第10話 彼の線引き
「……伯父様」
ストーレン伯爵が言葉を発してから、少しの沈黙が流れた。
それを打ち破ったのは、アドールだ。彼は伯父に対して、伯父以上に鋭い視線を向けている。
その視線に、私は少し驚いた。アドールがそこまで怖い顔をした所を、見たことがなかったからだ。
「フェレティナ様は僕のことを大切に思ってくださっています」
「……」
「確かに、僕達には血の繋がりなどはありません。ここにフェレティナ様がいることは、歪なことかもしれませんが、それでも僕にとっては、何よりの支えなのです」
アドールは、少し荒々しい口調で、ストーレン伯爵に言葉をかけた。
その言葉は私にとって、とても嬉しいものだ。少し泣きそうになってしまう。
ただ、それが伯爵に届くかは微妙な所だ。騙されているだけだと、彼の方は思うかもしれない。
「アドール、お前は一つ勘違いをしているようだな」
「勘違い?」
「俺が言っているのは、フェレティナ嬢のことではない。彼女は心根の優しい女性であると感心していた所だ」
「……え?」
ストーレン伯爵の言葉に、私とアドールは顔を見合わせた。
表情を変えず淡々と話しているが、その内容には困惑してしまう。しかしどうやら、先程の言葉は私に対する言葉ではなかったらしい。
「これでも俺は伯爵だ。人を見る目くらいは多少ある。フェレティナ嬢がお前の継母となったことは、幸いなことだったといえるだろう」
「え、ええ……そうですね」
「……俺が許せないのは、お前の父親のことだ。子供の前でそういったことを言いたくはないが、流石の俺も気が収まらない」
ストーレン伯爵の表情は、歪んでいた。
激しい憎悪というか、怒りというか、彼の感情が表面に現れている。それを見て、私は思わずアドールのことを抱き寄せていた。
「アドラス……奴は俺の妹を奪い、甥を悲しませた。俺は奴のことを許すことなどできない。これだけはお前に言っておかなければならない。俺はお前の父親を否定する存在だ。お前のことを助けたいとは思っているが、その考えだけは揺るがない」
「伯父様……」
アドールは、伯父からの言葉に目を丸めていた。
恐らくその言葉の意図は、アドールの中に父親を慕う気持ちがあると思っているが故のことだろう。ストーレン伯爵は、その気持ちに歩み寄ることができないことを、表明しているのだ。
ある種の線引きというのだろうか。律儀な人である。
もっとも、それを子供に言うのはどうなのかと思う。
ただそれも、これからヴェレスタ侯爵家を背負うアドールに対して、敢えて甘えなどを捨てた発言をしているだけということなのかもしれないが。
「アドール、俺はお前のためにならなんだってするつもりだ。しかしながら、アドラスのことは許せない。俺は奴を見つけ出して、その報いを受けさせる。それはお前がなんと言おうと、揺るがない。それが許容できないというなら、俺はお前の味方になることにはできない」
「伯父様……」
ストーレン伯爵は、アドールのことをじっと見つめていた。
彼の視線には、力がある。アドラス様に対して、本気で憎しみを向けていると考えて、間違いないだろう。
それは子供であるアドールにとって酷なことではある。しかし彼なら大丈夫だ。そう思って私は、口を挟まないことにする。
「伯父様のそのお気持ちは、嬉しく思います。父上を恨むのも、僕を思ってのことでしょう。伯父様が僕のことをそんな風に思ってくださっているなんて、知りませんでした」
ストーレン伯爵からの言葉に、アドールはそのような言葉を呟いた。
彼の表情には、明るさがある。その言葉は、嘘ではないのだろう。
伯父が味方であるということは、彼にとってきっととても心強いはずだ。その笑顔からも、それは伺える。
「しかし伯父様、父上はもう既に報いを受けました」
「……何?」
「やはり、知らなかったようですね……父上は、先日船により事故で行方不明になっているのです」
アドールの言葉に、ストーレン伯爵は驚いていた。
ここに来る道中で、それらに関する情報は耳にしていなかったようだ。
「状況からして、生存は絶望的でしょう……ただ僕は、そのことについて何か思う所があるという訳ではありません。父上に対する情というものは、僕の中には既にないのです」
「……」
そこでアドールは、私の方に視線を向けた。
彼は父親のことを既に割り切っている。それも別に嘘という訳ではないだろう。
ただ、不安がないという訳でもないようだ。私のことを見つめているのは、だからだろう。
だから私は、そっと手を差し伸べた。するとアドールは、それをしっかりと握りしめてくれる。
「……なるほど。そういうことなら、俺がわざわざ動く必要もないということか」
「ええ、その通りです」
「ふっ……」
ストーレン伯爵は、アドールの言葉に対して笑みを浮かべていた。
ただ彼の視線は、先程から私の方に向いている。つまりその笑みは、アドラス様が行方不明になったことに対するものではないということだ。
アドールを任せられる存在として、私を認めてくれたということだろうか。それは私にとって、とても嬉しいことである。
◇◇◇
ストーレン伯爵が帰宅した日の夜、私は自室にアドールを招いていた。いつも通り、話したいことがあるからだ。
色々とごたごたしているため、お互いに落ち着いて話せるのは夜くらいだ。その結果として、アドールと一緒に就寝することになる訳だが、それはまあ別に問題ではないだろう。
「まあとりあえず、ストーレン伯爵の協力が得られたのは良かったわね」
「ええ、そうですね。まさか伯父様があれ程までに僕のことを思っていたとは、知りませんでした」
私の言葉に対して、アドールは笑顔を浮かべていた。
ストーレン伯爵の協力が得られたことが、とても嬉しいということだろう。
「フェレティナ様? どうかされましたか?」
「え?」
「なんだか、浮かない顔をされているような気がしますが……」
「そ、そうかしら?」
そこでアドールは、私の表情について質問してきた。
浮かない顔をしているという指摘は、あながち間違っていないだろう。正直私は今、中々に複雑な心境だ。
アドールの味方が増えたことは、嬉しいと思っている。ただ嬉しい反面、微妙な気持ちにもなってしまうのだ。
「……まあその、アドールはストーレン伯爵のことを随分と慕っているような気がするというか、リヴェルト様だってそうだけれど」
「えっと……」
「ごめんなさい、なんでもないわ」
アドールは、リヴェルト様にもストーレン伯爵にもよく懐いているような気がする。
二人とはある程度の面識もあったようだが、なんだか距離感が近いと思うのだ。
別にそれが悪いことという訳でもないのだが、私としてはなんだか気持ちが浮ついてしまう。心穏やかでいられないというのが、正直な所だ。
それは我ながら、とても下らない感情である。
だが、そういった感情が私の中にあるのは紛れもない事実だ。もちろん、それはアドールに言っても仕方ないことなのだが。
「……僕は、フェレティナ様のことを慕っていますよ?」
「え?」
「伯父様にもそう言いました。今こうしてここにいるのだって……なんだか少し、恥ずかしいですけれどね」
アドールの言葉に、私は少し驚いていた。
その頬を少し赤くしながらそんなことを言われたら、どうしていいかわからなくなる。
ただ自然と、笑みは零れていた。口の端が上がることを、抑えることができない。
「そう言ってもらえるのは、とても嬉しいわ。私もアドールのことは、大切に思っているわよ?」
「僕も嬉しいです、フェレティナ様」
子供に気を遣わせてしまったことは、申し訳なく思っている。
しかしもしかしたら、私達はこうしてお互いへの思いを打ち明けておいた方が、良いのかもしれない。
私とアドールとの間には、確かな絆がある。だがその絆には、明確な名前がつけられない。だからこそ、確かめ合うことが必要であるように思えるのだ。




