アルマ
今でも、初めてサイモンに出会った日のことを覚えている。
あれは、夏の暑い日だった―――。
俺は、ラグゼンファードの影の一族として生まれた。
家名を持たない俺の一族は、王家の為だけに存在する一族だった。
幼き頃より多岐にわたる訓練を行った。
暗殺、諜報、情報操作、何でも訓練させられた。
そうすることが、国の為だと教えられたのだ。
そうして、何人もの機械仕掛けのような人間が、一族から排出されていった。
感情を押し殺し、王家の為であれば泥を啜ることも厭わない。
それが、影の一族の当然だった。
例え、どんなに王が独裁者だろうが、愚鈍であろうが、それは変わることがなかった。
影の一族は、誰一人として名を持たない。
持つことで、特別な何かになるのを防ぐためだったのだろうと今ならわかる。
名を持てば、個人としての自我が生まれるのを、防ぐためだったのだろうと。
そんなはずない、誰にだって感情は生まれるというものもいたが、そうならないように徹底した教育が施されるのだ。
俺自身、数字で呼ばれることに何ら違和感なんて覚えていなかった。
それが、当然だったから。
国の為に。
王家の為に。
王の為に。
それが、俺たちの存在意義だった。
訓練に訓練に重ねて、ある日。
俺は大人に連れられて王城へと足を運んだ。
きっと、王に面通しをする予定だったのだろう。
しかし享楽に耽っていたらしく、それを終えるまで庭で待機していろと確認した大人に言われたのだ。
当時の王は歴代の中でも最低中の最低だと知ったのは随分後のことだった。
―――今でも覚えている。
じりじりと日が肌を焦がすあの感じ。
滅多に浴びることのない日の光は、俺の肌を容易く焦がしていた。
生い茂る新緑の香りは、嗅ぎなれていないせいか変な香りだったと記憶している。
王家の為に美しく手入れのされている花々は、極彩色で、どうしてか触れてはならないと思った。
影の人間は、滅多に表に出ない。
それゆえが、真っ白とまではいかずともラグゼンファードの中では肌が白い方だった。
勿論、必要と駆られれば焼くが。
そんな時だ。
「お前、白いな。
外に出てて大丈夫なのか?」
「!!」
その人の気配に気づけなかった自分に叱咤しながら、その場を飛びのいた。
庭にいろと言われたが、誰かに見つかっていいとは言われてない。
見つかること自体が、自分たちの存在の死活問題なのだと口を酸っぱくして言われていたというのに。
急いでその場を離れようとしたとき、その人を見て息が止まった。
柔らかく風に揺れる金の髪に、深い色の青い瞳、そして褐色の肌。
自分よりも少し幼いくらいだろうか、それでも利発的な瞳の色が伺える。
それは、聞かされていた第一王子の容姿そのものだった。
「―――、だ、いいち・・・王子・・・?」
本来であれば、無礼を謝罪してその場を立ち去らなくてはならなかった。
しかし、その時なぜか地に足が根付いたかのように動くことができなかった。
「おれを知っているのか?
すまない、おれはお前を知らないんだ・・・。
なぁ、せっかくだ、おれと遊ぼう!」
太陽のようなその笑みに魅せられてといえば、言い訳になるのだろうか。
結果的に、王子とその少年の距離は、近づいて行ったのである。
そして、王子は少年に名をつけた。
少年の立場や、生い立ちを知った上で、自分の下につくようにするために。
アルマ、そう名付けられた少年は自身の一族を根絶やしにすることを誓った。
自分の一族は、きっとこの国の為にはならないということを知ってしまったから。
王子、サイモンと一緒にいるうえで、きっと彼を食い潰してしまう一族を知ってしまったから。
アルマが、自身の一族を根絶やしにしたことを知っているのは、ほんのわずかな人間のみ。
サイモン、そして後の宰相だけだ。
アルマがその道を選んだことに、いや、その道を選ばざるを得ない状況に追い込んだことを、サイモンは後悔していた。
そんなサイモンだからこそ、アルマは自身の全てを使ってもいいからと彼の傍にいることを決意したのだ。
サイモンがまだ王位継承権をもつ王子でしかなかったころ。
そして、国内の民たちの燻ぶる声が上がり始めているそんなときに、アルマはサイモンの弟、ハーヴェイに出会った。
サイモンと似た色を持つ少年は、なぜかサイモンとは似ても似つかなかった。
なんというのだろうか、目が、まるで死んでいるように見えてしまったのだ。
サイモンは、そんな弟のことを常に気にかけていて、アルマにも可能であれば気にするように願い出ていた。
アルマからすれば、サイモンの弟であればどのみち確認するつもりではいたが。
弟といっても、同じ継承権を持つ存在だ。
もし、弟がサイモンのいうような存在ではなく、玉座を狙うような存在であれば、サイモンの弟だろうが屠るつもりでいた。
それが覆されたのは、二人が会っているのを見たときだった。
弟は、アルマが初めて見たときのような目をしていなかった。
キラキラと輝き、生命力に溢れた瞳をしていた。
サイモンが家族として、弟であるハーヴェイを大切に思っているのは知っていた。
それと同様に、弟も兄であるサイモンを大切に思っていたのだ。
雛のように兄に懐くハーヴェイは、とても可愛らしかった。
それは、アルマがサイモンと同じようにハーヴェイを大切に思うには十分な出来事であった。
ハーヴェイは、哀れな子だ。
それを、アルマは今でも思う。
幼き頃より愛に飢え、唯一を兄とだけしてしまった彼は、きっと心のどこかが欠損してしまっているのだろう。
愛を欲していながらも、それを信用できない男。
唯一肉親の愛だけが、信用できると思っている、とても哀れな男。
―――だからこそ、幸せになってほしいのだ。
「・・・きっと、ハーヴィーは忘れているんだろうな・・・」
不意に口から出たのはそんな言葉だった。
あのクーデターを起こすまでの日々、アルマはイアンという名でであったが、ハーヴェイと会っていた。
あまりにも敏感な時期だったので数えられるほどでしかなく、更には表立って会うことも控えていたのだ。
その時に、アルマは彼の、ハーヴェイの為だけを思ってある言葉を口にした。
―――幸せになることは、悪いことではない。
ハーヴェイは、怖がっている。
愛憎の全てともいっても過言ではないあの城で、孤独に生きてきたからこそ、壊れてしまった何か。
それを、壊れたままにしておきたいのかもしれない。
もう二度と、愛などという感情に振り回されたくないのかもしれない。
だが、サイモンはそれを許さないだろう。
たった一人の弟が、幸せになることを望んでいないなどと、許せるはずもないとアルマは思う。
そのためには。
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「―――ハーヴェイ様、ただいま戻りました」
夕食も過ぎ、部屋で酒を飲んでいるときに、聞きたかった男の声が聞こえた。
「アルマか。
今までどこに行っていた?
イルミナの件は聞いているか?」
「はい」
そんなに長く離れたわけではないというのに、久々に見るその姿に安堵を覚えた。
やはり褐色の肌は、ハーヴェイにとって故郷の色なのだろう。
「・・・ハーヴェイ様、少しお話したいことがあります。
人払いを」
「?
・・・お前たち」
ハーヴェイは部屋の隅に控えていた侍従に声をかける。
その一言に、侍従は一礼するとそのまま部屋を去る。
そして部屋にはハーヴェイとアルマだけとなった。
「・・・さて、調べ物をしていると言っていたが、結構な時間がかかったな。
何を調べていた?」
直立不動のアルマに、ハーヴェイは頬杖を突きながら問う。
いつもであれば、すぐさま答えるはずなのに、アルマは答えようとしなかった。
「・・・アルマ?」
訝し気にハーヴェイが名を呼ぶと、アルマはハーヴェイの対面している椅子に腰を下ろした。
「・・・?」
今まで一度として、そのような行動をとったことがないアルマに、ハーヴェイは目を見開いた。
アルマがハーヴェイについてすでに五年以上、しかしアルマは一度として侍従たる顔を崩したことがなかったというのに。
「・・・ハーヴィー」
「!?」
ハーヴェイは息をのんだ。
その、愛称の呼び方をする人は、数人しかいない。
それをなぜアルマが呼ぶのだろうか。
その思いがそのまま表情に出ていたのだろう、アルマが苦笑をこぼした。
「幸せになることを恐れるな、そう言ったことを忘れたのか?」
ひゅ、とハーヴェイの息が止まる。
それは―――。
「確かに変装してはいたがな。
全く気付かれないのも寂しいものだ」
寂しげに微笑みを浮かべるその人は、遠い昔に見た覚えがあるような気がする。
そう、クーデター以降会うことのなくなった、兄の腹心の部下と呼ばれたイアンその人だ。
どうして気付かなかったのだろうか。
「・・・まさか、なぜ・・・?」
長い間、一緒にいたわけではなかった。
しかし、兄が一番の友だと紹介してくれたのを今でも覚えている。
記憶に薄っすらとしか残らなかったその人は、ただただハーヴェイに優しかった記憶がある。
兄が王位に就いた後、その姿が見えなくなって悲しくなったのを覚えている。
兄に聞けば、別件の仕事でここから離れなくてはいけなくなったのだと。
だが、元気でやっているのは知っている、いずれ会えるだろうと言われたのだ。
―――どうして、そのことを忘れていたのだろうか。
「なんで、ずっと・・・」
どうして、言ってくれなかったのだろうか。
こんなにも近くにいて、変装などをして。
どうして、自分の侍従としていたのだろうか。
「ハーヴィー、これから話すことは、きっとお前を傷つける。
きっと聞きたくもない話だろうが、サイモンの希望もあるからな」
「兄上の・・・?」
アルマは一つ頷き、そして椅子に深く腰掛けた。
「・・・サイモンは、お前と女王陛下の婚姻は認めていない」
「!?」
「誠意とやらに関しても、金銭で解決する方向で話が進んでいる。
そもそも、お前のしていることは全て筒抜けなんだ、今回の件に関してもな。
それでいて、サイモンは何も言わなかった・・・これの意味するところはわかるか?」
ハーヴェイはいきなり渡された情報に、絶句しながらも何とか理解しようとする。
「俺がお前の侍従になった理由・・・、簡単だ。
サイモンがお前を心配していたからだ。
お前のその、サイモンに対する異常なまでの献身的な性格をアイツは危惧していた。
いつかは変わるかと思っていたんだが、お前は余計に拗らせただけだったな。
・・・なぁ、ハーヴィー。
もうサイモンは自身の幸せを見つけ始めている。
お前も、見つけるべきなんだよ」
その言葉は、ハーヴェイにとって酷く大きな衝撃としてやってきた。
ぐわん、と頭の中が揺れたような気がした。
「な、なに、を・・・」
呆然として言うハーヴェイに、アルマは痛ましいものを見るような視線をやる。
「ハーヴィー。
・・・サイモンに必要とされるためだけに生きるのはやめろ。
あいつはそんなことを望んでいない」
ハーヴェイは、アルマが何を言っているのかわからなかった。
必要とされるためだけに生きている?
そんなことはない。
全ては、自分と兄ひいてはラグゼンファードの為に行っていることなのだ。
兄の為だけなんて、そんなことは。
「なぁ、本当に気づいていないのか?
どうして、お前は暗躍しようとしたんだ?
どうして、女王と結婚しようとしたんだ?
・・・どうして、父親を弑すことを自分から提案したんだ?」
―――どうして。
そんなの決まっているではないかとハーヴェイは思う。
兄の治めるラグゼンファードに不要なものを排除するために、暗躍した。
結婚することによって、女王の知識を兄に伝えられればと思った。
兄が優しい人だと知っているから、自分が代わりにしようとした。
ただ一人の家族なのだ。
何を当たり前のことを言うのだろうか。
「・・・ハーヴィー、サイモンは望んでいない。
お前にそこまでして欲しいと思っていないんだ。
・・・サイモンがお前から離れるって言ったら、お前どうするんだ」
「・・・は」
ハーヴェイは、アルマの言っていることが理解できなかった。
いや、正確には何を言っているかはわかっている。
ただ意味ある言葉として受け取ることを、脳が拒否した。
そんな、はずがない。
だって、自分はたった一人の家族なのだ。
ずっとずっと、一緒だったのだ。
これからだって、自分は兄の為に行動をするだろう。
それだというのに。
―――兄は、自分を捨てるというのか
ハーヴェイはじわじわと言葉にできない恐怖が、足元から迫ってくるような気がした。
父上も、母上も、誰一人としてハーヴェイ個人を愛さなかった。
愛してくれたのは、そのままの自分でいいと言ってくれたのは兄上だけなのに。
そこまで考えて―――。
「・・・ハーヴィー。
お前は愛されていいんだし、愛していいんだ。
そのための努力を、お前はするべきなんだ」
ハーヴェイは愕然としながら、今までの自分が崩れていくような音がした。