3・聖女
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逃げ出すような気持ちで、実際に小走りで研究棟から抜け出すと、折からの強い西風に煽られて思わずコートの前を掻き合わせた。
どうもこの頃、西から吹いてくる風が強いような気がする。神樹に異変でもあったのだろうか。
――――まあ、そんなの僕が考えても仕方がないか。
せっかく鎮静効果のあるという薬草茶を飲んだというのに、何だか気持ちが落ち着かない。こんなんでお使いに行ったところで要らないミスを犯しそうな気がしてならない。
僕は自分自身を落ち着かせるためにも、花壇の脇にあったベンチに腰を落ち着けることにした。
手入れの行き届いた花壇をしばらく眺めてから、街の方へと目をやる。どこまでも高い青空を仰ぎ見る。
「お、ワイバーンだ」
4匹の飛竜が横一列になって飛んでいる。とは言っても、あれは野生の亜竜ではなく訓練された騎乗竜で、その背には長槍を構えた騎士が乗っている。いわば空飛ぶ騎士団だ。
その名も『リエッダ王立飛竜騎士団』、いつ見てもカッコ良いなぁ。僕も子供の頃に憧れたんだよね。
横一列で飛んでいた編隊は、一瞬でフォーメーションを変更して菱形編隊に組み変わる。
騎乗者の着ている白い制服は訓練生の証だけど、なかなかどうして見事なものだ。
唸るような気持ちで編隊飛行を目で追いかけていたら、剣を振りかぶる勇壮な女性の彫像……建国の英雄像が嫌でも目に入ってしまった。
500年もの昔、邪悪な竜の女王を退治した英雄も女性だったという。
――――ねえ、見て見て! この剣さばき!
女だてらに長剣を振り回す姉の姿が瞼に浮かぶ。
薔薇に飾られたスカートが翻り、蜂蜜色の髪が躍る。
きれいだと思った。世界で一ばんきれいなのは、ぼくのねえさま。
――――誓うわ。私は貴方の剣になる。
あの頃の僕は幼過ぎて、姉が口にした言葉の意味が分からなかった。
僕は死んだ人間だ。
姉に会うべきではない。
「やっぱ寒いから帰ろ」
これ以上、ここにいても嫌な気分が増長されるだけだ。
わざとらしく独り言を口にしてベンチから立ち上がると、「あれ?お兄ちゃん?」と心休まる聞き慣れた声が。
「やっぱりお兄ちゃんだー!」
ぶんぶん手を振り満面の笑みを浮かべて走り寄ってくる君が天使!
薬草茶よりもイーリスの笑顔の方が、よっぽど気分を良くする効果がありそうだ。
今日のイーリスは、いつもの二つ結びではなく、きっちりとした編み込みヘアに、おしとやかな紺色のワンピース姿だ。
年頃らしくヒラヒラした可愛らしい服を好む彼女にしては、少々おとなしい服装に感じる。
「イーリス、今日はまた可愛い髪型してるね」
「えへへ、ありがと」
おくれ毛の一本すら見当たらない見事な編み込みを褒めると、イーリスは照れ笑いしながら頭に手をやろうとしたが「あわわ、崩れちゃう」と、慌てて手を止めた。
「これはね、ヴィヴィさんがね、やってくれたの」
「へえ、驚いた。器用なんだね、あの人」
「綺麗にしてるとね、ゴシメイが貰えるんだって。でも、ゴシメイって何だろう?」
「子供に何を教えているんだ、あの人は」
ヴィヴィのゴージャスな巻髪が頭に浮かぶ。あれを毎日作っているんだから髪の扱いも上手くもなるだろう。
しかし、綺麗にしてると御指名が貰えるか……
なるほど、身を装うのも彼女の仕事のうちなんだな。
ふと、リーフドラゴンの話を思い出す。
木葉竜の名前の通りに、リーフドラゴンは遠目に見ると生い茂る木葉の塊にしか見えない。
しかも、ご丁寧なことに回りの葉っぱと色を合わせる、なんて細かい芸当までも身に着けて捕食者から身を隠しているんだ。
リーフドラゴンは、擬態が上手い個体ほど生き残れる可能性が高まるのだろう。
そう考えるとヴィヴィも同じか。
身を飾る技術が向上するほど、手に入るお金も増える。
ヴィヴィは生きるために身を飾っているという訳だ。
でも、本来の彼女はどんな女性なのだろう?
飲み屋から帰ってきたご機嫌モードしか見たことがないから想像が付かないな。
いや、そもそも酔っ払っている状態がヴィヴィの素なのかも知れないし。
っと、いかんいかん。ヴィヴィのことなんて考えてたら、あられもない姿まで思い出してしまった。
ヴィヴィを頭から追い出す為にも話題を変えよう。
「ところでイーリス。今日はお祈りの日じゃないよね?」
イーリスは特にこれといって信心深いタイプではないが、聖女様が大好きだ。
食事の前のお祈りも早口で済ませてしまうような食いしんぼさんだけれども、教会に勤める聖女に会いたくて休日礼拝を欠かさない。
しかし、僕の頭が正常ならば、休日は明日だったはず。となると、イーリスは何の用があって魔導院まで来たのだろう?
「今日はね、これにお祈りをして貰いにきたの」
イーリスはブラウスの襟を緩めてから胸元に手を入れて、「じゃーん」と、首から下げたアミュレットを取り出して見せてくれたが、その前に僕は一言、嗜めておいた。
「女の子は人前で胸元に手を突っ込むんじゃありませんよ、イーリスさん」
イーリスは、てへへ、と笑っていたが、この辺の無頓着なところが、彼女がまだまだ子供なんだという証明なんだよね。
「これは刻命神の御守りだね」
僕は魔物学以外に一般教養では魔術鑑定学を取っていたから、ある程度の武具装備の鑑定眼が身に付いている。
このアミュレットには身に付けた者の生命力を高めて傷を瞬時に塞ぐ、かなり高度な回復聖術が込められていると見受けられた。
「うん。小さい頃から、ずーっと身に着けているの」
そういえばイーリスは病気という訳ではないが、ケガをすると血が止まりにくい体質らしい。
意外にお転婆さんだった小さい頃は、転んで擦りむいただけの傷でもなかなか血が止まらなくて大変だった、と酔っ払ったヴェイロンが涙ぐみながら話していたのを思い出した。だからお父さんは心配性なんだね。
そして、このアミュレットにもシャードが使われている。琥珀のような見た目から察するに、おそらくは土系のシャードと考えられる。となると、大地の生命力でもって回復力を高めるのだろう。
にしてもこれは結構、高価なアイテムだぞ。悪人に目を付けられたら一大事だ。
大事にしまっておきなさい、とイーリスに言い含めると、「はーい」模範的な生徒のような返事が返ってきた。
「それでね、聖女様がイーリスのためだけにお祈りをしてくれるの」
アミュレットは無限に効果が続く物ではなく、定期的に魔力を注入しなければ効果が薄れていってしまう。ああ、教会の場合は魔力じゃなくて祈り、か。
「それにしてもイーリスは聖女が好きだね」
「うん。私も将来は聖女様になりたいって思っているの」
「あ、分かったぞ。だから今日は、そんな恰好してるんだ」
「あったりー!」
全ての生物に命を刻んだとされる女神を信仰する『刻命教』の聖職者は『聖女』と呼ばれ、女性のみが聖職に就くことが許されている。祭事を除く彼女たちの普段の服装は、表情を覆い隠す深いフードと、飾り気の無い紺色の袖付きワンピースだ
そうか、やや控えめにも感じるイーリスの今日のコーディネートは、刻命教会の聖女をイメージしたんだな。
「それでね、この間、聖女様が言ってたんだけどね……」
彼女は楽しそうに自分の将来や聖女について語る。
僕はただ相槌を打っているだけだけど、ただそれだけで、ささくれていた心が和らいでいく。
「あっ、そろそろ行かなくちゃ。お祈りの時間に遅れちゃう」
「うん。僕もこれから用事があるんだ。また、夜にね」
慌てると転ぶよ、と走り出したイーリスに声を掛けると「だいじょーぶー!」と返ってきた。
まあ、コケてもアミュレットの力で直ぐに治っちゃうんだろうけどね。しかし、意外に足が速いな。
思いも寄らないイーリスの俊足っぷりに感心しながら彼女の走り去った先、刻命教会の建物に目を向けた。
リエッダの第一国教としては、”みすぼらしい”と表現しても良いくらいに貧弱な建物だ。
だがそれは、「我が刻命教は、清貧をモットーとしているのです」……なんて殊勝な心掛けでもなんでもなくて、そこに建っている教会は、単なる臨時の出張所に過ぎないからだ。
実際は信者から高額なお布施をふんだくって、リエッダの郊外に街そのものを教会と定義した刻命教の総本山『教会都市』を建設中なのだ。
僕が生まれる数年前、およそ20年ほど前の事だ。
焔竜山脈に眠る『大焔竜ナァル』が突如として目を覚まし、北方リエッダ王国は大変な被害を被った。
これを『焔竜禍』と世間は呼ぶんだけど、その災害が起こる前までのリエッダ王国の第一国教は『竜拝教』というドラゴンを崇める宗教だったんだよね。
多くの恵みを授けてくれる半面、自然災害にも等しい恐るべき存在であるドラゴンを祀る。
目には見えない神様よりも実在するドラゴンの方が祀り甲斐があるというか、実際にシャードというご利益もあるもんだし、竜拝教は大陸全土に渡って信仰されていたんだ。焔竜禍が起こる前まではね。
火竜の王であるナァルの覚醒に呼応するように火竜種のドラゴンが活性化してしまい、多くの街が火の海に沈んだ。
今まで竜拝教を信じていた人たちが大量に離脱して、特に怪我や火傷を治すのには定評のある『刻命教』に宗旨変えするのは自然な流れといえよう。
その結果、北方リエッダでは竜拝教は邪教みたいな扱いをされるまでに落ちぶれてしまったけど、被害に遭わなかった南方イシュラッドや東方ヒィズルでは未だに広く信仰されている。
それが今日、宗教的な対立までに発展してしまったんだよね。
ドラゴンの事で人間族が二手に分かれて争うなんて、なんとも皮肉な話だ。
――――まあ、そんなの僕が考えても仕方がないか。
僕はもう一度だけ、イーリスの走り去った先を振り返った。




