2・古い知人
「それではこれを見て頂けますか」
本やら書類が山のように積み重なった執務机の上にシャードを置く。
すると、リルリル室長はリンゴの種ほどの大きさしかないシャードを摘まみ上げ、それこそシャードのような透き通った瞳で観察を始めた。
なんとなく、そのままパクッといってしまう姿を想像する。
「僕が昨夜、ワイワームを食べた際に採取したシャードです」
我ながら、とんでもないことを口走ってるよな。
「信じて頂けないとは思いますが、シャードが鍋に混入する可能性、もしくは第三者が鍋に仕込む可能性は、共に考えられません」
「いいえ、私はロディ技官が嘘を吐いているとは思ってはいません。私はワイワームからシャードが採れた事実が信じられないのではなく、ワイワームを鍋にして食べた、という行為が俄かには信じられないのです」
「そっ、それは、そうですよね。でも、あれは場の勢いというか、お酒の勢いというか」
「お酒の勢い?」
「いや、別に酔っ払っていたとかじゃなく、ギンギンになってしまって……」
「ギンギン?」
リルリル室長は不思議そうな顔をして、シャードから僕の顔に視線を移す。
「あ、いや、ギンギンとは眠れなくなってしまったという意味で、決して下劣な意味ではなくて……」
「下劣な意味?」
ふと、昨夜見てしまったヴィヴィ艶めかしい裸体が脳裏に浮かぶ。
「いやいやいや、そんなヤらしい事なんて僕は一切しておりません!」
「そんなヤらしい事?」
ぬぉお……口を開けば開くほど、焦れば焦るほど泥沼に飲みこまれていくような、この味わったことの無い感覚は何だ!?
落ち着くんだ、ロディ。お前は卒業弁論でエルディンガー院長や教官たちを前に一席ぶった男だぞ!
あたふたと文字通りに右往左往していると、リルリル室長は机の引き出しを開けて、その中から可愛らしいウサギの絵が描かれた水筒を取り出した。
そして、おもむろに水筒の蓋を開けて、その中身を机の上に置いてあった、これまたウサギちゃんの絵が描かれたマグカップにコポコポと注ぐ。
その間、リルリル室長は一言も発さないので、とりあえず僕も無言で一連の流れを見守ることにする。
8分目まで注ぎ終わると、室長はウサギちゃん水筒を元あった場所にしまい、ウサギちゃんマグカップを僕の方に向けて、すいっと差し出してきた。
「どうぞ」
「え?」
「落ち着きますよ」
もう十分に落ち着きましたとも。
とも思いましたが、せっかくボスが手ずから用意してくれたのですし、断るのも失礼ですよね。
じゃあ、いただきます。と、マグカップに顔を寄せると爽やかな香気が鼻腔をくすぐった。これは薬草茶だろうか?
薬草学に長けたノーム族のお茶だから、きっと身体に良いには違いないだろうけど、果たしてお味はいかがなものか……
恐る恐る口を付けた途端、思わず目を見開いてしまった。こっ、これは!?
「カルモミレとラミントの葉をブレンドして煎じた物でしたが、口に合いませんでしたか?」
「いえ、お茶は美味しいです。でもこれ、淹れたてみたいに温かいじゃないですか!?」
「どうしてだと思いますか?」
普段、なかなか笑顔を見せないリルリル室長が、珍しくも悪戯を仕掛けた子供みたいな笑みを浮かべた。
「マグカップに仕掛けが?」
「ご自由にお調べ下さい」
手品師みたいな手つきで、どうぞ、と手を差し伸べるリルリル室長。
薬草茶を一気に飲み干してマグカップの底を調べたり、ひっくり返してみたが、特に変わった所は無い。
強いて言うならカップの底にまでウサギちゃんが描かれていたのに製作者のこだわりを感じたくらいか。
「いかがですか? 分かりましたか?」
「お茶に冷めにくくするような成分が?」
「配合されていません」
「こっそり魔法を?」
「使っていません」
「実は淹れたて?」
「ではありません」
ふふふん、と口の端を上げて勝ち誇ったような笑みを浮かべるリルリル室長。
不覚にもそのドヤ笑顔、ちょっと可愛い。
降参ですか? と降伏を勧告された時に、ふと閃いた。
これは水筒に仕掛けがあるな。注いでから直ぐに片付けたのは、水筒から僕の目を逸らすのが狙いだろう。
思ったまんまを伝えると、リルリル室長は水筒を取り出して、蓋を開けて筒の中を見せてくれた。
案の定、水筒の底には赤く光るシャードが沈んでいるのが見て取れた。
なるほど、熱を発する赤いシャードでお茶を温めていたんだな。だが、筒の内部が銀色なのは如何なる理由だろうか?
「入れ子細工の要領で、水筒の中に金属製の水筒を入れて保温効果を高めています。要は二重構造になっているのです」
しかも、ウサギちゃん水筒と金属製の水筒の隙間には、断熱材として羊毛が詰められているという。
”対竜研の研究員”という肩書に縛られて武具の事ばかりを考えていた僕としては、目からウロコの思いだ。
これは暗に「君は柔軟な発想に欠けている」と指摘されているようなものではないだろうか。
「さて、報告書は改めて読ませて頂きますが、聞いた所によるとロディ技官は新しい武器を試作していたそうですね」
うっ、痛い所を……僕は苦笑いしつつ、廃棄処分にしよう思ってゴミ箱に捨てたスリングショットの残骸を集めてきてリルリル室長に見せた。
「そこに並べて下さい」
言われた通りに書類と本の間に空いた僅かなスペースにスリングショットの残骸を並べると、リルリル室長は、それらをジッと眺めていたが、やがて折れた桿の握りの部分を手に取っては破断面に触れた。
「ロッド部に竜骨を使おうとは思わなかったのですか?」
「はい、試してみたのですが、硬すぎて加工に向かないと判断しました」
「西方ユグドラハに棲む木葉竜の首骨は、どうでしょう?」
「リーフドラゴン……ですか」
リーフドラゴンは西方ユグドラハ地方に聳え立つ『神樹ユグドラハ』に棲む、全身を覆う木葉状のウロコが特徴的な小型のドラゴンだ。
神樹の葉を主食とする草食竜で、生涯地上に降りてくることは無く、枝から枝へと渡りながら一生を樹上で終えるという。
また、人には危害を加えない上に特に迷惑にもならず、小型ゆえにめぼしい竜素材も採れないドラゴンなので、いまひとつ研究が進んでいなかったりする。
かくいう僕も、リーフドラゴンはリエッダ周辺には生息していないため、標本でしか見たことが無い。
しかも、神樹ユグドラハは、亜人族の中でも特に排他的な性格で知られるエルフ族が管理しているので、物も情報も入りにくい。
定期的にリエッダ王家からエルフ族の支配者層にあたるハイエルフに使者を送っているらしいけど、これといって色良い返事が来たとは聞いたことはない。
「リーフドラゴンの首骨が丁度良い形をしています。それに、あの竜の骨でしたら、黒鉄竜の背ビレをヤスリに使えば削れるでしょう」
「はあ……もしも素材が手に入ったら試してみます」
簡単に言ってくれるけど、どちらの素材も容易に手に入る代物では無い。『対竜研』は慢性的な資料不足に喘いでいるのだ。
……ああ、試料不足といえば、お使いを頼まれていたのを忘れてた。
冒険者ギルドに収集クエストの依頼を出しに行くんだった。
室長にその旨を告げて執務室を辞そうとすると、「ロディ君」と、今までの固い調子とは違う、ほんの少しだけ柔らかくなった口調で呼び止められた。
「義腕の調子はどうですか?」
「はい、おかげさまで問題ありません」
「ごめんなさいね。なかなか小さく作れなくて。今の私の技術では駆動系に場所を取られて、どうしても大きくなってしまうのです」
「いえ、日常生活に支障は無いですよ。室長には本当に感謝しています」
そう答えながら鋼鉄の義腕に目を移すと、表面が曇っているのが気になった。後で磨いておこう。
「ロディ君も、お酒を飲むような年齢になったのですね」
「はい、おかげさまで成人しました」
「御姉様も喜んでおられましたよ」
御姉様、という言葉に反応して、僕は思わず鉄の拳を握りしめた。
炎の中で、僕の名を叫ぶ、ねえさま。
「もう10年近くもお会いしていないのでしょう?」
「ええ、あの事件以来、姉には会っていません」
「あんなに仲の良い姉弟でしたのに」
「僕はすでに死んだ人間です。姿を現すべきではありません」
「貴方たちのお父様も亡くなられて暫く経ちます。もう顔を見せて差し上げても良いのではありませんか」
「室長、それは命令ですか」
「いいえ。古い知人の助言として受け取って下さい」
「……では、僕はこれで」
改めて一礼して、僕はリルリル室長に背を向けた。




