようにアリバルを見る。
貴族の中でも喰えない貴族である彼を前に、イルミナは一瞬たりとて気を抜けない。
国を良くするという同じ志を持つ同志だが、もし自分が誤った道に進もうとすれば彼ならばすぐに切り捨てるだろうと知っているためだ。
それは理想的な臣下であるが、それ故に油断は禁物だ。
「リリアナ様からの手紙の件は、聞いておりますよ」
「そうですか」
アリバルの話しぶりからするに、ヴェルナーはアリバルに相談をした。
そしてイルミナの望む、会話の場が必要だということを言った、というところだろうか。
ヴェルナーは、リリアナが何かしらの病になってくれる方が近道だと提案していた。
しかしアリバルの言葉によって、その考えを改めたらしい。
いくらヴェルナーが宰相として有能だとしても、アリバルの言葉は否定できなかったのだろう。
「では、アリバル。
貴方はどう考えますか?
話し合いの場を得てから、考えるか。
あるいは、その場を持たずに切り捨てるか」
答えはわかっていても、イルミナはアリバルに問うた。
そして。
「もちろん、前者です。
戦続きの時代であれば、陛下が王族の血に濡れたとしても問題はないのですがね。
生憎と今は平和な時代です。
陛下は、学び舎や治水など平和な統治を望む部分を見せています。
それを帳消しにするような行動は、できるだけ控えるべきでしょう」
イルミナは心の中で頷く。
確かに、イルミナの政策は平和あっての物だ。
しかし、もしイルミナがリリアナを処刑するようなことがあれば、実の妹ですら切り捨てる冷徹な女王と印象付けても可笑しくない。
そうなれば、他国もそうだが国内のものもイルミナに対して腹に一物抱えることだってあり得る。
「・・・話を聞いていたのであれば早いです。
ヴェルナーとも話した通り、誰を派遣するかです。
私やヴェルナーはもちろん、アーサーを行かせるわけにはいきません」
イルミナは先ほどと同じことをアリバルに伝える。
「それはもちろん、当然のことです。
なので、私から提案が」
「それは?」
話を聞いていたヴェルナーが聞く。
「私と、私の妻、そしてグイードを連れていきたいのです」
「・・・グイードを?」
イルミナは想像もしていなかった名を聞いて、素で驚いた。
「はい、グランでも構わなかったのですが、彼は貴族として一度彼らと話をしているでしょう?
面識のない、そして陛下のことを知る人物が好ましいのです」
イルミナはアリバルの考えが欠片も理解できなかった。
どうして、村人でしかないグイードがここで出てくるのだ。
そもそも彼はアウベールに戻ったはず。
ぐるぐる考えるイルミナにアリバルは続けた。
「リリアナ様と、グイードは年も近いでしょう。
そして陛下、私はグイードがさらに成長すると見込んでいるのです。
今の彼は勉強したての純粋さと実直さを持っています。
であれば、きっと先王やリリアナ様たちにも同じ対応をしようとするでしょう。
わからないことを素直に聞く、その言葉の通りに」
「・・・だからと言って、王族と村人を会わせることなど可能なのですか。
面会拒絶すらされます」
ヴェルナーは渋面のまま問う。
王族と平民は簡単に会えるような立場ではない。
王都近郊にある孤児院ならまだしも、辺境と呼んでいいほど遠くにある村の人たち程、王族というものを知らない人もいない。
それは王族や貴族もそうだが。
仮に、会おうと手続きをするにしても、とてつもない時間と労力、そして金がかかる。
そうまでして王族に会いたいと思う平民のほうがおかしい。
それを考えると、イルミナは大分特殊な部類に入る王族だ。
孤児院はもちろん、周辺の町や村を視察していた。
どの村や孤児院に行っても、最初はとても驚かれたことをイルミナは思い出す。
「ですから私と妻なのです。
ナタリーと共に先王を訪ねる際、自分の養子になるかもしれない子を連れていても可笑しくないでしょう?」
「・・・無理がありませんか?」
イルミナは反対する。
養子にする可能性があるだけで、平民であるグイードに彼らが会うとは思えない。
何も起こらないとは思うが、友であるグイードが傷つくようなことは起こってほしくない。
先王たちはイルミナに対しての考えは改めたようだが、それとこれは話が別だ。
「いいえ、ごり押しします」
にこりと笑うが、その笑みにうすら寒いものを感じたイルミナとヴェルナーは一瞬鳥肌を立てる。
しかしごり押しはいけないだろうとヴェルナーは頭を振った。
「アリバル殿、いくら何でもそれは現実味に欠けます・・・。
どうしてもグイードを連れたいのですか?」
ヴェルナーは理解できないと視線で言いながら問うた。
効率の良さを最も重要視するアリバル侯爵。
その彼がグイードという賭けにも等しい存在を連れて行くなど、ありえない。
ヴェルナーの言葉に、アリバルは少しだけ目を見開いて、彼にしてはまたも珍しく薄く笑った。
「・・・なぜでしょうかね。
私にもよくわからないのですよ。
ですが、彼を連れて行った方がいいと私の勘が告げている。
情報を扱う、この私が、ですよ。
一番信じられないのは私です。
ですが、不思議と納得している部分もあります。
・・・陛下、どうか私を信じて下さいませんか」
真摯な目を向けるアリバルに、イルミナは考え込む。
彼がこうまでして自分に言うのか。
それを、信じるべきかどうか、イルミナは迷った。
そして。
「・・・わかりました、アリバル」
「陛下!?」
目を伏せながら言うイルミナに、ヴェルナーは正気かと言わんばかりの声を上げる。
ヴェルナーとて、アリバルのその有能さを認めていないわけではない。
むしろ、情報戦という舞台において、彼に勝てるとは言えない。
しかしこれとそれは別だ。
リリアナという存在は、今のヴェルムンドに於いて毒でしかない。
しかし消すことも活かすことも出来ないので、放置するしかないその毒を、本当にアリバルは制御できるとでも言うのだろうか。
一歩間違えれば、いったいどんな未来が待ち受けることになるのか想像すらできない。
それを。
「アリバル」
「は」
「貴方は、私が王位継承する際に、私に忠誠を誓う、そう言っていましたね」
「確かに」
「その言葉に、二心はありませんか」
イルミナは伏せていた目をアリバルの目に合わせる。
一切の嘘も、欺瞞も許さないと語るそれに、アリバルは一瞬だけ鳥肌をたてた。
「―――もちろんです、我らが女王陛下」
「―――」
そしてどれほど二人は見つめ合ったのだろうか。
「わかりました。
この件に関しては貴方に任せましょう。
もちろん、全てにおいて記録を取り、私に報告をしてください。
一つでも嘘があれば、その時はわかりますね」
「かしこまりました、陛下。
一言一句、違えることなくお伝えいたします」
「いい心構えです。
予定ではどのくらいに出立して、戻りを予定していますか」
「グイードのことですが、実は彼は村に一度戻った後、私の屋敷で勉強をさせています。
私も準備の為に一度屋敷に戻りますので・・・、出立は・・・そうですね、五日後を予定します。
滞在は長くても一~二週間くらいを目安に。
なので一か月以上は王都を離れることになります。
何かございますか?」
「いいえ。
何か変更があればすぐさま連絡を。
あぁ・・・私の鷹を一羽貸します。
何かあれば、彼女を使って下さい。
そのことに関しても後ほど人をやります。
明日、同じ時間帯に来て下さい」
「かしこまりました、陛下」
アリバルはそう言い一礼すると、イルミナの執務室を後にした。
「陛下!
本気ですか、
アリバル殿がいくら情報に強いとはいえ、今回はそういったもので話になるかどうかすら分からないのですよ?
どうして許可なさったのですか」
アリバルが退室して少し経つと、ヴェルナーは静かにイルミナに矢継ぎ早に質問し始めた。
声音こそ落ち着いたように聞こえるが、こめかみにピキリと青筋がたっているように見えたのは、イルミナの気のせいではないだろう、残念なことに。
「落ち着いて下さい、ヴェルナー」
「落ち着いていますとも。
しかし陛下、アリバル殿のことを嫌っている訳ではありませんが、彼の性格を知っていると、どうしてもこういったことに手を出すような人には思えないのです」
ヴェルナーの言葉に、イルミナも心の中では頷く。
確かに、今までのアリバルの印象ではそのようなことをする人物とは到底思えない。
むしろそういった面倒事は潰してしまえと言うかと思った。
しかし、彼はそう言わなかった。
「・・・確かに、私から見ても彼はそのような人物には見えませんでした」
「ならなぜ」
ヴェルナーの言葉に、イルミナ自身何故だろうと考える。
だが、何故か信じたくなったのだ。
先王のいる前で、忠誠を誓ってくれた彼のことを。
「ヴェルナー、アリバルとて今までのように生きるつもりがないのかもしれません。
アリバルがリリアナと話をして、何がどうなるのか想像もつきませんが、それはアリバルとて同じでしょう。
奥方を連れて行くといったのも気になります。
・・・ヴェルナー、私は、私に忠誠を誓ってくれたアリバルという男を信用したいと思います」
「・・・本当によろしいのですか?」
確認するように問うヴェルナーに、イルミナは一度頷いた。
「―――わかりました。
ではそのように手配いたしましょう。
鷹を一羽、貸し与えると仰っておられましたね」
「はい、
ルージュを」
ルージュとは、イルミナ個人の鷹で、その性格は比較的に温厚だ。
「わかりました。
ではそのように手配いたします。
私は一度失礼いたしますね」
「お願いします」
「あぁ・・・、それと陛下」
ヴェルナーは扉に手をかけながら思わずといったように振り返った。
「グラン殿は、どうされるおつもりですか?」
「グラン、ですか?」
予想もしていなかったその名に、イルミナの思考が一瞬止まった。
「はい、何も話されていないのでしょう。
グラン殿が探りを入れてきましたよ」
「!」
確かに、イルミナはグランに今回の件を一切話していない。
大本はグランの持ってきた手紙によって起こったことだ。
場合によっては、彼がそのことを悔やむかもしれないと思い、未だに話すことをしていない。
「陛下、お気持ちはわからなくもありませんが、相談されるのであれば早めにされたほうがよろしいかと」
「珍しいですね、ヴェルナー。
貴方がそのようなことを言うなんて」
イルミナの言葉に、ヴェルナーは苦笑を浮かべる。
その、どこか切なそうにすら見える笑みに、イルミナの心臓はどきりと鳴った。
「・・・愛する人に頼られないというのは、とても辛いことですから・・・」
ヴェルナーはぽつりと零すと、失礼しますと言って執務室を出た。
イルミナは、その後姿に声をかけることが出来なかった。
「―――ふっ、愛する人、か」
執務室を出たヴェルナーは、自嘲気味に笑みを浮かべた。
伝えないと、形にしないと決意したあの日から、ヴェルナーの心を占めるのはイルミナ一色だった。
正直、自分でも驚くほどの想いに、幸せと同時に苦さを感じさせる。
今回、イルミナがグランではなく自分を頼ってくれたことを嬉しいと、そう思ってしまった。
彼女の中に、自分がしっかりと存在しているのだと思うと、天にも昇りそうな思いだった。
あの紫紺の瞳が自分を映している、それがどれほど素晴らしいことなのかと思い知った。
―――それと同時に、この想いを口にしてはならないと戒めを強くしなければならなかった。
この想いは、崇拝からくるものなのだと、言い聞かせなくてはならなかった。
「・・・本当に、苦しいものだ」
考えてみれば、グイードという青年はなんて幸運だったのだろうと思う。
あの時のタジールの行動の意味が、今になって理解できる。
伝えなければ、終わりにすることもできないのだ。
吐くことのできない想いは、ヴェルナーの心の内をのたうち回る。
「・・・ィ・・・」
思わず出そうになったその言葉に、ヴェルナーは唇を噛み締めることで何とか耐える。
目を固く閉じ、眉間に力を入れる。
拳を握りしめ、何かを振り切るようにじっと耐える。
どれくらいそうしていたのか―――。
ヴェルナーは一度頭を振ると、目を見開いてカツカツと歩き始めた。