瑠夏のたくらみ
既読はつかなかったが、辛島はLINEを送り続けていた。
午後5時の時点では「学校は楽しかった?」という会話からスタートしたのだが、一時間、二時間と既読がつかないと不安になる。「月曜日なのにアルバイトなのかな?」とLINEして心を落ち着かせる。
午後8時になり辛島の仕事が終わっても、既読すらつかなかった。女子高生がこんなに長い時間、LINEを放置することがあるだろうか。アルバイトだとしても、休憩時間ぐらいはあるはずだ。そもそも学校とアルバイトの間に一時間ぐらいはインターバルがあるものだろう。もしや、故意に放置されているのではないか。
帰りに楠浦を回って、美紅のバイト先のコンビニで夕食を買う。美紅はバイトをしていなかった。ますます辛島は不安になる。
家に帰り、「瑠夏さんと仲いいね」と書いてみる。そのあとに「瑠夏さんとはLINEしてるのかなあ。おれのは見てくれてないのかなあ(笑)」と書いた。
そう考えると、もう止まらなかった。
美紅の本音が知りたい。
「美紅ちゃんから見るとおれっておじさんだよね」とメッセージを送ったあと、おれも本音を言っていないなと思った。「愛に年齢なんて関係ないよね」とLINEして、そのあとに「本気でおれは美紅ちゃんのことを好きになってしまったようだ」とLINEした。
そこまで言うと、すっきりした。
辛島は、食事もごちそうしたし、LINEもこまめに送って、美紅を大事にしているつもりだった。
そして恩人である自分に対して、美紅も大切に思ってくれてるだろうと思っていた。
だけど言わなければ伝わらない思いもあるはずだ。
「緊急事態」と美紅は瑠夏にLINEしていた。トーク画面で辛島英也の未読件数は25件になっていた。そして全体のトーク画面に表示されていたプレビューに「本気でおれは美紅ちゃんのこと好きに……」と表示されているのを見てしまったのだ。
辛島英也の名前をタップしてトーク画面を開いてしまったら既読がつく。既読がついたら返信しなくちゃいけない。
瑠夏のアドバイスは「触れなきゃいいんじゃない」だった。
明日はコンビニにバイトに行くし、家も知られている。たしかにこれ以上LINEを無視するのもなにかこわい。警察に相談するわけにはいかないし、ましてや親にも相談できない。
「断るのは怖いんでしょ。じゃあ、なかったことにするしかなくない? さすがに大人だから察してくれるはずだよ」
「そうかなあ」と思ったものの、美紅に他の手立ては考えられなかった。
午後10時頃、既読がついた。
「忙しくてごめんなさい。おやすみなさい」という返信が美紅から辛島のもとに届いた。
気持ちを伝えたのだから、それでおれの気持ちをわかってくれたのだろうと辛島は思った。
翌日、学校には真凛が来ていた。瑠夏からLINEが来る。
「真凛、ああ見えて寂しがり屋だからごめんね」と。
そして昨日までと打って変わって、瑠夏は美紅に対し、よそよそしかった。
「おはよう! よく眠れたかな」という辛島からのLINEには「おはようございます」と普通に返した。瑠夏に相談しなくてもそのぐらいは美紅だけでできた。
今日は辛島は自撮りを送ってはこなかった。
矢部邸の庭には、水色の防水シーツが干してあった。昨日ほどの臭いはしない。インターフォンを押して辛島は、奥様に会う。電気明細書を見せてもらう。辛島はタートル電気よりも3%自社のほうが安くなるなともくろんだ。これはいけるかもしれない。
「奥様のお宅のアンペアですと、弊社ですとこのぐらいの金額でご掲示できます」
いくつか持ってきているプランから、矢部邸の明細に近いプランを見せる。
「まあ、安くなるのね」
奥様は眼鏡をかけてプランを見た。
「調べましたところタートル電気さんの場合、一年未満の契約解除ですと二千円の違約金が発生するようですが、それは弊社が負担いたします。細かい手続きはわたしにお任せいただけましたら、すべてやりますので」
「わかったわ。主人と話してみる」
「お返事はいつごろまでに頂けそうですか?」
辛島はクロージングに入る。期限を決めないと、検討だけではずるずるになるものだ。
「今週いっぱい待てる?」
「大丈夫です。ご家族の方のこともおありでしょうしね」
「まあね」
少し世間話をして、辛島は奥様に自分の記憶を残そうと考えた。
「しかし、奥様、介護されてるんでしょ。大変ですよね」
辛島がそう言うと、奥様は眉毛をぴくんと動かした。余計なことを言ってしまったんじゃないかと思う。
触れてはいけないことだったのか?
「え? そんなことしてないわよ。うちは娘と三人だけよ」
「す、すいません。あまりにもお宅が立派だったので」
慌てて取り繕う。額に汗が流れた。
奥様が、はっと何かに気づいた様子で笑う。
「あー、わかったわ。庭のシーツでしょ。あなたもよく見てるわね。あれね、恥ずかしいけど娘なの。高校生なのにまだおねしょするのよ、昨日病院に連れて行ったのだけど、いいお薬とか知らないかしら。さすがにね、そろそろ治ってもらわないと困るのよね」
「おねしょですか……」
辛島の記憶に昨日布団に消臭剤をかけていた派手な女の子の記憶がよみがえる。
あんな子がおねしょするのか。
世の中にはまだまだ知らないことがあるなと思った。
放課後、瑠夏がLINEで話していた通り、美紅は星吾に話しかけた。
「星吾くん、日曜日は楽しかった?」
星吾は困ったように真凛を一瞥する。
「こんなところで言うなよ」
星吾の反応は瑠夏の予想通りだった。逃げるように教室を出ていく星吾。真凛の舌打ちがはっきり聞こえた。
瑠夏が昨日とは打って変わった様子で美紅に話しかける。
「ちょっと、美紅、一緒に帰らない?」
瑠夏は鋭くにらみつけたが、美紅には恐怖感はなかった。
出来レースという言葉が美紅の頭に浮かぶ。何か言うと笑いそうだったので、黙って頷いた。
学校から400mほど離れた路地に入る。楠浦まで行くとあのおじさんに会いそうだからと瑠夏は考えていた。
「なにがあったの? 美紅? 星吾くんとあんなに仲良さそうに話して」
日曜日に美紅と同じように星吾と会った瑠夏が言ったので、美紅は面白かった。
「別に」と言ってそっぽを向く。
「あんた、なんなのその態度? 私たちにそんな態度取っていいと思っているの?」
瑠夏が顔を近づけて言う。瑠夏の後ろで真凛が美紅をにらんでいる。
美紅は深呼吸をして真凛をにらみ返した。
「いいじゃん。あの動画だって、わたしは被害者。LINEでもネットでも上げたければ上げれば。炎上したら、動画を上げたり、撮影した、あなたたちこそ、生きていけなくなるよ」
言えた! 言えた! 美紅は心の中でガッツポーズをする。
真凛は目を開いたまま、じっと美紅を見ていた。瑠夏も真凛の表情をうかがう。さすが学年一の美少女、顔はかわいいと思う。ただ、そのかわいさからこんなに性格がねじれたのかなと思った。
その真凛が少女の整った顔で舌打ちをする。
「生意気に! 帰ろう。どうなっても知らないからね」
真凛はそう言うと背中を向けた。瑠夏が一瞬だけ美紅に笑顔を向けて路地を歩く。
偶然だった。大通りを出たとき、ちょうど辛島が歩いていた。
「あれ? 瑠夏さん、いま帰り?」
「こんにちは」
瑠夏は引きつった声を出して挨拶をした。手で路地に隠れているように美紅に合図を送る。声の主が辛島だと気づいた美紅は、路地に身体を隠した。
真凛は慌てて顔を伏せる。歩道橋の時のことは真凛も辛島も記憶になかった。ただ、昨日、布団を干していた時、家に来たセールスマンだとはわかった。
だが、辛島はすぐに思い出した。
「もしかして矢部さんのお嬢さんですか? お嬢さんも北高だったんですか!」
真凛は、お嬢さんという言葉の響きと、瑠夏に比べて、敬語で低姿勢で辛島が話しかけてくれたことに優越感がくすぐられる。
「こんにちは」と辛島に笑顔を向けた。
「あ、そうだ」と辛島は言うと、バックからスーパーのレジ袋を取り出す。
「ご自宅にお持ちしようと思ってたんですが、直接お渡ししますね。これ、銀杏なんですけど、紙の封筒に入れて電子レンジでパンって音がするまで温めたら食べられるようになりますよ。お休みの前に毎日二粒ほどお召し上がりになるといいみたいですよ。どうぞ」
真凛は銀杏を受け取る。
銀杏どころか、イモリの黒焼きまで食べたことのある真凛は、その意味が分かって赤面した。
「……ありがとうございます」
震える声で言って、バッグの中に仕舞った。
「美紅ちゃんは一緒じゃないの?」
辛島が瑠夏に訊く。
「今日はバイトだから早く帰ったみたいですよ」
瑠夏は、真凛と辛島がどういう関係なのか、気になりながら答えた。瑠夏は、真凛が辛島に美紅の居場所を話さないか気になったが、真凛は銀杏でひとりで恥ずかしくなって顔を紅くして、目を伏せていた。
路地の奥で美紅は息を殺し、辛島と会わずに済んだ。