一つの区切り
「・・・陛下」
「・・・はい」
イルミナは、いつもであればピンと伸ばしている背筋を丸めながら小声で返事をした。
****************
結果的に、アルマは治療法をイルミナに教えることとなった。
ヴェルムンドでは出回っていない麻薬だったが、ラグゼンファードでは困り種の一つとなっているのだ。
しかし、いくら取り締まっても根は取り除けていない、そんな中で大事にすれば国は混乱に陥るだろう。
その為、ラグゼンファードでは専用の隠密組織が動いていた。
その彼らが幾度となく臨床実験を行い、ようやくある一定の成果を出している治療法を、アルマは知っていた。
その治療法が本当に効いてから、今回の件は暗黙のものとなる。
アルマは最後に、イルミナと少しだけ話をした。
『今回の件で、サイモンがハーヴィーの危うさを再認識しました。
出来ることであれば直ぐにでもラグゼンファードに戻らせたいところですが、そうもいかないでしょう。
今晩には全てをハーヴィーに話し、出来るだけ早く国に戻る予定です。
しかしあくまでも予定ですので、話を聞いたハーヴィーがどうなるかまでは、想像できません。
ただ、これ以上の面倒はこちらとしても御免被りたいところです。
それと女王陛下、サイモンからの言付けがありましたので伝えます。
”今回は我が愚弟が失礼した。
すべてを水に流すことは難しいだろうが、こちらも出来る限りのことをしたいと考えている。
婚姻に関しては、申し訳ないが我が弟は除外して欲しい。
いずれ、会えることを楽しみにしている”
とのことです』
それに対する返答は書状にて送ることをイルミナは言い、そしてアルマは退室した。
イルミナとしても、予想外の展開であったが非常に上手くいったと思った。
行き当たりばったり感は否めないが、それでも自分の有利に事を進められた、それは一番の収穫だろう。
満点ではなくとも、それに近いものを出せたことによって安堵がイルミナの心を満たした。
そこまでは、良かったのだ。
そこまでは。
「・・・陛下」
「・・・はい」
イルミナは、後ろを振り向くことが出来なかった。
もうすでに、何というか・・・、恐ろしい気配が漂ってきているのだ。
出来ることであれば、振り返りたくない。
「へ・い・か?」
「はい!」
ヴェルナーの絶対零度の声音に、イルミナは弾かれるように振り向いて、そして後悔した。
そこにいたのは、鬼だった。
しかも、鬼は二人いた。
「・・・どういうことだ、イルミナ」
「そうです、何の相談もなく・・・、
貴女はどれだけ危ない橋を渡ったか、理解されているのですか?」
「は、ぃ・・・」
小さくなる声と縮こまるその背を見ても、ヴェルナーとグランは止まらなかった。
「そもそもラグゼンファード王から書状が届いていること、何故言わなかったのですか?」
「いや!待ってくれ、
本当にここに来る直前だったんだ、ヴェルナー」
「黙れアーサー。
知っていたならお前も同罪だぞ」
「!?」
「そうだ、イルミナ。
今回は何とかなったものの、その無茶をする性格はどうにかした方がいい。
・・・それとヘンリー、何故言わなかった」
「そ、その・・・、何と言いますか・・・、言いづらくて・・・」
「それで言わなかったと?
お前の私に対する信頼はその程度ということか」
「ち、違います!!」
イルミナは勝手に話を進めたこと、アーサーベルトはそれを知っていながらも黙認したこと、そしてヘンリーは全てを黙っていたことをヴェルナーとグランに責められた。
「わかりました!!
以後気をつけますので!!」
音を上げたのはイルミナだった。
先程までの堂に入った面影はなく、ねちねちと正論を言われ続けたせいか涙目ですらある。
「・・・まぁ、ここまで言うつもりではなかったのですが。
途中は色々と課題がありますが、結果としては良しとしましょう」
「そうだな。
しかしクライス、お前も苦労するな」
「本当ですよ。
もう肝が冷えました」
「と、とりあえず今後のことを話しましょう!?
ね!?」
燃え尽きて真っ白になりかけているイルミナを見たアーサーベルトは、慌ててそう口にした。
「とりあえず、ラグゼンファード王には慰謝料として金品をお送りする予定とします。
これからラグゼン公とアルマ殿が話し合うようですが、食事会で陛下とグラン殿の婚約の発表は行うことに変更はありません。
結婚式は食事会より一年後、王族としてはあり得ない速さですが・・・そうも言っていられない状況ですので。
それでよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わない」
「大丈夫です」
ヴェルナーの大まかな予定に、グランとイルミナは首を縦に振る。
「それとヘンリー、貴方にはいくつか聞かねばならないことがあります。
分かっていますね?」
「はっ」
「アーサー、団長の地位にある以上、貴方にも同席してもらいます。
マルベール副団長も呼ぶように」
「・・・キリクだけでは駄目か?」
アーサーベルトの一言に、ヴェルナーはぎろりと睨んだ。
「何を馬鹿なことを言っているのですか。
貴方はまだ団長でしょう。
・・・それと申し訳ありませんが、ライゼルト殿。
近々お時間を頂ければ」
「構わない、時間が出来たら言ってくれ」
「ありがとうございます。
さて、そろそろ退室させて頂きます、陛下。
仕事が出来ましたので」
ヴェルナーはそう言いながら席を立った。
それに合わせるようにヘンリーも席を立つ。
「わかりました。
あまり無理はしないで下さいね」
その言葉に、ヴェルナーは少しだけ柔らかさを含んだ笑みを浮かべた。
「大丈夫です、陛下。
あと少しで食事会となりますから、倒れるわけにはいきませんからね。
陛下も、あまり無理はされませんように。
リヒトから夜遅くまで執務をしていると聞いていますよ」
「!!」
「・・・イルミナ?」
「!!」
イルミナは内心でリヒトに悪態をつきそうになった。
せっかくばれないようにしていたのに・・・!!
「わ、わかりました、もう休みますから・・・!」
ヴェルナーはイルミナの言葉を聞くと、必ずですよと念を押した。
「確認しようと思えばできますからね、陛下?
さぁ、ヘンリーとアーサーは私と共に行きましょうか。
まだ夜は長いですからね」
「「・・・!!」」
ぞっとするほどの冷めた瞳で笑みを浮かべるヴェルナーに、ヘンリーとアーサーベルトは逃げられない自分の運命を悟った。
ちなみに、文官たちの執務室では日常茶飯事である事を知っているイルミナは、ただただ合掌を心の中でする。
イルミナは自分だけが逃げられたと思っていたが―――。
「イルミナ?
あまり長い時間は取らせない。
少し構わないだろうか?」
「―――!!」
もう一人の鬼がいることを、すっかり忘れていたイルミナであった。
「―――本当に申し訳ありませんでした・・・!」
三人が退室した後、イルミナは何かを言われる前に謝罪した。
イルミナとて理解していた。
事前に何の相談もせずに、勝手に他国と交渉をしたのだ。
しかも、相手は大国ラグゼンファードの一番の間諜としての名を持つ相手だ。
そんな相手に、イルミナは個人でやりあったといってもおかしくはない。
それは、女王としてはやってはならないことだとイルミナとてわかっていた。
だが、言い訳にしかならないと言えばそうでしかないが、どうしようもなかったとしかいいようがない。
直前になって届いた書状―――、あれはラグゼンファード王サイモンからのものだった。
内容は。
・ハーヴェイの行っていることはサイモンの望みではないこと。
・薬物の大本はこちらの国のものであろうとこと。
・ハーヴェイの侍従であるアルマは、自身の腹心であり、そちらの国の一部と繋がりがあること。
・ハーヴェイの怪我に関して、ヴェルムンドに非道な要求をするつもりがないこと。
そして。
―――私としても、我が弟は愛おしい存在
諍いを生むつもりではないが、貴女と添い遂げることが我が弟の幸せになれるとは思えない
それは、貴女もそうだろうし、弟にとってもそうだろう
私は、私の弟に幸せになってほしい
そのためには、貴女との婚姻を認めることはできない―――
それは、サイモン王がどれだけ弟であるハーヴェイを想っているかが綴られたものだった。
結果的に手紙の内容を簡潔に言えば、イルミナを襲撃したあの文官の薬物の出どころはラグゼンファードである可能性が高いこと。
そしてハーヴェイのあの婚姻の打診や、誠意に関する話もハーヴェイ個人が希望していることを示唆していて、そこにラグゼンファードの国の意思は全くないこと。
さらに言うのであれば、ハーヴェイとサイモンの兄弟の絆を感じられる書状であった。
そしてイルミナは考えたのだ。
このことを、腹心と言われている侍従は知っているのだろうか、と。
もし知らないのであれば、こちらはひとつカードを持ったことになる。
場合によってはそれを利用して何とかしてこちらに有利に話を進めることはできないだろうか、と。
それを事前に相談しなかったのは悪かったと思っている。
しかし、できるだけ時間を短縮したかったのが本音だったのだ。
「・・・先ほどは悪かった。
少し大人げなかった」
イルミナは何を言われるかと身構えていたが、予想外のグランの言葉に一瞬思考を止めた。
「そ、れは・・・私が何も言わなかったのが悪いわけですから・・・」
イルミナの戸惑いを含んだ言葉に、グランは首を横に振った。
「本当はクライスも理解しているだろう。
ただ、イルミナが私たちの手助けを必要とせずに交渉したことが・・・なんというか寂しかったのかもしれないな
もう、私たちが必要ないと言われているようで・・・」
哀愁を含んだ笑みを浮かべるグランに、イルミナは自分の安易とも呼べる行動が人の心を傷つけていたこと知った。
必要ないなんて、欠片も思っていないのにそう思わせてしまった。
それはイルミナが望んでいるものではない。
「そ、そんなつもりでは・・・!」
グランはまたも首を横に振った。
「わかっているんだ・・・。
イルミナも少しずつでも大人になり、女王としての風格を得ていることは。
ただ、私たちが付いていけていないだけなのだろう。
・・・もう、守られるだけの女の子ではないことはわかっているのだがな」
グランの寂しげな笑みに、イルミナに衝撃を与えた。
「・・・私は、まだ成長途中なのは理解しています。
ですが、今までのように人に頼り切っているわけにはいかないとも理解しているだけなのです・・・。
決して・・・決して、皆を信用していないわけではないのです」
イルミナはそう言いながら、グランの隣に座ってその手を握りしめた。
イルミナは、これから先も女王として幾度となくこういった交渉をしなければならないだろう。
今までは、その若さゆえに誰かと相談してから話を進めるということはできた。
しかし、イルミナもすでに十七だ。
今までのようにしていれば、ヴェルナーやグランがイルミナを傀儡としている、そう邪推されるだろう。
それは、イルミナの望むところではない。
「あぁ、イルミナ、そんな顔をさせたいわけではない。
本当はわかっているんだ、本当に」
グランはイルミナの手を握り返すと笑みを浮かべた。
「これは、私たちの勝手な思いなのだろう。
イルミナは、これからも成長しなければならないのだからな。
それが早過ぎてついていけていない我々が悪いのだ」
イルミナは、グランのその言葉になんと返していいかわからず口を噤んだ。
これからも先、イルミナはきっと一人で交渉しようとすることがあるだろう。
それがいけないことだとわかっても、時と場合によってはそれを当然のようにしてしまう。
独裁をするつもりなど全くないが、いちいち臣下に相談してから対応する決定能力のない女王になるつもりもないのだ。
「・・・それに関して、謝ることはしません。
きっと、これから先も同様のことは起こるでしょうから・・・」
それでも、と思う。
「でも、いついかなる時でも皆がいると分かっているからこそ、出来ることです。
どうか、それだけは信じて下さい」
微かに震えているその小さな手、そしてひたむきな色を浮かべる瞳を見て、グランは自身に対してため息をつきそうになった。
大人であるはずの自分が、こうして気を使わせてしまったという事実に、やるせなさすら覚える。
あんなにも弱かった彼女は、自分の知らぬ間にどんどん成長しているのだ。
それを喜びこそすれ、寂しく思うはずもないと理解しているのに、どうしてか―――。
きっと、ずっとずっと頼っていて欲しかったのだろうと身勝手にも思う。
自分を唯一としてくれているのは理解しても、それでも足りないと思う貪欲な自分に、なんて我儘だとすら思ってしまう。
自分にここまで浅はかな思いがあるといいうことを知り、少しだけ落胆すらしてしまうもそれすら愛おしく思える。
彼女だけなのだ。
自分にこんな思いをさせるのは。
「―――愛しているよ、イルミナ」
不意にそう口にすれば、彼女の頬は瞬時に真っ赤になった。
その熱を持った頬に口づけを落としてしまうのは、きっと自分に堪え性が無いせいだ。
きっと、これから先も彼女が言ったように寂しく思うことがあるのだろう。
その度に、似たような気持になる。
しかし、それでもいいと思える日も、いずれ来るのだろうとグランは思う。
この胸の微かな痛みとて、愛おしいものとなる日だって、くるのだろうから。
「―――わ、たし、も・・・」
―――それに続く言葉は、一生自分だけのものであればいいと。
グランはそれだけを思った。