最終話 鎮魂歌
陽光が柔らかく差し込む丘の上があった。
草花が風に揺れ、小さな木製の墓標がひっそりと佇んでいる。
俺たちはその墓前に立っていた。
誰も口を開かない。
静かな風が葉を揺らし、鳥の声が遠くから届くだけ。
隣にはミサの姿もあった。
交わされる言葉はない。
ミサはただ、墓標の前で佇んでいた。
俺は墓標を見つめた。
胸の奥で、小さかった頃の記憶が、あの温かな声とともに息を吹き返す。
あの日、幼い俺の手を包み込んでくれた大きな手。
古い木製楽器の匂い。
弦を擦る優しい音色と、それを見守る穏やかな眼差し。
俺はゆっくりと、鍵盤に指を置く。
最初に叩いたのは、低く、深く、静かな一音。
胸の奥に眠っていた、あの日の旋律を手繰り寄せる。
初めて音の鳴りに胸を躍らせた記憶。
教えてもらった指の運び。
指先から溢れ出す音そのものが、レガートさんへの言葉だった。
旋律が途切れる直前。
シュッと風を切る音が重なった。
アルコの弦。
俺の弾いた旋律の余韻をすくい上げるように、美しい弓筋が音を伸ばしていく。
迷いなく引かれたその音色には、己の音を信じ切れずにいたかつての少女の影はない。
アルコの音が空へ届く前に、コルネが息を吸い込んだ。
胸いっぱいに吸い込まれた空気が、力強い管の重低音となって解き放たれる。
惜しみなく、まっすぐに。
豊かな生命力を宿した音が墓前の空気を大きく揺らし、重厚な和声を敷き詰めた。
その音の海を割って、ミューズの歌声が跳ね上がった。
澄み切った旋律が、風に乗って空へ伸びていく。
木々の葉が光を反射して揺れ、墓標に柔らかな木漏れ日が落ちた。
ミューズの歌声に、リオンのフルートが重なる。
今ここに集う仲間たちの旋律が一つの音として溶け合っていく。
リオンの視線が、わずかに揺れた。
隣で、ミサが歌っていた。
かつて魔王に強要された、あの歪んだ音律ではない。
澄み渡り、静かで、どこまでも清らかな、本来の歌声。
死者を穏やかに送るための旋律が、俺の鍵盤とひとつに重なっていく。
鍵盤から弦へ。
弦から管へ。
管から声へ。
声から笛へ、そして再び歌へ。
ひとつの旋律が、一人から次の一人へと手渡されていく。
受け取った音に、それぞれの音を重ねながら。
それぞれの色を乗せて。
音が丘全体を包み込む。
墓標に降り注ぐ光。
草波を揺らす風。
どこまでも高く青い空へと溶けていく旋律。
世界そのものが、この一曲を静かに聴き入っているかのように。
やがて、音の余韻がゆっくりと風の中に消えていった。
誰ひとりとして喋らない。
俺は鍵盤から手を放し、墓標へ一歩近づいた。
「……レガートさん」
ただ一言。
俺たちはゆっくりと歩き出し、丘をあとにした。
ミサも、俺たちの少し後ろを静かに歩いている。
言葉は相変わらず、交わされない。
ただ、消えかけた旋律の余韻だけが残っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
またどこかでお会いしましょう!
あずーる




