327 変わらぬ日々に罅
受験生にも社会人にも貴重な祝日を経て、また学校での勉強漬けの日々が始まる。
とはいえ全てを勉強に費やすかと言えばそうでもなく、友と雑談を交わすくらいの余裕はあったし、それが日々の潤いになるのは確かだ。
「へー母の日は志保子さん達来てたんだー」
自習時間は皆真面目に勉強こそするが、教室が静まり返るという訳ではない。
この自習時間にそれぞれ別室に呼ばれて模試の結果や今後の進路について話し合うので、その事を話す生徒、単純にこのゴールデンウィークや休日はどう過ごしたか、なんて話をする生徒、うっかり居眠りする生徒など様々だ。
周達は勉強しつつ、先日の母の日に何かあったか、という話題に控えめな花を咲かせていた。
「わざわざ申し訳なかったのですけど、是非にって」
「よかったじゃーん、つまり公認?」
「椎名さんは元から認められてたと思うけどなあ」
「まあそうなんだけどね? 家族間のイベントに参加は、ねえ」
にや、と意味深な笑みをこちらに向けてくる千歳はスルーするが、樹も優太も木戸も何とも言えない生暖かな感情を匂わせてくるのだからやっていられない。
真昼はというと公認という言葉に照れているらしく少し身を縮めて目を伏せつつ頬を赤らめているが、本人には自信を持ってもらいたいものである。
「ていうか真面目だなお前んち。うちは父の日も母の日もお構いなしだから。母の日はともかく、父の日は絶対にやらない」
「樹は反応し辛いのやめてくれない? 普通に困るんだけど」
「優太は俺に辛辣だな?」
ひどいやつめ、と唇を尖らせている樹であるが、こうやって門脇が鋭めに言わないと空気が絶妙に触れにくいものになってくるので、門脇が意図的だと分かっているし樹も門脇が意図的にしていると理解しているからこそ全く怒りの感情はないのだろう。
「うちはまあ別に面白い事やらなかったなー。あ、でもお母さんの好きな外食を宅配してもらった。お兄ちゃんのお金で」
「お兄様のお財布おいたわしや」
「や、お兄ちゃんがそもそもお母さんのプリン三つ丸々食べたのが悪いしなあ」
「それはお前の兄貴が悪いな、絶対に許すな」
「マジになってて笑う」
「周くん卵料理に関してはそうですよねえ」
「卵関係なくそもそも自分が買ってないものを許可なく食う方がおかしい。補填して当然だ」
「それはまあそう」
お兄ちゃんにも聞かせてやって、と肩を竦める千歳と仰る通りですねと頷く真昼に周も頷いた所で、先生に呼ばれていたらしいクラスメートの野村が「藤宮出番ー」と声をかけてくる。
出番、というのは先生の二者面談だ。
「んじゃ行ってくるわ」
「いてらーお土産よろしくー」
「ねーよ」
なんて軽いやり取りを交わしながら立ち上がり、指定された空き教室に向かう。
別に、特段気負う事はない。今から足掻いた所で担任の所に届いた報告は何一つ変わらないし、いつも通りに振る舞えばいい。
出来る事はやったという自負があるし、今ある自分を否定なんてしなくていいから結果を受け止めて次に活かそう、という気持ちになっていた。
泰然自若、とも違うが自然体で担任から話を聞くべく教室に入ったのだが、時間はそうかからなかった。
呆気なく帰ってきた周に樹達が驚く程だ。いや、先に二者面談を終えた真昼程でもないので、そう驚く事でもないのだが。
「どうだった?」
この面子では一番二者面談が遅かったのが周だったので、皆が周の方を注視する。
どう、と問われてもあまり面白い事もなく順調そのものの結果しか話せないのは、良い事なのだが。
「模試自体は一応A判定だけどこのまま順調に行けるかは俺の努力次第だから気は抜けないなって感じ。志望校上を目指してもいいけど俺はここがいいからって蹴った。成績とか授業態度出席日数については問題ないからこのまま励むように、だって」
真昼の協力と日頃の自主的な勉強のお陰か、模試自体は手応えがあったし結果としても出ている。
模試の各教科に大体一問は意味が分からないというのは変だが今これ出すか、というものもあったものの、一応は時間を使って解けたのでまあ過去問をひたすら解いて慣れていくしかないだろう。
内申部分については、部活動をしていないのでその点はマイナス。
ただ、他の面では優判定を得ているので、真昼程ではなくとも教師達からの評判は悪くないと信じたい。
そんな訳で特に問題もなくあっさりと解放された周に、樹は冗談交じりの舌打ちを向けてくる。
「優等生め」
「そりゃあなあ。あと夏の三者面談は両親を呼ぶように、と」
夏前に本格的な受験に向けての成績共有や志望校、併願等受験関係の話し合いをしなければならないので、また志保子達を呼ぶのは悪いもののこればかりは諦めてもらうしかない。
「まあ受験生だからねえ、学校側としては遠くても来てもらわないとってなるよね。私も志保子さん会いたーい、ウインドーショッピングするのいいよね」
「私も私もー。折角ならそーちゃんの衣服についていいアイデアがあったら聞きたいし」
「なんで俺の母さんは知らない所でちゃっかり親交を深めてるんだ……」
いつの間にか千歳や木戸とも交流が始まっている辺り自分の親のコミュ力に恐れ慄く周に、樹も同意するようにうんうんと首を縦に振っている。
「コミュニケーション能力とバイタリティすごいよな」
「我が母親ながら怖い。知らない間にネットワーク形成されてる」
「ママ友ネットワークとかもすごいらしいし女性の情報共有能力には舌を巻くよ。姉さんとか見てるとなんというか、こう、怖いよね」
「怖いって」
「怖いよ」
「優太さあ」
彼は姉にトラウマか何か与えられたのだろうか、と心配してしまうのだが、門脇は儚げに微笑むのみ。
「ちなみに椎名さんは先生から何も言われなかった?」
「いつも通りというか君は大丈夫そうだね、このまま励むように、ですかね?」
あっさりとした言葉は予想通りでもある。
成績をぶち抜き模試の結果もかなり良かったらしい真昼は、あまり担任から心配はされておらず、放任とはまた違うが真昼の裁量に全ておまかせコースのようだ。
「まあまひるんだからねえ」
「そうやって真昼だからって勝手に雑に期待すんのはやめてほしいけどなあ。真昼も努力の上だからな?」
「知ってるよう。ただ先生目線他に手のかかる子が居るからそっちに時間割いちゃうのかも」
「ちぃとかな」
そのかまけるべき生徒である千歳の二者面談は真昼や周の時間を大幅に上回っていた。
「うっさーい! Cだったもん! 伸び代大あり!」
「ちぃは伸び代しかないよな」
「いっくんB判定だからって調子に乗りおって……」
元々どちらかといえば得意科目は理系寄りだった樹は、元の要領のよさも相まって周が舌を巻く勢いで知識を吸収しており、このまま順当に行けば志望校合格の未来は掴めるだろう。
そもそも、気合いが違う。彼は家から出て千歳と生きたいが故に、大輝と対峙するためのカードを増やすために努力しているのだ。
良くも悪くも、家族仲良好で家が安全圏の千歳と違って後先がない、切羽詰まった状況だからこその努力であり、傍から見ていると胸が締め付けられるような思いが時折滲んでしまう。
「千歳さんは頑張っていると思いますよ? この数ヶ月で大分理数系理解力上がりましたからねえ」
「文系分野の方が得意だったからなあ、頑張ってるだろ」
「まあ選んだのは理系だけど」
「私が選んだからいいの。ここから上り詰めますとも」
「詰められる?」
「……滑り込みますとも!」
「志は高くていいんですよ、やる気が大切ですから」
「まひるん……!」
そのためのサポートはこちらに支障無い程度にはしますから、と慈愛の微笑みを以って宣言した真昼に、千歳は感動したように瞳を揺らし、隣の真昼の手を握ろうとする。
「欲を言えばA、せめてB判定出るようになるまで頑張りましょうね。覚えるまで繰り返し一杯詰め込みましょうね」
「逃げたくなってきた」
「逃げちゃ駄目だ」
慈愛の微笑みで地獄に誘う真昼に千歳は椅子を後ろに下げて逃げようとたが、真昼は逃さまいと身を乗り出して細い手を握る。
小さな悲鳴が上がったが、周はまあ頑張れと千歳に軽い応援を送って自分の勉強に集中すべくシャーペンを手に取った。
「……先生から三者面談の事言われなかった?」
帰りがけ、樹達と分かれてから周は今まで黙っていた事を問いかけた。
二者面談の際に担任から次は三者面談なので親の予定を聞いておくように、という旨の事を大体の生徒が言われているのだが、真昼が言われなかったとは思い難い。
そもそも三者面談に一度も来ていないのだ。担任からしたら受験時期に三者面談はなしというのはかなりリスキーだろうし、なるべく親を交えて話したい筈だ。
真昼は、周の問いかけにも驚いた様子も傷付いた様子もなく、いつも通りの表情。
「まあ言われましたけど、無理ですとしか答えられませんよねえ。わざわざ連絡を取るなんてしませんし出来ません。それに、あの人達が私のために時間を割くとは思いませんから」
「そもそも、真昼がそれを望む?」
「いいえ」
余分な悲痛は削ぎ落とした、実にあっさりとした返答は、本当に気にしていないのだろう。
「そもそも先生から成績の事聞かされた所で、今までを知らないし進学先もノータッチで知らないでしょうから。呼んだ所で、お互いに困るだろうな、と」
「口出しして来ないのは有り難いんだろうけどな」
「赤澤さんのご家庭を見ているとこれもまたある種恵まれてはいると思うんですけどね。進学に関わる金銭は確保されてますし、自分で好きに生きろと放逐されているので」
「それを恵まれているとは俺は言いたくないけどなあ」
確かに、椎名家、というか真昼に対して限りだが赤澤家の方針とは真逆も真逆で何処となりと行け、スタイルであり、真昼がどの道を歩もうが文句をつけてくる事はないし、お金は出すから全て自分の責任でしろ、と何もかも放置している。
それが自立を促すとか本人の意志を尊重するとか、そんなポジティブな意味のものではない事は、本人が一番理解しているだろう。
「そうですか? 今思えば小雪さんをつけてくださっただけ有情なんですよね。だからといってあの人達がした事は当事者として肯定は出来ませんけど」
「……うん」
今までされてきた事を嘆きもせずただそういうものだと受け入れている真昼は、周が僅かに顔を曇らせるのとは反対にほのかな希望を抱いた前向きな笑顔を見せた。
「それでも小雪さんと出会えた事は私の人生の宝ですから。勿論、周くんに出会えた事も」
「俺もだよ」
もう、真昼は実親そのものを求める事はない。納得した上で、今大切にしてくれる人達を大切にする事を選んだのだ。
小雪との出会いを、周の出会いを、人生の宝だと言い切った真昼は、かつて親を語る時曇天そのものであった暗い表情からは想像が付かない程に、明るく眩いものを宿していて。
「だから、別に特に気にしてないんですよね。……引っかかりがない、と言えば嘘になりますけど、でも本当に今の私にとっては、あの人達が私をどう扱ってきたかなんて関係ないですよ」
「そっか」
「心配性ですねえ。ちょっと親の話題出すの躊躇いつつも周りの手前言いにくそうにするのも逆に負担だよなって思い直して普通を装って口にしましたもんね」
「そこまで分かってるの怖いんだけど」
「他ならぬ周くんの事ですから」
「流石真昼様」
「もー」
「ちなみに、本当に保護者が必要なら俺の母さん達が来るので」
小夜や朝陽が来る筈がないのは分かっているが、とうしても親を交えて話さなければならないというのであれば。
別に保護者なんて保護者していれば誰でもいいだろう。周の両親が来て話を聞いても、問題はない筈だ。
無論、一番よいのは小雪なのだろうが、体調の面から無理そうだし先日の母の日への贈り物も通話でなくメールでお礼が来たあたり、忙しさと体調両方に問題がありそうである。
ならば、やはり志保子達に任せる他ない。
大真面目に両親に相談しようか悩み始めた周に、真昼は冗談だと思っているのか控えめに面白がって笑っている。
「ふふ、ありがとうございます」
「いや本当に。積極的に来るぞ?」
「嬉しいですけど、その、本当に大丈夫ですよ? この前来ていただいただけでも恐れ多いというか本当に嬉しかったですし、これ以上はこちらが申し訳なくなってしまいますから」
「それならいいんだ。まあ母さんの事だから残念がるだろうけどな。公式真昼ちゃんの親の座が……って。気が早いっての」
公式はまだ早いだろう。仮か実質なら分かるが。
「今更な所はあるんだけどな。もう既に娘扱いしてるからなあ、外堀埋めるスタイルだろ最早」
「……そうですね」
まあ周も真昼が知らない間に実質小夜と朝陽から真昼をもらう許可を取っているので、周こそ外堀埋め最大手なのだが、真昼は知らなくていい。
それもこれも真昼を正式に藤宮家にお迎えするためなので致し方ないな、と自分に言い訳しながら頷いた周だったが、真昼が気恥ずかしそうに視線を落としたものだから思わず立ち止まってしまう。
「どうかした?」
「いえ。……嬉しいなって」
娘扱いに喜んでいるようだが、先日散々志保子から娘として可愛がられたのだから少しは慣れてくれてもいいのに、と思わなくもなかった。
「うざがってもいいからな? 適切な距離は保たせるぞ?」
「うざくなんてないです、ありがたいです」
「そういうと調子に乗って構ってくるから程々にな」
「望む所ですよ」
「真昼って煽るの上手いからな……もみくちゃにされないといいんだけど」
志保子が真昼の可愛さのあまりスキンシップを過度に行う未来が訪れかねないので、そのいじらしさは周の前だけでセーブしていただきたいものである。
気を付けるように、とこちらとしては大真面目に注意をするのだが、真昼は分かっていないのか、それとも枷の外れた志保子のパワーを理解していないのか「嬉しいのに」と言葉と表情を一致させながらこぼしている。
本当に分かっているのかどうか。
(藤宮家の愛は滅茶苦茶重いんだけどなあ)
一度決めたら、絶対に手放さないのだから。
追々理解してもらおう、とゆっくり真昼を慣らしていく気満々で笑った周だったが、真昼の制服のポケットから電子音が流れ出した事に目を丸くする。
最近はメッセージアプリの通話機能でやり取りする事が多く、着信音もあまり聞かなかったのだが、今流れているのは元々スマホにある機能としての電話のものだ。
真昼がスマホの画面を見るも、心当たりのない番号らしく首を傾げている。
パッと見た限りよくある迷惑な国際電話や詐欺電話に使われるようなフリーダイヤルでもない。市外局番付きのもの。
検索ボックスに打ち込んで調べてみれば、とある病院が使う電話番号。
真昼には本当に心当たりはなさそうだったが、何故か背中ににじり寄ってくる不安感と焦燥感が、周の心臓を少しずつ焦らせるように急き立ててきた。
恐る恐る、真昼は通話ボタンを押して耳元にスマホを当てた。
「はい、もしもし」
困惑を隠そうともせず電話に出た真昼は、戸惑いもそのままに電話の声に耳を傾けている。
「はい、娘です、が」
間違い電話ではなさそうだったが、真昼の口から躊躇いもたっぷり込められた言葉が落とされて、周は真昼を凝視した。
その単語が出るという事は、実の両親のどちらかが関係する相手という事。
そして、病院からかかってきた、という事は。
「……え?」
本当に小さく、意表を突かれたような、気の抜けた声。
「――父が、入院?」





