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路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


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急転直下

「車が一台付いてきてるけど、どうする?」

 もし共犯者だったなら、誘拐犯は顔色一つ変えず、走り続けろと言うはずだ。しかし明らかな動揺と怒りを見せた。

 ただ、言い出したのは僕だ。それに、ずっと見張っていたのだ。誘拐犯は、僕が助けを呼んだだなんて、これっぽっちも考えなかったようだ。

 その点では一安心だし、何よりも、付いてきている車が警察車両だと確信できたのは嬉しかった。だからって、終わりが近づいたとは言えないのが辛いが。まして、理想的な解決となると、まだまだ全く期待できないのだ。

 もう逃げられないと悟った誘拐犯は、これからどう動くのだろうか。ひなちゃんが捕まっている以上、警察だって迂闊に手を出せない状況に変わりはない。こういう大それた犯罪を犯す輩が自暴自棄になると何をしでかすか分からないのだ。もしかしたら……想像するのすら恐くなってきた。

 そんな事を考えている間に、誘拐犯はひなちゃんを連れて後方に向かっていた。僕が言ったことが本当かどうかを確認するためだろう。誘拐犯にしたら、僕の勘違いだと淡い期待を持ちながら。勘違いなんかではないと、僕は自信があるが。

 そして、誘拐犯もしばらく見て、付いてくる車が一台いると確信した。パトカーではないので、それが警察車両とまでは信じなかっただろうけど、こんな時にわざわざ付いてくる車は警察車両だと思うのが普通だ。再び運賃箱のすぐ横まで戻ってきた誘拐犯は、さっきの怒りはどこに行ったのだろうというくらいに青白い顔になっていた。それでも、ひなちゃんと刃物を持つ手には、力が入っているが。

 誘拐犯が観念して自首してくれればと思うが、下手に僕がそんなことは言えない。何をきっかけにして、誘拐犯が逆上するか分からないのだ。僕はしばらく静観するのが、最良の選択だろう。

「もはやここまでか」

 誘拐犯が芝居じみた小声で呟いたかと思うと、サングラスを外して顔を見せた。誘拐犯の真意は全く分からない。自首するつもりなのか。それとも、ひなちゃんと僕を道連れに死ぬつもりなのか。

 最悪の結果だけは避けなければならない。僕は、ひなちゃんを、乗客の安全を守るために、最善を尽くすのだ。だけど、決して焦ってはいけない。慎重にだ。力づくは最後の最後の手段だ。

 まずは話しかけよう。頼むから耳を貸してくれと願いながら、ここで初めて、僕は誘拐犯に取り入ろうとした。

「もう、その子を放してやってくれないか?」

 誘拐犯は何も応えず遠くを見ているだけだ。怒りはしなかっただけでも、小さくない安心があったが。

「刑務所に入るのは確定だろうけど、あの時あの子を放してやって良かったと思える日が、きっと来るよ」

 僕は畳み掛ける。それでも、誘拐犯は黙っている。考えてくれているのだろう。期待しつつ、しばし待つことにした。

 が、その時、先ほどの警察車両とおぼしき車とは別の車が勢いよく迫ってきて、バスと並走を始めたのだ。助手席から身を乗り出しカメラで撮影しているので、嫌でも視界に入ってくる。おそらくマスコミ関係者だろう。

 せっかく誘拐犯の心境に良い変化が見え始めたのに、ここで二つの不安が出てきてしまった。一つは、誘拐犯がさらし者のように扱われたと思い、怒り出す事だ。そして、もう一つは言うまでもなく、山田ひろしがバスを運転していることに気づかれる事だ。

 ささやかな抵抗かもしれないが、僕はカメラの方は見ないように前だけを見て運転するしかなかった。気づかれるだけならまだしも、カメラに撮られるのだけは意地でも阻止をしたいのだ。なのに、そんな僕の努力をあざ笑うかのように、なんと、そのマスコミ車がバスの前に割り込んできた。

 マスコミ車のこの動きを快く思わなかったのは、僕だけではなかった。警察車両も、ここまでされては看過できるはずがなかったのだ。パトランプを付けて、一気にバスとの間合いを詰めてくる。詰めてくるが、もうすでに1台2台どころではない。確認できただけでも、横に3台後ろに2台の覆面パトカーが付かず離れずの位置で様子を見ている。

 ただ、マスコミも警察も、これ以上は踏み込めなかった。人質になっているひなちゃんの命に関わるので、バスと一緒に走りながら解決方法を練るしかない。と、持久戦を覚悟したその時、僕が恐れていたことが起こった。

 ひなちゃんが誘拐犯に……ではない。

 とうとう、マスコミ車のカメラマンが、明らかに僕を指差し驚いたのだ。意味は明白だ。僕としては、ある程度覚悟していたので、至って冷静に受け止める。

 ただ、それに気づいた誘拐犯は、さっきまでの青白い顔が急に赤みを帯びてきた。すかさず、僕に向かって興奮したように発する。

「あんた、やっぱり山田ひろしだな」

 よせばいいのに、なぜか、僕はわざわざ伊達メガネを外し素顔を晒した。自分でも理由が分からない。そして一呼吸置き、簡単に返答した。

「そうだ」

 誘拐犯の表情が明らかに少し柔らかくなっていた。今の僕には、それだけで十分だ。事件は無事に解決すると確信があった。だけど、まずは誘拐犯の話を聞く。

「なんでこんな所に……いや、なんでバスを運転してるんだ?」

「バスが好きだから……かな」

 誘拐犯の雰囲気が、ファンの人が僕に会った時のような感じに似てきた。必ずしも、この誘拐犯が僕のファンではないだろうけど。

「そっか。好きな仕事ができて、いいな」

「あなたは何になりたかったの?」

 誘拐犯に対して同情のようなものが出てきている。だからって、何かするわけではないが。

「あんたの前で言うのもあれだけど、俺も小さい頃は役者になりたかった」

 急に口数が増えたのは、バス運転士が役者だと分かったからなのだろうか。それとも観念したからなのだろうか。どちらにしろ、このまま何でもいいから話し続けていれば、誘拐犯は投降もしくは自首をするだろう。よほどの事がない限りは。

「そうか。もう手遅れになってしまったな」

 下手なお世辞なんて言う時ではないような気がした。おそらく僕の判断は間違っていない。誘拐犯も素直に頷き、囁く。

「ああ。自業自得……か」

「なんでこんな事をしたんだ?」

「何をやっても上手くいかず、そのうち何もする気がしなくなったんだ。それでどんどん毎日が嫌になって、もう俺の人生なんてどうでもいいやと……。だけど、イチかバチかで大金を手に入れたら、生まれ変われるかもと。お金を手に入れても、具体的に何かしたい事もないのに」

「なるほどな。だから、こんなに行きあたりばったりの犯行に及んだんだな?」

「ああ。たまに近所で見かけてたかわいい子供が、あの小林健二の娘だと、テレビでやってて。これは身代金をたっぷりと取れそうだと、安直な発想をしてしまったようだな」

「確かに、健二さんは、ひなちゃんのためなら全財産を出しても惜しくはないと、考えるだろう。だけど、ひなちゃんの心の傷は一生残ることになるんだよ。その心の傷を少しでも癒やしてあげたいと思ってくれるなら、まずは、ひなちゃんを放してくれないか?」

「そうだな。恐い思いをさせて悪かったね……ひなちゃん」

「大丈夫だよ。この前、ドラマの撮影で同じような事をしたもん。慣れちゃったし、ひろしさんがいてくれたから、全然恐くなかったよ。だから、おじさんは反省して、これからは真面目に生きないと許さないよ」

 僕は必死で笑うのを堪えたけど、それを誘拐犯に気づかれてしまった。まあ、大丈夫だろう。今さら誘拐犯が逆上するわけがない。

「ひろしさん、笑いたいなら笑った方がいいよ。俺は、こんな良い子に、なんてひどい事をしたんだろうな。罪を償ったら、世の中のために俺ができる事をするよ」

「それは良い考えだな。前科持ちだっていうことで、選択肢はすごく狭まるし世間の人たちの風当たりは強いだろうけど、約束だからな」

「こら、ひろしさん。何も今言うことじゃないし、お世辞だって必要でしょ」

「いいんだよ、ひなちゃん。こんな俺に気を使ってくれて、ありがとうね。だけど、こうやって、ひろしさんに正直に言ってもらえて良かったと思うよ。じゃあ、そろそろ、バスを止めてくれないかな?」

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