第五話 黒蛇楼、天下を救って本日も赤字。
天下を救うには、英雄が必要だという。
しかし九華大陸を救ったのは、皇太子と暗殺者と妖狐と豪商と看板娘、そして危機管理能力が壊滅的な情報屋だった。
なお、作戦開始前から全員の意見は一致している。
「帰ったら説教だ」
「殺さない程度に殴るわ」
「妾は尻尾で縛る」
「損害賠償を請求します」
「給料から天引きします!!」
沈夜黎の味方は、一人もいなかった。
*
摂政王府の地下祭壇。
九つの霊石が赤黒く輝き、囚われた妖族たちから霊力を吸い上げていた。
その中心で、沈夜黎は両手を術鎖に拘束されている。
黒金の長衣は肩から乱れ、白い首筋の蛇紋が妖しく発光していた。長い十字架の耳飾りが揺れるたび、金色の瞳に祭壇の炎が映る。
「神蛇の末裔よ。ようやく九魂還天陣(九つの妖魂で天の理を覆す禁術)が完成する」
摂政王は満足げに笑った。
「九国の霊脈を掌握すれば、天下は私のものだ」
「……んー」
沈夜黎は眠たげに瞬いた。
「おじさん、天下取って何するの?」
「無論、永遠の支配を――」
「大変そう。休みなくなるよ」
「貴様は自分の状況を理解しているのか!?」
「してるよ。だから調べたんだけど」
沈夜黎は祭壇の九つの円環を見上げた。
「この術、神蛇の血を使うんじゃなくて、血の持ち主が霊脈を繋ぐ仕組みなんだね」
摂政王の笑みが消える。
「……何を言っている」
「無理やり奪った霊力じゃ、最後の輪が閉じないよ」
情報屋は術師ではない。
だからこそ、知らないことを調べた。
柳紫苑の密書、白璃月が持つ千年前の記録、沈雲舟の取引帳簿。
それらが示していたのは、禁術の致命的な欠陥だった。
「九つの霊石のうち、ひとつでも偽物なら術は崩れる」
「馬鹿な! すべて厳重に管理した!」
「うん。だから、外から壊すのは難しいね」
沈夜黎は微笑んだ。
「でも、雲舟ならできると思った」
*
同じ頃、祭壇の外では沈雲舟が扇子を閉じていた。
「偽物を売るなど、商人として不本意ですが」
傍らの蕭景琰が眉を上げる。
「よく言う。貴様の偽装取引は完璧だったぞ」
「褒め言葉として受け取ります」
二人は互いに顔を見合わせた。
国家の秩序を守る皇太子と、利益を追求する豪商。
本来なら相容れない。
けれど、守りたいものは同じだった。
「殿下。軍は?」
「禁域を包囲した。摂政王の罪状も、すでに九国の使節へ通達してある」
「では、遠慮なく商売を潰しましょう」
「国家転覆を商売扱いするな!」
その背後で、柳紫苑が短剣を抜いた。
「男二人で喋ってないで、さっさと道を開けなさい!」
暗殺組織《夜鴉》の精鋭が、音もなく衛兵を制圧する。
柳紫苑は祭壇の扉を蹴破った。
「阿黎(親しい呼び名)!!」
「紫苑。扉、壊した?」
「第一声がそれ!?」
「小鈴に怒られるよ」
「誰のせいで来たと思ってるのよ!!」
柳紫苑は術鎖を断ち切った。
その手が、沈夜黎の頬に触れる。
「……生きてるわね」
「うん」
「本当に、馬鹿」
声が震えた。
幼い頃、血まみれの自分に手を差し伸べた少年。
今度は、自分がその手を掴む番だった。
*
祭壇の上空で、白い妖気が爆ぜた。
「妾の大切な者に、よくも手を出したな!」
白璃月が九本の尾を広げる。
千年前、蘇清音が命を捧げて守った霊脈。
その力を奪わせるわけにはいかない。
「清音。妾はもう、復讐のためには生きぬ」
白璃月は両手を掲げた。
「今度こそ、守るために生きる!」
九尾が光の結界となり、囚われた妖族たちを包み込む。
霊力の供給が断たれ、円環がひとつ、またひとつと砕けていった。
「馬鹿な……私の天下が!」
摂政王が叫ぶ。
そのとき、祭壇の入口から少女の声が響いた。
「天下の前に、被害者へ謝罪してください!!」
林小鈴だった。
背後には、救出された阿蘭と弟の阿福、さらに薬舗の被害者たちが並んでいる。
「証言も帳簿も全部揃えました! 言い逃れはできません!」
蕭景琰が剣を突きつけた。
「叔父上。あなたを国家反逆の罪で拘束する」
かつて尊敬した叔父。
その面影を振り切るように、皇太子は静かに告げた。
「私は、あなたのような王にはならない」
摂政王は膝をついた。
*
崩れゆく祭壇で、沈夜黎は最後の円環に手を触れた。
蛇紋が金色に輝く。
「……これで終わり」
神蛇の血が、奪われた霊力を本来の持ち主へ還していく。
九魂還天陣は、完全に消滅した。
「阿黎!」
白璃月が駆け寄る。
沈夜黎はふらつき、彼女の腕に倒れ込んだ。
「……眠い」
「死ぬな!」
「寝るだけ……」
「紛らわしいわ!!」
柳紫苑が額を押さえ、沈雲舟が深いため息をつく。
蕭景琰は天を仰いだ。
林小鈴は叫んだ。
「楼主! 帰ったら帳簿整理ですからね!!」
「……世界、救ったのに?」
「それとこれとは別です!!」
*
事件後。
黒蛇楼には、九国から感謝の品が届いた。
黄金、宝玉、霊薬、名誉爵位。
しかし、そのほとんどは修繕費と治療費に消えた。
「……赤字です」
林小鈴が帳簿を閉じる。
「天下を救って赤字って、どういうことですか!?」
「んー……まあ、なんとかなるでしょ」
窓辺では沈夜黎が昼寝していた。
そこへ、小さな客が訪れる。
「夜黎兄ちゃん!」
阿福だった。
隣には、元気になった阿蘭がいる。
「姉ちゃん、帰ってきたよ!」
少年は銅貨一枚と、温かな饅頭を差し出した。
「これ、お礼!」
沈夜黎は目を細めた。
「……ありがと」
黄金よりも宝玉よりも、嬉しそうに。
その姿を見て、誰も何も言わなかった。
ただ、林小鈴だけが、そっと目元を拭った。
そして。
「……あの、こちらに何でも知っている情報屋さんがいると聞いて」
新たな客が扉を開いた。
沈夜黎は饅頭を頬張りながら手を挙げる。
「ああ、いるよ。おれだけど」
「実は、皇帝陛下の隠し子について――」
「楼主!! 国家機密は饅頭で売らないでください!!」
「……五個なら?」
「値段の問題じゃありません!!」
黒蛇楼、本日も天下泰平とはいかず。
けれど、この騒がしい場所には、今日も誰かの帰る場所がある。
第五話・完。




