女王のため息
イルミナは一人、暗い部屋でどうしようかと悩んだ。
先ほどまでの恐慌状態はようやく落ち着き、今は冷静に物事を考えられるまでには回復していた。
いつもであれば既に就寝している時間だが、そんなことを言ってられない。
リリアナの手紙は、それほどまでに重要事項だった。
―――成長したかと思っていたのに、まったく変化が見られない手紙。
それは、父母であるあの二人がリリアナに説明しきれていない、あるいは納得させられていないということ。
それと同様に、ウィリアムもリリアナの手綱を握れていないということだ。
誰もリリアナの手紙に触れていないことから、中身を確認せずに送ってきたのだろう。
王族だからそれも仕方ないのかもしれないが。
「・・・どうすべきか」
まだ、手紙の段階であれば手は打てる。
そもそも、彼らはエルムストから出ること自体出来ない。
そのようにイルミナは先王たちに伝えたし、手配した。
しかし、それとて絶対ではない。
万が一、イルミナの知らないリリアナの信者が、彼女をエルムストから連れ出そうとしたら?
そもそも、今の彼女の周りにいるメイドや騎士も彼女の信者に等しい。
その彼らが、リリアナの今の状態に納得いっておらず、返り咲こうと企んでいたとしたら?
少なくとも、メイドたちがリリアナに対して憐憫の情を持ち、それを本人に言っている。
それもあって、リリアナの考えはああなったと考えるのが妥当だろう。
それを考えれば、メイドや騎士たちを一緒に送るべきではなかったとイルミナは後悔する。
しかしいまさら言っても無駄だ、考えるべきことはこれからどうするかだ。
イルミナが健在の今、リリアナが王都に来るのは問題しか生まれない。
そうしないために、ウィリアムや先王たちと共に封じたというのに、なぜその考えに至らないのか。
本当に先王たちは説明したのかと問いたくなる。
彼らが住んでいて穏やかにやっているというのは表面的なものなのか。
それらも含めて調べる必要がある。
最近はイルミナ自身が忙しかったため、エルムストからの定期連絡は有事の時のみと決めたことを、今更ながらに後悔する。
―――いったい何度後悔すればいいのだろうか。
「次から次へと・・・」
とりあえずイルミナはヴェルナーと話をすることにした。
自分一人で対処できる問題ではない。
チリン、とベルを鳴らすと隣室からジョアンナがすぐにやってくる。
「御用でしょうか、陛下」
「夜分遅くに悪いのですが、宰相のヴェルナー・クライスを呼んでください。
出来るだけ急がせて」
「宰相様、ですか?
かしこまりました。すぐに」
ジョアンナは一礼するとすぐさま部屋を後にする。
イルミナはグランも呼んだほうがいいだろうかと考えて、それはまだいいかとも考える。
先ほどの彼の様子を思い返せば、きっとリリアナの手紙のことは知らないのだろう。
ヴェルナーとの話次第で、ウィリアムに連絡を取ってもらうほうがいいのかもしれない。
イルミナ一人で考えて対応するということはしない。
あまりにも繊細過ぎる問題だからだ。
そこまで考えて、イルミナはため息をついた。
どうして、リリアナは成長しないのか、不思議でならなかった。
普通の人であれば、何かしら変わっていても可笑しくないというのに。
しかし、変わらなかったのだろう。
だからあんな手紙が書けたのだ。
やはりリリアナには女王は無理だ。
何も考えず、自分のことしか考えない彼女ではヴェルムンドを駄目にする。
女王がそれでは、国としての歴史を終えるだろう。
何か対処を考えなくてはならないのに、どうしても何も思いつかない。
どうしてリリアナは成長しないのか、どうして先王たちはその状態に気付かないのか、ウィリアムは気付いていながらどうして手を打とうとしなかったのか。
そんな今更ながらのことばかり考えてしまう。
ぐるぐると回り続ける、意味もない思考に辟易し始めていると。
「陛下、お呼びと聞きました。
失礼してもよろしいでしょうか?」
「入ってください」
イルミナが入室を許可すると、食事会の服装のままのヴェルナーが入ってきた。
「忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ、ほぼ終わっていましたので。
それで、如何されたのですか?」
「・・・これを」
ヴェルナーは強く香るその手紙に、一瞬だけ目を細めた。
「これは・・・手紙、ですか?
拝見してしまって、よろしいのですか?」
「むしろ読んでください。
そのことで貴方を呼んだのです」
「・・・では失礼して」
ヴェルナーは、既にイルミナが対処しきれない何かを抱えていると気づいた。
理由は入室した時の、イルミナの顔色の悪さだ。
先ほどまでは疲れからか、若干精彩を欠いていたが、今はただ顔色が悪かった。
自分と別れてから、何かがあったのだろうと気づくほどには。
室内を確認したが、その場にグランの姿はない。
ということは、彼が退室した後に発生した何かだということはわかる。
一緒にいる時点でそのようなことが起こったのであれば、今も一緒にいるだろう。
しかし、そんな短時間でイルミナが自分を呼ぶほどの何かは起こり得るものなのだろうか?
そう考えていると、イルミナから何枚かの紙を渡された。
強い花の香りに、ヴェルナーは一瞬目を細めた。
強すぎる香りは苦手だと感じる。
読んでほしいと言われたので、持ち前の速読で中身を確認し、そして絶句した。
「―――なんだ、これは・・・」
つい敬語が抜け落ちてしまうほどの衝撃だった。
「・・・やはり貴方でもそう思いますか」
イルミナは椅子に深く腰掛けたまま、目を手で覆いながら言った。
「失礼いたしました・・・、
いったいいつこれを?」
「先ほどです。
グランはウィリアムと手紙でのやり取りをしていたようでして。
先王が私に書いたのもありますよ。
それに便乗してだとは思いますが・・・」
手で隠されて目元は見えないが、それでもその声音は疲れ切っているのがわかる。
実際、見たヴェルナーとて一瞬で脱力感ともいえる何かに襲われたのだから。
イルミナが自分以上に神経を削っているのは、言うまでもないだろう。
「・・・どうされますか、陛下」
ヴェルナーはイルミナに問うた。
正直、第二王女がここまで酷いとは思わなかったのだ。
いくら女王に向いていないとはいえ、彼女だって王女としての教育は受けていたはずだ。
それだというのに、この手紙内容ではあまりにも酷い。
「城に戻せるわけがないでしょう。
担ぎ上げようとする人が全くいないと言えないのが、現状なのですから」
「それはもちろん、今更退場された第二王女殿下の居場所はここにはありませんからね。
しかし、そうだとしても納得させる必要はあるのでは?」
「というと?」
「今ここで一言駄目だとお伝えしても、理解出来ていない第二王女殿下は納得せず同じ内容の手紙を送られるでしょう。
そして、万が一にもあそこから抜け出して王都に来る可能性もあり得ます。
そうしてしまったら、ある事ないこと言いふらされる可能性もあるということです」
「そう簡単に抜け出せる警備体制にはしていないと思いましたが?」
イルミナは試すようにヴェルナーを見ている。
その視線を向けるということは、イルミナも気づいているのだろう。
警備体制とて全てが万全なわけがない。
いくら手厚くしたとしても、抜け出さない絶対の確証なんてないのだ。
「そのように手配しても、どこからか綻びが生まれてしまうのが人です。
・・・今更ですが、第二王女殿下と一緒にメイドたちを送ったのは失策でしたね。
正直に言って、ここまで酷いとは思ってもいませんでしたが。
ですが今更メイドと騎士を離しても、付け焼刃にしかならない上に、悪手でしょう。
引き離したことによって更に燃え上がりかねません」
「やはりそうですよね。
ですから困っているのです。
正直、どうしたらいいのかわからず困っています」
目じりを下げて心底困ったように言うイルミナに、ヴェルナーは瞠目した。
いつだって彼女は、考えに考えて何かしら案を出していた。
どんな些細な案でも、言わなければ意味が無いと教えたのは他ならぬ自分なのだから。
それを一切言わない、ということは何も案が思い浮かばないということだ。
しかしそれも仕方のないことだとも考える。
ヴェルナーにとっての一番は、イルミナだからすぐさまいくつか案は出てくる。
そう、イルミナにとって最善ではなく、女王としてのイルミナの最善だが。
ヴェルナーはそう思っても、イルミナにとって第二王女は妹なのだ。
かつては自慢に思っていた妹に対して、非情になって切り捨てるという考えが思い浮かばないのかもしれない。
だが、これとそれとでは話は違う。
可愛い妹だとしても、一歩間違えれはクーデターを起こそうとしているとみられても可笑しくないのだ。
それを野放しにしているわけにはいかない。
それは、宰相としても、イルミナの傍に立つものとしても。
「恐れながら陛下、
言いたくないのかもしれませんが、リリアナ様には・・・、
王都に来れない状態になって頂かなくてはならないかと」
ヴェルナーそう言った。
「・・・来れない・・・?」
「はい。
陛下には辛いご決断になるかとは思いますが、リリアナ様に女王としてやっていけないという何かがあればいいのです。
―――怪我、あるいは、病など」
「!!」
「先王たちが説明したにも関わらず、このような手紙を書けるということは、リリアナ様は変わられることはないとみてもいいでしょう。
そして、かの方の存在は貴女を脅かし、ひいてはヴェルムンドが沈む要因にすらもなり得ます。
その前に、何かしらの手は打つべきかと」
「・・・そ、れは・・・」
「今すぐこの場で決めくださいとは言いません。
ですが、近日中にはお願いいたします」
「待ってください、ヴェルナー。
先王たちにもう一度話してもらうという方法では駄目ですか?」
「やる分には構いませんが、期待できそうにはありません。
話しても変わらない結果が今でしょう。
陛下、リリアナ様が城に来れば、今まで大人しくしていた者たちが騒ぎ出す可能性があります。
今は比較的、陛下の周りには陛下の政策に賛同しているものが集まっておりますが、これからずっと同じようにはいかないでしょう。
それだけは阻止しておかねばなりません。
・・・それに、利用されるだけのリリアナ様の状況を、陛下は許容できるのですか?」
「・・・」
「もし、リリアナ様を利用してそういった膿を出すつもりであれば反対しません。
しかしそれと同時に、リリアナ様は陛下の妹と名乗る事は一生出来なくなると思いますが」
女王であるイルミナを失脚させようとしているのであれば、それはクーデターだ。
それを起こそうとしているだけで、罪になる。
いくら本人がその気がなくとも、結果的にそうなったのであれば、リリアナは大罪人となる。
どんなに美しくあったとしても、罪人は罪人でしかない。
罪人の先は、決まっている。
「・・・噂では駄目ですか?」
「それでもし、攫われたら?
その先で洗脳でもされたら?
恐れながら陛下、リリアナ様は良くも悪くも変わらないままです。
その方が攫われた先で大切にされてしまえば、リリアナ様が彼らの言うことを聞かないという保証はありません。
そのまま傀儡になられたリリアナ様を、貴女は断罪できますか?」
「っ・・・」
息を止めたイルミナに、ヴェルナーは表情を変えないまま続けた。
「今は手紙程度ですが、もし強攻策をとられたら?
もし明日にリリアナ様が城へと来られたら?
自分も王族なのだから城にいて当然だと言われたら?
・・・陛下、貴女はそれを利用出来るのですか?」
「そ、れ・・・は・・・」
「先ほどお伝えした通り、今すぐというわけではありません。
ですが、私からの提案も受け入れていただきたい。
もちろん、先王たちからもう一度話していただくというのも実行されて問題はありません。
しかし陛下、我々にとって大切なのはリリアナ様ではなく、陛下の御身です」
ヴェルナーはそう言い切ると、何かを言いたそうにしているイルミナの言葉を聞かずに椅子を立った。
「・・・今夜ももう遅いです。
明日もまだ忙しくなりますので、もうお休みください」
退室するヴェルナーの背を見ながら、イルミナは堪えきれなかったため息を吐いた。
ヴェルナーの言いたいことは、もちろん理解できる。
リリアナとウィリアムの間に子が出来ないよう、ウィリアムには処置をしているがリリアナはしていない。
万が一にでも彼女に子供が出来れば、その子が正当後継者と嘯く輩も出てくるだろう。
それをしないためには、リリアナには病弱になってもらうしかない。
イルミナには、リリアナを利用することは出来なかった。
あんな手紙を書いても、イルミナにとっては妹だった。
利用してしまえば、リリアナは良くて王家からの追放、悪くてその命を散らすことになる。
それだけはしたくなかった。
―――本当は、分かっている。
ウィリアムに指示し、リリアナに薬を盛り続けることが、一番確実な手である事なんて。
そうすれば、今のような面倒は起きないことも。
それでも、イルミナはそれを選べないのだ。
そして何より、家族に毒を盛る女王になるということが許せないのだ。
「・・・綺麗事ね」
でも、出来るのであれば、リリアナにはエルムストで質素に、穏やかに暮らしてほしい。
自分が欲しかったものがあるその地で。
「―――ほんとうに、」
その先の言葉は音にならないまま、空気に溶けて消えた。