5 救済
オリキャラが苦手な場合は※ ※ ※から※ ※ ※へ飛んでください。救済する場合はそのままお読みください。
エリーセの悪霊が、仰向けになって横たわっていた。胸に杭を打たれ、その周りには、どす黒いドロドロとした瘴気が流れ出し広がっていた。
「エリーセ姉さま……、なぜ…………」
膝をついて、俺と同じ姿をした姉の顔を拝んだ。ブラウンの髪が乱れていたが、どこか安心したような微笑みが浮かんでいるような気がした。
俺はあふれ出る涙を懸命に堪えた。
「……さよなら…………」
エリーセ姉さまの髪を指で綺麗に整えてあげると、静かに別れの言葉を呟いた。
※ ※ ※
――スルリと、エリーセの手が伸びて、俺の手を掴んだ。
「ああっ!?」
銃弾が穴をあけて裂けたワンピースからのぞくエリーセの純白の肌には、弾痕どころか傷ひとつついていなかった。
地面に杭だけを残して、俺の手を引くように半身を起こすと、杭があけていた胸の穴は、すでにふさがっていた。
「そんな――! エシュリンの楔が効かないなんてありえないっ!! 瘴気はまったく消えたのにッ、カナデちゃん!」
不意を打たれ叫び声をあげる唯は、あたかも俺を人質にとられているようなかたちになり、動けなかった。――いや、銀気が、片翼の女神の聖なる力がエリーセに通じない以上、もはや聖女の唯には打つ手がないのかもしれない。
エリーセが俺の手を緩めて後ろを振り返るやいなや、彼女の目から強烈な銀色の光がほとばしった。
光の粒子がはじけ飛び、空気を切り裂いてブウーンとノイズが走る。銀光線が真っ直ぐ走った後も、粒子となった光の跡が空気中に残っていた。
銀光線がいっけん何もない、だが暗黒のような歪な陰の空間を捕らえる。
バチッバチバチッと乾いた音をたて空気が弾けた。
突如、陰から黒い霧が湧き出ると、その中から這い出してきたように、兜に牡牛のような角を生やし漆黒の鎧を身にまとった黒騎士が現れた。
赤い口が耳のあたりまでざっくりと大きく裂ける。
「コノ 腐ッタ スクラップノ 役立タズノ 人形ガ――――!!」
金属質で耳障りな罵声がこだました。
おぞましい瘴気の悪寒に吐き気を催してしまう。
「クッ! よりによって、黒騎士がこんなときにッ!」
すぐさま俺は立ち向かおうと剣を構えた。
――だが、どうする?
悔しいが、銀気がない俺の剣では、黒騎士の分厚い鎧を貫けない。
……唯は……、ダメだ! 銀の弾丸は撃ち尽くし、莫大なエネルギーを使うエシュリンの楔で銀気の力も使い果たしているはずだ。なにより、戦士でもない唯姉を黒騎士にぶつけるなんて、できるわけがないッ!
現に唯は真っ青な顔をして、身動きひとつとれていない。疲れ果てて立っているのもやっとなんだ。こんな時、勇者の優人がいてくれたら――。エリーセの悪霊だって復活しているっていうのにっ。
俺は必死の形相で歯ぎしりしていた。
…………バラの香りがした…………。
「……カナデ、下がって……」
エリーセがちらっと俺を見ていった。ブラウンの澄んだ瞳の奥には、キラリと光が灯っていた。
「え?」
どういうこと――!? 俺はエリーセ姉さまから声をかけられて、心底びっくりしてうろたえた。
「黒騎士は……私が呪うかどうかを見届けるために、隠れて監視していたのよ……」
エリーセが素早く黒騎士から俺を守るように、仁王立ちになる。白いワンピースの裂けた胸元から、桜色のふくらみが見えた。
赤い目に怒りを湛えた黒騎士が、赤褐色に鈍く光る大剣を振りかぶり、口汚く罵りながら突進してきた。
「使イ古サレタ ポンコツメ! 腐リハテ 魔獣デスラ 腹ヲ壊ス! 全部マトメテ 廃棄処分ニ シテクレルワ!!」
まるでガラスを掻き毟るような汚れた声だった。
「なんと無礼な……! 魂まで魔獣に売り渡した下郎の分際で……。人の形をしてはいるが、ただの魔獣――もはや人ではあるまいが!!」
頬を上気させ、凛然たる態度でエリーセはいった。
眉がキッとよると、エリーセは前に進みながら攻撃に出た。瞳が銀色に輝くと、黒騎士を睨みつけた目がまばたきするたびに、銀色の光をパルスレーザーのように連射していった。
激しいスパークが走り、すさまじい衝撃に俺は後ずさった。
黒騎士の鎧は銀光線のシャワーに撃たれ、穴だらけになると、燃え出し、大きな火の玉に包まれた。炎の中でもがき狂ったように暴れる黒い影は、負け犬の悲鳴のような叫び声を上げた。
「ゴフッ……タ、助ケテクレ……儂ハ ラブレ男爵ニ 命ジラレテイタダケダ! 心ヲ 入レカエルカラ 助ケテ……モウ体ガ 痺レテキタ……死ニタクナイ!」
「――さっさと尻尾を巻いて禍ツノ塔にでも帰りなさい。二度と目の前に現れないでッ!」
エリーセは裂けたワンピースを翻し、クルリと黒騎士から踵を返した。
後ろから、猛然と黒騎士は丸太のような両手で、エリーセの首を掴んだ。エリーセの喉に黒騎士の太い指が食い込む。そしてそのまま、後ろ向きのエリーセを空中に吊り上げた。ネック・ハンギング・ツリーだ!
巨漢の黒騎士と小柄でほっそりしたエリーセ姉さまとでは、身長に差がありすぎる。どんなにもがこうとも脱出などできるはずがない。黒騎士の怪力で、か細い首をへし折られるのは明らかだった。
黒騎士は、真っ黒なごつい仮面に薄笑いを浮かべていた。
「エリーセ姉さまーッ!!」
俺は脱兎のごとく全速力で駆けつけると、両腕を上げてがら空きとなった黒騎士の脇腹と背中に向けて剣を放った。渾身の一撃を、力の限り何度も繰り出した! まるで巨石をバットで殴っているよかのような衝撃で、手がしびれ血がにじんだ。
「哀レナ 水兵ノ 小娘ヨ。次ハ、オ前ダ。オトナシク 待ッテイロ!」
黒騎士はガラスが割れるような声で笑っていった。
案の定、分厚い漆黒の鎧に弾き返され、俺の力はまったく通用しなかった。気力だけでキッと睨み返しはしたが、どうしようもない虚無感に包まれた。
エリーセは両手で黒騎士の手首をつかみ返すと、銀色に輝く細い爪先を黒いガントレットを貫くように突き刺した。スーッと指先が、黒騎士の手首の中に潜り込んでいく。
黒騎士は苦痛に顔を歪め、情けない金切り声をあげて両手を離した。
とたんに、エリーセは黒騎士の顔を蹴り上げると、一回転して着地した。
地べたに尻餅をついた黒騎士は、赤褐色の大剣を拾うと膝をつき立ち上がった。
「ダッチワイフメ! 滅茶苦茶ニシテ 壊シテヤル!」
汚れた言葉と死臭のする殺気をはなち、大剣を構え、にじり寄ってくる黒騎士。
すると突然、大剣がガランと大きな音を立て地面に落ちた。
黒騎士が信じられないという顔で手を見ていた。手首から先がドロドロとどす黒くなって溶け出していた。見る間に、腕や肩まで溶け出すと黒い霧となり蒸発していく。
黒騎士は、しゃがみ込み、叫び、泣いて助けを請うていた。
脚も溶け出し、バランスを欠いた体が倒れ土下座するような姿勢になった。
泣き言を叫びながら、黒騎士は地べたをのたうち回っていた。
「元の魂よ、迷わず天に帰りなさい……」
エリーセは銀色の瞳から銀光線を発した。
白銀色の光を発し猛烈な炎が黒騎士の残骸を包んだ。辺りは強烈な光に満たされた。
――――光が消えると、黒騎士は雲散霧消していた――――。
「あ、あの黒騎士を……、圧倒して討ち破るなんて…………」
唖然として立ち尽くす俺に向かって、エリーセは、目から今度は温かな光を俺の全身に照射していた。まるで何か探るように……。そして、フラッシュのように身体を銀色に輝かせると、彼女は俺と同じ、銀髪、緑の瞳になっていた。
「――瘴気ウイルス駆除成功。電子頭脳の再構成、銀器炉の再稼働、流体形状オールクリア――」
「えっ、なに? どうかしたの、エリーセ姉さま……?」
「――私はコードネーム・ギンカク。流体形状型プロトタイプの人造人間です。アナタが……カナデが妹であるとの認識が、電子頭脳の一部の領域に、今は、あります」
「へっ? ……私が、人造人間ギンカクの妹って……なにをいっているの? ということは、あなたは、エリーセ姉さまじゃないの?」
「――遥か昔、我が艦隊は圧倒的多数の魔獣の奇襲を受け壊滅。レジスタンスを続けるも、私は女王型魔獣に喰われ、腹の中で瘴気ウイルスに身体を乗っ取られたため、スリープ状態に移行し活動を停止しました。そして近年になり、瘴気の呪いに身体を喰われ、魔獣を成すために女王型魔獣に囚われたエリーセの魂が、魔獣に変質させられることなく因果を越えて存在し続けたため、同時に存在していた私に憑依しメモリーされたのでしょう――」
「人造人間のギンカクに、エリーセ姉さまの魂が憑依したのね? ……でも、魔獣に堕ちなかったはずのエリーセ姉さまの魂が、なぜ、私たちを呪いに来るのよ!?」
「――勇者により女王型魔獣が倒されたといっても、ギンカクの身体は、瘴気ウイルスから解放されていませんでした。より強力な次の司令塔である禍ツ魔獣から、スリープ状態にありながら強制的に暗殺命令を実行させられました――。しかし、首を刎ねられた際に瘴気を分離し電子頭脳の再構成と、胸に激烈な銀気のエシュリンの楔を打たれたことにより銀器炉心が臨界を起こし再稼働に成功しました。また、銀気の込められた弾丸を体中に幾度も撃たれたことにより、ウイルスの瘴気は完全に消滅しました。瘴気のウイルスパターンの解析にも成功しており、感染される恐れはありません。現在の身体は補完のため、カナデをモデルとして再構成しています――」
「そんな……、冗談でしょ、エリーセ姉さまっ! この星は、中世の文明レベルで騎士の世界なのに、そもそも、人造人間だなんてそんなことあるわけ――」
「……カナデちゃん、実は――、教会の古い文献を読むと、航海日誌があるのよ」
「唯……、航海日誌って、海を船で旅した時の日誌でしょ?」
「それがね、ここの文献は、宇宙なのよ。ほら、王都には、ゴーレムだっているじゃない!」
「そうだ、ゴーレム! 遺跡や、王城も――」
俺は王都で見た数十メートル以上ある大型ゴーレムや、地下の金属プレート製の通路でできたダンジョン遺跡、まるで巨大宇宙船の一部のような王城、王都を走る巡回軌道を思い出した。
そうか、ギンカクは超古代のゴーレムなのか! だから、目からレーザービームを撃てるのか……。
ゴーレム兵器にはさまざまなタイプがある。俺が知る人型のゴーレムは、全高三メートル弱の金属の巨人だ。球体のボディから円柱の脚と腕が伸び、鉄兜のような頭がついた完全なロボットだった。それに比べ、ギンカクは、まさに人型と呼ぶにふさわしいルックスだ。いや、そんなもんじゃない! エリーセ姉さまや俺と、まったく同じ姿なのだ。それに加えて、エリーセ姉さまの魂まで入っているとなると、確かに、まぎれもない人造人間なのかもしれない……。
「――片翼の女神さまにお逢いしたことありますか?」
唯は修道服の上着を脱ぐと、エリーセ=ギンカクの肩に、銀の弾丸と杭によってズタズタにされた白いワンピースの上からそっとかけてあげながら聞いた。
彼女はかわいらしくコクッと頷いていた。
まわりには、壊れた窓枠と、砕けたガラスの破片が飛び散っていた。
警備の騎士たちが慌てて駆けつけてくる。
「私です。カナデ・リムウェアです! 早く、お父さまを安全な場所へ。賊が他にも侵入しているかもしれません。警戒態勢を!」
水兵服姿のカナデお嬢さまを見つけたとあっけにとられ騒ぎ立てる騎士たちを前に、俺は頬を染め恥ずかしさに耐えながらも、唇を尖らせてきぱきと指示を出した。
「唯、お父さまの容態はどうでしたか?」
「ぜんぜん心配ないわ、カナデちゃん。ただ、やっぱりショックが大きかったみたいね」
「瘴気の呪いは大丈夫?」
「それが不思議なことにまったくないのよ。いつでもできたはずなのに」
「今、黒騎士から守ってくれたように、エリーセ姉さまの魂が、全霊で、瘴気ウイルスの暗殺命令から守ってくれていたのかな? 私が養子になったのは、エリーセ姉さまが亡くなった後の話だから、妹だって知っているわけがないからね……。もしかしたら、お父さまを狙う敵だと思ったのかも。ユナは襲われなかったから」
「たぶん、そうかもしれないわね。でも今は、カナデちゃんのことを、ちゃんと妹だと認めているみたいよ……。ところで――、これから彼女をどうするつもりなの? 魂はエリーセさまでも、身体は遥か昔の、とんでもない力を持った女神の兵士よ。もしかしたら、教会の教義にあった天女と呼ぶに相応しい存在なのかも……」
「ギンカクの電子頭脳の中には、エリーセ姉さまの魂がメモリーされて眠っているんだから、きっと大丈夫――」
エリーセ姉さまの魂が憑依した人造人間ギンカクの傍に寄り添うと、彼女の頭に持っていたバンダナを巻き、額の上にサングラスをのせるようにかけてあげた。
「妹のカナデからのわがままなお願いなんだけど……。エリーセ姉さまの魂には、リムウェアと私たちを末永く見守っていてほしい……。ギンカクは、エリーセ姉さまの幽霊じゃないわ。お屋敷のメイド見習いに来たカナよ。そして、お父さまの介護と、いつか遠くない未来にベビーシッターもお願いしたいの……」
素直な気持ちを伝えた。
彼女は、黙って耳を傾けていた。
そして、いつか夢で見た姉のように柔らかく微笑んだ後、
「基地の防衛並びに要人の警護が新しいミッションですね。分かりました。お父さまと未来の甥っ子・姪っ子のお世話、喜んでお引受けいたしますわ。こういったら怒られるかもしれないけれど、何にも縛られず好きなお花の手入れをしながら、みんなと自由に楽しく過ごすのが夢だったのよ」
というと、姿勢を正し右手をちょうどバンダナとサングラスに当てるように、軽くビッと敬礼した。
もし断られたらという不安は杞憂だった。
それより、なにやら“エリーセ姉さまとギンカク”がミックスしているかのような言動を聞いて、力が抜けたような気がした。なんだか、“俺と私”と似たようなものかもしれない……姉妹揃って運命っておかしなものだ……。
なにはともあれ、お帰りなさい、エリーセ姉さま! 幽霊騒動はこれで一件落着だ。
ふうーっと気を抜いていたら、エリーセ=ギンカクに――きっとエリーセ姉さまの魂に誘われて――ふわりと優しく抱きしめられていた。柔らかくて、温かくって、甘い花の蜜のような香りがした。縁側の陽だまりで日向ぼっこをしているような抱き心地のよさだった。お互いに、はにかんで頬を赤らめた。
「カナデさま~。アレレ? カナデさまとカナちゃんが仲良く一緒にいるなんて!? いったい何がどうなってるの?」
あまりのショックで気絶していたユナが、意識を取り戻したらしく元気に走り寄ってきた。
「はじめまして、ユナ先輩! ふつつかもののカナですが、ご指導よろしくお願いします」
さっそく、彼女はカナになりきっていた。
「先輩っ!? あたしが、メイドのお仕事で本当にセンパイって呼ばれるの! よ~し、カナちゃん、これからはあたしが責任をもって面倒見るからね~。それで実はね、庭師のおじいさんには悪いんだけど、いまいち古ぼったくなったバラ園のお手入れを、前からしたかったんだぁ」
「フフフッ、バラの花って、私、大好きなんですよ!」
フワッと嬉しそうに笑う彼女の姿が、エリーセ姉さまの笑顔と重なって見えた……。
つられて、つい笑ってしまう。
異世界に飛ばされて悩んでいたことが嘘みたいだ。みんなと過ごす時間はどこでだって同じで、素晴らしいって思えた。
リムウェアに帰ってきてよかった!
気持ち良い初夏の日差しに照らされて、緑色の瞳で澄んだ青空を仰いだ。
※ ※ ※
軍務省のブレザーの制服に身を包み、俺は王都にある軍務省ビル四階の執務室に帰ってきた。だが……、部屋の荷物の大半はすでに段ボール箱に片付けられて、ガランとした空き部屋となっていた。
ボロかったけど、俺が異世界で自分の力を認めてもらって手に入れた執務室だった。
仕事を途中でほっぽり出して、突然、田舎に帰ったりしたらクビになって当然か……。俺の秘書だったアリサは、元気でやってるのかな……?
「あら、カナデさま! おかえりなさい。引っ越しが間に合わなくてっ。大きな荷物は業者に頼んだんですけど、細かいのはやっぱり自分でやらないと――。急いでやりますから」
隣のドアが開くと、エプロンを羽織ったアリサが、忙しそうに段ボールに事務用品などを入れて抱えていた。彼女は機嫌がよさそうに鼻歌まじりでいい顔をしていた。
……辞めない、一緒にがんばろうといってくれたアリサだけど、やっぱり普通そうだよな……。
「あ、ああ、そうなんですか、大変ですね。それではお元気で、今までお世話になりました……」
俺はシュンとして、その場を立ち去ろうとした。
「ダメですっ! そんな、せつなそうなお顔をなさっても――、今度は逃がしませんよ。いくらカナデさまといえど、ご自分用の荷物なんですから、少しは新しい部屋への引っ越しを手伝っていただかないと……。私だけでは配置の決めようにも困りますから」
「へ…? 私の執務室ってここじゃ?」
俺は、唖然として聞いた。
「あっ、違うところに異動になったんです。リムウェア領のお屋敷の方へ手紙でご連絡さしあげたはずなんですが、行き違いになってしまったのかもしれませんね」
さっそく、俺はアリサに連れられて、新しい執務室を見に行った。そこは、明るく綺麗なエレベーター付きの軍務省ビルの四階だった。大きな扉はシュッと自動で開いた。広々とした室内に、調度は機能的で洗練された凝ったものだった。
当然、エアコン付きだ。新鮮な空気で部屋の中は満たされていた。
「エアコン、ちゃんとあるんですね」
「エアーコンディショナーのことでしたか。なるほど、略してエアコン――、いい名前ですね。まだとても高価な貴重品ですが、今後、量産の暁には、エアコンと名付けましょう!」
窓から外を眺めると、王都の街並みがキレイに見えた。窓を開けると、さわやかな風がサーッと吹き抜け、俺の銀色の髪がサワサワと揺れて心地よかった。
「でも、いったい何があったのかしら? この変り様は……?」
きょとんと俺は首を傾げた。
「カナデさまは、お手紙を読まれてすぐに発たれたということは、怪人による民の被害や退治の陳情を読まれて、捨てて置けなかったのでしょう?」
「いえ……、怪人……? そのようなことがあったのですか――」
俺は思わず唇を噛んだ。
実家に姉の幽霊がでたから急いで帰ったなんて、とてもじゃないけどいえない――。
「冒険者からの報告によると、カナデさまが、街道を荒らして町や村を蹂躙し続けていた黒焦怪人を、見事に退治されたのではありませんか! それも、なんとダガーひとつで、冒険者どころか討伐騎士団でさえもできなかったことを……。物流にダメージを受けていた商業ギルドや街道沿いの多くの町や村の人々から感謝感激が、雨あられのように王城に寄せられています!」
「あっ、あの黒焦怪人ですか――馬車を襲ってきた!」
まさか、王城にまで黒焦怪人との戦いで慌てて剣を忘れてしまった話が伝わっていたなんて……。もしかして、話し上手だった冒険者ロイが、おもしろおかしく報告したの? 馬車で笑い転げて聞いた仮面少年リックの話のように!
失態を思い出すと恥ずかしくなって、みるみるうちに頬が赤く染まるのがわかった。
「――なにより、非公式で内々にですが、これから、シリス殿下がご婚約の発表をされることも大きく影響を! おめでとうございます、カナデさまッ!!」
「……え…………、~~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」
私は滝に打たれたような衝撃を受け、息を呑んだ。
シリスが婚約って、いったいだれと!? ……そう……、留守の間に、シリスはだれかと婚約したのね……私に何の相談もなく…………。
シリスはわざわざお嫁さん探しにリムウェアまで来たけれど、なんの力にもなってあげられなかったし、無事にいい人が見つかってなりよりよッ!
――しょせん、異邦人で中途半端な私には、結婚なんてなんの関係もない話……。後でシリスのノロケ話でも聞いて、ツッコミ入れて大笑いしてやろうっと!
私は、雪色の髪を震わせて、フフフッと笑った。
こんなにも感情が乱れて動揺しまくってしまう私って……。
「あ、あの……、その話はもうやめにしましょう。大したことではありません。ええっ、他愛ないことですっ!」
私は平静を装うと、うつむいてからチラリと上目遣いでアリサを見ていった。
「こんなに誇らしいことをご謙遜なさるなんて素晴らしいです! でも、そのように涙目になられたり、笑われたり、恥ずかしそうに真っ赤になられると、しっかりお顔には書いてありますからお気をつけください。……とても魅力的ではございますが……。それでは、さっそくシリス殿下との会食のご予定がはいっておりますよ」
「そうですか――う~ん、でも、遅れている引っ越し作業を終わらせなければ、後進に迷惑がかかりますね。――殿下には誠に申し訳ないのですが、お断りしましょうか」
私は腕を組んで、どことなく棘のある口調でそっぽを向いていった。
「いいえ、それは秘書官である私がおこないますから、ぜひ、シリス殿下とご一緒ください! カナデさまが突然ご実家に帰られて、いったいどれほど思い悩まれていたことか――」
ふーん、悩んだんだ……。もう……しょうがないなぁ、シリスは……。
つい笑みを漏らす。
「そうだ、シリスにも引っ越しを手伝ってもらいましょう。実は、リムウェアのお土産もかねて、シリスとアリサの分も、旬の具材をたっぷり使った郷土料理のお弁当をつくってきたんですよっ!」
私はニヤニヤと――、いえ、イキイキといった。
なんと朝からマリアお母さまとリリアンナさんが、お祝い事でもあるかのように椀飯振舞して手伝ってくださったのだから。
「ふぇっ! 私の分までなんて、本当ですか!? カナデさまぁー!」
ダークスーツをスマートに着こなした長身のアリサは、とても強い力で私を胸の中へガシッと抱きしめてきた。
「キャッ――! ……っ……うぅ……」
グッ……グググッ……ググググッ…………
洋館で悪霊に肩をつかまれたときも、こんな凄いパワーだったような気がするッ!
「ちょ、ちょっと……」
コロンの香りに包まれて見上げると、アリサはほっそりとした顔を赤らめ、切れ長の目を細めさせ、紅い唇から熱い息を吐いていた。
どこかのぼせたような――気持ちよさそうな顔をしているような――。
「アリサ? や、やめてください……もう、困りますっ……!」
「……お願いです……先ほどからあんなに、お姫さまの魅力を振りまかれては、もう――。すぐに落ち着きますから、もう少しだけこのまま……あぁ、カナデ姫さまの甘い匂い…………」
グイッと抱きしめながら、何かに取りつかれたように、私の耳元でささやくアリサ。
――お姫さま? いけないっ! このままだと、アリサにいつか襲われるかも。
あれっ? ちょっと待って! もしかして、今、襲われているんじゃ――!?
私はアリサの胸に顔を埋めながら、緊迫感に緑色の瞳を潤ませ、銀髪を揺らしてジタバタともがいていた。
キャラクターや設定がだいぶ異なっていますが、パラレルワールドでの出来事ということでご容赦ください。柚様、読んでいただいた方、ありがとうございました。