すき焼きの主役は鍋奉行
健二さんと僕がすき焼きと共に戻ってくると、素敵な笑顔のリカさんと涙目で顔を赤くして会心の笑顔をした塚谷が迎えてくれた。すき焼きを待ちきれなくて泣いてしまったのか、すき焼きの美味しさを思い出し感動して泣いてしまったのかは分からない。どちらにしても、目の前に現物を確認して笑顔になってくれているので、もう大丈夫だろう。このすき焼きがそれくらい美味しいのを、僕も知っている。
「よーし、今日も俺に任せろよ。誰も手を出すんじゃないぞ」
「よっ、鍋奉行健さん! かっこいいー」
塚谷とリカさんの息の合った掛け声で、健二さんはものすごく嬉しそうだ。一応、僕の初主演が決まったお祝いだったはずだけど、今日の主役が健二さんのような雰囲気になっている。楽しいので文句なんてあるわけがないが。そもそも、僕はそんな小さな事なんて気にしない人間……に憧れているだけでも、ずいぶん進歩しているのだ。
僕のささやかな自慢というか愚痴というかなんと言ったらいいのか分からない事はおいといて、話をどんどん進めよう。なにせ僕はドラマで主役を張る大物の仲間入りを果たしたのだから……。という考えが、まだまだ器が小さいのだろうか。そんな僕に、本物の大物で器も大きいうえにさらに今日の主役になっている健二さんは、鍋奉行をしながらも気さくに話しかけてくれた。
「ひろし、どんな話なんだ? お前が主演のドラマ」
「さっき聞いたんですけど、題名は『名バス運転士ホームズ』で、大まかに分けると推理ものなんです。だけど、僕は刑事とか探偵とかじゃなくて、バス運転士なんですよ。ちょっとイメージが湧かないですよね?」
「そうだなあ。そんなの聞いたことがないけど、そんなドラマが当たるのか? もう少し詳しく教えてくれよ」
「僕も詳しくは聞いてないんですよ。分かってることといえば、毎回、バスという密室の中で事件が起きて、たまたま居合わせたリカさん扮する女子高校生か女子大学生かに協力してもらって、バス運転士の僕が解決に導くらしい、というくらいですかね。今のところ、設定に無理があるような気がしなくもないんですけど。ただ、監督はものすごく前のめりで自信もあるみたいなんですよ」
「あの監督が自信あるなら大丈夫だよ。ドラマだから浮世離れした所がたくさんあっても面白ければいいと思うけど、バスの運転というところに現実を求めることによって、さもあるかのように見せてくれるのかもな。だから、ひろしでないと成立しないんだろう」
「そういうことなんですね。やっぱり健二さんはすごいですね。あっ、すき焼きをご馳走になるからって、お世辞じゃないですよ、全然」
「そう言われると、お世辞に聞こえるじゃないか。まあいいや。長くやっていれば分かることもあるさ。でも、ひろしに褒められると嬉しいのは、なんでだろうな?」
「そんなの、ひろしさんだからに決まってるじゃないですか」
「リカ、それじゃ説明になってないよ。ねえ、美樹ちゃん?」
「健二さん、リカさんの言う通りですよ。なんで分からないのか不思議なくらいですね」
「二人とも、鍋奉行には優しく接しないとだめだよ」
「ひろし、何気にお前が一番ひどいぞ。せっかくノーギャラで、ひろし主演のドラマに出ようと思ってたのに。考え直そうかな」
「えっ、ええー、ほ、本当ですか? 健二さん、ありがとうございます。役者やっててよかったー。たぶん一話ごとに事件が起こって、そして解決する感じだとは思うんですよ。でも、できたら度々出てほしいから、一回限りの犯人役とかはだめですからね。刑務所にいたらバスには乗れないので。被害者役は……うん、何回でも大丈夫かな。もし被害者役なら、絶対に殺されないように頑張ってくださいね」
「ははっ。チョイ役で1話だけのつもりだったのに。しょうがないなあ。もう台本があるのか?」
「仮の段階ですけど、脚本は5話くらいまでできてるそうですよ。僕の台本も近々送ってくれるって言ってましたね」
「じゃあ、今のところは、どんな役があるのかはっきりしないなあ。助手役はリカに取られたみたいだから……って、ホームズの助手といったら男性のワトソンじゃないのか。なんで女性のリカなんだ? それも女子高校生か女子大学生役って」
「ホームズというのは名探偵の代名詞だから、名前を使いたかっただけでしょうね。バス運転士から推理モノを連想するのは難しいと思うので。そして監督の最初の構想では、助手は女子高校生にするつもりでいたけど、リカさんに合わせて女子大学生にする可能性が高いみたいですよ。まだ確定ではないみたいですけど、まあそうなるでしょうね。確かに女子高校生役はぎりぎり無理があるかもしれないけど、大学生役なら何の問題もないですし」
「ひろしさん、ありがとうございます。やっぱり、ひろしさんに言われると嬉しいですね」
「リカさんはかわいいから、女子大学生役をやっても全然違和感ないですよ。健二さんは芝居の内容とかには理解があるけど、女性を見る目は全然ないですね」
「美樹ちゃんに言われると、本当にへこんじゃうなあ。そろそろ食べごろだから、すき焼きを食べて元気にならないと。みんなも一緒に食べよう」
僕たちは鍋奉行にお礼を言ってから、一心不乱になってすき焼きを食べた。2回目だけれども、初めて食べた時と同じように、感動する美味しさが僕の舌を刺激する。こんな美味しいすき焼きを食べているのだから幸せなはずなのに、なぜか悲しみも押し寄せてきた。僕はここにいる素敵な人たちと一週間以上もの間会えないと、ふと考えてしまったからなのだろうか。それは、まるで中学校の卒業式当日のような感覚に近かった。
だけど、ほんの2日後、駅のバス乗り場で出発するのを待っていると、前方からものすごい笑顔の塚谷が歩いてくるのが目に入る。一週間はあの笑顔を見れないと思っていた僕は、驚きもせずにただただ嬉しくなってきた。
塚谷はそのまままっすぐ僕が運転するバスに乗ってきた。だけど、話すことはおろか目を合わせることもせずに、一番後ろの席に座りじっとしている。業務中なので、もちろん僕からも話しかけない。
そして出発時刻になったので、塚谷を含めた10人ほどの乗客を乗せて、僕はバスを発車させた。当たり前だけど、何事もなく順調にバスは走行を続ける。この何事もない状況を続けるために、僕は神経を集中させている事は言わせていただきたい。途中、お客さんを乗せたり降ろしたりを何度かして、終点のバス停に着いた時は、塚谷を含めて3人になっていた。そのうち2名はすぐに降りていき、最後に残った1名が待ってましたとばかりに口を開く。
「ひろしさん、久しぶりだけど、私の事を忘れてないですよね?」
「久しぶりじゃないし、忘れてもないよ。でも、どうしたの?」




