第572話 らのくんはお好きですか? 1
ミーンミンミンミン。
「……」
夏――
入道雲がもくもくと、空を押し広げていく。
青い絵の具を散らしたかのような真っ青な空に、もくもくと雲が立ち込めている。
夏を代表するセミの声が、赤石の家に響いている。
「暑い」
赤石は自室のベッドで天井を眺めていた。
セミの声がうるさく、朝にも関わらず満足に寝ることが出来ない。
「暑すぎる……」
頭をかく。
ミンミンと、セミの鳴き声が聞こえてくる。布団をかぶってみるが、セミの声が弱まることは全くない。
窓を貫通して、大音量で赤石の耳まで到達する。
「うるさすぎる」
夏休みに入り、赤石はぐうたらと毎日を過ごしていた。
「悠~」
階下から、少女の声がした。
赤石の部屋に、唐突に三千路が入って来る。
「ノックして」
「良いじゃん、私らの仲なんだから」
「俺が裸だったらどうするつもりだったんだよ」
「写真撮る」
「なんでマスコミ側のスタンスなんだよ」
赤石はベッドに寝ころびながら三千路と会話する。
「っていうか、勝手に家入って来るなよ」
「ちゃんとお母さんに許可取ったよ?」
「お母さん今家いないだろ」
「いや、さっき道端で会って」
「なしすぎるだろ、そんなの」
三千路は赤石の母から鍵をもらい、部屋に入り込んできていた。
「もうこんなの窃盗犯だろ」
「ぐへへへ、おい兄ちゃん、良い体してんじゃねぇか」
三千路は指をわきわきとさせる。
「物を取らない代わりに、兄ちゃんの大事なものは奪われちゃうかもねぇ~」
「キモい窃盗犯」
三千路は赤石のベッドにとすん、と座る。
「遊ぼ?」
「いや。暑い」
赤石はゴロゴロとベッドの上で転がる。
「お前家閉めたんだろうな?」
「ちゃんと鍵くらい閉めたよ! 私を非常識だと思って、失礼しちゃうな!」
「勝手に人の家に上がってくる奴は非常識で間違いないだろ」
赤石は三千路とは逆の方向に体を向け、布団をかぶる。
「そういえば、さっき須田君が家の前にいたよ」
「そりゃ誰だってどこかしらにはいるだろ」
「何それ。情報量なさすぎない?」
でも分かる、と三千路は謎の納得を見せる。
「誰がどこにいても良いってことだよね?」
「そう」
面倒になった赤石は、適当に返事をした。
「まだいるんじゃないかな?」
三千路は赤石の部屋の窓から、階下を覗く。
「なんか悠に渡しにきた、って言ってたよ」
「何を?」
「さぁ? 忘れ物とかじゃない?」
心当たりがなく、赤石は小首をかしげる。
「白い貝殻の小さなイヤリングとか落としたんじゃない?」
「クマが届けに来るだろ、それ」
赤石は三千路と共に窓からのぞく。
須田は赤石の家の前でおろおろとしていた。
「入ってきたら良いのに」
「入ってきづらいだろ」
赤石は階段を下りる。
「呼ぶの?」
「とりあえず話だけ聞いてみる」
赤石は玄関を開けた。
「あ、ちょうど良かった! この前落とし物してたから」
ドアが開いたことを確認し、須田は赤石の下まで走り寄って来た。
「どうしたんだ、そんなところで」
「いや、あ~……」
須田は頭をかく。
「返そうと思って、これ」
須田は赤石に五百円を手渡した。
「え?」
赤石は財布を取りに、一度部屋に戻った。
「新聞代?」
「新聞取ってないんだよ」
「カツアゲされてんの?」
「金払いに行くんじゃないんだよ」
赤石は財布の中身を見て、確かに五百円がなくなっていることを確認した。
玄関に戻り、再びガラガラと引き戸を開ける。
「本当になかった。多分俺のだと思う」
「うん、前ポケットから落としてるところ見たから」
須田は赤石に五百円を手渡した。
「別に俺のものである証明が出来ないんだから、お前がそのままもらってても良かったのに」
「いや、こういうのはちゃんとしないとダメだから」
須田は赤石にノーを突き付けた。
「律義なやつだな。ありがとう、助かった」
「いや、全然。俺、律義だけが取り柄みたいなところあるから」
そう言い残すと、じゃ、と須田は素早く帰って行った。
「……」
赤石は引き戸を閉め、部屋へと戻る。
「あれ?」
三千路は赤石の手にある五百円を見た。
「もしかしてカツアゲする側だった?」
「する側でもないんだよ」
赤石の夏休みは、まだ始まったばかりである。
「――から~……」
「いえええぇぇぇ~~い!」
夏休み――
赤石が夏休みを空費する一方、夏休みに入るや否や休みを謳歌している少女がいた。
「いやぁ、もう本当イケボ。イケボすぎて耳が妊娠しそう」
暮石三葉、その人である。
ボイピクと呼ばれる音声通話サービスで知り合った推しと二人で、カラオケに来ていた。
「まぁ別に、これくらい普通だけどね?」
暮石の推しであるらのくんは、暮石に言われるがままに何曲も続けて歌を歌っていた。
採点機能を切り、自分の思うがままに自由に歌っていた。
「なんて言うか、この歌ちょっと平坦なんだよね。だから俺、物足りないところで俺なりのクセとか入れちゃったりしてる」
「さすがにプロすぎない?」
本当すごい、と暮石は拍手する。
「はぁ……」
歌い疲れたらのくんは、ドサ、と暮石の隣に座った。
「お疲れ様です!」
お肩をお揉みしますよ、と暮石がらのくんの肩を揉む。
「あぁ~、気持ち良い」
「へへへ、らの様が気持ち良いなら何よりでごぜぇます」
暮石は下手に出る。
「……」
「……」
そのまま無言で、暮石はらのくんの肩を揉み続ける。
「あぁ~、もっと気持ち良いことしてもらいたいなぁ~」
「なんでごぜぇましょう!」
暮石は揉み手でらのくんに尋ねる。
「自分で考えて?」
らのくんは首を軽く曲げ、暮石にそう甘くねだる。
「う~ん……」
暮石は小首をかしげる。
「あんさぁ」
「え?」
らのくんは暮石の頬に手を当てた。
「ふたばちゃんって、意外と可愛い顔してるよね」
「そ、そうでしょ~?」
ふふん、と暮石は上機嫌になる。
「……」
「あっ」
らのくんの指が暮石の指をそっと撫でる。
暮石は小さな声を、漏らす。
「かわいい」
らのくんは暮石に、接近した。




