前日
「陛下、お忙しいところ失礼いたします。
席次について最終確認を」
「わかりました、置いておいてください」
遂に食事会の前日となったその日、城は先日までの喧騒とは打って変わって、ある程度の落ち着きを見せていた。
前日ともなれば、予想外の事態に対応するくらいしかないようにしているのだ。
内装なども既にヴェルナーが確認しているし、警備体制についてもアーサーベルトとキリクが既に万全を期している。
イルミナの仕事といえば、ある程度の最終確認と早く休むくらいだろう。
出来るだけ執務を終わらせておき、今日は早くに休もうと考えながら書類を読んでいると。
「―――陛下、失礼してもよろしいでしょうか」
イルミナが丁度席次を確認し終えたとき、近衛兵が入室の伺いを立てて入ってきた。
「どうかしましたか?」
イルミナが執務中に声を掛けてくるということは、何かしらあったのだろう。
切羽詰まった様子でないことから、緊急性は無いと判断したイルミナは、手元の資料を纏めながら問うた。
しかし、近衛兵は何故か言葉を詰まらせながら話始める。
一体何かあったのだろうか。
「陛下、その、
ハーヴェイ・ラグゼン大公閣下が、陛下にお会いしたいと・・・」
「・・・ラグゼン公が?」
イルミナは不審げな声をあげた。
確かに昨日、アルマという予想外の存在の出現のお陰で、もしかしたらどうにかなるかもと希望的観測は得た。
しかし、それはあくまで希望的観測なだけだ。
実際にこうも早く行動に移されるとは思ってもみなかった。
イルミナは少しの間黙考すると、了承の旨を伝える。
「では、そうですね・・・。
今から三十分後に薔薇の間でと公に伝えて下さい。
それと、アーサーと・・・グランを呼んで下さい」
「はっ!
かしこまりました!」
近衛兵はすぐさま敬礼すると、一礼して執務室を後にした。
―――一体何を話すつもりなのか、イルミナには想像できない。
アルマが全てをどうにかしてくれるとは、最初から考えていない。
だが、彼の言葉がハーヴェイに届くか届かないかによって、今からする話の内容は異なるだろう。
考えを貫徹させ、アルマの言葉ですら届かないのであれば正直に本当に困るの一言に尽きる。
出来ることであれば、これ以上の面倒事は増えてくれるなと思ってしまうのも仕方ない。
本来イルミナの立場であれば、会うことも拒否できる。
いや、むしろ拒否すべきだ。
明日には要人を招いての食事会がある。
女王となってから初めてのそれは、少しの失敗も許されない。
それに少しでも影を落とすかもしれないものは、するべきではないのだ。
しかし、それでもイルミナは話すことを選択した。
もしかしたら、という希望もあった。
アルマの話を聞いてというわけではないが、ハーヴェイとイルミナは似ている。
それは確かだ。
彼は、もう一人のイルミナの未来といってもおかしくはないとすらイルミナ自身は思っている。
自分はたくさんの人との出会いにより、絶望や裏切り、そして愛を知った。
それらを拒み続けたら、きっとハーヴェイと同じようになっていただろうと考える。
「・・・哀れ・・・ね」
アルマはそうハーヴェイを評していた。
本当かどうか、イルミナには関係ない。
それから抜け出す術を持っているのに、抜け出さなかったのはハーヴェイなのだから。
それでも、微かな憐憫は確かにあった。
―――自分には在って、彼にはなかったものをイルミナは知っているから。
「陛下、失礼いたします」
考え込んでいると、アーサーベルトがやってきた。
「陛下、詳細は聞けていませんがラグゼン公が?」
「えぇ、話をしたいと」
「・・・行かれるのですか?」
あまり褒められた行動ではないと言わんばかりに、アーサーベルトの眉間に皺が寄る。
そんな彼の表情に、イルミナは苦笑を零した。
イルミナが口を開こうとした瞬間。
「イルミナ女王陛下、失礼いたします」
丁度良く、グランもやってきた。
イルミナは二人の姿を認めると、これからハーヴェイと会うために、薔薇の間に行くことを告げる。
「・・・大丈夫なのですか?
アルマ殿と話した結果、何かしら一矢報いようとしているとは考えられませんか?」
心配げにアーサーベルトはイルミナに問う。
それにグランも同じ考えのようで小さく頷きながらイルミナを見た。
「ですから二人に付いてきてもらうのです。
何か起こるかもしれませんし、起こらないかもしれません。
ただ、私が気になるというのもあります。
ずっと侍従として付き合ってきたアルマ殿が実は兄の腹心の部下だと知った時、そしてその彼が一体どのような言葉でラグゼン公に伝えたのか・・・。
まぁ、悪趣味かもしれませんが好奇心もあります。
とりあえず、グランは薔薇の間の分かりづらいところで待機を。
アーサーは私の護衛として傍に居て下さい」
「かしこまりました」
二人は、渋々ながらにも頷いた。
その様子に、イルミナは心の中で感謝を告げる。
気になる、というのは本当だ。
アルマの言っていたイルミナとハーヴェイが似ている、その言葉が気になったのだ。
正直なところ、それは思っていたことだったし、アルマからも見てそうなのだとしたらそうなのだろう。
だからと言っては何だが、気になって仕方ないのだ。
―――愛を欲し、受け入れたイルミナと。
―――愛を欲しておきながら、拒絶したハーヴェイ。
一体何がそうなったのか。
どうしてそうなってしまったのか。
アルマから話しを聞いておおよその予想はついているが、それでも本人から聞いた言葉ではない。
そして、出来ることならイルミナは本人から話しを聞きたいと思っていた。
その為に、わざわざ会うことにしたのだ。
それが間違えなのか、それとも正解なのかは分からない。
でも、後悔だけはしないだろうと思った。
****************
「お待たせしました、ラグゼン公」
「いいや、こちらこそ忙しいところをお呼び立てして申し訳ない。
あまり時間は取らないので、ご容赦願いたい」
「構いません。
少し時間ができたところでしたから」
薔薇の間に行くと、そこには既にハーヴェイが待ち構えていた。
しかしその傍には誰もいない。
「・・・侍従の方は?」
アーサーベルトが不思議そうに問う。
ハーヴェイはいつだって侍従を連れていたのに、今日はいないのだろうか。
そんなアーサーベルトの質問に、ハーヴェイは苦笑を零しながらも首を横に振る。
「今日は私一人だ。
彼らには遠慮してもらった」
まるで憑き物が落ちたかのように穏やかに話すハーヴェイに、イルミナは少しだけ瞠目した。
前までの彼は、いつだって大胆不敵な笑みを浮かべ、獣のような鋭い視線でこちらを見ていたというのに。
野心家だとすぐにわかるような笑みを浮かべていた彼からは、到底想像できないような表情だ。
今の彼からはただただ凪いだ印象だけが見受けられる。
「・・・すまないが、私と女王陛下を二人にしてくれないか・・・?」
ハーヴェイは眉尻を下げながらアーサーベルトに願い出た。
しかしそれは許容できないものだ、本来であれば。
「それは・・・」
「わかりました。
近くに待機ということであれば」
「陛下!?」
イルミナの暴挙ともいえる行動に、アーサーベルトは声を荒げた。
ハーヴェイ自身、そんなあっさりと許可されるとは思ってもみなかったようで驚きに目を見開いている。
しかし、その考えを変えられては堪らないとばかりにイルミナに礼を言った。
「感謝する、女王陛下」
ハーヴェイのその言葉に、アーサーベルトは唇を一瞬噛むと一礼した。
「では、近くに待機しております。
くれぐれも、間違いのなきよう願います、大公閣下」
念を押し、釘を刺すアーサーベルトに、ハーヴェイは苦笑を浮かべた。
それも、今までの彼の性格であれば考えられなかった対応だ。
「わかっている、
もしもの際は切り捨ててくれ」
「!!
・・・ッ、では失礼いたします」
いつになく殊勝な態度のハーヴェイに、アーサーベルト何も言えなくなりその場を後にする。
後にすると言っても、生け垣のすぐ向こうで、そこにはグランもいるのだが。
だが、手を伸ばせる距離にいないというのは心もとない。
いくらイルミナが護身用に短剣を持っているとしても、それは変わらない。
「―――良ければ、紅茶はどうでしょうか」
イルミナは、アーサーベルトが視界から消えたのを見るとハーヴェイに問うた。
今日は、メイドにリリンではない茶葉を用意してもらったのだ。
薫りの良いもの、そしてリラックス効果があると言われるものを選んでもらった。
「ぜひ、頂こう」
ハーヴェイは柔らかく微笑み、イルミナの前へと腰かけた。
「・・・それで、今回はどのような用件でしょうか」
イルミナは淹れた紅茶を一口味わうと、単刀直入にハーヴェイに切り出した。
ハーヴェイもそれが分かっていたのか、持っていたカップをソーサーに置く。
「・・・イルミナ、女王陛下。
この度は、色々と迷惑をお掛けした。
虫のいい話だが、謝罪したくてわざわざ時間をお願いした。
―――本当に、申し訳なかった」
ハーヴェイは、頭を深々と下げた。
―――彼の人生の中で、頭を下げるあるいは謝罪をするという行為自体数えられるほどしかしていないのを、イルミナは知らない。
イルミナは黙ってハーヴェイの頭を見ると、視線を紅茶に落としながら口を開いた。
「・・・昔話を、しましょうか」
「・・・?」
唐突に話し出したイルミナに、ハーヴェイは怪訝そうな表情を浮かべながらも頭をあげる。
そしてイルミナを見ると、伏せられたその瞳がまるで硝子玉のように見えて一瞬息をのんだ。
「仲の良い、姉妹の話です。
陰鬱で、近寄るのを躊躇う姉と、妖精とまで言われる美貌と愛くるしい性格の妹。
姉は愛されず、妹は愛された」
ハーヴェイは沈黙したまま、淡々と語るイルミナを見た。
「姉は、愛されないのは自分の努力が足りないのだと考えた、妹が愛されるのは仕方ない、だって、あんなにも美しいのだから。
姉は、たくさんのこと学んだ。
頑張れば、いつかは見てくれる・・・褒めてくれると信じて。
・・・愛されたい、ただそれだけの為に」
声のトーンが一瞬だけ、低くなったのにハーヴェイは気づく。
「姉は、認めてもらう為にたくさんの人に助けてもらいながら成長した。
成長した彼女は、勘違いした。
きっと、褒められると・・・認めてもらえると。
でも違った。
姉は、姉だから愛されていないだけだった
どんなに頑張ろうとも、褒めてもらうことはおろか、愛されるはずがなかった」
そこで、イルミナはハーヴェイを見た。
「ハーヴェイ・ラグゼン。
私と貴方は似ている、とても。
私はひたすら愛を欲した、どうしても、愛されたかった。
貴方は愛が信じられなかった、どうしても、それから逃げたかった。
一つ歯車が違えば、私たちは逆の立場になり得た」
「・・・それは」
「私が、もし愛というものを信じられず、憎んでいたとすれば貴方のようになった。
もし貴方が愛というものを知って、なおかつ欲していたら私のようになった。
だから、私は貴方が怖かった。
貴方が、もう一つの未来の自分のように見えた。
少しでも心を許せば、貴方が私の唯一となる可能性が高かった」
イルミナは、慟哭した日々を思い返す。
諦めていれば、きっと彼と同じ道を歩んだであろう過去。
しかしそうはならなかった。
「ハーヴェイ・ラグゼン。
私は貴方を羨ましくも思うし、同時に哀れにも思う。
そしてきっと、それは貴方も同じなのでしょう。
愛を求め続ける私を、きっと哀れに思ったことがあるでしょう。
だから貴方は、私を選んだ。
貴方と感情を分かち合えると思ったから」
ハーヴェイは、一切の反論をせずにイルミナの話を聞いた。
それは、彼女の言葉に反論する価値がなかったのか、それとも全く以てその通りだったのか、
それを知るのはハーヴェイだけだろう。
「もし、違ったのであれば申し訳ありません。
でも、私はそう感じました。
そうでなければ、貴方のような人が私に固執する理由がわからなかったから」
「・・・ほぼ・・・当たっていると言ってもいいかもしれないな・・・」
ハーヴェイは諦めたように微笑みながら言った。
「・・・自分でも、気づかなかった。
俺が、あそこまで兄に執着しているなんてことを。
教えてくれたのはアルマだがな・・・。
でも、こんな年になってまで気づかずにいたというのは自分でも驚きだったよ。
・・・俺は貴女を見誤った、貴女は、俺と同じだと勝手に思っていたんだ。
俺と同じで、愛を信用できないんだと思っていた・・・。
俺の物差しだけで図っていただけだった」
ハーヴェイは諦観すら見えるような笑みを浮かべた。
それは、以前の笑みよりももっとしっくりとくる笑みだった。
「貴女は先に変わっていたんだな。
引きずり込みたい・・・言いえて妙だ。
自分と同じだと思っていた貴女が、同じでないことを認めたくなかったのかもしれない。
いや・・・独りであることを認めるのが、怖かったのかもしれないな」
そこでいったん言い切ると、ハーヴェイは紅茶を一息に飲み干すと席を立つ。
「貴女とライゼルト卿の婚約、心からお祝い申し上げる。
食事会のあと、私はすぐにこの国を発って戻ることにする。
・・・兄上と久々に話がしたい」
「・・・そうですか。
ありがとうございます。
残りの日数も、何かあればいつでも言ってください」
イルミナはハーヴェイの言葉に笑みをもってして返す。
それは、明確な言葉にしないながらも二人が和解した瞬間でもあった。