第二十九話 皇帝とフルート
指名依頼を受けた数日後、俺たちは再び皇宮へと足を運んでいた。
今回は前のような硬質な装束ではない。
ミューズが用意した、四人それぞれの個性に合わせた演奏用の衣装だった。
俺の衣装は、深みのある濃紺を基調とし、動きやすさと仕立ての良さを兼ね備えている。胸元にはさりげなく銀の刺繍が施されていた。
「今日は私たちの演奏を聴いていただくんですから。ちゃんと演奏家らしい格好で行きましょう」
そう言っていたミューズ自身も薄桃色の軽やかなドレスを身に纏い、背筋を伸ばしている。
案内されたのは、重々しい玉座の間ではなかった。
天井が高く、音が心地よく響くように設計された大広間。周囲には宮廷関係者が着席しており、中央には広大な演奏スペースが確保されている。
「……前よりは、呼吸がしやすいわね」
コルネが小さく息を吐きながら呟く。
広間の奥の扉が開いた。
気品を纏った皇帝がゆっくりと歩みを進めてくる。
俺たちは背筋を正し、深く礼をとった。
「面を上げよ」
凛とした声が響く。
「此度は、そなたたちの音を聴かせてもらおう」
「はい」
俺は短く答え、鍵盤を展開した。
◇
静寂の中、鍵盤に指を落とす。
澄んだ高音が空気を震わせ、広間の天井へと抜けていく。
それに追従するように、アルコが弓を滑らせ、伸びやかな弦の音が重なる。
コルネが息を吹き込み、透明感のある管の旋律が空間を彩る。
そして、ミューズが歌声を重ねた。
ただ、お互いの音を聴き、お互いの音に呼応する。
俺が置いた旋律にアルコが応え、コルネが高め、ミューズが包み込む。
音と音が重なり合い、空間そのものが一つの楽器となったかのように、美しい響きが広間を満たしていく。
最後の残響が静かに消えていくまで、誰も息を吐くことすら忘れていた。
静寂。
やがて、玉座の皇帝が小さく息を漏らした。
「……見事であった」
その一言に、惜しみない拍手が周囲から湧き起こった。
◇
演奏を終えた俺たちは、案内された待合室で待機していた。
部屋の外には、数名の近衛騎士が厳しい目つきで警護についているのが扉の隙間から見えた。
しばらくすると、足音が近づいてくる。
騎士たちが姿勢を正し、扉が開いた。
「ここで待て」
「しかし、陛下――」
「少し話をするだけだ。案ずるな」
短く制する声の後、皇帝が一人で部屋に入ってきた。
俺たちは立ち上がり、深く頭を下げた。
コルネの視線が皇帝の右手に釘付けになっているのに気づく。
その手には、細長く滑らかな銀色の管楽器が握られていた。
「……そなた、先ほどからこれが気になるようだな」
視線に気づいた皇帝が、ほんの少し目元を緩める。
「えっ……あ、はい」
「これはフルートという楽器だ」
コルネは目を見張り、じっとその金属の管を見つめた。自身の魔導管楽器とは明らかに構造が異なる。
「実はな」
皇帝は手の中の管に指を添え、言葉を継いだ。
「そなたたちの演奏を聴いていたら、私も久しぶりに吹きたくなった。……もし迷惑でなければ、私も一曲、加わってよいだろうか」
「もちろんです」
俺の返答に、皇帝は満足そうに頷いた。
◇
五人の音が重なる。
皇帝が息を吹き込むと、可憐で澄んだ音が滑らかに立ち上がった。
芯のある、素直で温かな音色。
俺は鍵盤を叩きながら、その音にそっと寄り添う。
アルコが重奏を重ね、コルネがハモりを加え、ミューズが優しく歌を乗せる。
皇帝の表情から、普段の厳格な威圧感が消えていた。
そこにあるのは、音を重ねることを心から楽しんでいる一人の演奏家の顔であった。
曲が終わり、最後の音が空気に溶けていく。
皇帝はフルートを胸元に抱えたまま、しばらくじっと佇んでいた。
やがて、掠れた声がこぼれる。
「……懐かしいな」
皇帝の瞳の端に涙が浮かび、頬を伝っていく。
指先でそれをそっと拭うと、皇帝は少し困ったように笑った。
「……そなたたちは。先ほどまで共に演奏していたというのに、どうしてそうも固いのだ? もう少し気楽に接してくれてもよいのだぞ」
四人は顔を見合わせた。
「え……あ、ええと……」
コルネが混乱した様子で頭をかき、必死に言葉を探す。
「また演奏を一緒にしたいなら……いつでも呼んでくれていいんだから……です!」
不自然すぎる敬語に、四人とも言葉を失った。
「……ふふ、あははっ」
皇帝が声を上げて笑った。
「な、何よ……!」
「いや。そう言ってもらえるとは思わなかった」
目元を拭いながら、皇帝は柔らかい眼差しを俺たちに向けた。
「……では、次に会ったときも、そなたたちと一緒に演奏してもよいのだな?」
「……もちろん、です」
コルネが照れくさそうに頷く。
皇帝は嬉しそうに目を細め、言葉を重ねた。
「ならば、もう一つ頼みがある。……私のことを、凛音と呼んでくれぬか」
その一言に、アルコが目を丸くした。
「リ、リオン……様?」
「様もいらぬ」
「いやいや! それはさすがに無理でしょ!?」
慌てふためくコルネの反応に、皇帝はくすりと笑った。
「ふふ。そうか。ならば、少しずつでよい」
戸惑う仲間たちの横で、俺はまっすぐに皇帝を見つめた。
「……また一緒に演奏しましょう、リオンさん」
リオンが一瞬目を見開き、それから、今日一番の穏やかな笑みを浮かべた。
「……ああ。ぜひ頼む」




