2 馬車
数多くの城門を通り抜けて、王城を出る。王都の市街地を抜けると、明かりは急に少なくなっていった。ほとんど人や馬車の見られない道を走り抜けて行く。日が沈み、あたりは暗い夜の闇に包まれていった。たくさんの名も知らぬ町や村を通り、満天の星空と月明かりに照らされて、馬車はオリム街道を進んでいく。
俺は、王都発~リムウェア領行の馬車に乗っていた。馬車といっても、ふだん王都や侯爵領で乗っているような立派な屋根と椅子のついたものではもちろんない。まるで西部劇に出てくるような幌馬車で、荷物も積んでいるせいで五人も乗れば定員オーバーだった。
一緒に乗った客たちは若い冒険者のようで、今まで倒した魔獣の自慢話や換金率などについて、ランプの明かりの中でエールを飲みながら話していた。しかし、彼らの興味は、そんな話にあるわけではないようだった。
「銀髪のお嬢ちゃんは、こんな馬車に乗るなんてもの好きだな。よかったら俺たちといっしょに飲まないか?」
「えっと、ごめんなさい。未成年なのでお酒はダメなんです――」
馬車の隅で膝を抱えて座っていた俺は、制服のスカートからのぞく太ももや脚に無遠慮な視線を感じていた。まるでナメクジが脚を這い回るような粘着性のしつこさだった。
俺は脚を隠すようにスカートの裾をひっぱり、小さなリュックを腿の上に置くようにして抱きかかえた。
そうこうするうちに――。
ううっ、なんか気持ち悪くなってきた……。寒気がして胸がゾワゾワする。馬車に酔ったのかも……。
緑の瞳を潤ませて、チラリと冒険者たちを見ると、真っ赤になった彼らは慌てて視線を泳がせていた。
ダメだ……。お酒を断ったせいなのか、眼つけられた上に無視されて、とても助けてくれそうな雰囲気じゃない……。
――そんなことを何回か繰り返していると、馬車が急停車した。
「何かあったんですか? それとも、もう着いたんですか?」
身を乗り出して御者に問いかけた。
御者が恐る恐る指さす方向を見る。馬車につけられた前照灯の明かりを横切った黒い大きな人影のようなものを一瞥すると、俺は唇をキュッと噛んだ。
「明かりを照らせ!」
冒険者のひとりが叫ぶと、すぐに仲間がいくつかのランプやたいまつに火をともし、馬車の周りを明るく照らしだした。
俺が馬車から飛び降りると同時に、暗闇から黒焦げたレザーアーマーで身を覆った怪人が襲いかかってきた。
そのまましゃがんでかわすと、反動をつけて、伸び上がりながらの膝蹴りを怪人のボディにめりこませる。
「レディーファーストだなんて、気が利くのね!」
膝蹴りを腹にまともに受けて身体をくの字に折り曲げた怪人。その黒焦げのマスクに覆われた頬をビンタではり倒した。
転倒した怪人の頭部をすかさずブーツで蹴とばして、追い打ちをかけておく。
戦い慣れた今では、三連コンボだなんて細かい技も使えるんだっ!
怪人の目が赤く光ると、不自然な動作でスウッと立ち上がり、いつの間にか、手には赤錆色に光る剣が握られていた。
「やっぱり、この怪人は黒騎士の一味だったのね! さしずめ、黒焦怪人ってところかしら」
黒騎士と同じ赤い目を見て確信した。
剣を抜こうとして、馬車の中に置いたままであることに今さら気がついた。
慌てふためいて剣も持たずに飛び降りて、いったい何をやってるんだ――っ!
目を赤く光らせた怪人の動きは、今までとはまるで違った。
間合いに一瞬で踏み込んでくるなり、一の太刀、二の太刀と、剣先が赤い筋を引くように鋭く俺の顔面に伸びる。
スウェーバックしながらギリギリでかわしたつもりだったが、ブレザーのタイが斬り飛ばされていた。
「コイツ!!」
歯軋りした。
こんなに腹が立ったことはなかった。
「せっかくの制服をダメにするなんて! 気に入っていたのにっ!!」
すさまじい怒りが沸き起こり、怪人に一気に突っ込んだ。
怪人の剣がブンと振られるが、狙いは外れていた。
逃げだす瞬間を斬ろうと手ぐすね引いて待っていたところに、いきなり、間合いに深く踏み込まれては対応できるはずもない。
剣をかいくぐりながら、太ももに隠しつけていたフォルダーからシルバー・ダガーを抜く。
ダッシュした勢いと体重をそのままダガーに乗せると、怪人の胸めがけて突き刺した。
銀気の錬りこまれた特注ダガーが輝き、怪人の黒焦げたレザーアーマーを貫いた。
ドサリと嫌な音と共に黒焦怪人は倒れた。ヒクヒクと痙攣していたがそのうち動かなくなると、シューと不気味な音を残して怪人は黒い霧となって崩れ去った。
「まわりの警戒をおこたるなよー!」
大声を上げてから、俺の戦いを見ていただけの冒険者が近づいてきた。
「ご無事でしたか。あの、リムウェア侯爵家のカナデさまでいらっしゃいますか? このようなところにおられるとは思えず、いろいろと失礼をお許しください」
ガッチリとした体格の若い冒険者に、丁寧な口調はまるで似合わなかった。それに、なぜ俺の名前を知っているのだろう。名乗った覚えはないのだが。
「確かに、私は、カナデ・リムウェアです。まず、冒険者のみなさんに、黒焦怪人の退治を依頼するべきでしたね」
「銀髪美人で魔獣の一味を倒せるお嬢さまなんて、カナデさま以外にこの世にだれもおりませんよ。それに、私どもが動く前にすでにかたはついていました」
俺の皮肉のひとつも理解してもらえず、冒険者は純粋に感心したような顔をしていた。俺のたんなる思い違いで、別に悪い人たちというわけではなかったようだ。
「遅れましたが、カナデお嬢さま、これをお使いください……。ちょうど、港に届ける荷物の中に、制服の予備がありましたので」
冒険者は、水兵服を手に持っていた。
「えーと、私は別に制服マニアってわけじゃないんです。ただ、せっかく王城でいただいた制服をダメにされたのが悔しくて怒っただけで――」
「とにかく、服が破れてしまっていますので、大事なところが、み、見えていますから!」
若い冒険者は真っ赤な顔で、しどろもどろになりながら言った。
俺のブレザーとシャツは、右肩から左脇腹まで真一文字に斬り裂かれ、白いブラがのぞいていた。
「ありがとう。使わせていただきます」
心遣いがありがたい。俺は笑顔で水兵服を受け取った。
俺の下着なんかに興味を示し、メロメロになっているおかしな冒険者から離れ、幌馬車の中に入った。改めて、じっと手の中にある水兵服を見る。どう見ても、セーラー服だ。気持ちがサーとさめていった。戦いの時に分泌していたアドレナリンは、俺の身体の中からまったく消えてしまったようだった。
軍務省の制服は、ブレザーといっても、まだミリタリーファッションっぽかったのに……。
しかし、いつまでも下着一枚でいるわけにはいかず、諦めてセーラー服に着替えた。鏡を見ると、ネイビーブルーの襟とスカーフに、白い服と短パン姿のどこか妖しい魅力の美少女が、困ったような顔をしていた。
ミニスカートもあったがあえて短パンを選んだのは、俺のちっぽけなプライドのためだ。俺は疲れきって力が抜けたようになり、フラフラと馬車を降りた。
「おおっ、何を着ても似合いますね! 今までのお詫びのしるしに、一緒に飲んでいただけませんか」
と、またもや冒険者は誘ってきた。だが、前と違い、下心よりも俺に興味津々という顔をしていた。
代わりの服を都合してくれたし、どうせリムウェア領に着くまでは一緒の馬車なのだ。それに、カナデだとバレてしまったから、コソコソする必要もない。いつまでも、乗り心地の悪い隅で膝を抱えて座っているのはキツかった。
「果汁水はありますか? よそ行きの敬語じゃなくて、普通に話してくださるのなら、ぜひご馳走してください」
「お、おう、もちろんだぜっ!」
俺との交渉役を任されていたらしい若い冒険者は、喜んで馬車の警護をする仲間の方へ報告に行った。
馬車の幌の隙間から漏れ入ってくる風に当たりながら、二杯目の果汁水を飲んでいると、すぐ隣に、若い冒険者のロイという青年が座り込んできた。細い眉毛とツンツンした赤毛がキザっぽかった。
「それにしても、派手に倒したね。ダガーで仕留めるなんて。てっきり、カナデお嬢さまは勇者パーティーのアイドル役かと思っていたら、とんでもない。男勝りの実力なんだな」
……うう、恥ずかしくて、とてもじゃないけど、慌てて剣を忘れてたなんて言えない。
思わず俺は、頬を桜色に染めてしまっていた。
「そんなことないです。ブレイバーの優人たちには全然及びませんし、何の特別な力も持っていませんから。ところで、さっきの化け物の黒焦怪人なんですけど、今まであんなタイプって、冒険者の方たちは見たことありますか?」
「それが……、君らが前に巨大な魔獣を倒した後に、どうやら、その腹からいろいろと這い出してきたようなんだ。もちろん確証なんてないし、ただの噂なんだが……」
「う~ん、私たちが倒した魔獣は、ほとんど化石に近いありさまでしたけどね。でも、女王型魔獣なら、人の魂を取り込んで、魔獣を生み出していてもおかしくはないです」
「――ああ、だから、その、俺みたいな冒険者が、近くで君を守ってやる必要があると思わないか!?」
ロイは物欲しげな目で、俺の口元に持っている果実水の入ったグラスをじっと見つめていた。これはあげないからなっ! と思い、俺は急いで飲んでグラスを空にした。
「いやだなぁ。今さっき、私が襲われた時は、見ていただけだったじゃないですか……」
俺は意地悪気に笑いながら言った。
「うっ、あんまりいじめないでくれよ。俺だって可愛い女の子の前でビシッと決めたいさ。でも、それができれば勇者にでもなってるよ――」
冒険者のロイは意気消沈して言った。……コイツ、本当に落ち込んでる。
「そんなに暗い顔しないで。よかったら、ロイたちの旅の話でも聞かせてください」
「……そうだなぁ、北部地域を旅したときに、リックという仮面をかぶった黒髪の少年と知り合ったんだが――」
いくつかの森を通り抜け、丘陵地帯を越えると、そこはリムウェア領だった。
まっすぐに、インベルストの街へと馬車は向う。右手に港が見える。インベルストは、ロストック大河に面した交易港から発展した港街だ。吹きつけてくる風は、どこか懐かしい匂いがした。
「冒険者と一緒にいると、快適で退屈もしないのね」
彼らの冒険談、特に仮面少年リックのまるで漫画のような話は、面白く飽きることがなかった。その上、馬車でしっかりと仮眠までとることができたのだ。
「俺たちだって、心は優しい人間なんだぜ。でも、冒険がそれを許さないけどな。――本当にお屋敷まで送らなくていいのかい?」
「ありがとう。でも、寄るところがあるから」
港へ荷物を届けるという冒険者たちと別れると、俺はお屋敷へ向かって大通りを歩いた。
お屋敷に馬車で乗り付けて盛大に出迎えられてしまっては、犯人に知られずに秘密裏に幽霊調査をすることができなくなるからな。
だいたい、幽霊の目星はもうついている。黒騎士の一味の仕業に決まっているのだ。昨夜だって、本物の化け物が馬車を襲ってきたばかりじゃないか。
商店街を歩きながら、どうやって炙り出してやろうかと考えを巡せていると、
「おいっ! あの銀髪の可愛い娘みろよ。カナデさまじゃないのか!?」
「あの水兵服の女の子でしょ。キャー! 清潔感があって素敵ね! お忍びかしら――」
「あの透き通るような肌……。魔獣戦のときに直で見たことがあるんだ。間違いない」
俺を見た街の人々が、通りでなにやら騒ぎ出していた。
そうだった――。今の俺は、リムウェア侯爵の娘なんだ。この街を襲った魔獣の群れを騎士団を指揮して退治したこともあるから、王都と違って、ここでは顔が知れ渡りすぎていたんだ! あやうく大騒ぎになるところだった。それに、万が一、優人にでもセーラー服姿なんて見られたら、もう、まともな人生は送れそうにないっ!
急いで逃げるように路地を曲がり、近くのアロハ雑貨店に駆け込んだ。入り口のベルがカランカランと鳴った。
店内では、金髪で色白の10歳くらいの男の子が、レジの前でひとり店番をしていた。彼は俺を見るなりびっくりしたような顔で、椅子から立ち上がった。
「あのっ! カナデお嬢さまですよね!?」
男の子は俺から目を離さずに、ボールをみつけた子犬のように走り寄ってくる。
「うぐっ、い、いえ、私はただの高校生で剣道部に――、違ぅッ! そう、海賊で――」
俺はビクビクしながらなんとか誤魔化そうとした。
「カナデさま、僕、ファンなんです。握手してくださいっ!」
男の子が目を輝かせて真っ赤になりながら、手を差し出してきた。
恐る恐る手を差し出すと、包み込むように両手でキュゥッと握られてしまった。
「うわぁ~、とっても細くて、しなやかで柔らかいんだー。僕……、もう一生、手を洗わない……」
男の子は夢見心地で呟いていた。
なんということだ……。ひとりやふたりならまだしも、このままだと、お屋敷に着くまでに会った人全員と握手をしなければならなくなりそうで、不安になってきた。
俺は全身の気力を振り絞り、ずっと握られていたままの手を引き離した。
店内の商品から赤い柄物のバンダナとサングラスを選び、トリップしたままの男の子の前にお金を置いて、踵を返すように外へ出る。
急いで銀髪を隠すようにバンダナを巻いて、サングラスをかけた。
「完璧!」
短パン・セーラー服に、バンダナにサングラスを加えて変装すれば、いくらなんでもカナデだとは分かるまい……。
風が街路樹の葉をかすかに揺らしていた。