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二話 スズ

霧の夜になると忽然と現れる謎のスナックがあるという。そこには心を癒してくれる人たちがいるというが、そのスナックに入店して帰ってきた人は誰もいないらしい。それなら、その噂は誰が言っているのだろうとなるが、噂というのはそんなものだろう。これは、そんな何処にでもあるような噂話だった。


 吉行太一はむしゃくしゃしていた。今まで頑張ってきたかいあって、店長に任命されたのだが、それからが心労の毎日だった。それまでは、店を良くする為と、上の者にもガンガン意見してきた太一だったが、今は逆に言われる立場になっていた。この立場になって初めて分かる。確かに言ってくる意見を取り入れていけば従業員にもお客様にも良い店になるだろう。しかし、店自体の経営が危うくなってしまう。太一は折衷案を考え対応しているが、その太一の態度が真剣に意見を聞き入れてくれないと、従業員の間で問題にされていた。


・・・お前らもやってみろよ 全て取り入れるなんて不可能なんだよ ・・・


 帰り道、太一の運転はつい荒くなってしまう。ホワイトのアルトワークスは5速マニュアルで小気味良く走るが、今日は太一の運転に合わせ乱暴な動きになっていた。

 街中を抜けちょっとした山道に入ってきた。太一の家はこの先の集落にある。外灯が失くなり暗くなるが、慣れた道である。夜はほとんど車も通らず、人も通らない道だ。太一は、ギアを1速落とすとアクセルを踏み込んだ。ターボの強烈な加速で体がシートに押し付けられる。カーブが迫ってきたが、慣れた道である。この速度で抜けられると太一は思っていたが、カーブを抜けた目の前の道路に何かがいた。咄嗟にハンドルを切り、それを避けた太一だったが、白いアルトワークスはコントロールを失う。横転こそしなかったが大きくスライドし道路脇の側溝にタイヤが落ちて止まった。


・・・参ったな ・・・


 太一は車から降りてみると右側のタイヤが前後輪とも側溝に落ち、車は傾いていた。とても自力では出せそうにない。


・・・ハクビシンか、何かか ・・・


 太一は道路を見るが、そこにはもう何も居なかった。この辺りではよく小動物が轢かれているのを目にするので、轢いてしまわなくて良かったと太一は安堵した。それから太一はスマートフォンを取り出しJAFに連絡しようとしたが、圏外になっていた。


・・・やれやれだ ・・・


 さてどうするかと考えた時に、この先にまだ公衆電話のボックスが残っている事を思い出した。


・・・あの電話ボックス、こんな時の為に残してあるのか? ・・・


 そんな事を思いながら太一は暗い夜道を歩きだした。スマートフォンのLEDランプだけが頼りだったが、歩いているうちに霧が出てくる。そして、その霧はだんだん濃くなってきた。もう視界は前方1メートルほどしかない。そんな中、それは突然現れた。太一の照らすランプの明かりの中に店の看板が現れたのだ。群青地に白い文字でスナック・フォギーレインと書いてある。


・・・こんな所に店があったか? ・・・


 太一は不信に思いながら辺りをみると霧の中に仄かに灯りが見える。その灯りに近付いて行くと黒い壁に白い文字でフォギーレインと書かれた店があった。同じく黒いドアには営業中の札が掛かっている。


・・・ここで電話借りればいいか ・・・


 太一がドアを引くと大音量の音楽が流れていた。そして、それに負けないような大声がカウンターの中から聞こえる。


「いらっしゃいませーっ! 」


 リーゼントの若いマスターが笑顔を向けていた。


「すいません お客じゃなくて、電話貸してもらえませんか 少し手前で車落としてしまって 」


 マスターは気前よく、どうぞ電話はあちらですと指差してくれたが、太一が行ってみるとコイン投入口にはテープが貼ってあり、テレホンカードしか使用出来ないようであった。太一は再びマスターにテレホンカードは有りますかと訊くはめになったが、マスターは度数の残っているテレホンカードも太一に渡してくれる。電話を終えた太一はマスターにテレホンカードの代金を払おうとするが、マスターはそれはいらないから飲んでいきなよと薦め、おーい、スズと奥に声をかけた。すると、はいと返事が聞こえ、一人の若い女の子がやって来た。ショートボブの黒髪に、クリッとした大きな瞳、黒いミニのワンピースの腰は黒く細いベルトでキュッと絞ってある。スカートの下から覗く黒いストッキングに包まれた脚も形よく伸びている。太一は一目でこの女の子が気に入ってしまった。


「スズといいます よろしくお願いします 」


「お、俺は吉行太一 」


 自分の理想の女の子に出会い、太一は緊張していた。まさか、本当にこんな女の子がいるなんて。夢じゃないよな。太一は自分の腕をつねりたかったがおかしな奴と思われたら大変なので控えていた。


「太一さん、何か飲んでくれますか? 」


「あ、ああ、もちろん マスター、生ビールある ジョッキで 」


 ハイよとマスターは元気に太一の前にビールが満たされたジョッキを置く。


「スズちゃんも何か飲みなよ 」


「それなら、ウーロンハイ、いいですか? 」


 太一が頷くとマスターはすぐにスズの前にウーロンハイのグラスを置いた。


「乾杯 」


 スズが、カチンとグラスを触れる。太一は一気にジョッキの半分のビールを空けていた。


・・・なんだろう 今日のビール格別に美味いぞ ・・・


 太一はついさっきまでのむしゃくしゃした気持ちを忘れていた。もう仕事の鬱憤も、事故を起こしたショックもどこかにいき消えていた。


「マスター、ビールおかわり それと、シシャモ 」


 太一はマスターから渡されたジョッキを、またグイグイと飲んでいく。


「太一さん、凄いですね でも、飲んでばかりだと良くないですからカラオケでも歌ってくださいよ 」


「よーし、それじゃあキャロルの”夏の終わり” 」


「あっ、いい曲ですよね 私も好きです 」


「えっ、スズちゃん若いのに知ってるの? 」


「知ってますよ 最近はネットで古い曲も聴けますから 」


 なるほど今は凄い時代だな。そう思いながら太一は気持ちよく熱唱していた。マスターもカウンターの中で指を鳴らし曲に合わせて踊っている。


・・・あれ、ツイストか マスター、格好いいな ・・・


 太一は歌いながら、この店が非常に気に入っていた。このまま全てを忘れてここに居たいと思ってしまう。


「スズちゃん、デュエットしない? 」


 歌い終わった太一は拍手しているスズを誘ってみた。こんな可愛い女の子とデュエット出来たら最高だと思い、恐る恐る誘ってみたが、もちろんスズはOKする。


「スズちゃん、どんな曲が良いの 言ってみてよ 」


「”渋谷で5時”、知ってますか? 」


 知っていた。太一が頷くとスズは嬉しそうに端末を操作して曲を入れる。すぐにイントロが流れてきた。スズは太一の手をとりステージに向かう。太一はドキドキしていた。スズはそのまま太一と腕を組んで歌い出す。太一はもう夢心地だった。それからは、ずっとデュエットの曲ばかり入れていた。


「少しお腹が空いてきたな 」


 つまみを食べずにビールばかり飲んでいた太一は空腹を覚えていた。


「こんなにビール飲んでるのにお腹に入るんですか? 」


 スズが驚いて言うが、太一は別腹なんだよと答え、マスターに何かお腹に溜まるものありますかと声をかけていた。


「何が良いの? 言ってみてよ 」


 マスターはグラスを拭きながら軽く答える。太一は、あるわけがないなと思いながら、ナポリタンと答えていた。


「ナポリタンね OK 」


 マスターは了解とパスタを鍋に入れ茹で始める。あるのかよと驚きながら太一が見ていると、マスターは手早く玉ねぎやピーマンを切り具材を用意していく。スナックというのは軽食も扱っているけれど、その手捌きは慣れた料理人のようであった。


「はい、お待ち 」


 出されたナポリタンはとても美味しそうで太一は夢中で食べていた。


・・・酒も食べ物も美味しくて可愛い女の子もいる。マスターも格好いいし、こんな店、現実にあるのかよ ・・・


 太一は自分が夢を見ているのかと思ったが、太一の腕に当たっているスズの胸の膨らみの感触が確かに感じられる。


・・・夢みたいだ このまま、ここに居たいな ・・・


「次は何をデュエットします? ”今を抱きしめて”なんかどうです? 」


「良いね 大好きな曲だよ スズちゃん、分かってるね 」


 太一は、この楽しさが永遠に続けばと思いながらスズと腕を組み歌っていた。



 * * *



 山道の側溝に落ちたアルトワークスの前でJAFの職員が途方に暮れていた。車は確かにあるが、連絡してきた持ち主の姿が見当たらないのである。携帯が通じないようなので、どこかの電話ボックスから連絡してきたのだろうと近くのボックスまで行ってみたが人の姿はなかった。付近に住宅や店舗も見当たらず、しばらく待ってみたが現れないので仕方なく引き返すはめになってしまった。


 その後、吉行太一の消息はぷっつりと途絶えた。家族からも警察に相談され、付近一帯を捜索されたが彼はまるであの夜現れた霧のように忽然と姿を消していた。


 混乱していた彼の勤めていた職場も、しばらくすると店長代理だったものが店長に昇格し何事もなかったかのように動いている。


・・・お前ら、いい加減にしろよ 好き勝手言いやがって ・・・


 店長になった男は心の中で相手を罵っていた。



 彼の家族は、太一は生きていて必ず帰って来ると信じている。何の確証もないが、何故かそれは当然の事のように思っていた。そして、その家族の思いは遥か未来で叶う事になるのだった。


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