第一話 バフなんて歌姫の録音で十分
「カノン。お前に話がある」
円卓を囲む五人の間にあるのは奇妙な静けさ。
Sランクパーティ・スケルツァンドの拠点。いつもなら攻略帰りの賑やかな声が響くその場所に、口を開く者はいない。
俺はアニマートへ視線を向ける。
「なんだ」
「言葉で説明するよりも、見せた方が早いだろう」
アニマートが卓上の魔導端末に指を滑らせる。
空中に青白い光の投影が浮かび上がった。動画配信のランキング一覧。その頂点に位置する名前。
『歌姫・ミューズ』
再生ボタンが押された。
――室内の空気が一変する。
端末のスピーカーから降り注ぐのは、天の隙間から射し込む光の糸のような声。そこに鳴るのが世界の理であるかのように自然と耳を通り抜け、酷使した肉体の奥深くまで波紋を描いて染み渡っていく。
皮膚がかすかに泡立つような感触。
ダンジョン攻略で痛んでいた筋肉も、滞っていた魔力も、まるで温かな手で優しく撫で上げられるように解きほぐされていく。
「……これは凄いな」
口から感嘆が漏れ出た。
演奏家のバフは本来、その場で発する魔力振動が直接対象の肉体に作用する。録音された音波には魔力が乗らず、ただの音に化ける。それがこの世界の常識だった。
だが、彼女の声は違う。魔導端末を通した録音音源でありながらも肉体を活性化させている。
「そうだろう。……誰が聞いても、ぐうの音も出ない本物だよ」
アニマートが再生を止めた。
音が途切れ、静寂が戻る。
アニマートは背もたれに体を預け、その目を俺にまっすぐ向ける。
「この録音データを端末に入れておけば、ダンジョンの深層でも高水準のバフを維持できる。……わざわざ枠を一つ潰して、演奏家を同行させる必要がなくなったんだ」
アニマートは落ち着いた口調のまま続ける。
「時代が変わったんだ、カノン。お前の仕事はな、もうこのパーティには必要ないんだよ」
「……確かに。これなら通常の強化は十分だな」
俺は背中の魔導鍵盤に軽く触れながら視線を端末へ落とした。
「ただ、録音じゃ戦場に合わせて音を変えられない。敵の属性や間合いによって、バフの波形を細かく調整しないと――」
「必要ないんだ。深層攻略で求められているのは安定したバフなんだよ。毎回お前が即興で音を変えるのを待つ必要なんて、最初からなかったんだ」
アニマートは俺の言葉を遮った。
「……それによぉ」
そう口を開いたのは強化術師のヴィート。
彼は手元の魔導書を強く握り直し、苦々しい顔で視線を逸らす。
「バフなら俺にもできるんだよ。単体への属性付与も、瞬間的な強化もな。……お前が横で適当に鍵盤叩いて全体バフ撒いてる横でさ、俺がどんな気持ちで詠唱組んでるか考えたことあるか?なあ?『まあカノンがいるからヴィートの強化は後でいいか』って……いつも俺の影が薄くなるんだよ」
「音の壁とかいうのもそうよ」
盾騎士のセレナが腕を組みながら声を重ねた。爪が己の腕を強く圧迫している。
「防護は盾騎士である私の領域。あんたが気まぐれみたいに音の壁を張るたびに、ヴィートたちが私じゃなくてあんたの音をアテにし始めるの。……あのさ、私の大盾ってそんなに頼りないかしら?」
「索敵にしてもそう」
斥候のリゼットが苛立ったように指先で机を叩きながら言った。
「あなたの音が広がるたびに、私の肌感覚の索敵が干渉を受けるの。『カノン、今の音は何?』『カノン、敵の位置わかる?』って……私、なんのために前歩いてると思ってんの? はっきり言って邪魔なのよ、あなたの音」
言葉が室内に落ちていく。
ヴィートは白くなった指先で魔導書を握り締め、目を合わせようとしない。
セレナは唇を噛み締め、斜め下の床の一点を睨みつけている。
リゼットは爪を立てコンコンと机を鳴らし続けていた。
「……そうか。お前たちはそういう風に思っていたんだな」
「悪く思うなよ、カノン」
ヴィートが小さく吐き捨てるように呟く。
アニマートがふっと小さく息を漏らす。その瞳の奥に濁りが揺れた。
「昔からそうだったよな」
「何がだ?」
「親父も、お前の演奏ばかり気にしていた。『カノンの音がパーティの背骨だ』ってな。……俺が剣の腕を上げても、どれだけ緻密に攻略プランを組んでも、親父の目はいつだってお前を追っていたんだよ」
アニマートは手元の端末を静かに閉じた。
タン、と乾いた音が響く。
「俺がこのスケルツァンドのリーダーだ、カノン。……なのに、お前はいつも『自分は何も求めていません』みたいな顔をしてそこにいる。それがどれだけ周囲を苛立たせるか、考えたこともないだろう」
「……」
「だから、お前は必要ない。いや、目障りなんだ。俺たちのスケルツァンドを抜けてくれ」
静寂が訪れる。
何も言い返せなかった。
言い返す気になれなかった。
立ち上がり、一人ひとりの顔を見た。
ヴィート。
セレナ。
リゼット。
アニマート。
誰も止めなかった。
止めてくれなかった。
「待て」の一言も、気まずそうな引き留めの仕草すら返ってこない。
深層攻略から戻った夜。
誰かが傷つけば肩を貸し、攻略が終われば薄暗い酒場でくだらない話をして笑い合った。
俺にとって、それは当然の日常であり、アニマートたちは家族だった。
――自分だけがそう思っていたのだろうか。
怒りは湧かなかった。
信じたくなかった。
ただ、ただ、胸の奥が内側から食い殺されるような。
「……分かった」
それ以上何も言わず、一歩を踏み出した。
振り返らず、扉を開けて廊下へ出た。扉が閉まる音が胸にこだまする。
陽光が眩しかった。
魔導車が行き交う大通りの喧騒が耳の鼓膜を滑り落ちていく。
背負った魔導鍵盤に手を伸ばす。
二本の長剣のように背中に収められた、黒と銀の魔導鍵盤。その硬質な金属の冷たさに触れる。
記憶の中の男が大きな手で自分の頭を撫でる。
『カノン。お前はいい音を鳴らすな』
ダンジョンの孤児だった自分を拾い、「カノン」という名を与えてくれた男。
かつてのスケルツァンドのリーダーであり、アニマートの父親でもある、レガート。
ダンジョンの深層で、俺たちを庇って命を落とした恩人。
指先に、かすかに力がこもる。
もう、自分が守るべきものは残っていない。自分を守ってくれる家族もいない。
――あの場所へ行こう。
視線を上げると、遠く街の背景にそびえ立つダンジョンが太陽の光を浴びて黒々とした影を落としていた。
あの最深部にいる、怪物。
レガートの命を奪った、あの存在。
「……レガートさん」
低く呟いた声は風にさらわれて消えた。
気付けばダンジョンへと向かって足が動いていた。
「今、行くよ」




