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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
107/180

手紙



読もうとする手は震え、なかなかそれを開こうとはしない。

しかし隣にいるその人は、そのことを責めたりしなかった。


何度も何度も開こうとしては、止まってしまうその手に。

どうして動かないのと、詰りたくなってしまう。

理由なんてわかっているくせに。



それでも、時間をかければどうにかなるようで。



イルミナは、エルムストから送られた手紙をざわつく心のまま、読みだした。






********************





―――イルミナ

 これを読んでいるということは、グランが無事、お前に届けてくれたのだと思う



「―――え?」


イルミナは最初の一文を読んで、予想外の始まりに呆気にとられた。

イルミナの知るリリアナは、こんな手紙の書きだし方はしない。

そもそも彼女は自分のことをお姉さまと呼んでいたはず。

だとすれば・・・。



―――定期的にグランから送られる近況報告に、食事会を開くと聞いた

 お前のことだから、そつなく行っていることだろう

 お前は、私たちが思っていたよりずっと勤勉であったようだからな

 ・・・想像していたより、こちらの生活は悪くない



「・・・ま、さか・・・」


イルミナは呆然たる思いで、続きに目を走らせた。

そんな、という驚愕の思いだけが、心の中を埋め尽くす。

ありえない、あり得るはずがない。

だって、今まで一度として、こんなもの寄越してことはない。

こんな、自分を労わるような言葉を書いた手紙なんて―――。



―――城にいたあのころを思い出すが、ここまで心穏やかに暮らすことは一度としてなかったように思う

 思っていたより、城での生活はわたしには合わなかったようだと今ならわかる

 そう知ると、お前には感謝の念を覚えざるを得ない

 一時、恐慌状態に陥りかけていたお前の母も、今では落ち着いた生活を送っている



「――――!!!!」


イルミナは、それ(・・)が誰からの手紙かがわかると投げ捨てるように放った。

ばくばくと心臓が鳴り、今にも胸を食い破りそうな気すらした。

イルミナは無意識のまま胸元を抑え込むと、そのままぎゅう、と胸元の服を握りしめた。

そんなイルミナを、グランはただただ優しく背筋を撫でる。


「―――大丈夫か?」


低いグランの声は、混乱していたイルミナの耳にすんなりと流れ込む。

それでも、混乱状態が落ち着くわけではない。


「はっ、はっ、・・・な、なん、で・・・」


呆然としたまま、イルミナは床に落ちた手紙を見た。





浅くなっている呼吸を必死に落ち着かせようと、肩も使って全力で呼吸するイルミナをグランは痛ましいものを見るような視線で見守る。

やめるかとは問わない。

やるといった以上、イルミナは逃げないだろうと知っているから。


イルミナはしばらくの間、体を丸めるように小さくなったまま震えていた。

それをグランは黙ったまま見守る。

予想以上に、イルミナにとって彼らはトラウマらしい。

そうだろうと思ってはいたが、それにしても見るのは辛いものだ。


「・・・大丈夫か」


再度問うても、イルミナは弱弱しい呼吸音を響かせるだけだった。

その姿を見ていると、別に見せなくても良かったのではと、見せるだろうとわかっていてもグランは考えてしまった。

きっと、自分は何度だって彼女に見せてしまうだろう。

傷つけると分かっていても。


何時まで経っても、トラウマを抱えたままではいられない。

それにつけ込む輩だって、絶対にいないとは言い切れない。

ずっと逃げ続けることなんて出来ないのだ。


「―――っ、ど、し・・・て」


青褪めた顔からは表情が抜け落ち、まるで人形のようにすら見せる。

パキリ、と薪が音をたてて鳴った。

部屋の中は暖かいのに、抱えるイルミナの体はどんどん冷たくなっているようにグランは感じられた。

紫紺の瞳は、零れ落ちてしまいそうなほどに大きく見開かれている。

流石に早まったか、そう後悔し始めた時。


イルミナは震える体のまま、床に落ちた手紙に手を伸ばした。

止めるべきなのかもしれない。

無理ならば今でなくともいいと、優しい言葉をかけるべきなのかもしれない。

しかしグランは、ただ黙ってイルミナの行動を見守った。




―――今更だが、今までお前にしてきたことが、非道だったと気付いた

 王妃の望むまま、お前を孤独にしたことは間違いなくやってはならないことだった

 人として、いや、子を持つ親として、やってはならないことだと二人揃って、ようやく気付いた

 お前は今更なんだと言うのだろうが



イルミナはぎりぎりと歯を食いしばりながら、手紙の続きを呼んだ。

本当に、虫が良いのではないかと今すぐ詰りたくなってしまう。

どうしてグランがこの手紙を今渡したのか、その理由は全く分からないが、兎にも角にもイルミナは手紙を読んだ。



―――最低な、父であった

 生まれたばかりのお前を、愛おしいと感じた瞬間もあったというのに

 小さなお前を膝に乗せて、本を読んでやったこともあったというのに

 どうして、それを忘れてあのようなことをしたのか



「っ」


その一文に、イルミナは覚えていたのかと驚愕する。

イルミナの部屋の本棚にある一冊。

どうしても捨てられないでいるそれ。

あれを読んでくれたことを、あの人も覚えていたのか。

―――愛おしいと思ってくれていたのか。



―――赦せとは、言わない

 きっと赦せないだろうとも思う

 それでも、いつか


 お前の進む先に、更なる幸があらんことを



文面は、そう締めくくられていた。

読み終えて、詰めていた息を吐きだしたとき、イルミナは自分が息すらも止めていたことに気づいた。

イルミナは渋面になりながらも、別にあった手紙を見る。

気分は毒と知ってそれを飲むような気持ちだ。



―――イルミナ女王陛下

 この度はご婚約、誠におめでとうございます

 私、ウィリアムはエルムストにて穏やかな暮らしをさせて頂いております

 王家の皆さまも、健やかにお過ごしです

 今では、こうなって良かったのかもしれないと考えるようになりました

 ただ一点、気になる事がございます



二枚目の手紙は、ウィリアムからのものだ。

先程よりも比較的に落ち着いた気持ちで読むが、読み進めると嫌な予感をさせる文面が現れた。



―――リリアナ様のことです

 先王様から話をされ、その後塞ぎこんでいたようなのですが、最近は以前のように明るくなりました

 ですが、あまりにも以前のリリアナ様と変わらないのです

 城にいた、あの天真爛漫で妖精のようなリリアナ様に・・・

 これがどのようなものなのか、私には判断しかねますが念のためにご報告をさせて頂きます

 陛下のこの先の人生が、幸福で満ちたものでありますように


 ―――ウィリアム



そこまで目を通すと、イルミナはグランに視線をやった。

どうやら、自分の大切な人は、自分の知らない間に彼らと連絡を取っていたらしい。

それに関して怒ったりなどはしないが、どうしてかわからなかった。


「・・・グラン、どうして」


イルミナの問いに、グランはそっとイルミナを抱き寄せた。

まだその体は冷たく、震えている。

先程よりましになったとはいえ、想像以上の体力を要したのだと実感する。

体はぐったりとしていて、まるで汚泥の中にいるかのように重い。


「・・・初めは、ウィリアムから来た。

 謝罪の手紙がな。

 私は当然、それに返すことはなかったが、それでもあれは私に手紙を送り続けていた。

 ある時、それに先王からの手紙も入るようになっていた。

 ・・・イルミナは想像がつかないかもしれないが、私は王に何度も君のことに関して進言していたからな。

 王もやっと私の言葉の意味を理解してくれたのだろう。

 イルミナの近況を知りたがっていたよ」


予想外の言葉に、イルミナは言葉を失った。

何時だって、自分のことなど歯牙にもかけなかったあの人が、近況を知りたがっていた―――?

俄かには信じられない言葉だ。


「なんで、今更・・・。

 こんなことをして、何になるというのです」


イルミナはそれしか言えなかった。

手紙をもらったことで、嬉しいという感情は全くない。

ただただ、戸惑いしかないのだ。


「それでも構わない。

 ただ、君はとても優しい子だ。

 いずれ自分のしたことを後悔し、追い詰めるだろう。

 これは、そのためのものだ」


グランの言いたいことの半分も理解できなかったが、彼がイルミナを傷つけようとしている訳ではないのは知っている。

だからイルミナはグランを信じることにした。


「―――わかりました。

 返事は書きません。

 ただ、目を通したと・・・それだけを」


「わかった」


そして時間も遅いことから、イルミナはそろそろ休むことをグランに伝えた。


「そうだな、これ以上いてはジョアンナメイド長に怒られそうだ。

 明日、迎えに来る」


「わかりました、おやすみなさい」


「あぁ、いい夢を」






一人になったイルミナは、ウィリアムからの手紙を手にとった。

グランには言えずにいたが、それはイルミナにとって嫌な予感そのものだった。

内容を伝えなかったのは、あくまでも勘でしかない為だったが。

それにしても、先王たちが話をし、泣き濡れていたとアーサーベルトから報告を受けていたのだが、それで全く変わらずにいられるものなのだろうか。


イルミナが理解できずに考え込んでいると、ふわり、と甘い花の香りが香った。

リリアナが、手紙によく好んで使っていた香水―――。

そう、リリアナが好きな、薔薇の香り。

そういえば、どうして二人はこの香りがするものを選んだのだろうか、そう考えていると。


ひらり


「?」


手元の手紙が一枚、床に落ちた。

その瞬間、どくりと嫌な心臓の打ち方をする。

どうしてだろう、何故、手紙でしかないのにこんなにも嫌な感じがするのだろうか。

香りが、一層強くなったような気がするのは、気のせいだろうか。

イルミナは微かに震える手で、それを拾い、中身を見た。



―――親愛なる、イルミナお姉さまへ



ひゅ、とイルミナの喉が鳴った。

それは、酷く見覚えるのある筆跡で。



―――お姉さま、お元気ですか

 私は元気です

 お姉さまは女王様になられているのだもの、きっと毎日沢山のドレスや宝石に囲まれているのでしょうね

 とても、羨ましいわ

 一緒に来てくれたメイドたちが、毎日泣きながら私をかわいそうと言うの

 本当なら、私が女王様だったのに、って

 本当なら、こんな場所に送られるはずないのにって



イルミナはじわりと冷や汗が滲むのを感じた。

これ(・・)は、誰だろうか。



―――お父さまとお母さまからお話を聞いた時、なんてお二人は酷いのかしらって思ったのだけど

 お父さまやお母さまが、お姉さまを愛さなかったのはお二人の問題ではないの?

 私は、何もしていないのに、どうしてこんなに酷いことをなさるの?

 ここはいやよ、お姉さま

 お城みたく華やかではないし、楽しくないわ

 ドレスも前みたくたくさん選べないし、お菓子もお城のよりおいしいくないわ

 どうしてお姉さまは私をここに送ったの?



書き連なる言葉は、脈絡が無く、酷く幼稚で。

それに、イルミナは酷く見覚えがあった。

何時だって、妖精のように純粋だった、大切な妹。



―――ウィルも、本で読んだように接吻すらもしてくれない

 お姉さまのせいね、ウィルがお姉さまと約束したからって言っていたわ

 結婚式もとても華やかにしたいのに、お父さまがだめって言うのよ

 どうして?お姉さま

 私は何もしていないのに、お父さまとお母さまがお姉さまを愛さなかったせいだって言っていたけれど、お姉さまだってもっと頑張るべきだったのではなくて?

 愛される努力をしなくてはいけなかったのではないの?

 この間呼んだ本には、そう書いてあったわ



今すぐ燃やしてしまいたいのに、なぜか視線はその文字の先を読み進める。

読んでは駄目だと分かっているのに。

どうして。



―――お姉さま、私お城に帰りたいわ

 誕生日の時も、前みたく楽しくなかったの、贈り物もとても少なかったし

 だからお姉さま、私お城に帰りたい

 今度はお姉さまも愛してもらえるように、私からみんなに言うわ

 だから私をここからお城に戻るように言って

 お父さまのご病気もこちらに来て良くなったのよ

 どこが悪かったのか、教えてはくださらないのだけど

 家族みんな、一緒に暮らしましょう?

   

 リリアナ



そこまで読んで、イルミナは吐き気を堪えながらその手紙を放った。

父の手紙を読んだ時よりもひどい混乱が頭を襲う。

ぐるぐると回る頭で、ウィリアムが心配していたことはこれか、と考える。


確かに、これはいけない。

これは、いつか国を駄目にする元凶となり得るだろう。


ずるずると体を引き摺りながら、ようやくたどり着いた椅子に深く腰掛ける。

酷い頭痛がする。

水が欲しいが、立ち上がる気力すらもこの数十分で根こそぎ奪われた。


「・・・駄目よ、リリアナ」


目を閉じれば、美しい妹の姿が浮かび上がる。

黄金の髪、空色の瞳。

自分がいくら欲し、幾度となく羨んでも決して手に入ることが無い、それ。


「貴女は・・・駄目なのよ、リリアナ」


リリアナのことを、憎んだことなど今とてない。

愛らしい妹。

しかし、彼女は女王の座を手放した。

やらなければいけないことを、やらなかった。

だからイルミナは女王になることを決意したというのに、どうして理解してくれないのか。


「貴女は、女王にはなれない」


リリアナは、女王としていろんなものが不足している。

美しいだけでは意味がないのだ。

そして、万が一にも城に戻ったとして、きっといつか彼女を女王として担ぎ出そうとする輩が出てくるだろう。

どうして、それを理解してくれないのか。





「―――リリアナ、私の、馬鹿な、妹・・・」



イルミナは、疲れ果てた老女のような声音で、それだけを呟いた。




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