Dream.8『狂った時計』
その日、アリスはなかなか寝付けなかった。イヴにことことを伝えるべきか、そうでないかに悩んでいた。そして、儀式の前に人柱としての力を振るえたイヴに疑問があった。
加えて、狂信者の不自然な死も彼女を悩ませる原因となっていた。疑問を抱えたまま、考えるのにアリスは眠りへと落ちていった。
アリスはここが夢だと実感した。草花が生い茂る斜面、絵本で見たような美しい湖畔、日向ぼっこをする牛の群れが眼前次々と映し出され切り替わっていく。
刹那、恐風が吹き荒れ目を開くと辺りは深夜の物々しい雰囲気に包まれ、赤い湖の対岸にヒルの口ような吸い込む鼻を垂らした象の頭をした、悪魔の翼を生やした邪神がどっしりと腰を据えていた。
血の色をした湖の水を亡者が啜っている。そのゾンビを象の神は鼻ですくい上げ、鼻先の棘を刺すと、ゾンビはミイラのようにシワシワになって地に落とされた。
アリスはふと違和感を覚えた。誰かが自分を画面越しに見ているような視線を感じて言う。
「誰か見てるの?」
振り向き、目線の主に目を合わせる。
視界がブレる、いや…カメラのフレームが動いた、そんな感じだった。
誰かが笑う声が聞こえた。違う、聞こえたような気がした。
「あなたは誰?どうしてこんな夢を私に見せるの」
朝焼けがアリスを照らす。微かに、声が聞こえた。
『ニャルラトホテプに気を付けよ』
誰かに体を揺さぶられてアリスは目を覚ます。上半身を起こし目を擦るとそわそわした様子のイヴが居た。もうすぐ昼になるらしい。
「え、私そんなに寝てた!?」
昨日寝るのが遅くなってしまったからだろうか。ごめんごめんと謝ってベッドから降りる。
「正確にはもうすぐ昼かもしれない」
「かも?どういうこと?」
イヴの言葉を疑問に思うと、イヴがアリスに自身の時計を見せる。時刻は6時近くを指していた。
「いや、めっちゃ朝!?」
「わたしの時計は、遅刻しないように時刻をいじってある。そして、どの程度巻き戻したのかは定かではない」
つまり、時間にルーズな人間がよく目覚ましを30分〜1時間程前に設定しているのと同じことをしている、ということだろうか。でも、どれくらい前に設定したのか忘れてしまっては正確な時刻が分からなくて時計の意味が無いのでは?
「ちなみに、巻き戻した時間がわかってたら、まだ大丈夫って怠けちゃうと思って目を瞑って適当に巻き戻したの」
もっと意味が無い!アリスはため息をついて他に時間を確かめられる物がないか聞くが、イヴは首を振る。
麓に日時計はあるものの、この辺りはかなりの田舎で農村なため昼か夜かさえわかればいいという考えで誰かが時計を持ってるとは考えにくいそうだ。強いていえば、とイヴがキッチンの砂時計を持ち出してきたときは頭を抱えた。
「いや、まぁ……急ぎの用があるわけじゃないし、用事は無い訳では無いけど」
昨日の一件を思い出す。イヴと探偵を始めるために、大祭司の居るところへ赴く必要があるが、特に期日は決まっていない。
「それより、お腹空いたよね。何か作ろうか?」
「いや、今日はダイラス=リーンに行く。食事はその道中にする。今食べてもいいけど、帰りが遅くなると思う。ブロッコリーは入れないで」
思いっきり今日大祭司に会いに行くつもりだ。行動力がすごい。それでさっきから何かを焦っている様子だったのか。
にしても、イヴちゃんはブロッコリーが嫌いだったんだ。子供っぽくてかわいいな〜。
「わかった、じゃあ出る準備してくるよ。大司祭様がいるくらいなら都市…だよね、そこ。時計もあるかもしれない」
「じゃあ、行こうか」
門の前にアリスとイヴは立っていた。
「またあの道下るのか〜」と、アリスは既に疲労感を感じさせる。
「その必要は無い」
イヴはそう言うと、ピューっと口笛を鳴らした。
すると、枝の天蓋を突き破り、どこからともなく大きな翼を持つ黒い影が現れた。その巨体は羽音が近づく度に見る見るハッキリとした姿となった。それは馬のような頭部をし、鳥か蝙蝠に近い体をしているがそれより遥かに大きい。巨大な鳥馬モドキはアリスとイヴの前に止まった。羽ばたきで砂が舞う。
「うわっ、何これ!」
アリスは見たことも無い巨大な生き物に驚きながらも興味を示し、頭から羽と視点を移し、ツルツルとした鱗をまじまじと見る。
「シャンタク鳥。ニャル兄から借りた」
シャンタク鳥は頭を下げ、イヴはその頭を撫でる。シャンタク鳥は足を折り姿勢を低くし2人が乗りやすいようにした。イヴは彼の背に乗ると、アリスに手を差し出す。アリスがその手を掴んで背に乗ると、ずんっと目線が上がり、シャンタク鳥が立ち上がったのがわかった。
「振り落とされないようにしっかり掴まって」
イヴがアリスに声をかけると、シャンタク鳥は舞い、空の旅が始まった。